2016年8月14日日曜日

私のクラシック音楽愛聴記: 小菅優ピアノ・リサイタルを聴く

私のクラシック音楽愛聴記: 小菅優ピアノ・リサイタルを聴く: 2016.2.13    神奈川県立音楽堂 演奏者:小菅優 演題: シューマン/蝶々OP。2 ブラームス/バラード集OP。10 ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第31番変ィ長調OP。110   アンコール シューマン;アラベスク シューマン;献呈(リスト編) ...

2016年5月27日金曜日

N響定期演奏会(1837回)を聴く

2016.5.26    サントリーホール

指揮:ネーメ・ヤルヴィ

演題:
    シューベルト 交響曲第7番 ロ短調 「未完成」D。759

    プロコフィエフ 交響曲第6番 変ホ長調OP。111


この指揮者は、カラヤン、マリナーに次ぐ録音を残す巨匠であり、旺盛な活動は機能的で効率的な演奏を達成できる彼の資質に依ると云う。N響の指揮は今度は3回目である。

今夜の演奏にも、テンポの速さ、こだわりのない誇張のないところにそれが窺われた。

[未完成」はロマン的な響きが多く、まだ短調交響楽が少なかった時代に、シューベルトは見事に謳いあげた曲だが、淡々と演奏し,心が軽くなったように感じた。第2楽章の第2主題では、クラリネットが哀愁を帯びた旋律を響かせた。

プロコフエフの第6番はこの指揮者の最も得意な曲であるという。プロコフエフは7曲の交響曲を書いたが、難渋を極めた沈痛で憂鬱な曲だ。しかし軽快なテンポで、むしろ軽く楽しむように指揮が行われたように感じた。高齢な事もあってか1時間40分で演奏が終わりアンコールも無かった。




2016年4月29日金曜日

ポリーニ・プロジェクト

ポリーニ・プロジェクト  2002in tokyo  サントリーホール 2002.11.6
アンサンブル・ウィーン=ベルリン アツカルド弦楽四重奏団
ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ


2016年4月22日金曜日

「ダフニスとクロエ」を聴く

すみだトリフォニーホール   2016.4.22

新日本フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会(557回)

指揮:準・メルクル


j説明を追加

演題:

プーランク  組曲「牝鹿」FP36

フォーレ   パヴァ―ヌ OP.50

ラヴェル   「ダフニスとクロエ」(全曲

演題はフランス音楽から3曲選曲されたが、ラベルの「ダフニスとクロエ」で、準・メリクルは彼の指揮棒を心地よく、颯爽と振った。

ラベルにバレエの作曲を依頼したのは、ソヴィエトの著名なバレエ主宰者のディアギレフで、物語の原作はコモンズである。1912年作曲が完成した。

物語の筋は、祭壇に捧げられる宗教的な踊りの中で、クロエをダフニスは愛するようになる。しかし海賊がクロエを拉致する。3人のニンフが神秘的な踊りにより、パンの神に祈らせて、その力でクロエは解放される。

この曲の魅力は、ラベルの自伝に詳しい。ラベルは語る「この作品は、非常に厳格な音組織に基づき、交響曲のような構成を持つ。
主題の展開が全曲を通して様式の同質性をもたらしている。

構成は 第1部 パンの神とニンフの祭壇の前

     第2部 海賊ブリュアクシスの陣営
 
     第3部 祭壇の前

「第一組曲」と「第二組曲」は、ほぼ同じように展開される。

冒頭低音ィの音の積み重ねから、ホルンによる動機、フルートによる主題が切れ目なくつづき、舞曲となる。その心地よさ!
次に、荒々しい海賊たちの戦いの踊り、クロエの優しい踊りが聴く人を陶酔させる。
第三部は、夜明け・無言劇・全員の踊りと展開し全管弦楽による爆発的な歓喜の中でクライマックスで終わる。らベル作品の中で、展覧会の絵、ボレロと並ぶ人気はおそらく将来も失われることはないと感じた。私は、ミュンシュ、アンセルメ、クリュイタンスノ指揮によるこの曲をLPdで聴いてきたが、メルクルの指揮はまさに現代の響きをもった括目すべき演奏だった。

因みに彼は日本人の母とドイツ人の父から、ミュンヘンで生まれ、86年にドイツ音楽評議会の指揮者コンクールで優勝ふらんす芸術文化勲章を受章している。
バーンスタインや小澤征爾に師事した。全身を駆使した指揮ぶりは、職人的な指揮者の凄さをもっている。今後も楽しみだ。


2016年2月28日日曜日

2016都民芸術フェスチバル


2016都民芸術フェスティバル/オーケストラ・シリーズを聴く

2016.2.26  東京芸術劇場コンサートホール 00演奏:NHK交響楽団

指揮:リオネル・ブランギエ                         

ヴィオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハ

演題:

チャイコフスキー;ヴィオリン協奏曲二長調 作品35

アンコール:イザイ/無伴奏ヴィオリン・ソナタ第2番第3楽章

ドヴォルザーク/スラブ舞曲第1

ムソルグスキー;組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編)

第一曲は「ニ長調四大ヴァイオリン協奏曲」(ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス)の一つである。ヴィオリン奏者はミュンヘンに住むドイツ人の父と日本人の母に生まれた美歩さんである。日本音楽財団貸与のストラデヴァリウス「ブース」を駆使している。

聴き慣れた第一主題と第二主題が繰り返され、チャイコフスキーの甘美な旋律が心に沁みわたるようだ。美歩さんは、節の終わりに弦を丸く輪を描くように弾く。鳴りやまぬ拍手に応えて、イザイとドヴォルザークを弾い   た。ともに静寂な感じの曲であった。

 

「展覧会の絵」ムソルグスキ―が10の絵画を見ながら会場を歩む足音に挟みながらロシアの民族的哀愁を、色彩感を交えて作曲した。そして約50年後、指揮者クーゼヴィツキ―の依頼でラヴェルがオーケストラに編曲したものである。

大変親しみの持てる組曲である。

 

 
 

2016年2月19日金曜日

小菅優ピアノ・リサイタルを聴く

2016.2.13    神奈川県立音楽堂

演奏者:小菅優
演題:
シューマン/蝶々OP。2
ブラームス/バラード集OP。10
ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第31番変ィ長調OP。110  

アンコール
シューマン;アラベスク
シューマン;献呈(リスト編)
シューマン;詩人のお話し(子供の情景より)

小菅は若手ピアニストのうち最も将来のある人だと思う。彼女の高度の技巧からのタッチの微妙な音の美しさは、群を抜いている。有名オケとの共演や受賞歴は数多い。舞台上の態度も大物で肝が据わっているように見える。曲の解釈でも確信を持っているようだ。
私は内田光子は別格としても、小菅優はさらに世界的な飛躍をとげるよう祈るのである。

蝶々」は文学少年でもあったシューマンが、ドイツの小説「生意気盛り」の最終に触発されて19歳の時作曲したという。筋は<、双子の兄弟が同じ一人の女性に恋心を抱き仮面舞踏会で兄弟の一人が告白し女性は受け入れるのです。譲った方は、相手の幸せを願いながらさってゆく>・・・蝶の舞にも似た女性の様子がシューマンの19歳の青年の心に落とした影を感じさせます。

バラード集」は、シューマンが精神病で入院中、夫シューマンと妻クララを気遣ったブラームスが、このバラードを書き慰めた。バラードは中世の詩や物語を音楽的に表現したもので、ブラームスの恩師夫妻にたいする不安定な旋律も現れます。

31番ソナタは、最後のソナタ32番のひとつ前の作品で、温かく美しい第一楽章、「嘆きの唄」の悲痛なメロディ、そして達観した圧巻の終結は、32番と並ぶ名作と言える

小菅のアンコール曲は、シューマンの3曲を淡々と弾いた。「詩人のお話し」などは帰路で口ずさむほど美しく感じた。

2016年2月1日月曜日

小澤征爾音楽塾オペラプロジェクトⅠ

小澤征爾音楽塾オペラプロジェクトⅠ、歌劇「フィガロの結婚」を観る

2000.6.01  神奈川県民ホール

指揮:小澤征爾
演出:デイヴィド・ニース
台本:ダ・ポンテ
管弦楽:小澤征爾音楽塾オーケストラ
合唱:小澤征爾音楽塾合唱団

配役:
アルマヴィーヴァ伯爵/オラフ・ベーア
伯爵夫人/クリスティーン・ゴーキ
スザンナ/ヌッチア・フォチレ
フィガロ/ジェラルド・フィンリー
ケルビーノ/ルクサンドラ・ドノーゼ小澤征爾が日本、アジアの若い音楽家の水準向上を図り、彼が音楽の全てを教わった故人斎藤秀雄先生の弦楽重視を実践しようとして立ち上げた小澤音楽塾の第1回目の上演を観た。
90名に上るメンバーの中には宮本文昭などその後活躍した人材が輩出している。

小澤は過去シャルル・ミンシュ、カラヤン、バーンスタインという名指揮者の指導を受け、2002年から、ウィーン国立歌劇場総監督を務めた。まさに世界に誇る日本人指揮者だ。

小澤さんにとつては音楽の基礎は、斎藤先生から教わった弦の響きだ。そしてオペラも得意だ。
パリ・オペラ座での「ァッシジの聖フランシスコ」の名演、サイトウ・キネン・オーケストラの創立、
彼の音楽への情熱は衰えることがない。数々の対談集、村上春樹、大江健三郎、武満徹には、それを強く読み取る事が出来る。

今回は、モーツァルトの「フィガロ」をとりあげた、かれの人脈を生かし世界から適材を配置した。
小澤ならではできない顔ぶれである。すべて世界の大舞台で活躍中の歌手である。オラフ・ベアの美声はすでにシューべルト・リサイタルで聴いていたので懐かしく感じたし、フイガロのフィンリーは初期は小澤の門下生で、今は世界の劇場で唄っている。


「フィガロ」の物語の筋は今更いうまでもないので、他稿にゆずるが、モーツァルトは最初は「フィガロ」は乗り気でなかった。しかしダ・ポンテの台本改良により生きかえった。ウィーンでは不評であったが、プラハ初演は、大成功を収めたのである。
それは日常生活にある様々な愛情関係の表現が階層を超えた時点の表現を、単なる喜劇でなく現したからであろう。

なお、オペラプロジェクトⅦは「フィガロの結婚」を再度上演たので、私は観た。14年間の年月が経過していた。
2014.3.16よこすか芸術劇場での上演配役は、指揮者:小澤と
演出デヴィト・ニース以外は全て歌手は重複がなかった。しかも主役は外人の名立たる歌手達だった。

私は、14年間の小澤征爾の活動を見てきたが、改めて巨匠の音楽に対する真摯な感情に打たれた。






N響定期演奏会を聴く(1828回)

2016。1.20     サントリーホール

指揮;トウガン・ソヒエフ
                           

ピアノ;ルーカス・ゲニューシャス

演題;

グリンカ:歌劇「ルスラントリュドミーラ」序曲

ラフマニノフ:ピアノ協奏 第2番 ハ短調 作品18

チャイコフスキー:バレエ音楽「白鳥の湖」 作品20」  (抜粋)

指揮者ソヒエフはベルリン・ドイツ交響楽団の首席指揮者でドイツ、フランス、ロシア音楽に精通し、ベルリン・フィルにも定期的に客演、妖しい音彩を愛でると評される。あわただしい現代だからこそ、瞑想する時間が必要だという彼の指揮ぶりには、個性的な包容力に満ちた音であった。

ピアノのゲニューシャスは、2010年ショパンコンクール2位入賞、ラフマニノフやチャイコフスキーなどロマン派を軸に取り組んでいる。N響とは初演である。

グリンカの序曲は「民話オペラ」で、原作はプーシキンにより書かれた。物語は勇士留守ランが
幽閉された恋人を救い出し結婚するというものだが、登場人物の性格描写が叙事詩的に悠然と展開され、後世に影響を与えたという。このオペラによりグリンカは「近代ロシアの音楽の父」と呼ばれて、特に序曲のみ演奏されることが多い。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番はロマンチックな曲だ。冒頭のピアノの和音が鐘の音のように聞こえ、徐々に響きを増してゆく。第2楽章では静寂な響きの中で葉擦れや小川のせせらぎの音もあり、第3楽章で抒情的な旋律が最高潮に達して終わる。とてもいい曲だ。

チャイコフスキ―の白鳥の湖からの抜粋は指揮者ソシエフによる選曲である。バレー音楽で聴きなれたメロディが続く。筋書きは省略しよう。








                  

2016年1月25日月曜日

アラン・ムニエ チェロ演奏会を聴く

2016.1.24   石神井 リベルラ

奏者:Alain Meunier
    アラン・ムニエ
演題
 バッハ:無伴奏チェロ組曲 第3番 BWV1009

 エディット・カナ・ド・シジ:風のかたちより

 バッハ:無伴奏チェロ組曲 第1番 BWV1007

2015年12月22日火曜日

N響定期演奏会(1825回)を聴く

2015.12.17    サントリーホール

指揮:シャルル・デュトワ


演題
 コダーイ;ガランダ舞曲

 バルトーク;組曲「中国の不思議な役人」

 サンサーンス;交響曲第3番  ハ単調 OP。78


この日は最後の「サンサーンス3番」では、彼の指揮ぶりは見事であった。N響の透明な旋律から、ロマンチックな情感と均衡を引き出していた。2007年にもこのコンビで演奏され名演と賛辞を得たという。、

「中国の不思議な役人」は、ハンガリーの文芸誌に掲載された物語を読み、バルトークがバレエ音楽として作曲したものを組曲化した、奇妙な音楽構成の曲だ。

「ガランタ舞曲」は、作曲家コダーイが7年間住んでいた父の故郷の町ガランタのジプシーの楽師達の演奏の響きに魅され、幼年時代の想い出として作られた。
真に楽しい曲である。幼い頃の回想は終末のアレグロで、軽快に華やかに終わる。

1987年からN響を指揮しているデュトワは、フランス的な色彩感、退廃的官能美で聴衆を魅了している。指揮者の特徴がよく感じられた演奏会であった。








2015年12月10日木曜日

宮田大 チェロ・リサイタルを聴く

2015.12.08    JTアートホールアフィニス

演奏者


チェロ: 宮田大

ピアノ: ジュリアン・ジェルネ

演題
   ファリャ;バレエ音楽「恋は魔術師」より

   ショパン;チェロ・ソナタト短調OP.65

   ファジル・サイ;4ッの都市OP.41(ピアノとチェロのためのソナタ)

               アンコール   ラヴェル:逝き王女のためのパヴァ―ヌ
               久石譲:風の谷のナウシカより

JTァートホールは定員256席の小ホールで、残響1.2秒の室内楽に最適なホールだ。当日はTV用の録画と録音があるという。全席自由席のため1時間前から会場を待つ人の列が出来た。

幸い最前列に席が取れて、5メートル位離れた位置で、大ちゃんファンの友人と家人と3人で聴いた。
素晴らしい1698製ストラディヴァリウス(シャモニー)のチェロの音色は深く渋く千変万化した。ピアニストのジェルネ(フランス人)とは6年間のコンビで、見事に息がぴったり合った。

「ファリャ:恋は魔術師」

情熱的な女性が、死んだ愛人の亡霊にとりつかれ、新しい愛する男と結ばれない。幽霊の魔法の力で、最後には恋が成就される。楽章名はなく、小休止を挟んで、下記の曲が展開する。

Ⅰ.パントマイム  Ⅱ.悩ましい愛の歌  Ⅲ.恐怖の踊り  Ⅳ.情景  Ⅴ.狐火の歌  Ⅵ.魔法の輪  Ⅶ.火祭りの踊り

音量の変化、弦の音色の変化、宮田の身体がチェロと一体化し揺れ動く。私はチェロの魅力を
これほどまでに味わったことがないと思った。
ミラノ・スカラ座で聴いたロストロポーヴィチや、ミッシャー・マイスキーの数度の演奏の思い出し比較を試みたが記憶は遠かった。

「ショパンのチェロ・ソナタ」

ピアノの詩人ショパンが生涯残したピアノ曲以外の室内楽は4曲のみで、そのうち3曲がピアノとチェロのためのデュオである。
39歳で早逝した彼が、この曲を作ったのは37歳の時で、恋人ジョルジュ・サンドと別れパリに戻り健康が悪化したが、彼を支えた親友は、「画家・ドラクロア」と「15年間の友人チェリスト・フランコーム」の2人だった。
この曲は、フランコームの友情に感謝し、彼との共演を想定して作曲され、献呈されたものだ。
余談だが、画家ドラクロアは、ショパンとジョルジュ・サンドの肖像画を残たが、今は二人は引き裂かれ、単独の画として美術館(ルーブル美術館)に展示されている。

<第一楽章>
ピアノの短い序奏に導かれチェロによる第一主題は幻想的でロマンチックだ。瞑想的な第二主題との対比が凄い。演奏者二人の呼吸が聞こえた。

<第二楽章>
ピアノとチェロは対立し、更に協調に変わる。チェロが唄う旋律が真に美しい。

<第三楽章>
緩徐楽章はノクターン調で、チェロとピアノが緊張感溢れるラルゴである。

<第四楽章>
主題が、チェロとピアノで体位的に絡み合い非常に哀れで美しい。そして力強く終止する。

私は初めてこの曲を聴いた。ショパンのチェロに対する執念を感じ、又宮田大の音色に驚いた。

ショパンの人生の深淵なる愛情の終焉をこの曲の中で聴く事ができるように想った。

「ファジル・サイ:4つの都市」
演奏前に宮田大がマイクでこの曲を解説した。
楽章名に代わり、Ⅰ.スイヴァス  Ⅱ.ホパ  Ⅲ.アンカラ  Ⅳ.ボドルム  は4つの都市名
であり、ファジル・サイは、トルコ出身で、
<各々の都市には、それぞれの気候、雰囲気、伝統があります。作品ではその各地の民謡や歌い継がれてきた旋律を各楽章に取り入れています。あたかもトルコを旅しているような雰囲気を味わってください>と述べる。

演奏は中東特有の民謡、カルカスダンス、夏のヴァケーション地の喧騒、ジャズを聴くような多彩な音色に楽しみ、感嘆する。

サイは、12年前から毎年訪日し、日本文化にも詳しい武満徹、黛敏郎に興味を持つという。(朝日新聞グローブ参照)


会場全聴衆の熱狂した拍手の続く中、、アンコール曲はラヴェルの「逝き王女のためのパヴァ―ヌ」を弾いた。私はパリ音楽院管弦楽団のクリュイタンス指揮のオーケストラ版をLPで愛聴しているが、チェロソナタでの演奏には驚いた。特に宮田のチェロの弦の響きは、哀愁に溢れ忘れられない。

かって、小澤征爾が宮田大を指導したTVを観たが、<真面目で、繊細すぎる傾向がある。もっと暴れてもいい。>との評であったと覚えている。本日の演奏は、かなり暴れた、思いどうりの演奏をした、と思う。
宮田大本人も<今日は、録音TVをしていたので、いつもより力んでしまった。>と話したが、本心を披露したのであろう。

更に鳴りやまぬ拍手に、久石譲作曲の<風の谷のナウシカ?>から草原を吹く風を感じる曲をひいた。

帰路の寒風も、聴衆にとっては、 微細なことであったろう。知人は<今日はこころに残る演奏会だった>と満足げだった。


















           

2015年12月2日水曜日

サントリーホール国際作曲委嘱シリーズを聴く

     2015.8.27            サントリーホール

指揮:ハインツ・ホリガー

管弦楽:東京交響楽団

演題:
ドヴュッシー:牧神の午後への前奏曲
グサビエ・ダイエ:2つの真夜中の間の時間
ハインツ・ホリガー:レチカント
ハインツ・ホリガー:デンマーリヒトー薄明りー
シャードル・ヴェレシェ:ベラ・バルトークの想い出に捧げる哀歌

ソプラノ:サラ・マリア・サン
ヴィオラ:ジュヌヴィエーブ・シュトロッセ

ホリガーは1939年生まれ、76歳であるが、ソロ奏者としても、作曲家としても、近年も数多い賞に輝いている。誠実な人柄をおもわせる容姿である。また2017年には武満徹作品賞の審査員を委嘱されている。

私は現代音楽を聴く機会が少ない。振り返ると記憶にあるのは、1997年フィレンツェ音楽祭で、現代音楽作曲家4名の演奏会を、アルツール・タマヨの指揮で
聴く機会があった。ガルニエリ、フェデレ、マンゾーニ、ベルグの4名だ。すべて初演であり、曲ごとに作曲家が舞台に上がり簡単な挨拶をした。私には奇妙な音の連続に聞こえ、ポカンとした覚えがある。その後日本で20世紀音楽を聴く機会があったが途中退場した。苦手なのだ。

「牧神の午後の前奏曲」
この曲は、後期ロマン派の音楽と決別し現代音楽の基盤の役割を果たしている。
マラルメの詩の印象を基にしたこの曲は、官能性やゆるやかな音で満たされている。フルート・ハープ・オーボエの響きが印象的だ。

「ダイエ」2つの真夜中の間の時間」(日本初演)
不規則にばらば














2015年11月29日日曜日

津軽三味線 岡田修 演奏会を聴く

2015.11.29    石神井リベルラ

演奏 岡田修

題目 
津軽よされ節
          津軽さんさがり
津軽じょんがら節
          十三の砂山
南風にのって
アンコール
庄内の彩


1985年津軽三味線全国大会で優勝し、以来欧米でも多彩な活動を続けている。

紋付に羽織、草履姿がよく似合う人だ。眼光と太い眉は、津軽三味線奏者に相応しい威厳がある。

20人限定の音響の良いこのピアノホールで演奏に当たり、岡田さんは3丁の三味線を用意されていた。それぞれ大きさや、デザインが違うのである。

「津軽よされ節」
三味線の歴史を話された。昔、越後は貧しく食うものにも貧した。<こんな世は去れ>と三味線を抱えながら農家を物乞いに回り、飢えを凌いだ。そして越後から津軽へ北上し、津軽で定着した。
「よされ節」の意は、<こんな世は去れ>から生まれているのだ。

「十三の砂山」
津軽半島の日本海側最先端に13の港を築き海外交易で繁栄していたが、1340年二十メートルを超す大津波が突如起こり、死者10万余人を数えた。
跡には砂山が残った。<砂が米なら良かったに>と唄う旋律には、悲しい哀調がながれている。
3.11の東北地震に後は、岡田さんはこの唄を封印していたが、今年の3月11日より復活させたという、涙顔で唄った。

「南風にのって」
蛇の皮の三味線は蛇味線といい、沖縄で使われる。沖縄の空の碧さに憧れて3度沖縄に行ったが
生憎毎回天気が悪く、その中で作曲したのがこの曲で、<少しは温かみが感じられましたでしょうか?>と。次の機会をまっているそうだ。

「庄内の彩」
岡田さんは庄内で生まれ育った。三味線に憧れ弟子入りし、5年の修行を経て独り立ちしたという。楽譜も教則本もないので、自分で考えて工夫をされたようだ。
この唄は、自分の幼少の頃の思い出と感傷を作詞・作曲されたものだ。

三っの三味線は皮の張り方により音色がちがう。皮は、猫か犬だ。三弦は二弦が糸を縒って作られ,他の一弦はナイロン製だ。撥は鼈甲か木製である。鼈甲を最良とする。演奏が終わってから三味線を持たせて戴いたが、重いのに驚いた。

何時もながらの美味しいケーキとお茶の御もてなしを受けで、リベルラを後にしたが、強いバチの
打音が心に残響として記憶された。






2015年11月27日金曜日

N響定期公演を聴く(1822回)

   2015.11。26    サントリーホール

指揮:ネヴィル・マリナー

演題:
     Mozart ピアノ協奏曲24番 ハ短調   

          ピアノ:ゲアハルト・オビッツ

          アンコール;
          シューベルト:三っのソナタD。946
                       第一楽章より

             Brahms  交響曲第4番 ホ短調 OP。98


指揮者サー・マリナーは、当年91歳であるが、名声はアカデミー室内管弦団の常任指揮者に就任(1967年)してバロック音楽「四季」での名演奏で世に知られた。

私は不幸にして当時生演奏を聴く機会がなかった。しかし
話題を集めた映画「アマデゥス」のサウンドトラックで奏でられたマリナー指揮のアカデミー室内管弦の音楽は素晴らしかった。この映画によりモーツァルの死をめぐるサリエリの陰謀説が話題とされた。そして音楽の効果が大きく、印象に残った。ご覧になった人は多いはずだ。

私にとっては、マリナー指揮の「アルフレッド・ブレンデル」の弾く歴史的名盤「モーツァルトピアノ協奏曲全集」(1970年LP13枚版-装丁が実に美しい)を所有し、愛聴していたので、かなり身近に感じられた。モーツァルトの協奏曲で、この盤に比肩するのは、リリー・クラウス、内田光子(全集はない)が双璧だと思う。

彼の指揮は、ピエール・モントゥーから指導された、自然体の音楽であり、まったく淀みがない。
細部まで細かく動く指揮棒は、若く躍動する。そしてモーツァルトもブラームスもマリナーが最も
愛し、得意とする曲であろう。

モーツァルトの24番協奏曲は、27の協奏曲のなかで、20番とともに短調は2曲しかない。しかも
その旋律は不安定でもある。
しかし、24歳で第2回ルビンシュタイン国際コンクールに優勝したこの人は、師のケンプさながらに、正確なタッチから生まれる美しい音色のモーツァルトを聴かせた。
なりやまぬアンコールの拍手に対し、シューベルトの3つのソナタD946から第一楽章を弾いた。私は91歳の指揮者、62歳のピアニストを聴き、音楽に年齢ないとの思いを強くした。

ブラームスの第4交響曲の旋律の美しさは、麻薬だ。ため息にも似た第一楽章の第一主題、静かな幻想を想う第二楽章、フィナーレとまがう題三楽章、終楽章はバッハのカンタータの合唱からの主題に見られるシャコンヌは彼のバッハ研究の集大成といわれる。                                            
ブラームス自身は、この第四交響曲を、一番好んだという。

私は実演奏を、第一交響曲は今年2月・新日本フィルで聴いたが、過去1992年ァバト指揮のベルリン・フィルでも聴いている。
第二交響曲は、今年5月N響で、第三交響曲は1961年ウィーンでウィーンフィルによる演奏を聴いている。

第三交響曲で思い出すのは、「ブラームスはお好き?」という映画は、フランソワーズ・サガンの小説を映画化したものだが、主演に<イングリット・バークマン><アンソニ―・パーキンズ><イブ・モンタン>という豪華メンバーによる名画であった。アンソニ―・パーキンズが15歳年上の美しいバークマンを愛し、同棲するが破たんを迎える。別れ際バークマンが叫ぶ。I  am old,  I am old!  音楽はブラームス第3番交響曲である。






2015年11月25日水曜日

湘南交響吹奏楽団グランドシップを聴く

       Ⅰ。2015.5.24  定期演奏会  鎌倉芸術館大ホール  
       Ⅱ。2015.11.21 冬の音楽会  横浜市泉公会堂講堂


2005年、20数名で練習をはじめたグランドシップは、現在10代~60代までの約60名の大所帯となり、毎週土曜日夜練習に集まっている。吹奏楽のコンクール参加、地域社会への献身的な音楽活動を展開し、年1回の定期演奏会と冬の音楽会は恒例の催しである。
総じて、若さあふれる吹奏楽の音響は、老齢の身には、全身に吸収される元気の妙薬となる。

写真をご覧になれば、若さ溢れる楽団であることを感じられよう。私の青年時代は、音楽は洋楽と言われて、教養の一部として西洋から学ぶもので、日常生活と一線を画していた時代であった。

音楽は人間の営みと直結して存在するものだ。舞台上の本日の演奏者たちは、吹奏楽器を日常生活の中でに溶け込んだ道具とし違和感なく楽しんでいるいる人々なのであり、おそらく教養のためとか、思っている人はいない。
私にも学生時代、安いギターを購入しギター教室に行ったことがあった。友人に誘われ二人で通ったが、二人とも途中で辞めた。今日まで続いて弾けるようになっていたらと思うと残念で仕方がない。生涯弾ける人の幸せを味わいたかった。


Ⅰ。第10回定期演奏会(5.24)           

   指揮:清水誠

   客演指揮:保科洋

   司会:大場寿子
                     

  演題:

  第一部
   輝く日への前奏曲
    稲穂の波
      コンサート・マーチ(風薫る五月に)
   復興 

 第二部
                                                                             
      交響詩「 ローマの松」
      1.ボルゲーゼ荘の松
      Ⅱ.地下墓地脇の松
      Ⅲ.ジャニーコロの松
      Ⅳ.アッピア街道の松

「輝く日への前奏曲」は、トランペット・トロンボーンによるファンファーレの大音響で始まり、輝く日へと繋がる。
「稲穂の波」は四季にわたる田園風景繰りひろげられる心地よい曲だ。この楽団にとって10年振り
の演奏だという。
「風薫る五月に」と「復興」は客演指揮者保科洋の作曲である。冒頭のクラリネットの静寂感のある
主題展開が心に響く。
「ローマの松」は、レスピーギ作曲のローマ三部作(ローマの噴水、ローマの祭り)の代表作で有名であるが、古代ローマからの歴史の証人としての象徴を古代松に託し、変化に富んだ音響と旋律で楽しく、最終のクレッシェンドで終わる。

指揮者清水さんは、自身が現役のアコーディオン奏者の所為であろうか、クラシック音楽演奏の指揮者の派手なジェスチャーは皆無で、その人柄は控えめだ。団員を個々に指さし拍手をさせるような行為が欲しいような気がした。

Ⅱ。「冬の音楽会2015」 (11.21)

  指揮:清水誠

  司会:宮崎絢奈

  演題:

   第1部            
                                                         
          サンダーバード                                    
         キッズアニメ・メドレー
         フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
         シンデレラ・メドレー                                第2部

                                                                                   英雄の証
                                                                                   スーパーマリオブラザーズ
                                                                                    ドラゴンクエストによるコンサート・セレクション

司会はクラリネット奏者の若い宮崎さんだ。きれいな声でテキパキと次の曲を紹介した。真に要領がいい説明だ。先の演奏会では、プロのアナウンサーであったが、団員から登用したようだ。
アニメソングには無縁の私であるが、リズミカルなメロディにほれぼれして聴いた。聴いたような曲もあり見事に鳴り渡る音響は心地よいものだった。










2015年11月16日月曜日

内田光子:2回のピアノ・リサイタルを聴く


2015.11.10&11.15   サントリーホール
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11.10 の演題(第1回)
シューベルト:4つの即興曲 OP。90 D899 ハ単調/変ホ長調/変ト長調/変イ長調

ベートーヴェン:デイアベッリのワルツの主題による33の変奏曲 ハ長調 OP120








11.15 の演題(第2回)

シューベルト:4つの即興曲 OP。142 D935 へ短調/変イ長調/変ロ長調/へ短調

ベートーヴェン:デイアベッリのワルツの主題による33の変奏曲 ハ長調  OP120


https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEijRoW-i8e4EiHVkJX_KAXF9viDEhl326t6-D5ZHOylDVfO3knOU-Yz26xOMwrVY3L0OQBW2C8s_Srje872PdXKfolYVv8_uVcsrtiZyeEsIA79BFwmbAH4YNQCHn4QxTVgt3d09kpnC7Pp/s200/Scan.BMP.jpg内田さんの弾くシューベルトが訴えかけてくるものは、悲しみとか、生への諦観という生易しいものではなかった。

私はOP.90とOP.142を弾いた彼女の1996年の録音盤をもち、聴いてきたが、それらの「死へ向かってゆく「哀しみの美しさ」を感じさせる従来のシューベルトとは今度の演奏は異なっていたと感じた。
彼女の知性によって、楽譜に忠実でありながら、生きることへの凄まじさを強く感じた演奏だった。音楽の範疇を超えていた。
今日の演奏や近年の演奏録音が新しく出版されることを希望する。
 
初日10日の後半には、美智子皇后が来場され、ベートーヴェンの33の変奏曲が奏でられた。
この曲は演奏が最も少ない部類の曲だという。私も実演奏を聴くのは初めてだ。この奇妙な曲は、バックハウスのLP盤(1988/独版)と、クラウディオ・アラウのCD(1985年/独版)をもっていたが、聞き覚えがないまま放置状態であった。

しかしながら、6日前に内田さんのレクチャーを受けて、この曲のもつ魅力にとりつかれた。(前項参照)
私にはベートーヴェンは、孤高の存在であり、孤軍奮闘し、立ち上がる人間像があった。しかしもっと多面的な彼の姿を33の変奏曲で知った。最終楽章33番は崇高な世界にひろがって静かに曲を閉じる・・・。

プログラム・ノートで青沢隆明氏は、<それは救済なのか,帰天なのか、中座なのか。消失なのかー。あらゆる悲哀を、悲喜劇を超え、多様な現象を巻き起こし、壮大な生を変換させてきた後には、もはや人間的な憤怒も嘲笑も砕け散って、生命の舞踊が途絶えたように宇宙の沈黙が残される。>と評されている。

またアルフレッド・ブレンデルは「音楽の中の言葉」の著書で、偶々シューベルトの即興曲とデイアベッリ変奏曲の対比を論じているではないか!
内田さんの2回の演奏会プログラムと一致しているのだ。時を超え、人を超え、音楽という妖怪が暗躍し、結びつけたのかもしれない。
 
二人の評論に共通する音楽を超えたものを、第3者に言葉という手段で伝えることは不可能に近い。立ちはだかる壁は高い。







 
  










 

2015年11月12日木曜日

藤沢にゆかりのある音楽家のつどい

2015.11.12    藤沢市民会館  小ホール

演題

モーツァルト:弦楽四重奏曲 第22番 K.589
               (プロイセン王 第2番)

ハイドン:  弦楽四重奏曲 第77番 OP.76-3
                                        「皇帝」から第2楽章

ボロディン: 弦楽四重奏曲 第2番から第3楽章「夜想曲」

ヴォルフ:  イタリアのセレナード

ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲 第2番 OP.81 B.155

演奏者

ヴァイオリン; 名倉淑子

         恵藤久美子

ヴィオラ;   中村静香

チェロ;    安田健一郎

ピアノ;    小菅優


当日ののホールは、地元の愛好家で満席の状態であった。選曲もよく、楽しんだ。

モーツァルト22番は,当時貧窮し体調を崩していて、「プロイセンシリーズ」は「ハイドンシリーズ」に比べて、やや平坦であるように思う。プロイセンは23番で終わる。この頃のモーツァルトは低調であった。つぎのステップ五重奏に対する潜伏期間であった。私はバリリ四重奏団のモノラル録音盤(westminster盤)の演奏が好きである。

余談だが、弦楽五重奏曲6曲に於けるモーツァルトは、間然するところがない。天才モーツァルトを感じるのが五重奏曲だ。K.515,516は疾走するモーツァルトの宇宙を流離うことができる。好きで
聴き比べるうちに、レコード数が16とうりの演奏盤になっていた。

ボロディンの「夜想曲」は、妻に愛の告白をした20年記念として作曲されたロマンチックな作品で、明るくいい曲だと思った。


ヴォルフの「イタリアのセレナ―ド」は南国の太陽への憧れが、力強く
演奏された。

さて、最後の曲にピアノの小菅優が加わった。ピアノが主導し素晴らしい演奏となり、ドヴォルザークを堪能できた。小菅さんの音は綺麗で力強く、自然と人間への愛が伝わってきた。
小菅は主にヨーロッパで活躍しているが、昨年文部科学大臣新人賞を授与され、今後が楽しみなピアニストだと感じた。今後も聴きに行きたい。




 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2015年11月9日月曜日

内田光子:デイアベッリ変奏曲を語る

2015。11.4     サントリーホール(小ホール・ブルーローズ)

演題:ベートーヴェンの「デイアベッリ変奏曲」OP120について

2年振りの来日だ。今秋の演奏会は2回のみで、サントリーホールで行われる。
2回の演奏会プログラムで、共通して「ディアベッリ変奏曲」が演奏される。演奏に先立ち、無料レクチャーが催された。実演奏会の聴衆のうち希望者抽選で参加させて戴いた。

颯爽と現れた内田さんは、早口だが流暢な日本語で、しかも明快な
レクチャーをされた。私はかなり興奮しながら聞き入った。

Ⅰ。曲の構成について

「デイアベッリ変奏曲」は58分もの演奏時間を要するが、楽章はなく,休止時間のない,単楽章のみで33の変奏曲から構成されている。

完全に暗譜されている内田さんは、33の各曲間の関係を説明された。明晰な頭脳者の講義は、時折交えるユーモアとともに、面白い。内容は以下のようであった。

<オーストリアの出版業者で作曲家でもあったデイアベッリは、在住の作曲家やピアニストに自作の変奏曲を1曲づつ送り、作曲を依頼し、これらを集めて「祖国芸術家連盟」の名称で出版する企画をたてた。
シューベルト、ツエルニー、フンメル、11歳のリストなど50人が応募、ベートヴェンも1曲のみ依頼を受けた一人だった。ベートーヴェンは当初気に入らなかったが、途中で気が変わり、4年後33曲の変奏曲を完成させ、題名を「変容」とした。9番交響曲と並ぶ晩年の最高傑作となった。>
内田さんは、変奏曲①,②と⑩、⑳、㉛~㉝を祥述された。特に㉝の短調から長調への変換は、見事であると話された。

また、㉙がモーツァルト、㉛がヘンデルに捧げられていること、最終の㉝でベート―ヴェンは、この時代の人間が見えなかった{宇宙を作ってしまった}(ウイリアム・キンテーム著より)との事についてはⅢで詳述したい。

巨匠ピアニストのブレンデルは、名著「音楽の中の言葉」(木村博江訳)のなかで、<クラシック音楽はつねにシリアスであるべきか>の表題で81頁にわたりデイアベッリ変奏曲を中心に論評している。かなりの労力と知識が必要だが私なりに興味深く読んでみた。

彼はこの曲に対するベートーヴェンの「バラ色の気分」を照らし出し、各曲に題名をつけた。とても面白いので参考として列記する。

主題:通称「ワルツ」
第一変奏:行進曲―力瘤を見せびらかす剣闘士
第二変奏:雪
第三変奏:信頼と執拗な疑い
第四変奏:博学なレントラー
第五変奏:手なずけられた小鬼
第六変奏:雄弁なるトリル(大波に立ち向かうデモステネス)
第七変奏:旋回と足踏み
第八変奏:間奏曲(ブラームス的な)
第九変奏:勤勉なくるみ割り
第十変奏:忍び笑いといななき
第十一変奏:「潔白」(ビューロー)
第十二変奏:波形
第十三変奏:刺すような警告
第十四変奏:選ばれし者、来れり
第十五変奏:陽気な幽霊
第十六・十七変奏:勝利
第十八変奏:ややおぼろげな、大事な思い出
第十九変奏:周章狼狽
第二十変奏:内なる聖所
第二十一変奏:熱狂家と不満屋
第二十二変奏:「昼も夜も休まずに」(デイアベッリ的な)
第二十三変奏:沸騰点のヴィルトゥオーゾ
第二十四変奏:無垢な心
第二十五変奏:ドイツ舞曲
第二十六変奏:水の波紋
第二十七変奏:手品師
第二十八変奏:操り人形の怒り
第二十九変奏:「抑えたため息」
第三十変奏:優しい嘆き
第三十一変奏:バッハ的な(ショパン的な)
第三十二変奏:ヘンデル的な
第三十三変奏:モーツァルト的な。ベートーヴェン的な

最終変奏をベートーヴェン的なとしたのは、後述のⅢで吉田さんが指摘する「没個性的宇宙」が漂うからであろう。
内田さんも最終変奏には「ベートヴェンはここで当時の人間が想像もしなかった地平線から見える世界を離れ、全宇宙を創造したのです。」と表現された。


Ⅱ。ベートヴェンの「デイアベッリ変奏曲楽譜とメモ」について

内田さんは、この曲に関心をもち、研究をはじめたのは4~5年前からという。
ベートーヴェンが書いた膨大な作曲メモが近年農村から発見され売られようとした。ウィーン楽友協会は国費でこれを買い上げて、原爆が投下されても安全な倉庫を作り保管した。世界的な遺産だからである。
3時間閲覧を許された内田さんが見たものはベートーヴェンの深かい苦悩の跡であった。

当時は紙代が高価であったため、何度も消しながら書いていった足跡がたどれるという。モーツァルトは頭で記憶して努力の跡はないが、ベートーヴェン何度も書き直した。特に曲の構成に努力を傾けたのである。

Ⅲ。ベートーヴェンの没個性的宇宙

吉田秀和さんも、このスケッチを見て感想を記している(「ベートーヴェンを求めて」より引用)

曰く<彼の筆跡が壮年時代の嵐のように激しく、力任せのそれとは違って、はるかに細く、緊密で
注意深く書かれ、私にはまさに天空を横切ってゆく星の軌道のように、またその星に向けられそれを取り囲む無限の憧れの鼓動の姿そのもののように思えるのだった。>と。

内田さんは、<この作品は、人間が生きて行く上で遭遇する最大の深みにスポッとはまってしまい、その一方で深みに落ち込んだ者を上にもちあげる力があり、それはベートヴェンにしか出来ないこと>と語る。さらに続けて<ベートーヴェンは当時の人々の地上の自然を超えて、神秘な広大な全宇宙を観たのです。>と。

Ⅳ.雑記-1

レクチャーがおわり、高松宮殿下記念世界文化賞音楽部門受賞式が常陸宮の代理から行われた。
内田さんは、「私は朝から晩まで、好きな音楽のこと以外全くしないし知らない人間です。それが表彰されるなんてなんと幸せなことでしょう!」そしてくるりと体を一転させて「しかも賞金まで一緒です」と笑わせた。そして「いま世界中大きな津波が押し寄せています。裸の幼児が極寒の中で震えているではありませんか。許せません、この賞金はそんな人々に毛布一万枚を買うことに使います。」と。
帰路気付いたら、すっかり疲れが取れ、爽快な気持ちに還った自分がいた。ベートーヴェンの活力を内田さんが僕に呉れたようだ。

直筆のサイン(私の宝です)
 
 
























2015年10月15日木曜日

N響定期演奏会を聴く(1818回)

2015.10.15    Suntory Hall


指揮:  パ~ヴォ・ヤルヴィ

     チェロ; トルルス・モルク
     ヴィオラ; 佐々木亮

演題

R。シュトラウス;   交響詩「ドン・キホーテ」
                  op.35

R.・シュトラウス;   交響詩「テイル・オイレンシュピーゲル                 愉快ないたずら」
                  op.28

R・シュトラウス   歌劇「ばらの騎士」組曲


今年2月18日、同じN響定期演奏会で、R。シュトラウスの
「ドン・ファン」と「英雄の生涯」を聴いた(そのⅢ50頁)。
この人はよほどR.Straussが好きなのだろう。。


参考として、近年のヤルヴィ評を記す。

・平野昭氏・・・(2月演奏について;毎日新聞)マーラーの一番「巨人」でN響は完全に豹変したのだ。強弱法と緩急法に生きた意味を与えて音楽に豊かな表情をもたらした。

・山之内英明・・・(週刊オン・ステージ新聞)R・シュトラウスに焦点を当てた「英雄の生涯」「ドン・ファン」は、各パートのが楽器が遅滞なく鳴り、団員同士も普段以上におたがいの音を聴き合って、N響の芳醇を引き出した。

今日のR・Straussの3曲は正に常任首席指揮者就任(3年契約)を飾るに最も相応しい演題であったのだ。
彼の指揮は、天上から雷が落ち、,閃光が指揮棒に感電し、震え、管弦が場内を満たす。筋肉質豊かな体躯が踊る。見事なものだ。団員の目を見ながら指示して通常の指揮者とは一段上の指揮だと私も思った。
ヴィオラの佐々木亮は素晴らしい音色で感銘を受けた。良い音楽会であった。












2015年9月30日水曜日

N響定期演奏会1815回を聴く

2015.09.17    サントリーホール


指揮者:ヘルベルト・プロムシュテット

演題

べートーヴェン:

                          交響曲第1番ハ長調op.21

                         交響曲第3番変ホ長調op.55(英雄)

プロムシュテットの指揮が冴えた。タクトを持たず両手を表現豊かに振り、腕と肩を動かし、78歳の高齢ながら緊張感を最後まで維持した。

私は、ベートーヴェンの交響曲では、偶数番の4番、6番,8番が好きでよく聴いてきたように思う。
特に1番を聴くのは、久しぶりで、この曲はモーツァルトの影響が強いとの固定観念があった。
しかし今日の演奏を聴き、強烈なベートーヴェンの意思が流れていることを感じた。

3番の「エロイカ」はナポレオンに捧げる意図で作曲にかかったが、皇位
に就いた行為に激怒したベートーヴェンが取りやめ、表題は出版社がつけた。
この曲によりべートーヴェンは一躍世に出、知られるようになった。いはば彼の出世作である。


吉田秀和著「ベートーヴェンを求めて」で199頁~232頁にわたり3番「エロイカ」に対する精密な考察がある。
吉田さんは、主題の展開と取り組むベートーヴェンの苦闘をとりあげる。モーツァルトに於いては主題は自然に発生した。「エロイカ」の主題の展開は第2主題な巧妙な展開にあるという。私には作曲技法は分からないが、天才ならでは出来ないという。

Beetovenならでは音楽を感じた夜であった。