2015年11月16日月曜日

内田光子:2回のピアノ・リサイタルを聴く


2015.11.10&11.15   サントリーホール
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
11.10 の演題(第1回)
シューベルト:4つの即興曲 OP。90 D899 ハ単調/変ホ長調/変ト長調/変イ長調

ベートーヴェン:デイアベッリのワルツの主題による33の変奏曲 ハ長調 OP120








11.15 の演題(第2回)

シューベルト:4つの即興曲 OP。142 D935 へ短調/変イ長調/変ロ長調/へ短調

ベートーヴェン:デイアベッリのワルツの主題による33の変奏曲 ハ長調  OP120


https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEijRoW-i8e4EiHVkJX_KAXF9viDEhl326t6-D5ZHOylDVfO3knOU-Yz26xOMwrVY3L0OQBW2C8s_Srje872PdXKfolYVv8_uVcsrtiZyeEsIA79BFwmbAH4YNQCHn4QxTVgt3d09kpnC7Pp/s200/Scan.BMP.jpg内田さんの弾くシューベルトが訴えかけてくるものは、悲しみとか、生への諦観という生易しいものではなかった。

私はOP.90とOP.142を弾いた彼女の1996年の録音盤をもち、聴いてきたが、それらの「死へ向かってゆく「哀しみの美しさ」を感じさせる従来のシューベルトとは今度の演奏は異なっていたと感じた。
彼女の知性によって、楽譜に忠実でありながら、生きることへの凄まじさを強く感じた演奏だった。音楽の範疇を超えていた。
今日の演奏や近年の演奏録音が新しく出版されることを希望する。
 
初日10日の後半には、美智子皇后が来場され、ベートーヴェンの33の変奏曲が奏でられた。
この曲は演奏が最も少ない部類の曲だという。私も実演奏を聴くのは初めてだ。この奇妙な曲は、バックハウスのLP盤(1988/独版)と、クラウディオ・アラウのCD(1985年/独版)をもっていたが、聞き覚えがないまま放置状態であった。

しかしながら、6日前に内田さんのレクチャーを受けて、この曲のもつ魅力にとりつかれた。(前項参照)
私にはベートーヴェンは、孤高の存在であり、孤軍奮闘し、立ち上がる人間像があった。しかしもっと多面的な彼の姿を33の変奏曲で知った。最終楽章33番は崇高な世界にひろがって静かに曲を閉じる・・・。

プログラム・ノートで青沢隆明氏は、<それは救済なのか,帰天なのか、中座なのか。消失なのかー。あらゆる悲哀を、悲喜劇を超え、多様な現象を巻き起こし、壮大な生を変換させてきた後には、もはや人間的な憤怒も嘲笑も砕け散って、生命の舞踊が途絶えたように宇宙の沈黙が残される。>と評されている。

またアルフレッド・ブレンデルは「音楽の中の言葉」の著書で、偶々シューベルトの即興曲とデイアベッリ変奏曲の対比を論じているではないか!
内田さんの2回の演奏会プログラムと一致しているのだ。時を超え、人を超え、音楽という妖怪が暗躍し、結びつけたのかもしれない。
 
二人の評論に共通する音楽を超えたものを、第3者に言葉という手段で伝えることは不可能に近い。立ちはだかる壁は高い。







 
  










 

0 件のコメント:

コメントを投稿