2015年11月9日月曜日

内田光子:デイアベッリ変奏曲を語る

2015。11.4     サントリーホール(小ホール・ブルーローズ)

演題:ベートーヴェンの「デイアベッリ変奏曲」OP120について

2年振りの来日だ。今秋の演奏会は2回のみで、サントリーホールで行われる。
2回の演奏会プログラムで、共通して「ディアベッリ変奏曲」が演奏される。演奏に先立ち、無料レクチャーが催された。実演奏会の聴衆のうち希望者抽選で参加させて戴いた。

颯爽と現れた内田さんは、早口だが流暢な日本語で、しかも明快な
レクチャーをされた。私はかなり興奮しながら聞き入った。

Ⅰ。曲の構成について

「デイアベッリ変奏曲」は58分もの演奏時間を要するが、楽章はなく,休止時間のない,単楽章のみで33の変奏曲から構成されている。

完全に暗譜されている内田さんは、33の各曲間の関係を説明された。明晰な頭脳者の講義は、時折交えるユーモアとともに、面白い。内容は以下のようであった。

<オーストリアの出版業者で作曲家でもあったデイアベッリは、在住の作曲家やピアニストに自作の変奏曲を1曲づつ送り、作曲を依頼し、これらを集めて「祖国芸術家連盟」の名称で出版する企画をたてた。
シューベルト、ツエルニー、フンメル、11歳のリストなど50人が応募、ベートヴェンも1曲のみ依頼を受けた一人だった。ベートーヴェンは当初気に入らなかったが、途中で気が変わり、4年後33曲の変奏曲を完成させ、題名を「変容」とした。9番交響曲と並ぶ晩年の最高傑作となった。>
内田さんは、変奏曲①,②と⑩、⑳、㉛~㉝を祥述された。特に㉝の短調から長調への変換は、見事であると話された。

また、㉙がモーツァルト、㉛がヘンデルに捧げられていること、最終の㉝でベート―ヴェンは、この時代の人間が見えなかった{宇宙を作ってしまった}(ウイリアム・キンテーム著より)との事についてはⅢで詳述したい。

巨匠ピアニストのブレンデルは、名著「音楽の中の言葉」(木村博江訳)のなかで、<クラシック音楽はつねにシリアスであるべきか>の表題で81頁にわたりデイアベッリ変奏曲を中心に論評している。かなりの労力と知識が必要だが私なりに興味深く読んでみた。

彼はこの曲に対するベートーヴェンの「バラ色の気分」を照らし出し、各曲に題名をつけた。とても面白いので参考として列記する。

主題:通称「ワルツ」
第一変奏:行進曲―力瘤を見せびらかす剣闘士
第二変奏:雪
第三変奏:信頼と執拗な疑い
第四変奏:博学なレントラー
第五変奏:手なずけられた小鬼
第六変奏:雄弁なるトリル(大波に立ち向かうデモステネス)
第七変奏:旋回と足踏み
第八変奏:間奏曲(ブラームス的な)
第九変奏:勤勉なくるみ割り
第十変奏:忍び笑いといななき
第十一変奏:「潔白」(ビューロー)
第十二変奏:波形
第十三変奏:刺すような警告
第十四変奏:選ばれし者、来れり
第十五変奏:陽気な幽霊
第十六・十七変奏:勝利
第十八変奏:ややおぼろげな、大事な思い出
第十九変奏:周章狼狽
第二十変奏:内なる聖所
第二十一変奏:熱狂家と不満屋
第二十二変奏:「昼も夜も休まずに」(デイアベッリ的な)
第二十三変奏:沸騰点のヴィルトゥオーゾ
第二十四変奏:無垢な心
第二十五変奏:ドイツ舞曲
第二十六変奏:水の波紋
第二十七変奏:手品師
第二十八変奏:操り人形の怒り
第二十九変奏:「抑えたため息」
第三十変奏:優しい嘆き
第三十一変奏:バッハ的な(ショパン的な)
第三十二変奏:ヘンデル的な
第三十三変奏:モーツァルト的な。ベートーヴェン的な

最終変奏をベートーヴェン的なとしたのは、後述のⅢで吉田さんが指摘する「没個性的宇宙」が漂うからであろう。
内田さんも最終変奏には「ベートヴェンはここで当時の人間が想像もしなかった地平線から見える世界を離れ、全宇宙を創造したのです。」と表現された。


Ⅱ。ベートヴェンの「デイアベッリ変奏曲楽譜とメモ」について

内田さんは、この曲に関心をもち、研究をはじめたのは4~5年前からという。
ベートーヴェンが書いた膨大な作曲メモが近年農村から発見され売られようとした。ウィーン楽友協会は国費でこれを買い上げて、原爆が投下されても安全な倉庫を作り保管した。世界的な遺産だからである。
3時間閲覧を許された内田さんが見たものはベートーヴェンの深かい苦悩の跡であった。

当時は紙代が高価であったため、何度も消しながら書いていった足跡がたどれるという。モーツァルトは頭で記憶して努力の跡はないが、ベートーヴェン何度も書き直した。特に曲の構成に努力を傾けたのである。

Ⅲ。ベートーヴェンの没個性的宇宙

吉田秀和さんも、このスケッチを見て感想を記している(「ベートーヴェンを求めて」より引用)

曰く<彼の筆跡が壮年時代の嵐のように激しく、力任せのそれとは違って、はるかに細く、緊密で
注意深く書かれ、私にはまさに天空を横切ってゆく星の軌道のように、またその星に向けられそれを取り囲む無限の憧れの鼓動の姿そのもののように思えるのだった。>と。

内田さんは、<この作品は、人間が生きて行く上で遭遇する最大の深みにスポッとはまってしまい、その一方で深みに落ち込んだ者を上にもちあげる力があり、それはベートヴェンにしか出来ないこと>と語る。さらに続けて<ベートーヴェンは当時の人々の地上の自然を超えて、神秘な広大な全宇宙を観たのです。>と。

Ⅳ.雑記-1

レクチャーがおわり、高松宮殿下記念世界文化賞音楽部門受賞式が常陸宮の代理から行われた。
内田さんは、「私は朝から晩まで、好きな音楽のこと以外全くしないし知らない人間です。それが表彰されるなんてなんと幸せなことでしょう!」そしてくるりと体を一転させて「しかも賞金まで一緒です」と笑わせた。そして「いま世界中大きな津波が押し寄せています。裸の幼児が極寒の中で震えているではありませんか。許せません、この賞金はそんな人々に毛布一万枚を買うことに使います。」と。
帰路気付いたら、すっかり疲れが取れ、爽快な気持ちに還った自分がいた。ベートーヴェンの活力を内田さんが僕に呉れたようだ。

直筆のサイン(私の宝です)
 
 
























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