2015年8月30日日曜日

サントリーホール国際作品委託シリーズ・ハインツ・ホリガーを聴く



     2015.8.27            サントリーホール

指揮:ハインツ・ホリガー

管弦楽:東京交響楽団

演題:
ドヴュッシー:牧神の午後への前奏曲
グサビエ・ダイエ:2つの真夜中の間の時間
ハインツ・ホリガー:レチカント
ハインツ・ホリガー:デンマーリヒトー薄明りー
シャードル・ヴェレシェ:ベラ・バルトークの想    い出に捧げる哀歌

ソプラノ:サラ・マリア・サン
ヴィオラ:ジュヌヴィエーブ・シュトロッセ

ホリガーは1939年生まれ、76歳であるが、ソロ奏者としても、作曲家としても、近年も数多い賞に輝いている。誠実な人柄をおもわせる容姿である。また2017年には武満徹作品賞の審査員を委嘱されている。
更に、前衛第2世代として、現代音楽を牽引している。


「牧神の午後の前奏曲」
この曲は、後期ロマン派の音楽と決別し現代音楽の基盤の役割を果たしている。
マラルメの詩の印象を基にしたこの曲は、官能性やゆるやかな音で満たされている。フルート・ハープ・オーボエの響きが印象的だ。

「ダイエ」2つの真夜中の間の時間」(日本初演)
不規則にバラバラと夜中に時計が鳴るような音楽だ。そのように響く鐘の音である。弦楽器と管楽器が交代で表れる。そして突然音が停止(沈黙ではない)する。

ダイエによれば古代ギリシア哲学者のアイネスシモスの「昼とは何であろう?時間の問題なのか?陽光の量の問題なのか?2つの真夜中の間の時間の問題なのか?」と。

どうやら、聴く私の時間体験とは異なる世界のようである。

ホリガーの「レチカント」

<レチターレ>語る と <カンターレ>唄う と組み合わせた新しい作曲であるという。嘆きのヴィオラでツイマーマンのために作られた。

https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgCdeZ4kQaNoITvBkbr2pKjrvEfH3gAX4fAGVu7HljPOV3790ljzj-J47RILijp3PwaOtT4ZpsIzpmZm6I8o3Hb5HhfnLeNP7LLsBhu6oyi0B1GYD-aad29hgveqJcJYzufUWgGrTTo77w4/s1600/Scan.BMP.jpg「デンマーリヒトー」薄明りー 委託作品(世界初演)

本年5月~6月に過去皇居そばの公園で作った5つの俳句(後記参照)を基に作曲された。友人ヴェレッシェの死と心の友であった武満徹の想い出に捧げる歌でもある。

「ベラ・バルトークの想い出に捧げる哀歌」

バルトークの死は、ブタペストに感動的な嘆きを生んだ。過行く時代の終わりへの哀歌であることを願うという。(ホリ ガー著より)

5つの俳句ホリガー作)

1.カラスの目、まっすぐに

薄明りをはね返す

なく、涙なく

 

2.薔薇、夕べに咲き

  夜露、夜に凍える

「自らを守れ、美しき小さな花よ!」

 

3.落陽

カラスは掘るー、誰の墓を?

お前は知るー、明日に

 

4.深い暗い水にかかる

濡れた木の橋

教えておくれ、あの世とは何なのか?

 

5.赤い夕べの空の

孤独な小さな雲

魂を連れてゆく、故郷へと
 

https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiDgjtqP6sHStpNBa6LZcGsiIX-tcRGaLFrjMfmlO1VyZzoG2c-AtDevHgR-u6FTlTDM60dl_WuP-KSq2Ri88FohoDalSZOnT3ayj1nRavXlgUEZLFR9jw3d-Gw_s8aIBYEtVlbMPSbuwKp/s320/Scan.BMP.jpg
 

私は現代音楽を聴く機会が少ない。振り返ると記憶にあるのは、1997年フィレンツェ音楽祭で、現代音楽作曲家4名の演奏会を、アルツール・タマヨの指揮で聴く機会があった。ガルニエリ、フェデレ、マンゾーニ、ベルグの4名だ。すべて初演であり、曲ごとに作曲家が舞台に上がり簡単な挨拶をした。私には奇妙な音の連続に聞こえ、ポカンとした覚えがある。その後日本で20世紀音楽を聴く機会があったが途中退場した。苦手だったのだ。

しかし、今回の演奏会は、今までの記憶と異なり、心地よい旋律や、音の響きが体で感じられた。少なくとも抵抗は皆無であった。私にはそれが何に起因するかわからない。ふと武満徹の音楽との比較を考えてみた。しかし、武満の世界とは明らかに異なっている。私の中に新しいジャンルが生まれているのかも知れない。

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