2015年5月21日木曜日

[はじめに]

    高齢の今、生きていて良かったと思う時があります。

詩人ホイットマンは、<良い音楽や読書に会った時、あと700年生き延びて生を極めたい>
と言ったという。
 
 
最近同じ感慨が私を襲うことがあります。自己の生への止み難い欲望が私の中に潜在しつづけているようです。

所詮、音楽的な感動・体験は、個人的なものであります。


音楽は様々な感動を私に与え、私の生の中で生まれ、浸透し、ひと時は離れても、再び戻ってきました。

くも膜下出血の病床で、生死を彷徨い、屈折した身体の後でも、<生きていて良かった>と思ったことが多々ありましたが、そこには、音楽での感動の蘇りがありました。私はその救いをバネにして生き永らえて来ました。もしそれらの感動が無ければ生きられなかったと言っても過言ではありません。

振り返ると、私の人生がもつ限られた貴重な時間の多くが、音楽に割かれ、彩を添えてくれたことに気がつくのです。


生きることの意味を求め、放浪の時、仮想が空間をさまよう時、音楽を聴くことが自分を聴くことでもありました。

残された時間に限りが見えてきた今日、音楽は、私にとって有意義な響きと啓示が聴こえて来る手段であり、実に、音楽を語ることは、私の唯一のカタルシスなのです。

「音楽は、一切の知恵・一切の哲学よりも、さらに高い啓示である」とベートーヴェンは言いました。
 そうだ、音楽によって自分を聴き、奏でよう。より高い感動と、啓示と、生を味わうために!






ヴァンスの教会堂

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