2015年3月16日月曜日

岡田将 inリベルラ ピアノコンサートを聴く

2016.3.15    リベルラ(石神井公園)



奏者:岡田将(ピアノ)

演題

 第一部(14:00開演)

 ブルグミューラー: 25の練習曲より

 リスト:ラ・カンパネラ
    ハンガリー狂詩曲第2番他

 第二部(16:30開演)

 ベートーヴェン:ピアノソナタ/テンペストOP。31

 リスト: バッハの名による幻想曲とフーガ  他

1999年リスト国際ピアノ・コンクールで、日本人初の第1位を受賞、リスト、バッハ、ショパンを主体に国際的活躍をしている当人の演奏を18名限定の「リベルラ」で拝聴した。

私は、2013年12月に藤沢で、岡田のシューベルト、シューマン、リストを聴いた(私のクラシック音楽の旅そのⅡ参照)その時は、はるか離れえた客席からであったが、今回は2メートルも離れていない右真後ろの同床で聴いた。

演奏前少々雑談する時間があり、どこで聴けばいいかと聞いたら、ピアニストのイスを指して,<ドウゾそこで>と、ニヤリ笑った。ユーモアな人だ。お客が皆帰るからと私は辞退した。

見るととても手が大きい。指が長い。ショパンはビロードの指といわれた手で弾いた事を思い出して、岡田の手の大きさと指の長さを聞いたら、リストの手型とくらべたことがあり、大きさと指の長さが全く一緒だったそうだ。彼によると指は、これ以上長くなると鍵盤に合わせにくくなるということであった。

第一部はブルグミューラーの楽譜を手にしながら、彼の話からはじまった。ブルグミューラーは1806年の生まれで練習曲は中級教則本書として定番であるが、夫々標題がついている。
「おおらかな(正直な)心」、「貴婦人の乗馬」「アラベスク」「パルカロール(舟歌)」「タランテラ」「家路」を目にも留まらぬ指の動きから生まれ出る正確なタッチで紡ぎ出した。私は息を飲んで、見て、聴いた。

目前の音は、コンサートホールで聴いている音と、まるで違って、各音が私の骨の芯に叩き込まれて響いているように感じた。ペダルを踏む音が同時に身体に入ってくるのに驚いた。
ピアニスト達は、日頃このような音で音楽を聴いているのであろうか。今日のスチェーションは、昔王侯貴族が楽しんだ宮廷音楽の様だと思い、モーツァルトを聴くマリア・テレシアになった私を想定し密かに微笑んだ。

続くリストの「ラ・カンパネラ」と「ハンガリー狂詩曲第2番」は、2013年に藤沢市民会館で聴いたと同じ演題であった。
狂詩曲は演奏者の即興精神や情熱が聴衆に伝えられる手段で、普遍的だ。
特にハンガリーの旋律に魅せられ、これから霊感を得た者は、ハンガリー人のリストだけでなく、ブラームス、ハイドン、シューベルトがいる。ジプシー・スタイルと都会風の民族音楽の集積であったらしく、さらに現代のJazzに繋がっている。

放浪の自由、ロマンチックな気分の高揚、旋律の束縛放棄は、リストの性に合っている。
この「ハンガリー狂詩曲」をリスト・コンクール優勝者の貫録と安定感で溢れる見事な音楽で岡田さんは弾いた。全身が舞って聴く者をリストに近づけた。

アンコールは、モーツアルトの「キラキラ星」を聴かせた。そして更に彼が現在取り組んでいるベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」にふれ、死の直前に書かれた2度目の遺書の内容を説明され、ピアノソナタ31番を弾いた。死の3日前の日に書かれた第2番目の遺書には、<聴く人を楽しませることに音楽の意味がある>としているが、岡田さんは同時に作られたこの曲が好きらしく、明るく響かせて弾いた。私は最後の32番を良く聴いているが、彼は最後の曲については言及しなかった。

更に彼の好きなベートーヴェンの曲として、三大ピアノソナタとワルトシュタインをあげ、2年がかりで全32曲を演奏中であるとの説明を受けた。私は、かってバレンボイムがサントリー・ホールで8日間で32曲全曲(1か月を要した)を演奏したことがあり、通って聞いた思い出を話したら、岡田さんは、その体力は素晴らしいと驚かれた。

第二部は、ベートーヴンの「テンペスト」から始まった。命名は弟子のシンプトラーに、ベートーヴェンが<シェックスペアのテンペストを読め>と言ったということから由来している。第3楽章が有名である。岡田さんは,この曲を強く賛美されていた。

以下の感想は、私の勝手な幻想であるが許されたい。

テンペストは、シェクスペア最後の戯曲で、観客を喜ばせて静かに舞台を去る作家を彷彿させる戯曲であり、Beethovenがハイリゲンシュタットの遺書を書いた時期であり、自分の心境を暗示したのかもしれないと思う。
その悲しみは曲のなかに流れている。ベートーヴェンの手記の一節に書き留められたミュラーの詩があるという(ロラン・マニュエルの「音楽のあゆみ」より引用)

  生は音楽の振動に似ている。
  そして人間は弦の戯れに、
  もし強く撃たれすぎると、
  その響きを失ってしまい、
  二度と鳴らなくなってしまう。

でも、ミュッセはいう。

  絶望のいや果ての歌こそ、こよなく美し・・・。

ドヴィッシ―の「ミンストレル」について、演奏前の岡田さんは説明した。<ミンストレルは「道化師」の意味です。ドヴィッシ―の一音は、考え抜かれた末の一音の積み重ねです。この曲はサーカスの二人の心の動きを見事に捉えています>と。そして、鮮やかな指の動きで、ややコミカルに弾き終わった。

帰宅してから、ドヴィッシ―について、幻のピアニストといわれたリヒテルにドヴィッシ―の前奏曲集についての評論があったことを思いだした。調べると面白い。蛇足として書かせていただく。以下は巨匠リヒテルの言である。

全部で24曲のドヴィッシ―の前奏曲の内、私が弾かない曲が2曲ある。「ミンストレル」と「紫色のあばたの肌」だ。白人が黒人に扮したり、あばたは嫌だ。ルノワールの裸婦の絵のようだし、亜麻色の髪の乙女の髪が生肉の灰色であるように私向きでない。(注;リヒテルは絵画に詳しい)

ついでにブレンデルは、<ハンガリア狂詩曲」には、音色に、鋭く暗い光を放ち、微妙にうすれてゆく無数の陰があって、それが発見されるのを待っている。>という。

私は、芸術の多様性を思い、勝手な自分なりの感覚で、過ごせればと願うのみである。

最後は、「バッハの名による幻奏曲とフーガ」で、リストがピアノ用に編曲したものである。リストのバッハに対するオマージュであろう。ペダル扱いの難しい曲らしいが、私には分からない。
岡田さんは、B、A、C、H 音がこの曲に配分されていると解説され、キーを弾いて示された。

アンコール曲は、司会者が聴衆からでたリストの「カンパネラ」であった。私はBachの「サラバンド」が今日の最後に相応しいと思ったが、疲れ果てている岡田さんには言えなかった。

リサイタルが終わりテーブルを囲んでワインで団楽の時、私は<ベートーヴェンの32曲演奏の挑戦のあとは、どちらへ向かう積りかを聞いた。しばらく考えた岡田さんの返答は、<ブラームスです。>であった。

私は彼の心境を理解した。ブラームスの交響曲第1番は、べ-トーヴェンの最後の曲第9交響曲の後書かれた最も優れた曲である(ハンス・ビューロやヘルマンによる)。即ちドイツロマン派の集大成をブラームスが行っているのだ。ベルリン芸術大学で学び、音楽を取得した岡田さんがベートーヴェン全曲演奏の途上に、次はブラームスを目指すのは、私には当然の帰結のように感じた。



 
あまりにも実りの多い演奏会であった。企画された関係者と、「リベルラ」に感謝し、駄文を終えたい。









 












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