演者 鈴木大介(ギター)
演題:
第一部 バロック編(PM14:00)
スカルラッティ;11のソナタ
K。11,292、380、531ほか7曲、
バッハ;プレリュ―ド(組曲 BWV1007より)
バッハ; G線上のアリア
バッハ;プレリュードBWV998
バッハ;パルティータBWV1004より
第二部 サロン音楽編(PM16:00)
シューベルト;セレナーデ
タレガ;アルハンブラの想い出
ショパン;ノクターンOP-9-2
タレガ;アルハンブラの思い出
ショパン;ノクターンOP。9-2
マラッツ;スペイン・セレナード
アルベニス;グラナダ
ドヴュッシー;遮られたセレナード
サマズイユ;セレナード
ポンセ;わが心よ、きみゆえに
モノ―;愛の讃歌
カブラル;群衆
プーランク;愛の小径
ガルデル;想いの届く日
ガルデル;首の差で
ロドリゲス;ラ・クンパルシータ
聴衆:各編18名限定
長く生きていると、全く予期しなかった事が起こるものだ。
私が高校時代からお世話になった大恩人〈故人)の家が、当主のお嬢さんにより、「リベルラ」(石神井公園の三宝池に住む青いトンボの名前)となづけてピアノを教えていらっしゃるスタジオとなったが、音響の良さもあって、今回の会場となったのだ。
私の青春時代の想い出につながる場所で、FMのトーク番組で知っていた鈴木大介さんのギターが聴けるという電話に、一瞬我が耳を疑った。"少し遠いけどどうか"とのお誘いだ。聞けば18名限定であるとのこと。いささか興奮状態で「勿論行きます」と当日を迎えた。
鈴木大介は、武満徹に「今まで聴いたことが無い様なギタリスト」と評されて以後、新世代の音楽家として、マリア・カナルス国際コンクール第三位、アレキサンドリア市国際コンクール優勝などを果たし、新鮮な解釈によるアルバム制作は高い評価を受けている。
ギターから約1.5M離れた席で、聴き入る音は、勿論初体験だ。著名な武満徹が絶賛した音を!
バロック編の演題は、スカルラッティとバッハから始まった。
私はスカルラッティに思い入れした時代があった。個人レコード屋が飯田橋にあり、そのS氏から、外国盤のLPでギーゼキングが弾くソナタL23,L286とホロヴィツの1964年録音のソナタ集CDを購入し聴き惚れたことがある。
今般帰宅後、チェンバロとギターの音色を比較しようとして、作品番号から同じ曲を捜したが、すべて徒労に終わった。鈴木大介さんの選んだ11のソナタのカークパトリック番号Kでは、ドメニコ・スカルラッティの作品一覧表と合わないのだ。(私の限られた検索での話)
フランスの著名な作曲家で評論家であるロラン・マニュエルはいう。
「スカルラッティの不朽のゆえんは、クラヴサンの為の545曲にのぼるソナタにあります。その中では旋律的奇想、磊落さ、和声の未聞の激しさ、最後に形式上の発明などが、真に自発性に富んだ魅力によって,今日の我々にも斬新な驚きを与えるのです。スカルラッティは戯れているうちに、バッハの息子たちより先にソナタ形式を発明した。彼は近代音楽のあらゆる冒険を体験してしまったのです。
彼はシューマンのごとく夢み、ラヴェルの如く急回転し、フォーレの如く転調し、ストラヴィンスキーの如く息をはずませる。」 (ロマン・マニュエル著:「音楽の歩み」;吉田秀和訳より引用)
鈴木大介さんは、曲ごとに短く解説をされた。私にはその言葉の端々に、この人の音楽を考える熟度が並のものではない深さを感じた。
この特殊なリサイタルで、スカルラッティとバッハを自ら選曲された所以には言及されなかったが、ロマン・マニェルの言を知り、鈴木さんがギターにおけるバロック音楽の真髄を聴かせて下さったのではないかと、あらためて思うのである。
余談で恐縮だが、私は日頃、冒頭に挙げたように、スカルラッティをピアノ曲としてギーゼキング、ホロヴィツ、で聴き、バッハはリヒテル、グレングールド、エドヒン・フィシャー、ヴァルハ、で主に聴いて来た。ギターでの演奏録音は、アンドレ・セゴビアとバロックギターのジュリアン・ブリームのみであり、初体験にして、世界で活躍する芸術を聴いたことになる。まさに僥倖であった。
サロン音楽編は、ワイン付きで、更に心地良い響きの中で、夢の中の時を過ごさせていただいた。
参加された方々には、数年ぶりでお逢いできた先輩もあり、近況を知ることもできた。
長生きはしてみるものですネ。リベルラの当主に感謝します。
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