演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団
指揮:ダニエル・スミス
チェロ:宮田大
演題:ドヴォルザーク・プログラム
序曲「謝肉祭」 OP92
チェロ協奏曲 ロ短調 OP104
交響曲第9番 ホ短調 OP95 「新世界より」
: ドヴォルザーク;スラブ舞曲
第2集OP72-1
指揮者ダニエル・スミスは1981年生まれの34歳、国際的な評価を急速に高めている若手である。近年オペラ指揮者として欧州で活躍している。
私は昨年10月、ドヴォルザークの交響曲第6番をN響演奏会で聴いた。そして、今、ドヴォルザークの4曲を聴き、改めて彼に同化した。
私がドヴォルザークに憧れ、そして求めるものは、彼の故郷ボヘミアへの愛情と望郷の念から発する、哀しく美しい旋律の漂いである。客席は超満員、当日券も売り切れていたが、おそらく宮田がどんな音色で弾くかとともに,日本人の誰しもが抱いている望郷の旋律への想いがあるのだろうと思った。
彼は1892年、アメリカに渡った。そして見知らぬ異国の生活の中で「チェロ協奏曲」が完成した。
序曲「謝肉祭」は渡米直前の作、交響曲第9番「新世界」は、滞在中、そして「チェロ協奏曲」は置き土産として帰国直前に完成された。
私はこの曲「チェロ協奏曲」が大好きで、「ロストロボーヴィチ奏、ベルフィル、指揮カラヤン」や「ジャクリーヌ・デュ・プレ奏、シカゴ、指揮ダニエル、バレンボイム」(写真参照)「マイスキー奏、イスラエルフィル、指揮バレンタイン」の三つの録音盤で親しんできた。
ドヴォルザークの名作「チェロ協奏曲」の旋律については、今更説明は不要であろうが、私は第一楽章のクラリネット、ホルンのあとの切ないチェロの即興的な響きに息をのむ。
第二楽章は3部形式で、各部にチェロの独奏が入る。
アメリカから故郷を想う感傷が聴く者の心を打つ。自作歌曲の「わたしにかまわないで」
(若き日の恋人歌手の想い出)は、あとでつけくわえられたものだ。
第三楽章では、黒人霊歌の旋律やボヘミアン民謡舞曲が楽しい。フィナーレは静かな祈りで終わる。
曲が終わると一斉にブラボーが起こり、アンコール曲「ンサーンスの白鳥」を弾いた。サンサーンスは、ラロ、ドヴォルザーク、エルガー、と並ぶ4大チェロ作家の一人である。そしてさらにドヴォルザークのスラブ舞曲で締めくくりを付けた。
宮田大はロストロボーヴィチ国際コンクールで優勝、水戸室内管弦のメンバーで、1698年製ストラディヴァリウスを使用している。その優れた素養を、小澤征爾との共演をみて感じていた。
交響曲第9番「新世界より」は名曲だ。ホルンが奏でる「家路」で知られ唄われるメロディは黒人霊歌の影響を受けつつもチェコ民族に捧げられた唄であろう。私は高校時代から故郷を離れた者として、ドヴォルザークの故郷を慕う気持ちを理解できるような気がする。
余談だが、曲を懐かしみ、帰宅し「チェロ協奏曲」を聴いてみる。「デュ・プレが弾き、バレンボイムが指揮」する盤だ。そして、シューマンとクララの如き相思相愛の夫妻として、音楽界で讃えられた「バレンボイムとデュ・プレの悲恋」に想いを馳せた。1967年結婚した天才少女デュ・プレは、匹敵するものは。若き日のメヒューインくらいといわれ17歳にしてレコード録音をだしたが、その後原因不明の病気に倒れ、花の命は短くて、大輪を咲かせることが無かった。その間のバレンボイムの看病ぶり、愛妻物語は、有名で、バレンボイムは自分の演奏活動を契約上無理なものを除きすべて中止した。
1987年10月デュ・プレは帰らぬ人となったが、偶々1987来日.3月サントリーホールで8日間のベートーヴェン・ソナタ然32曲の演奏会に6日間通い、翌4月にはパリ管弦楽を指揮して「春の祭典」を聴いた。
(別項「パリ菅を聴くを参照)愛妻の重病のため、その時の彼の言動には問題が多く残っている。一部の新聞でもとりあげたと覚えている。しかし私は連日の聴衆であったので、マネジャーの仲介により、彼のサインを頂いた。大切にしている。これも音楽を通して得られた人生のひとこまだと思う。ドヴォルザークの取り持つ縁であろう。
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