奏者:横山幸雄
演題:
バッハ=ブゾーニ: シャコンヌ
べート―ヴェン: ピアノソナタ第8番
「悲愴」
フオーレ; 主題と変奏OP.73
ショパン: 幻想即興曲
ショパン: ポロネーズ第7番「幻想」 ほか
この人の音楽活動は、いわゆる商業主義から離れて、自分のやりたいことを意欲的に構築してきているように見える。2010年ショパン・ピアノ・ソロ全166曲コンサートを行いギネス世界記録に記される。1990年ショパンコンクールで日本人の最年少入賞を果たし、のち数々の賞に輝いているが、エリザベイト音楽大学客員教授などのかたわら。京都、東京で音楽つきのレストランを経営している。いわゆる音楽家と言われるプロ意識とちがう音楽との取り組みだと思う。
決して音楽家意識が低いと言う訳ではない。その証拠には、見事な演奏をする。今日の演題は、バッハからベートーヴェン、フォーレ、そしてショパンへと展開するが、全く異なる四作曲家を、どんな意識で区別し、切り替えるのか、私には魔法のように思える。
バッハのシャコンヌは、バッハの「無伴奏パルティータ第2番の5楽章」であり、ブゾーニが改訂したものである。高い技巧を要する曲で、バッハ時代のチェンバロをピアノに適応させた。最終の轟音など異物を観るような気持に感じた。
ベートーヴェン「悲愴」は、聴き慣れた曲だが、第2楽章が格別に美しい。32曲のピアノソナタを書いたが初期の名作だ。ご存知のとおり「月光」「情熱」とならび3大ピアノソナタとして知られるが、私は学生時代手に入れたW・ケンプの弾くLPを聴いて育ってきた。今でも彼の心に響く名演奏を聴くことが多い。
余談で申し訳ないが、高校生の孫が一昨年ピアノおさらい会で、堂々と「悲愴」を弾いたことを思いだして幸せな気分が湧いてきた。所詮音楽は聴く者がどう感じるかだ。尚孫は今、ベースギターを弾き、恋の歌などを私には分からぬ英語で唄っている。
更に余談を加えれば、ベートーヴェンから100年後にロシアのチャイコフスキーが交響曲第6番「悲愴」を作った。我が孫を加え「悲愴」を巡る220年の物語?である。
ベートーヴェンの後にフォーレを聴くとホッとする。ドイツからフランスへ旅した気分だ。私はフォーレの「レクイエム」が大好きだ。そこには理屈ぬきの神に対する敬虔な感情がある。私が好むのは。"理屈抜き"という点だ.ロマン派特有の優美な旋律が流れる。
「主題と変奏」の持つ力強い軽快な甘美と、表現の深さを感じる。コルトーは≪最も稀有で、最も高貴な記念碑の一つである」と絶賛いたという。
最後のショパンの数曲は、愛人ジョルジュ・サンドの介護の中で最後の力を振り絞って書かれた不朽の名作である。横山はショパンが得意で、この憂鬱な曲を,静澄に弾いた。ショパンの音がきこえた。
名著・遠山一行さんの「ショパン」の最後の一章は<晩年のショパンの創作・様式に変化はなかったが、何か静かな、安定した、空間の広さのようなものが感じられる。天才は、平凡な人間につながる広い平面の感じが好きなのである。>で終わる。(遠山一行著作集2より引用)
私は、ショパンが好きだが、不思議なことに、モーツアルトを楽しんだり、バッハに気分を癒したり、べ-トーヴェンを尊敬したりする場合とは違う心でショパンに逢っていると思う。
一生を通じショパンを愛したアンドレ・ジイドは、シューマンは詩人だが、ショパンは芸術家であるとしたが、私は、ショパンが他の音楽家とは違った世界で生きていた人の様な気がしていて、彼の音楽に接するのである。(遠山さんのショパンを参照)
ピアニストの横山幸雄さん達は,何処でバッハ、モーツァルト、ショパンと逢っているのだろうと、又繰り返し考えてしまった。楽譜に書いてありますよと言うのだろうか?
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