私はモーツァルトの作品について、あれこれの評や、研究や、考察など無為なことをしない。 なぜなら、彼の作品はすべて音楽そのものだから。
ブゾーニは言う。「 モーツァルトは歌を出発点としていた。よどみなく流れる旋律性はそこから生まれている。旋律は彼の作品の中で、薄いドレスのひだから美しい女性の体の線が浮き出る様に、ほんのりと浮かび上がる。」
ブレンデルは言う。「モーツァルトの作品は、隠れた音楽の可能性を満々とたたえた器であり、純粋にピァノ曲であってもピァニステックなものを超える場合が多い。あらゆる種類のアンサンブルにより、ある時は交響楽、ある時はオペラ、ある時は管弦楽に置き換えることが出来る。
そして第一楽章では、一連の建築素材をまるで
万華鏡のように振り混ぜて変化させている。」
また、モーツァルトの音楽が公式的で無特性な表情を帯びる時にさえ、かれの人間的な側面を見失ってはならない。完全無比な彼の形式は、つねに生命を持った響き、奇跡の様に混ぜ合わされた音、決然とした力、命を持った精神、心臓の鼓動、感傷の混じらない温かい感情と均衡を保っている。 ブレンデルの吐露は心に突き刺さる。
シューマンは言う。「流れるようなギリシャ彫刻の優美さ」 またワグナーは、「光と愛の天才」と。
私は、ジェノム嬢がどんな人かは知らない。しかしフランスのピアニストで、ザルツブルグに訪れた時、音楽性豊かな彼女からモーツァルトは大きな影響を受けたようだ。
私はこのK271を、学生時代から愛聴して来た。私にとってモーツァルトのピアノ協奏曲は、この9番から始まっている。そして白鳥の歌といわれる27番まで全て大好きである。先ず9番のこの曲の出だしの斬新さに圧倒される。30分を超えるこの曲が終わるまで、冒頭の旋律が頭に残るのは不思議だ。そしてジェノム嬢を想う。
この曲は、すべてのピアニストが演奏していて、比較して聴いてみると楽しい。
内田光子 クララ・ハスキル リリ・クラウス マリア・ピリス ギーゼキング 、リヒテル等々。
ピアニストの特徴がよく現れる曲でもあると思う。
一例をあげよう。花田独楽彦氏は「雑誌クラシック ジャーナル044のピアニスト特集で、青年ん時代の夢は、クララ・ハスキルの<ジェノム>LP盤を見つけることであったという。そして中古レコード店でシューリヒトと共演したクララ・ハスキルのライブ盤と出会い、下宿で聴く。 「なんと優雅で、気品に満ち、澄み切った音楽世界なのだろう。 タッチも丸く磨き抜かれ、水の流れの様に軽やかに音楽が流れてゆく。音楽は決して叫ぶことは無く、自己の内面だけを見つめたような孤独な演奏」と感激する。
人は、ハスキルを「日陰の花」というが、味わい深いピアニストである。私も大好きだ。
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