ギーゼキングのモーツァルトが美しく天空を彷徨う時間は、至福に満ちている。
Fantasie Nr3 , Rond Nr3やKV457ハ短調など、言葉では表現不能の世界だ。この世の最後の純粋な響きだ。
ピアノ・ソナタを聴くには、LP盤が一味違った響きがある。特にピアニシモ部分に相違が現われる。
ギーゼキングから、クララ・ハスキルそして若き頃のマリア・ピリスの全集物LP盤を彷徨い、最後は内田光子,そしてグレングールドの疾走するピアノ・ソナタで仕上げをすれば完璧だ。
モーツァルトは、日常的に私の傍にいる。
個人的な体験で、恐縮だが、私は画家パウル・クレーの絵画なかにモーツァルトを思う。かってベルンで訪れたベルン美術館の2500点に及ぶクレーの絵画に漂うモーツァルトを忘れることが出来ない。
「パウル・クレー:絵画と音楽」アンドリュー・ケーガン著のなかの(クレーとモーツァルト)(P145)で
ケーガンは次のように述べている。
<モーツァルトへの尊敬がクレーの音楽の趣向を支配するようになった。構築性と表現、荘厳さと遊戯性とのモーツァルト的な総合が、おそらくクレーの美術観の主眼になった。モーツァルトと同様、クレーにも典型的なある種の遊戯的要素が、色彩四角形の不規則な大きさと形状に現れる。
絶対音楽と絶対絵画との筋道立った連関ということが、クレーの脳裏に芽生えて以来、つまり、
音楽に対する彼の理想主義と情熱が解放されて以来、クレーはモーツァルトに承認とモデルを求めることができるようになったのである。>
私はベルン美術館で左のクレ-の絵画のー複製プリントを、モーツァルトへの恋慕をこめて購入した。現在私の書斎の一隅を飾っている。
クレーの絵画に流れるシンフォニーを観ることは、モーツァルトを聴くことと、同義なのだ。こうして、モーツァルトは、
日常的に私の傍にいる。
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