2015年1月17日土曜日

パウル・バドゥラ・スコダのラスト・コンサートを聴くために

2014.6.5   すみだトリフォニイーホール

演題

第1部  リサイタル

モーツァルト:幻想曲ニ短調 K397

ハイドン:ピアノ・ソナタハ短調 HOB。XVI-20

シューベルト:4つの即興曲 OP90、D899

第2部  協奏曲の夕べ:東京交響楽団

モーツァルト:ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K595

6月5日は、まだ来ない。このチケットは約半年前に購入した。手元に届いたチケットを前にして、まだ見ぬ地を想像して旅程を練る旅人と同じ楽しさが、演奏当日まで続き、あれこれ演奏家・曲目を下調べする、楽しさは旅と似ている。そして自分なりの知識の範囲で、コンサートの予期と
期待が作られ、当日を迎える。勿論聴き終わってからの感情の赴く処も何処かとの楽しみも、その一つだ。
また、6月15日にヴェッセリーナ・カサロヴァの演じる「カルメン」を観る予定だ、同様の楽しみが待っている。9月にはサントリーホールにウィーンフィルハーモニーが来日する。このチケット販売日は4月末でこれから手配しよう。

さて、私は、1951年WESTMINSTER盤(LP)でスコダの弾く「モーツァルト;ピアノ協奏曲24番、27番」(ウィーンフィルハーモニーと共演)を聴いて育った。当時WESTMINSTER盤は録音がよいことで貴重盤であった。スコダはウィーン音楽家の頂点のピアニストだった。


なんという歳月の速さだろう!そのスコダが86歳になり、最後の来日コンサートを開く。即ち私とは55年間の恋仲というわけだ。しかも同じ27番を最後に弾く!きっと僕のために・・・

彼は現在もレコーディングを続け、昨年10月には、モーツァルトピアノ協奏曲15番、20番をリリースした。指の強さにも衰えは無いという。

幻想曲二短調は、バッハの影響があらわれているといわれる。中間部のアダージョの旋律が二度現れるが美しい。ロマン・ロランはモーツァルトの幻想曲とアダージョは、モーツァルトの「精霊(ジエニイ)」であると書いているが、私も同感だ。

さて、恋仲の27番(変ロ長調)の下調べである。

変ロ長調の主題は「聖なる世界」に属すると、ブレンデルが言っている。「モーツァルトでは単純を装いながら、蘇った子供時代を暗示し、シューベルトでは深い内省を伝える。しかし共通して旋律の歌謡的な性格、控えめな静けさ、そして全体に漂う憂愁を表現する」と。
モーツァルトはこの曲を死の直前35歳に描いた。アインシュタインは「告別の作」「永遠の扉、天国の門に立つ作品」と評した。

第一楽章は聖浄な静けさ,第二楽章はラルゴ、最終第三楽章は、もはや哀しみを訴えようともせず、明るく澄んだ心境の中に<春への憧れ>を唄っている。スコダがラスト・コンサートの最終曲
として弾く心境を私は垣間見る。
そしてこの曲が、モツァルトが最も貧しく、病気の妻、幼い子供を抱え、その日のパンに追われつつ書いた曲であることを思う時、彼の天分の偉大さと人生観を偲ばずにはいられないのである。

私は、今年の寒い冬の中で、暖かい春風が訪れる日を心待ちにしているが、6月にスコダがどのようなMOZART27番を聴かせてくれるのか、楽しみである。

さて、私のレチタティーヴォを、このへんでひとまず休止としよう。

                                                                           2014.4      暖かい日 に            



                               

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