2015年1月17日土曜日

グレン・グールド讃歌ーグールドと草枕

グールドは、聴衆の前で弾くことを拒否した音楽史上唯一無二のピアニストである。1955年ゴールドベルグ変奏曲録音から82年に亡くなるまで67回のLP録音を世に問うた。しかし彼が拒否したコンサート公演録音のCDは、少年時代からのものを含め314回分も存在し最近CD化されているのも事実だ。


グレングールドとは、結局なんだったのだろうか?

 
   「ゴールドベルグ変奏曲」で聴くグールドは孤独で透明な音の微粒子、純化された生の原型に触れ、そこで自意識と時間の重圧から解放される稀有の瞬間を体験させる。荒涼とした密室で、グールドのメッセージを全身を耳にして聴きとろうとする時、彼の魂の声が言う。「孤独を、日常の深淵を、共有せよ(齋藤慎爾氏より引用)」

グールドの弾くバッハ・モーツァルト・ブラームス・シェーンベルグ・スクリアビン・プロコフエフにはどの演奏にも彼の特異な音楽思考の成熟したスタイルが感じられる。

彼の弾くモーツァルトを、モーツァルト弾きの大家リリー・クラウスは「グールドノ弾くモーツァルトはモーツァルトではない」と断言した。編集こそ創作であるとしたグールドを否定したのだ。

かかるグールドが時代からはみ出してしまう個性が、旅の途中で出会った漱石の「草枕」との対話であった。また彼は安部公房の「砂の女」の映画を百回以上見たといわれる。またトーマスマンの[魔の山]を愛読し,死のベッドには、聖書と草枕が残っていたという。(アラン・ターニー訳の英訳、日本語の両方が1つの箱にあり、書き込みの多かったのは英訳書であった)




ゴールドベルグ変奏曲をグールドは3度レコード録音した。コンサートを止めたのが32歳、1982年50歳で世を去るまで、グールドは非人情的孤独を貫き通した。この孤独感が、漱石の草枕の女主人公「志保田の那美」の非人情的孤独と共鳴するのではなかろうか。
3度の録音のうち、最後の50歳での挑戦がもっともすぐれている。前録音より18%もテンポを落とした部分や、カノンなどは、50%も早いテンポを採ったりする。
そこには、漱石の前出の「草枕」の影響が大きいと思う。海を越えた遠い国に住む二人、音楽と文学とが融合している軌跡を、私はロマンティックな目で眺めて、悦に入るのである。
[漱石とグールド」横田庄一郎編ーには、世界の8人の著者が、考察しているが、すべて推察の範囲であり、かれの草枕に書き込まれたメモも所在が不明である
















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