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曰く、<音の天才>、<心の病を治療する妖精>
そして,ニーチェは、<この天才芸術家は、妖精の如く、反転した眼で己の姿を見る。彼は主体にして客体、詩人にして演技者、そして観客でもある。(悲劇の誕生より)>
人はこれらの賛辞を、単なる言葉の遊びというかもしれない。しかし私には全て真実味を帯びて響くのである。
グレングールドは、バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」を、1955年ヤマハピアノを弾いて録音した。そして新しいバッハ解釈で世界の音楽ファンを驚愕
させた。
ジョナサン・コットは、彼の弾く「ゴルドベルグ変奏曲」を、その著「グレン・グールドとの対話」のなかで、次のように評している。
<音楽の脈拍というものが高々とそして深々と内在し、耳にきこないがしかと感じ取れる演奏で英知と理解の一生を人生の価値として捉えたものだった。冒頭のアリアは同じく終曲であり、30歳のグールドがライナーノートに記したように(終わりも始まりもなく、真のクライマックスも真の終局もなく、それはボートレールの恋人たちのよう。さえぎるものなき風の翼に乗ってゆく。感覚の本質的統一、技術の冴えから生まれ、完全に習得し円熟し、僕らの前に存在する稀有の芸術であり、意識下にデザインされた幻影であり、潜在力の塔の頂点に立って歓ぶもの)>なのである。
私は、「ゴールドベルグ」を1955年のLP(デビュー版)、1981年録音のCDを所蔵して聴いている。他に持っていてよく聴くのは、1982年録音した外国盤による「モーツァルトピアノソナタ全集」と バッハのイギリス組曲(全曲)、バッハ・リサイタル(パルティータ4番、イタリア協奏曲、トッカータホ短調)、バッハのピアノ協奏曲3番、5番、7番の各LP盤である。
ベートヴェンのピアノ曲は全てCDで、ソナタ曲は9番、10番、12番、13番、30番、31番、32番
協奏曲は1番、4番を聴く。
なお、グールドは死の枕元に「夏目漱石の草枕」を置いていたことは有名な話だ。
横田庄一郎著「漱石とグレン・グールド」に詳しいが、草枕の主人公である画工は部屋の中だけでなく、海を眺める崖の草の上にも尻をおろし、陽炎を踏みつぶしたような心持ちになり、ごろりと寝る。そしていい気持になり,詩興が湧いてくるのである。また画工は湯の中で身体を漂わせて見せる。グールドはそんな横臥趣味心境を愛したらしい。草枕では、度々那美さんという正体不明の女性が現れ、主人公の画工に謎の言葉を囁く。「私が身を投げて浮いているところをきれいな絵に描いてください。」ともいう。
テイトギャラリーの名画「オフィーリア」
ァ」(手に花を持ち川面に浮き流されながら顔を上に向けて川をくだる美しい少女・シェクスペァのハムレットの恋人)を愛したという。
グールドという奇人は漱石と幾つかの共鳴点を持っていたと思う。
グールドは、草枕と出会う前年の1966年、R。シュトラウスの歌曲「オフィーリアの3っの歌」を
ソプラノ歌手エリーザベト・シュワルツコップの伴奏録音を行っている。しかも3回も行っている。
実はグールドは当時ある人妻(作曲家・ルーカス・フォスの妻)に恋をしていた。
この人妻が那美さんとオフィーリアのイメージに重なりあっていたのではなかろうか。二人は気が合っていた。彼女は二人の子供をつれてトロントのグールドの家のそばに引っ越して来た。相愛の二人は結婚を望んだが実らず、彼女は4年後に夫の元に戻った。その後もグールドは2年間電話を毎晩かけつづけた。しかしグールドの早死によって二度と二人は逢うことは無かった。
私は、グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」を愛聴し、漱石の「那実さんとグールドの恋人」と、さらにエヴァレット・ミレーの描いた「ハムレットの恋人・オフィーリア」を連想する。
偶々東京芸大美術館で「漱石の美術世界展]があり鑑賞した。期待したオフィーリアの絵画はなかったが、「草枕」の原稿や、ウィリアム・ウォーターハウスの<人魚>とテイトギャラリーから2点のターナーが展示されていた。鑑賞後、付属学生食堂で、道後の地ビール<坊ちゃん>を賞味し、乾杯し、酔った。
そして<真のクライマックスもなく、真の終局もなかった>わが身の現世の儚い夢を偲んだ。
余談だが、森アーツセンター(六本木)に、英国テイトギャラリーからミレーの「オフィーリア」画が今来日していて、4月3日展示会でハムレットを慕うオフィーリアの至高の笑顔を観た。モデルはエリザベス・シダルと言う人だ。
ラファエル前派といわれるミレー作品には驚いた。「釈放令」、「マリアナ」とともに名画と思われたが、下地を湿らせたまま描く技法により、陽光の美しさは独特の暖かい感情表現があり、虜になった。音楽と芸術が共存していると感じた。
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