2014.1.20 アバトが死去した。80歳である。
近年、巨匠指揮者の死去が続いている。
カルロス・クライバー、バーンスタイン、サヴァリッシュ等・・・寂しい。
私のアバト遍歴(演奏会)
1.1989.10月文化会館でオペラ「ランスへの旅」の指揮がアバトとの出会いであった。
2.1991.3月サントリーホールでヨーロッパ室内管弦楽団を率いた来日公演
ベートーヴェンのピアノ協奏曲4番(ピアノ;マリー・ペライァー)
シューベルトの交響曲第2番
シューべルトの交響曲第5番 を聴いた。
3.1992.1月サントリーホールでベルリンフィル管弦楽団演奏の指揮を聴いた。
ベートヴェンピアノ協奏曲第1番(ピアノ;ブレンデル)
ブラームス交響曲第3番
4.1996.10月サントリーホール10周年記念演奏会で
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による
マーラー:交響曲第2番・・復活
四度の指揮を聴いたこととなる。。四度とも来日公演である。
録画による愛聴(NHKのTVよりCD録画)
1.昨年8月、TVでルッツエルン音楽祭でのシューベルト「未完成」を聴いた。
彼の体調が悪いことに驚いた。頬骨が落ち込み窶れ果てていたのである。
しかし音楽は、人生を被せた深い影に、ゆっくりと最後の光が射してゆくような諦念の表現(吉田純子氏の評)があった。そして、痩せ衰えた容貌のその記憶がまだ消えぬまま、今日の訃報をきいた。
2。2011.5.18ベルリンフィルホールでのマーラー:交響曲「大地の歌」の録画:最終章を、<アンネ・フォン・オッターとカウフマンが歌った。(詳細;後記)
3.2010.8.20ルッエルン・音楽祭でのマーラー交響曲第9番、ルッエルン祝祭オーケストラを指揮
4.2012.5 ルッエルン音楽祭でのモーツァルト:交響曲K385<ハフナー>
アバトはイタリアのローカルな指揮者であったが、カラヤンに見出され、ポストカラヤンの地位を確立した。過去のイタリアの音楽指揮者はすべてオペラ指揮者であった。しかし彼の透明な清楚さと自然さが,悠悠たる風格をたたえて、ファンに愛され、揺るぎない地位を築いた。
彼の音楽は、正確なテンポの中で、情緒的な歌の部分ではやや遅くテンポを落とす。
得意な作曲家は、ベートーヴェン、チャイコスキー、マーラー、モーツァルト・ブラームスだろう。
報道によれば、10数年前から、胃癌と戦っていたという。訃報はいつ起こるか誰にも分からない。私はクライバー、サヴァリッシュ,アンセルメの日本最後の演奏を聴くことを経験したこととなったがいずれも最後の予感はなく聴いた。
歳を重ねた所為か、喜ぶべきか、悲しむべきかはどうでもよい、良い音楽演奏指揮者が未来永劫に続きさえすればよいと思う。しかしアバトの訃報は悲しい。
彼の印象に残る名演奏の一つに、マーラーの「大地の歌」を挙げたい。
名盤にキャサリン・フェリァの唄うワルター指揮盤があるが、アバトのベルリンフィルを振った「大地の歌」も深い感動を呼ぶ。特に最終章の6.<別れ>は素晴らしい。メゾ・ソプラノのアンネ・ソフィ・フォン・オッターも好演した。
<別れ>を記して、アバト追悼としたい。
最後の別れを告げるために
友よ 君の傍らで この夜の美しさを味わいたい
君はどこにいる?私をずっと一人にして!
私は琴を持ち彷徨う
柔らかな草で膨らんだ道を
美よ!永遠の愛と生に 酔いしれた世界よ
彼に別れの盃を差し出す
そして問う どこへ行くのか なぜ行かねばならぬかと
彼は語る くぐもった声で
友よ この世で幸運は私には微笑まなかった
どこへ行くのかと?
私は山を彷徨い歩く
孤独な心に安らぎを求めて
私は故郷を 居場所を探す
決して遠くまでさすらうのではない
心は安らぎ その時を待ちわびている
愛しき大地は 春になれば
大地は安らぎ 花が咲き 新緑になる
どこまでも 永遠(とわ)に 永遠に
彼方は 明るく 青くなる
永遠に!永遠に!永遠に!永遠に!永遠に!
指揮者宇野さんは、「大地の歌」最終章を聴いて涙しないものは人間ではないと断言した。同感である。そしてアバトは諦念の表現で見事にこの音楽を演出した。
なお、雑誌「レコード芸術」3月号でアバト緊急特集を編集した。世界中のファンから愛されたアバト
であったことを、改めて感じた。日本での演奏回数は13回という。日本にもファンが多い。どうか永遠に安らかにご休息ください。
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