墓に献花し、更にベートーヴェンの隣に眠るシューベルトに墓参
した。
1828年31歳の短い生涯を、泉の如く溢れる楽想と美しさで飾った墓碑には、<音楽は、ここに豊麗なる重宝と、それよりも遥かに
貴い希望を葬る。フランツ・シューベルト、ここに眠る。>と記されて
あった。
演題
3ッのソナタ D.946
- ソナタ ハ短調
- ソナタ イ長調
- ソナタ 変ロ長調
私は内田光子の演奏が大好きである。拙著「私のクラシック音楽の旅」で、内田光子礼賛(P155~P163)を記したが、彼女の来日公演はほどんと聴いてきた。しかしながら「3ッのソナタ」の実演奏は記憶に無い。恐らく演奏していないと思う。
1997年ウィーンのミュウジックフェラインでの録音CDを所有していたので、自宅で聴いてみた。
彼女の魂が、シューベルトに寄り添って、死と生を見つめ合っているかのように、優しく細やかな、心洗われる演奏だ。同じ曲をマウリツィオ・ポリー二が弾いて1985年パリ、サル・ヴェラムで録音したCDと聴き比べてみると、内田さんのシューベルトへの思い入れの深さが解る。シューベルトの本質は唱うことだと私は思う。内田光子は優しく唱っているではないか!シューベルトの唱が聴こえる。
シューベルトを弾くピアニストは多い。ショパンと双璧だろう。
田部京子の弾くこの曲もいい。作家の久世光彦さんは、「この人のピアノは<不思議な光るピアノだ。シューベルトのモティーフを、朝の無心の童女のように、そして深夜の虚ろな老女のように、語る。私はいま突然、音楽とこの人のピアノに、恋している」と賛辞を
送っている。
私は、2011年11月サントリーホールでシューベルトのピアノソナタD.960を演奏中の内田光子が、曲に憑りつかれた妖女となり、頬を涙で濡らしながら弾いたシューベルトD.960を想起した。内田光子はシューベルトと同化していた。この演奏も同じように感じる。
私は、ショパンを弾かないが、シューベルトを弾くアルフレッド・ブレンデル
の名著:「音楽のなかの言葉」の中の<シューベルト最後の3っのソナタ>の論文(P103~P189)を読んだ。優れた音楽学者でもあるブレンデルの記述は、示唆に富むものだ。下記の如くである。
- この作品は、告別の辞と受け取るべきではない。1828年5月から9月の短い期間にこの曲は書かれ、11月に31歳の生を終えた。この作品は死を意識していない。「冬の旅」で死を詠ったこの作曲家が、死の直前に描いたこの曲では自らの苦しみを和らげることが出来たのだと、この曲を聴くと心が休まる。
- 変ロ長調ソナタの冒頭は、新しい清楚な讃美歌的側面が聴けるし、最後の部分で、ピアニシモで主題を引用しているのだが、その周囲をニ短調の調性が囲んでいるため、はるか遠くから聞こえてくるような印象を受ける。そして主題が優しく清澄なまま、あまり近くに聴こえるので、聴き手はまるで自分の内部から響くように感じる。
- 3っの作品のうち、20世紀に最も強い影を落としているのが、3曲目の変ロ長調ソナタだろう。最も美しく感動的で、最も強い諦念と調和のとれた均衡をそなえ、穏やかでメランコリックなシューべルトというイメージに最も当てはまる作品である。
- 心に響くエピローグでは、下降する3つの音がまじめな問いかけの様に現れる。歎きがついに晴れたことを気ずかせる。私はこの特徴を「ため息のまじる疲れ」と言うより、<楽しげで優雅な力に溢れた>ととらえている。
この曲は、シューベルトの死後40年を経て世に出ることが無く,眠っていたが、ブラームスが楽譜を発見し、絶賛し、今日ではシューベルトの代表作となっている。彼の<白鳥の歌>は「冬の旅」だろうが、この曲は彼の<生のさすらい>の歌だと思う。
日本で最も音楽について記述し、最も一般人に音楽を理解させた吉田秀和氏の97歳最後の著
「永遠の故郷。夕映え」が、全文シューベルトに対する哀悼の一冊であったことは、私には感動的であった。
演奏会の幕間の廊下で、美しいドイツ人の奥様と一緒で談笑する姿をよく見たが、その吉田さんは今<菩提樹>の夕映えの中で、安らかに眠っている。
堀文子「燃える落日」
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