2014年10月31日金曜日

新日本フィル公開リハーサルを聴いて

              
副題:マーラーと二人の女性の生涯

             2014.10.31     すみだトリフォニーホール




演題:マーラー作曲
    交響曲第4番 ト長調

指揮者:ダニエル・ハーディング



指揮者ハーディングは、今年39歳だが、19歳でバーミンガム市響を指揮してプロデビュー、21歳でベルリン・フィルを振り、以後欧州を中心に大舞台でも活躍している。
日本には2007年に、新日本フィルを振り、12年にはサイトウ・キネン・フェスチバル松本に客演している。今や売れっ子の指揮者である。

彼の指揮は繊細ながら、明確な指摘のもとに曲を進める、マーラーの意図を説明する,指揮者が誰も行うように自分で唄って違いを教える。
その指示により見事に曲が甦生される。この過程を聴けるのが、リハーサルを聴く楽しみだ。
又、私の場合は、1階正面席の6列目より後ろの約300席の内自分の好む席で聴け、その上無料であることが嬉しい。特別席Sに相当する場所である。当然音がいい。弦の細かい音がよくわかるし、音響が凄い。毎回約300人がこの恩恵に預かっている.この人達は音楽が好きでたまらないという顔をしている。年配者が多く、男女相半ばしている。

さて、マーラーの音楽の凄さは、改めて言うまでもない。かって40歳代の頃、マーラーの音楽に心髄した時期があった。マーラーの鋭角な音と響きは麻薬だ。
バーンスタイン、ショルティ指揮のレコードと、インバルやベルティニー指揮の「マーラー・チクルス」の演奏会に通い詰めた。

今日第4番の冒頭の「道化の鈴」を聴いた時に過去の想いが噴出してきた。
私は、マーラーという梯子段の一歩を登りながら、音に馴染んできたように思う。

アルプス地方のヨーデルを連想させるゆったりした楽想、その素朴さ,牧歌性、ユーモアは批評や検証を超えて、この曲に同化して行けるのだ。

リハーサルでは、第4楽章の「子供の不思議な角笛から」は、ソプラノ歌手リサ・ミルンの急病のため割愛された。
<我らの音楽に比べられるものは地上にはない。略・・・天使たちの歌声が、気持ちをほがらかにさせ、すべてが喜びに目覚める。>と唄う。

マーラーの全生涯は、バウアー・レヒナー著「グスタフ・マーラーの想い出」にくわしい。
その著によれば、マーラーは第4交響曲作曲にあたり、従来以上に神経質となり、没頭した。湖畔の小屋に立て篭もったという。また完成あとの演奏についても不満で不機嫌であった。いくつかのエピソードが書かれていて面白い。

副題Ⅰ
著者レヒナーは、17歳の時22歳年上のウィーン工科大学の教授と結婚したが10年後に合意離婚した。そしてマーラーと知り合った。彼女はヴィオリン奏者で四重奏団の一員として生計をたてていたが、親密な友人として日常の行動をマーラーと共に12年間にわたり過ごした。
「ひとりの偉大な人間を助け、彼に仕え、その才能に驚嘆し、そこに学ぶこと」が彼女の信念であった。そして遺言により死後20年を経て、450頁におよぶ「マーラーの想い出」(高野茂訳)が世に出たのである

この書の「おわりに」の全文を紹介しよう。

<マーラーは6週間前にアルマ・シントラ―と婚約した。もしこのことについて語ろうとするなら、私は、生死をさまよう最も愛する人を診察しなくてはならない医師の立場になってしまうだろう。だから、この記録の先の部分は、至高にして永遠の巨匠の手にゆだねることにしよう!>と記している。
彼女の12年間を貫いている愛は貴い。

副題Ⅱ
アルマ・シントラ―は「ウィーン社交界の花・絶対的な妖精」と言われていた美人であった。17歳のとき著名画家クリムト(35歳)と恋に落ちた。23歳でマーラーと結婚,、マーラーの死後31歳の時、彼女は画家ココシュカ、建築家グロビウスと交際、36歳でグロビウスと結婚、40歳で離婚。49歳で詩人ヴェルフェルと3度目の結婚、70歳の誕生日にココシュカからラブ・レター、81歳で自伝「私の生涯」を発刊、85歳で死去という愛の遍歴をもつ。
アルマにとって、マーラーはどんな存在であったのだろうか。通りがかりの通行人だったのだろうか。二人の子供もいる。

マーラーをめぐるこの二人の女性の生き様を、どう対比するかは後世の人間の自由であるが、マーラーが二人の女性から得たものは何だったのだろうか。二人の女性を魅了したのはマーラーの人間性ではなく音楽そのものであったかも知れないと思うが私にはよく分からない。


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