
演奏:ヴィオリン; シュナイダーハン
ピアノ;ウィリヘルム・ ケンプ
今、机上に三枚のLPがある。共に傷つき汚れている。
この三枚は、私の学生時代、下宿の部屋で、安い電気畜音器の鉄針で聴き惚れたもので、今は汚れ果てたジャケットの中に鎮座している。
一枚目は、ベートーヴェン;ヴァイオリンソナタ:クロイツェル、
二枚目は、べートーヴェン;ピアノソナタ「月光」「情熱」「悲愴」、(ピアノ:ケンプ)
三枚目は、チャイコフスキー;ヴィオリン協奏曲ニ長調 (ヴィオリン:ダヴィット・オイストラフ)である。ともにドイツ・グラマフォンのレコードだ。
演題は、その三枚の内の筆頭のレコードなのだ。私の音楽愛聴の初代にあたるこのレコードには強い愛着をもっている。
演奏は1950年の録音である。私が初めてべートーヴェンを好きになったのはこの「クロイツェル・ソナタ」だった。おおかたの人が交響曲の9番とか5番の「運命」だとか6番の「田園」など、交響曲からと思うが、私の場合はピアノソナタだった。
私はトルストイの禁欲的な愛をテーマとする同名の短編小説を読んでいたので、レコードを購入したと記憶している。
私は、好きなこの曲を、最初ハイフェッツや、オイストラフで聴いた。そして最後にシュナイダーハンで聴いた。前の二者はアメリカ的演奏様式であるのに比べ、ウィーンの古典的美感が息きずき、美しい柔らかな音色をシュナイダーハンは引き出している。理屈抜きで「これだ!」と感じた。因みにシュナイダーハンはウィーンフィルハーモニーの首席ヴィオリン奏者であった。
私にはウィーン古典派の音楽が自分の音楽となっていたように思う。

私は、全楽章に登場し、繰り返される第一主題に心を奪われた。何時しかこの旋律が私の体に浸みこんだ様だ。
ベートーヴェンがこの曲を作曲した時期は、並行して交響曲3番「エロイカ(英雄)」が作曲されていた。いわゆるハイリゲンシュタットの遺書を書いた後で、新しく甦生し緊張感、充実感、を伝える強さが、この曲に表されている。交響曲「エロイカ」精神の室内楽版と言える。
第一楽章は、咳き込むような第一主題と、穏やかな第二主題が鋭く対照して、青年の心を揺るがす強さを感じる。私はこの第一主題が好きだ。自分の心情が躊躇いなく現されている。
第二楽章は、豊かな抒情性と風格をもち、静かに主題が回想される。
第三楽章は、力強いフイナーレで、展開部で第一、第二主題の跳ねるような上昇と下降の効果により、輝かしい楽想が聴かれ、清々しい気分になる。
ベートーヴェンの音楽は、多くの苦しみや悩みがあり、率直な歎きがが込められている。そして諦念ではない解決と、歓喜で終わる。我々がベートーヴェンを求めに戻るのは、人間生きてゆくためには何度でも勇気を要する時間に遭遇する。その時、ベートーヴェンはかけがえのない友として戻ってくるのだ。「クロイッェル・ソナタ」にその典型を感じる。
今回レコードを聴きながら気づいたことだが、不思議な事に私はこの曲の実演奏を聴いていない。いつか名演奏を聴くことを今後の楽しみの一つとして残して置こうと思う。
キズの為、雑音の聴こえるレコードに耳を傾け乍ら、青春時代の想い出に耽るのも、悪くない。
尊敬している吉田秀和さんは、いう。
「僕は音楽が好きだった。心情と感覚の世界を通じて、陶酔と忘我を実現してくれる。音楽の中に特に人生観とか世界観とかいったかたちでのみ思想をさぐる嗜好はない。ゆるぎなく明確な音の中にある動かしがたい何かを感触する。」と。
このクロイツェル・ソナタは、私にとっても動かしがたい何かなのだ。
安らぎへの限りない還帰がある・・・。
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