テオフィール・クフィアトコフスキー(ポーランドの画家)は、ショパンを「彼は涙の様に純粋だった」と言った.即ち、人格の高貴さ、妥協を許さないこと、自分の人生、自分の使命をはっきり意識していることでショパンに匹敵する人は、ごくわずかしかいない。この偉大なる人の非凡な特徴を、眼前に彷彿させ、彼の作品に耳を傾ける時、私は我が人生の儚さ愚かさを痛感する。
ショパンの指は、多くの人が語っているが、ジョルジュ・サンドは「ビロードの指」と表現した。
又コルトー(ピアニスト)は「ほどんと非物質的な彼のタッチが、あらゆる微妙さを可能にする関節の限りない柔軟さと、頑丈な骨格との驚くべき結合からなるものである。」と書いている。
又、遠山一行さんは、名著「ショパン」で、ショパンの美しいメロディの秘密はその一つ一つの音の発見にあると言う。それはむしろ、ピアニストの指が音楽家の新鮮な意識を呼び起こす、その瞬間の奇跡をいうと書いている。
私は思う。モーツァルトの後継者を考えることが出来ないように、ショパンの後継者もあり得ない。観念は生き残るが肉体は確実に死ぬからである。
ポーランドでのショパンの青春時代は、それは幸福なものであった。
遠山一行さんによれば、彼は大変「もてた男」で、それを充分楽しんだという。彼が本当に真剣になった相手は、初恋のコンスタンチアだ。次に結婚の手前まで行ったマリア、そして最後のジョルジュ・サンドの3人で、彼が積極的だったのはマリアの場合で、対サンドとは「受け身な」恋人であった。
ショパンが求めたのは、単なる恋人ではなく、完全な愛で包んでくれる人だったのではないかと言う人もいる。ショパンの恋愛は結局実らないで終えた。
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私は、作品62番「ノクターン」を、彼の悲恋の鎮魂歌としても聴くことが出来るし、そう響いているように思う。
病中の身で新しい愛人ジョルジュ・サンドとの「恋の逃避行」の中で、彼は39歳での短い生を終えた。
音楽史におけるショパンを考えることは、素人の私には不遜だが、ショパンという一人の純な人間の魂の流離を考えずにはいられない。彼のピアノ曲が聴こえる限り、それは続くのだ。

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