2014年1月27日月曜日


モーツァルトのピアノ協奏曲を聴く


1.クララ・ハスキルによるMOZART

クララ・ハスキルはスペイン系ユダヤ人を両親として1895年にブカレストで生まれた。
10歳の初リサイタルで、モーツァルトのK488を演奏し好評を得、以後は順風満帆の道を開いた。

クララのピアノいついて、私が最初に思うのは、やさしく、飾らず、透明な音で、彼女の心情がよく見えることである。だから
彼女の演奏を長時間にわたり聴いたとしても、心地よさは残っても、疲れは感じない。モーツァルトのピアノ協奏曲を
クララ・ハスキルで聴く人が多いことは当然のことだと思う。

モーツァルト研究者の高橋英郎氏が、クララ・ハスキル讃を書いている。引用してみる。

<およそピアニストの中で、モーツァルトを弾ける人はそうざらにいるものではない。完璧なテクニックと透明な音色を持っていなければならなし、隠れ蓑のない明快な音の合間に弾き手の音楽の心が丸見えに曝されるからである。モーツァルトがピアニストの試金石と言われる訳はそこにある。無類のデリカシーを要求されながら、その音は弱弱しいものであってはならないし、曲の背後に作曲者への並々ならぬ愛情が秘められていなければならない。クララの音は単純明快で、少しも曖昧なところがない。音が粒立ち輝かしく流れる。陰影を帯びる時でも適量そのもので、ロマンチックな大言壮語や誇張はいささかも感じられない。>

私が大好きなK271[ジェノム」を、ハスキルも若い時代から好んで弾いた。みずみずしく、転調の翳りも鮮やかに、決して軽薄や華麗さと結びつかないところに、クララ・ハスキルの真価があるとおもう。

ハスキルを語る場合、26歳も若いヴァイオリニスト;グリュミオーとの終生の共演と名演に触れなければならない。グリュミオーの弦の艶に匹敵するピアニストはハスキルのみであり、二人は相乗効果で幾重もの雲をぬけモーツァルトの碧い空に達したのだ。二人のヴィオリン・ソナタK。.304、,378,526を、併せて聴くといい。モーツァルトの神髄に触れることが出来よう。

2.アルフレッド・ブレンデルによるMOZART

ブレンデルは言う。<モーツァルトを演奏するにあたって、肝に銘じておくべきことがある。いかにミスなく弾けてもそれで事足れりと思ってはならない。モーツァルトのピアノ作品は演奏者にとっては、隠れた音楽の可能性を満々とたたえた器であり、純粋にピアニステックなものを超える場合が多いのだ。モーツァルトの音楽に見られるダイナミズムと豊かな色彩、そして表現力である。モーツァルトのピアノ協奏曲では、ピアノの音にはオーケストラから際立つような鋭い響きが与えられている。>と。

更に彼は言う。<歌の流れと感覚的な美しさがモーツァルトでは重要だが、無上の歓びを生むのはそれだけではない。
モーツァルトを一つの特性に結び付けてしまうと、彼を見誤ることになる。偉大な作曲家には多彩な側面があり、様々な矛盾を秘めている事実が、演奏にもたちあらわれねばならない。>

かくて、力強さと透明さ、気取りの無さと皮肉、よそよそしさと親密さ、そして自由と定型、情熱と優美さ、奔放さと様式の間でバランスをとること。・・・・・モーツァルト演奏の労苦が報われるのは、ひたすら僥倖を待つしかなのである。

私は、モーツァルトを完全無比とは思わない。しかし、つねに生命をもった響き、奇跡の様に混ぜ合わされた音、決然とした力、命をもった精神、心臓の鼓動、感傷の混じらない暖かい感情と均衡をたもつ彼を尊敬を超え神格化して考えている。

ブレンデルのピアノは、知性派と言われる彼の思考に沿って弾かれている。完全無比ではないが、命を持って迫ってくる。
拙著「私のクラシック音楽の旅(206P)」でも書いたが、彼は青年時代を小都市グラーツで過ごしている。私はキャサリン嬢(前出)の案内で彼女の従姉妹のいるグラーツへ行った。音楽水準の高い
都市だが、明らかにウィーンのもつ華やかさはないが、思索に溢れていた。そんな基盤で巣立った
ブレンデルの全てが好ましい。

ピアノ協奏曲22番に耳を傾けた(上記写真のマリナー指揮の全集)。ほかのピアニストに無い決然とした力をもつモーツァルトが聴こえる。












 

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