2014年6月10日火曜日

「中島みゆき」と「高橋真梨子」を聴く

「中島みゆきの世界]の裏側は、興味深い。ミステリアスで魅力的だ。みゆき自身の作曲、作詞のすごさは何処から生まれるのか? 男女の愛を描いても、歌謡曲ではない現実味に溢れる。私は
「荒野より」「時代」の詩に、得体の計り知れない彼女を感じる。因みに「荒野より」の歌詞の一曲目は、

<望みは何かと聞かれたら 君がこの星に居てくれることだ

力は何かと聞かれたら 君を想えば立ち直れることだ

僕は走っているだろう 君と走っているだろう

あいだにどんな距離があっても 僕は笑っているだろう

あいだにどんな時が流れても 君と笑っているだろう

荒野より君に告ぐ 僕の為に立ち停まるな

荒野より君を呼ぶ 後悔など何もない>

である。私はここに人生の哲学/生き方を感じる。又「時代」の冒頭の詩は、

<今はこんなに恋しくて 涙も枯れ果てて もう二度と笑顔にはなれそうもないけど

そんな時代もあったねと いつか話せる日が来るわ あんな時代もあったねと

きっと笑って話せるわ
 
まわるまわるよ 時代はまわる 喜び悲しみくり返し 今日は別れた恋人たちも

生まれ変わってめぐりあうよ 別れと出会いを繰り返し今日は別れた恋人たちも生ま

れ変わって歩き出すよ> である。

みゆきの歌唱力は今さら言うまでもないが、人間の心の深みからでる正直な愛と哀しみを、この人ほど表現できる人はいない。人はみゆきの歌のなかに、いままで気づかなかった自分の心を見つける事があるだろう。

私は、拙著「そのⅡ」で「高橋真梨子を聴いて」(50頁)を書いた。
愛の歌を唄うことで「中島みゆき」と高橋は双璧だと思う.高橋真梨子は冷静に3人称で恋と別れを唄う。
しかし中島みゆきは自作の詩を一人称で歌い、その点で二人は相違していると思う。私がより癒されるのは中島の方だ。

年老いて愛を語るのは、恥じらいを感じるが、若返り願望と、童心に帰る為の人生の迷い路の一つであろう、とお許しを戴きたい。私は愛することとは、愛されることではなく、愛することだと考えているが、老いの身に必要であるのは、その愛が相手の時間を拘束する事や、所詮身勝手な仮想の累積であることを自嘲する分別を持つことであろう。
中島みゆきの乾いた愛の歌を聴きながら、ネオロマンチスト?の自嘲の声が聞こえて来た。
(参考)
中島みゆき:「THE BEST][10WINGS] [EAST  ASIA]「歌暦」                     
高橋真梨子
                      [LOVE OR NOTHING] [荒野より」「いまのきもち」          
                   
著書;「片想い」「伝われ、愛」「愛が好きです   高橋真梨子:「COUPLET] [ALL SONGS REQUESTS]
       
「ひとりあるき











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