映画「未完成交響楽」を観る
監督:ヴィリ・フォルスト
配役:シューベルト;ハンス・ヤ‐ライ
エミー;ルイーゼ・ウルリッヒ
1935年(昭和10年)ドイツで製作された映画「未完成交響楽」を観た。昭和史探訪映画サークルの月例会で上映された。
この映画は戦後日本で上映され、私は学生時代に飯田橋の名画座あたりで観た記憶が残っていて懐かしいが、話の筋はまったく思い出せなかった。
「我が恋の終わらざる如く、この曲もまた終わらざるべし」
送付した交響曲は第一楽章と第二楽章だけで、残りの楽章は送付されなかった。すべての交響曲が4楽章で構成されるのに、2楽章で終わっているとの指摘にシューベルトは答えたのは冒頭の言「我が恋の終わらざる・・・」であった。
なぜ第2楽章までで作曲を中止してしまったのか?この映画はその解明にひとつの答えを提供している。
映画は、貧困であった青年時代の物語である。シューベルトは二つの恋に悩む。彼を真に理解し結婚を望んだ質屋の娘エミーと、音楽家庭教師となった伯爵令嬢カロリーヌである。シューベルトは娘エミーと婚約しながら、次第に奔放な伯爵令嬢に惹かれてゆく。そしてカロリーヌとの恋心は募り、カロリーヌもまた彼を愛し、結婚を誓い合う。
しかし父伯爵は貧乏音楽教師を認めずシューベルトは追放され、カロリーヌは貴族と結婚させられる。映画は、ふたつの恋に悩むシューベルトを描き悲恋物語となっている。音楽は背景として使われているに過ぎない。
「未完成」ほど哀しく美しい曲はない。深い悲痛をたたえながらロマンティツクな情緒をもち、シューベルトの人生そのものを表現している。
第一楽章はチェロとコントラバスが物悲しくくらい旋律で小さく静かに奏でられ、ベートーヴェンが「暗くて交響曲にはできない」と言ったというロ短調の調性を採用したシューベルトは 続いて登場する第1主題を、悲しく美しいメロディーが哀愁漂うオーボエで表現する。そして光がさすように、第二主題が登場。ロ短調から一転してト長調という調性のメロディーだ。しかし明るさもつかの間、突然ロ短調の悲しみが襲いかかる。
第2楽章 は、冒頭穏やかな下降音階の第1主題が提示される。美しさの中に苦痛がにじみ、三度転調により第2主題を唄うように展開する。これ以上は無用とも思われる。私はそう信じたい。
今日、最も演奏される3大交響曲は、ベートーヴェン「運命」、ドヴォルザーク「新世界」そして「未完成」といわれる。
私は耳を澄ませ彼の悲痛な叫びを聴く・・・冒頭の言の順序は逆転しているではないか!
「この曲の終わらざる如く、我が恋もまた終わらざるべし」と。
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