2018年6月20日水曜日

シューベルトの新時代(ヤルヴィ)

シューベルトの新時代(ヤルヴィ)

2018.12.08  横浜みなとみらいホール

指揮:パーヴォ・ヤルヴィ
演奏:ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団
演題:交響曲第5番 変ロ長調D.485
    交響曲第8番 ハ長調D.941{ザ・グレート」

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2016年10月4日火曜日


映画「未完成交響楽」を観る

2016.10.09   湘南アカデミアサロン

監督:ヴィリ・フォルスト

配役:シューベルト;ハンス・ヤ‐ライ

   エミー;ルイーゼ・ウルリッヒ

   カロリーネ;マルタ・エゲルト
      
音楽:ウィリー・シュミット

1935年(昭和10年)ドイツで製作された映画「未完成交響楽」を観た。昭和史探訪映画サークルの月例会で上映された。

この映画は戦後日本で上映され、私は学生時代に飯田橋の名画座あたりで観た記憶が残っていて懐かしいが、話の筋はまったく思い出せなかった。

「我が恋の終わらざる如く、この曲もまた終わらざるべし」

シューベルトはグラーツ楽友協会から「名誉ディプロマ」を授与された。わずか25歳でのこの授与に対し、シューベルトは返礼として交響曲を作曲することにした。

送付した交響曲は第一楽章と第二楽章だけで、残りの楽章は送付されなかった。すべての交響曲が4楽章で構成されるのに、2楽章で終わっているとの指摘にシューベルトは答えたのは冒頭の言「我が恋の終わらざる・・・」であった。

なぜ第2楽章までで作曲を中止してしまったのか?この映画はその解明にひとつの答えを提供している。

映画は、貧困であった青年時代の物語である。シューベルトは二つの恋に悩む。彼を真に理解し結婚を望んだ質屋の娘エミーと、音楽家庭教師となった伯爵令嬢カロリーヌである。シューベルトは娘エミーと婚約しながら、次第に奔放な伯爵令嬢に惹かれてゆく。そしてカロリーヌとの恋心は募り、カロリーヌもまた彼を愛し、結婚を誓い合う。

しかし父伯爵は貧乏音楽教師を認めずシューベルトは追放され、カロリーヌは貴族と結婚させられる。映画は、ふたつの恋に悩むシューベルトを描き悲恋物語となっている。音楽は背景として使われているに過ぎない。

「未完成」ほど哀しく美しい曲はない。深い悲痛をたたえながらロマンティツクな情緒をもち、シューベルトの人生そのものを表現している。

第一楽章はチェロとコントラバスが物悲しくくらい旋律で小さく静かに奏でられ、ベートーヴェンが「暗くて交響曲にはできない」と言ったというロ短調の調性を採用したシューベルトは 続いて登場する第1主題を、悲しく美しいメロディーが哀愁漂うオーボエで表現する。そして光がさすように、第二主題が登場。ロ短調から一転してト長調という調性のメロディーだ。しかし明るさもつかの間、突然ロ短調の悲しみが襲いかかる。

2楽章 は、冒頭穏やかな下降音階の第1主題が提示される。美しさの中に苦痛がにじみ、三度転調により第2主題を唄うように展開する。これ以上は無用とも思われる。私はそう信じたい。

今日、最も演奏される3大交響曲は、ベートーヴェン「運命」、ドヴォルザーク「新世界」そして「未完成」といわれる。
 

実はシューベルトはこの曲の演奏を聴く事なく夭折した。楽譜は32年間、グラーツで忘れ去られ更に5年後にウィーンで初演された。その間37年の経緯は不明である。悲運なシューベルト!

私は耳を澄ませ彼の悲痛な叫びを聴く・・・冒頭の言の順序は逆転しているではないか!

「この曲の終わらざる如く、我が恋もまた終わらざるべし」と。

2016年9月18日日曜日

アルヴォ・ペルトと現代音楽 を想う     

曲題   ヨハネ受難曲

指揮 ポール・ヒリアー

演奏:ザ・ウェスターン・ウィンド・チェンバー・クァイア

配役

イエス:マイケル・ジョージ(バス)

ピラド;ジョン・ポッター(テノール) 他


先日ホリガー作曲の現代音楽を聴き、新しい思いで、いわゆ
る20世紀音楽を聴いてみたいと思った。
CD録音によるペルトの「ヨハネ受難曲」は、独自性をもつ12音階の否定に立脚しながら、新規の現代を表現した


ペルトの「ヨハネ受難曲」は1998年作曲された。たまたまTVでペルト特集(The Lost Paradise)があり、興味深く見入った。英国TVの製作番組である。

番組の中ナレーターはいう。
<彼の音楽は”大いなる祈り”と言われてきましたが、静寂を描くこと,間が大切で、静寂に耳を澄ませるべきである。言葉が途切れてもセリフはつずいている名優のように!>

<彼の音楽は悲壮だという人がいますが、悲しみを乗り越える力を持っています。名曲には何らかの形で苦悩が描かれていますが、苦悩とは愛が欠乏した状態です。自分に向けられる愛、相手に向ける愛,両方です。この苦悩は、いわゆる「鬱」とは違い再び立ち上がるための健康的な痛みです。>

1968年作曲の「グレド」は、不協和音を多用する現代音楽にうんざりした彼自身の心の静寂が
見出したもであったのです。






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2016年9月1日木曜日

「ヨハネ受難曲」

アルヴォ・ペルトと現代音楽(ポール・ヒリアー)

 

演題:「ヨハネ受難曲」

 

作曲:アルヴォ・ペルト

 

指揮 ポール・ヒリアー

 

演奏:ザ・ウェスターン・チェンバード・スクァイア

 

配役:イエス:マイケル・ジョージ(バス)

 

ピラド;ジョン・ポッター(テノール) 他

 

 

 

 

 

 

 

先日ホリガー作曲の現代音楽を聴き、新しい思いで、いわゆる20世紀音楽を聴いてみたいと思った。
 
「ヨハネ受難曲」は1998年作曲された

たまたまTVでペルト特集(The Lost Paradise)があり、興味深く見入った。英国TVの製作番組である。番組のナレーションはいう。<彼の音楽は大いなる祈りと言われてきましたが、静寂を描くこと,間が大切で、静寂に耳を澄ませるべきである。言葉が途切れてもセリフは続いている名優のように!>

 

 <彼の音楽は悲壮だという人がいますが、悲しみを乗り越える力を持っています。名曲には何らかの形で苦悩が描かれていますが、苦悩とは愛が欠乏した状態です。自分に向けられる愛、相手に向ける愛,両方です。この苦悩は、いわゆる「鬱」とは違い再び立ち上がるための健康的な痛みです。>また、<1968年作曲の「グレド」は、不協和音を多用する現代音楽にうんざりした彼自身の心の静寂が見出したものであったのです>と。

ペルトが12音技法をすてた背景には、中世ルネッサンス音楽の源泉「グレゴリオ聖歌」の研究によりました。そこに示されているものは宇宙の神秘は2,3の音符を組み合わせる技に隠されているとしました。。 最も古いものから最も新しい現代音楽がうみだされたといえます

サティは(1868年生)、音楽で世界を良くしたいと考え、前例の形式や慣例にしたがうことを後退と考え半音階をとりいれゲージの先駆者となった。ここにも古典への復帰が見られる

武満徹については、「武満徹の美学を想う」の稿に詳しく書いたのでご覧いただきたい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







2016年8月29日月曜日

バイロイト音楽祭日本公演(シノーポリ
1989.9.13  オーチャードホール

指揮:ジュゼッペ・シノーポリ



演題:ジーグフリード牧歌

   「さまよえるオランダ人」序曲

   「パルジファル」第3幕(コンサート形式による全曲)

バイロイト祝祭管弦楽団

バイロイト祝祭合唱団

パルジファル第3幕   パルジファル:ライナー・コールドベルク
               ゲルネマンツ:マンフレード・シェンク

               アンフォルタス:エツケハルト・ウラシァ
               クンドリー:ウタ・プリエフ


バイロイト音楽祭は毎夏ワーグナーのオペラ・楽劇のみを上演する世界唯一の音楽祭である。
 

1883年R・ワーグナーの死後、その遺産相続の歴史は、ワーグナー一族の盛衰と第1次世界大戦を背景として膨大な紆余曲折を物語っている。
 
 

 

この歴史の一端を味わう舞台装置、合唱、演出である。配役のコールドベルクやシェンクも、馴染みが深く、聴く者を感動させたと思う。

パルジファルは、1882年その夏のバイロイト音楽祭で上演し、16回も上演し、大成功を収めた。最終日8月末の第3幕をワーグナー自身が指揮し、聴衆に感銘を与えた。しかし9月に心臓発作をおこし、翌年2月この世を去った。論文「人間性における女性的なものについて」を執筆の途中で、最後の文字は「愛―悲劇性」であった。 

 
 
パルジファルは、3幕からなる。キリスト処刑の際、傷口からほとばしり出る血をヨセフは杯で受けたが、それは最後の晩餐でイエスが用いた杯であった。イエスを刺した槍とともに聖遺物とされスペインの山奥の城で、聖杯騎士に護られていた。
  楽劇の荒筋は、この聖槍と聖杯をあまねく世に知らせ、救済の役目を果たしたのが「共に悩むことによって知を得た清き愚か者」パルジファルであったという。ワーグナーは聖金曜日に物語の着想を得た。自伝「わが生涯」に詳しい。







 


2016年8月15日月曜日

私のクラシック音楽の旅



私のクラシック音楽の旅        中嶋欣三

目 次                                             (   )は指揮者

は じ め に 

第1部       私の音楽土壌 

私の青春時代
海外で西欧諸国及び米国の音楽に魅了される。
モーツァルトへの巡礼
べートーヴェンを訪ねて
聴衆者としての私
年代別音楽界の推移
音楽書は面白い

第2部       モーツァルト賛歌 

モーツァルトへの憧憬
モーツアルトの短調を愛して
モーツァルトのピアノ協奏曲を聴く
モーツァルト礼賛「ピアノコンチェルト9番:ジェノム」を聴く
ギーゼキング演奏:モーツァルト・ピアノ・ソナタを聴く
モーツァルト:クラリネット協奏曲を聴く
モーツァルト「レクイエム」を聴く

第3部      オペラを楽しむ

ウィーン国立歌劇場「運命の力」(ネルロ・サンテイ)
ミラノ・スカラ座「ボエーム」(C・クライバー)
ミラノ・スカラ座歌劇「運命の力」(ムーテイ)
プラハ国立歌劇場「ドン・ジョヴァンニ」(ドホナーニ)
バスティーュ・国立パリオペラ「マノン」(ベルティニー)
ウィーン国立歌劇場「ラ・ボエーム」(ドホナニー)
ケルン歌劇場「後宮からの逃走」(ジェームス・コンロン)
ウィーン国立歌劇「フィガロの結婚」(ラインスドルフ)
バイエルン国立「コシ・ファン・トッテ」(サヴァリッシュ)
ベルリン国立歌劇「モーゼとアロン」(バレンボイム)
ロイヤルオペラ「フィガロの結婚」(ジェフリー・テイト)
ウィーン国立歌劇場「ばらの騎士」(C・クライバー)
ウィーン国立歌劇「フィデリオ」(ホルライザ)
ロイヤルオペラ「ドン・ジョヴァンニ」(ハイティンク)
ウィーン国立歌劇「ランスへの旅」(クラウディオ・アバト)
ドイツ・カンマーフィル管弦樂団「フィデリオ」(ヤルヴィ)
日生劇場20年記念演奏会を聴く
オペラ「鼻」・モスクワ・シアターを観る
英国ナショナルオペラ「ピータ・グライムス」(Noei・Davies)
ボリショイオペラ「ボリス・ゴドノフ」(ラーザレフ)
マリポール歌劇「カルメン」(ロリス・ヴォルトリーニ)
ウィーン・フォルクス「ジプシー男爵」(ルドルフ・ビーブル)
オペラ「シモン・ボッカネグラ」(アバト)
ボローニャ歌劇「ドン・カルロ」(ダニエレ・ガッティ)
ローマ国立歌劇場「セビリアの理髪師」を観る
歌劇「カーチャ・カバノヴァ」
メトロポリタン歌劇(アンドレイ・デイヴィス)
ウィーン国立歌劇「カルメン」(フォーレスター)
ウィーン国立歌劇「カルメン」(プラシド・ドミンゴ)
「ウィーン・フォルクス・オーパー」(ミカエル・トーマス)
メトロポリタンオペラ「ホフマン物語」(レヴァイン)
フレンッエ6月音楽祭「ツーランドット」(ズ―ヒン・メータ)
メトロポリタン・歌劇「椿姫」(パトリック・サマーズ)
チューリッヒ歌劇「後宮への誘拐」(アダム・フィツシャー)
R・フレミングの「メリー・ウィドウ」(アンドリュー・デイヴィス)
ベルリンドイツオペラ「ローエングリン」(ティーレマン)
連日の「こうもり」(C・クライバー、GUNTER・EUHOLD)

第4部      交響曲を聴く 

ウィーン交響楽団・年末の第9(PETER SCHNEIDER)
シュトゥットガルト管弦楽団(ディータ―・ハウシルト)
ウィーン・フィルハーモニイ管弦楽団(ショルティ)
ウィーン・フィルハーモニー交響楽団(ドウダメル)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(カラヤン)
巨匠アバトの死を悼む
クリユイタンスの芸術とフランス音楽
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(ジュゼッペ・シノーポリ)
ウィーン祝祭交響楽団(ジョウジ・ESCU)
バンべルグSQ(オイゲン・ヨッフム)
ドヴォルザークの「ピアノ協奏曲OP33](C・クライバー)
メンデルスゾーン「エリア」(サヴァリッシュ)
オットマール・スウィトナーのディスコ
パリ管弦楽団(バレンボイム)
アムステルダム・コンセルトヘボウ(アシュケナージ)
忘れられていたレコード(ズ―ビン・メータ)
フィレンツェ5月音楽祭(アルツール・タマヨ)
BBC交響楽団(アンドリュー・デイヴィス)
チェコ・フィルハーモニー菅弦楽団(ノイマン)
フェスティバルin Tokyo(ピエル・ブーレズ)
「火刑台のジャンヌダルク」(オーマンデイ)
ゲヴァントハウス管弦楽団(ハンス・ヨアヒム・ロッチュ)
ルートヴィヒスブルク音楽祭(ゴォネンヴァイン)
都民劇場フェスティバル・ドヴォルザーク(ブランギエ)
2016都民芸術フェスティバル(リオネル・ブランギエ)
バイエルン国立オペラ座・ガラ・コンサート(サヴァリッシュ)
スコダのラスト・コンサートを聴くために
レコードの友」を慕う
ロンドン・フィルハーモニー(テンシュテットー1992)
ニューヨーク・フィルハーモニ(Zubin Mehta)
バイエルン放送交響楽団(コーリン・ディヴィス)
ロンドン・フィル・ハーモニー(クリップス)
クリーブランド管弦楽団(ドホナーニ)
ドイツ・バッハ管弦楽団(ゲンネンヴァイン)
エンシャント・ミュージック管弦楽団(ホグウッド)
新日本フィル第538回定期演奏会(ポンマー)
アムステルダム・コンセルトヘボウ(シャィー)
ミラノ・スカラ座管弦楽団(ロリン・マゼール)
シュトゥットガルト室内楽団(カール・ミンシュンガー)
バイロイト音楽祭Bプログラム(ジョゼッペ・シノーポリ)
バイエルン国立オペラ座(サヴァリッシュ)
ロンドン・交響楽団(テンシュテット-1988)
ロンドン・フィル・ハーモニー(クリップス)
エンシャント・ミュージック(ホグウッドー1988)
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を聴く
C・クライバ―の指揮をYou Tubeで見る
xx学園音楽祭を聴く
フイルハーモニァ管弦楽団(シノポリー)
国立パリ管弦楽団(ダニエル・バレンボイム)
スイスロマンド管弦楽団(アンセルメ)
音楽は、朝から晩まで、聞こえてくる。
聞きたい時、聴きたい曲と演奏家(夕べ)
ベルリン祝祭交響楽団(ロリン・マゼール)
ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦(グラーフ-1988)
イスラエル・フイルハーモニー管弦楽団(ズービン・メータ)
ロンドン交響楽団(トーマス)
ベルリン・バッハ管弦楽団(ハルトムート・ヘンヒエン)
ベルリン放送交響楽団(ハインツ・レークナー)
マーラー;スペシャル演奏会(サヴァリッシュ)
ケルン放送交響楽団(ベルチーニ)
ケルン放送交響楽団(ベルティーニ)マーラー・チクルス
べルチーニのマーラーを聴く
ケルン放送交響楽団(ガリー・べルチーニ)マーラ10番
マーラーの第9番交響曲(ガリー・ベルティニ)
マーラー交響曲第8番(ベルティニ)
・マーラー第10番 262
フランクフルト放送交響楽団(インバル)
ベルリン・ドイツ交響楽団「レクイエム」(ケント・ナガノ)
アッシジ聖堂でミサを聴く
BACHの「マタイ受難曲」(リヒター)
日本モーツァルト協会/RequiemK.V。626を聴く
ヴェルディ「レクイエム」(小野田宏之)
「アルゲリッチ、私こそ、音楽」のロードショーを観て
ベルリン国立歌劇「トリスタンとイゾルデ」に「愛の死」を想う
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団コンサートを聴く
フイラデルフイア管弦楽団/R.ムーティ指揮を聴く
シカゴ交響楽団演奏会(バレンボイム)
「アッシジの聖フランチェスコ」(小澤征爾)
映画「ゆずり葉の頃」をみて
「ダフニスとクロエ」(メルクル)
武満徹の美学を想う

第5部       小澤征爾を聴く 

「さまよえるオランダ人」(小澤征爾)
歌劇「ドン・ジョヴァンニ」(小澤征爾)
新日本フィルハーモニー管弦楽団(小澤征爾)
ボストン交響楽団(小沢征爾)
新日本フィルハーモニー(小澤征爾)特別演奏会
小澤音楽塾:演奏会(垣内悠希)
サイトウ・キネンオーケストラ(小澤征爾)
新日本フィル(小沢征爾)

第6部         N 響を聴く 


N響定期演奏会「1802回」(シャルル・デュトワ)
N饗定期演奏会「1792回」(下野達也)
N響定期演奏会「1801回」(ジャナンドレア・ノセダ)
N饗定期演奏会「1804回」(パーヴォ・ヤルヴィ)
N響定期演奏会「1807回」(ザンデルリング)
N響定期演奏会「1810回」(エド・デ・ワールト)
N響定期演奏会「1813回」(尾高忠明)
N響定期演奏会「1815回」(プロムシュテット)
N響定期演奏会「1818回」(パ~ヴォ・ヤルヴィ)
N響定期演奏会「第1825回」(シャルル・デュトワ)
N響定期演奏会「1837回」(ネーメ・ヤルヴィ)
N響定期演奏会「1828回」(トウガン・ソヒエフ)
N響定期「1840回」(アシュケナージ)

第7部          器楽曲を聴く 


「ル-ビンシュタイン」のカーネギーホール演奏会を聴く
ヴィオリン演奏会(ミッシャ・エルマン)
クラリネット独奏会(ザビネ・マイヤー)
ピアノリサイタル(岡田将)
津軽三味線演奏会(岡田修)
チェロ・リサイタル(宮田大)
ショパンを偲ぶ:
マウリッイオ・ポリーニ講演会を聴く
ピアノリサイタル(ポリーニー1993)
ピアノリサイタル(ポリーニー1989)
ショパンを聴く(サムソン・フランソワ)
ピアノリサイタル演奏会(クラウディオ・アラウ)
ピアノ・リサイタル(アルフレッド・ブレンデル)
ピアノ・コンサート(ブレンデルー1988)
特別ピアノ・コンサート(ダニエル・バレンボイム)
ピアノ・リサイタル(小菅優)
ピアノ演奏会(ガガリーノフ)
ピアノ演奏会(ツイメルマン)
ピアノリサイタル(ジャンルカ・カシオーリ)
ピアノ・リサイタル(横山幸雄)
ピアノ・サイタル(シブリアン・カツァリス)
ピアノ・リサイタル(仲道郁代)
ピアノリサイタル(ボリス・ベレゾフスキー)
ピアノリサイタル(ラドウ・ルプー)
ヴィオリン演奏会(パールマン)
ピアノリサイタル(マリア・ジョアオ・ピリス)
ピアノ演奏会を3回(アシュケナージ)
ピアノ・リサイタル(レオナード・ゲルバー)
チェロ・リサイタル(マイスキー1988)
「クロイツェル・ソナタ」を愛聴する
「巡礼の年」を聴き高邁なリスとの人生を想う
フェスチィバル(ピエル・ブーレーズ)
ピアノ・リサイタル(リヒテル)
モーツァルトピアノ・リサイタル(グルダ)
ヴィオリン・コンサート(ヒラリ―・ハーン)
ピアノ・リサイタルー本邦初演(リヒテル)

第8部         内田光子を聴く

2回のピアノ・リサイタル(内田光子)
内田光子:デイアベッリ変奏曲を語る
シューベルトの最後の「3っソナタ」を聴いて
イギリス放送管弦楽団・内田光子演奏会
ピアノリサイタル(内田光子-2013)
ピアノリサイタル(内田光子-1933)

第9部        室内楽を味わう 


アルベントリー・トリオ演奏会
ショパン・ザール音楽演奏会
メロス弦楽四重奏団演奏会・結成25年記念コンサート
クリヤ・マコトとシュルベスター・オストロフスキー四重奏会
チャンバー・ミュージック・ガーデン演奏会
新ダヴィッド同盟:演奏会
ロバート・マン演奏会―90歳を祝って
八ヶ岳音楽堂でピアノ・トリオを聴く
アルバン・ベルグ弦楽四重奏団-(1989)
アルバンベルグ弦楽四重奏団(1991)
アマデゥス弦楽四重奏団(1966)
弦楽四重奏によるYesterday
ウィーン弦楽四重奏団(1974)
ウィーン・アンサンブル(1994)
ウィーン・フイルハーモニア・シュランメルン(1992)
プラジャーク弦楽四重奏団演奏会(1989)
湘南アマデウス合奏団定期演奏会(2013)
東京カルテット演奏会(1993)
東京クワルテット演奏会(2013)
ウィーン・フィルハーモニア・シュランメルン(1987)
モスクワ・ソリスト合奏団(1989)
ウィーン八重奏団(1991)
藤沢にゆかりのある音楽家のつどい

第10部          VOCALを楽しむ


ハンス・ホッタ―演奏会
すみれの花とウィーン
越路吹雪「愛の賛歌」を偲ぶ
ポール・マッカートニー東京公演
高橋真梨子:LP「After Hours」を聴いて
中島みゆきと高橋真梨子の世界
ウィーン少年合唱団を聴く
ルネ・フレミング:ソプラノ・リサイタルを聴く
ジークフリード・フォゲル・リサイタル
ニコライ・ゲッダリサイタル
安念千重子リサイタル
3っのミュージカルを観る
アンドレア・ロスト:ソプラノ演奏会
エリー・アメリング独演会
ギラ・ジルカ演奏会
キャスリーン・バトル:リサイタル
上石りえ子・リサイタル
シューマンの「初めての緑」
映画「わが恋、わが歌」を鑑賞して
「おわりのあとに」



は じ め に

高齢となった今、生きていてよかったと思う時があります。
詩人ホイットマンは「良い音楽や本に出会った時、あと700年生き延びてそれを極めたい」と言ったといいます。
最近同じ感慨が私を襲うことがあります。自己の生への止み難い欲望が私の中に潜在しつづけているようです。
所詮音楽的な感動・体験は個人的なものであります。
音楽は、私の生の中で生まれ、様々な感動を私に与え、浸透し、ひとときは離れ去っても、再び私に戻ってきました。
くも膜下出血で開頭手術を受け,生死をさまよい、屈折した心の後でも、「生きていてよかった」と思うことが多々ありましたが、そこには、音楽での感動の蘇りがありました。私は、その救いをバネにして生き永らえて来ました。もしそれらの感動が無ければ生きられなかったと言っても過言ではありません。
振り返ると、私の人生の貴重な時間の多くが、音楽に割かれ、彩りを添えてくれた事に気がつくのです。生きている事の意味を求め、放浪、空間をさまよう時、音楽を聴くことが、自分を聴く事でもありました。
残された時間に限りが見えてきた今日、音楽は、私にとって有意義な啓示が聴こえて来る手段であり、実に、音楽を語ることは、私の唯一のカタルシスなのです。
「音楽は、一切の知恵・哲学よりも、さらに高い啓示をもたらす」とベートーヴェンは言いました。そうだ、音楽によって自分を聴き、奏でよう。より高い啓示と、生を味わうために!







第1部            私の音楽土壌

私の青春時代

「ベートーヴェンは、バックハウスがいいネ」
この一言が頭に残った。小学校低学年の私に、友人が言った言葉だった。 当時ベートーヴェンは知っていたが、バックハウスがピアノの巨匠であることなど名前も知らなかった。自宅では、手回しの蓄音機があり、鉄針で童謡を歌っていた頃だ。
未知の世界への興味が,誘惑となり、音楽が生活の一部に入ってきた。
上京し、大学生となった私は、当時盛んに催し物をしていた「東京労音」に会員登録した。本部が有楽町のガード近くにあり、クラシックLPを1週間貸してくれるのを利用し、傷だらけのLPを自宅のプレーヤで聴きつづけた。たしか・・・名盤100選(野村氏)という本に従っていた。私の音楽の旅の源流はこうして生まれ、土壌として身体に浸み込んだらしい.。
先ずモーツァルトが好きになった。成立初期の{日本モーツァルト協会」のK.405会員となった。モーツァルト協会は、会員数が626名(モーツァルトの生涯作品数)で、世界各国にもある国際組織である。、1ヶ月に1回例会があり、ナマの音に接する機会が増えた。またN響の定期演奏会の会員になり、当時スウィトナー指揮の交響樂に聴き惚れた。
蛇足だが、妻も両会に入会しており、日本モーツァルト協会の方は私より早く入会していたことが結婚後判明した。「音楽は私の方が先輩ョ」といまだに威張っている。同じ会場で同じ音楽を聴いて育って(?)いたとは!そんな事を知らずに結婚した。・・・嗚呼、世間は厳しいし、狭いナー・・・
ナマといえば学生時代神楽坂に下宿していたが、私のレコードの音が通路に漏れていたらしい。通行人の一人に、近くに住む高名の作曲家のお嬢さんがいて、音楽好きの学生とゆうことでご自宅に招待され食事を頂いた。爾来その作曲家へ来る招待券が私に回され、私が代理を務め演奏会に行き、耳をこやした。懐かしい想い出である。
識者丸山真男はいう。「学問的真理の無力さは、北極星の無力さと似ている。北極星は道に迷った旅人に直接には手を取って導いてはくれない。しかし、北極星はいかなる旅人にも、ある方向を示すしるしとなる。旅人は自らの決断と責任で自己の途を求める。」と・・・(丸山真男著;自己内対話より)
私の人生の標(しるべ)を、天空の北極星としての音樂に見出したい。私の命の通奏低音として・・・


海外で西欧諸国及び米国の音楽に魅了される。

1961年、まだ観光ビザが禁じられ、1ドル360円の固定為替時代であったが、ある大学派遣のEEC調査団の一員として欧米を旅する機会を得た。夜は仕事がなかったので演奏会を聴くスケジュールをたてた。
出発前に、当時日本モーツァルト協会会長だった属(さっか)啓成氏(モーツァルトに関する著作が多い)の自宅にお邪魔し、<ウィーンに行くのでモーツァルトの足跡を辿りたいがいかにすべきか>と教えを乞うた。グランドピアノが2台並ぶ部屋で親切な応対を受け、音楽に関し話を伺った。そしてウィーン滞在中の黒沢氏を尋ねるよう指示を受けた。事前に手配のスケジュールには、ウィーン国立歌劇で「カルメン」、ウィーン楽友協会で「交響曲」、ミラノスカラ座で「ゼルキンのピアノ」、その他ベルリン、ロンドン、米国カーネギーホールで2公演、ブロードウェイで2つのミュージカルなどであった。
ウィーンに到着すると、すでに連絡がついていて、黒沢さんがホテルに来られ、夜のウィーンを案内された。そして翌日のオペラ「運命の力」を推奨されチケットを購入した。そして音楽家の集まるバーで翌日のオペラ「運命の力」の荒筋や見どころを教えてもらった。黒沢さんがどんな経歴の人かを今もなお知らないが酒席上ヴィオリンを取り出し弾き始めヤンヤの喝采を浴びた。
察するに留学中のプロのヴィオリニストであったのかも知れないが尋ねる機会がなかった。
翌日のウィーン国立歌劇場オペラ「運命の力」は、<わが生涯の最良の日>となった。私は音楽の奥深さの一端を、明確にこの身に刻み込んだのである。
それを具体的に書くことは出来ないような感動であった。5日前にベルリンで
オペラ「カルメン」を観ていたが、その時得られなかった音楽の魅力に触れたように感じた。
「運命の力」のあらゆる場面が感動の対象となり、我を忘れたが、現在も鮮明に想いだせる旋律は、幕が上がる前にオーケストラボックスから序曲が奏される.金管のホ音の強烈な響きは暗い運命を予感させ暗示する。続く弦が奏でる不安な旋律に固唾をのむと幕が上がる。この序曲はこのオペラ全幕の推移を如実に表現しており、いつ聴いても迫力に充ちている。ウィーンは湿度が低い。そのためか多湿な日本とは響きが違うと思う。小さな音量でもホールの隅から隅まで伝わる。高音はあくまで高く、低温は上品に伝わる。この日は2階席で聴き舞台からかなりの距離があったが、床にピン一つ落ちても聞き分けられるように感じた。
終幕の舞台は強烈に私の記憶に残っている。レオノーレが、恋人カルロの銃弾に倒れ、生き絶え絶えの中から「神よ、我に平和を!」と唄う。断末魔の声として声量が段々小さくなってゆくが、音は澄み渡り全聴衆の心に入ってくる。唖然とした!素晴らしい。同時に私に天啓が下り<音楽は人生最高の伴侶であり、啓示たりうる>と。あの日から、音楽の虜となったと思っている。
1961年10月は私にとって開眼の年であったが、クラシック音楽界にとっても60年代は変革の時代であった。SPレコードからLPへと録音技術が進み、今まで6面3枚を要した盤が、半面に収録された。CDは未開発の時代だ。
更に驚いたのは、ウィーン国立歌劇場オペラの上演数であった。1961年10月1日から15日までの期間に11演目のウィーン国立歌劇オペラが上演されていたのである。黒沢さんはその中から「運命の力」を選んで戴いていたのだった。
そして私は、この時までは聴かされていた音楽を、自分が主体となり聴いたのであった。奇縁であったと考えている。

モーツァルトへの巡礼

1997年、 モーツァルトの二つの墓に献花し、永年の願望を果たした
最初に、ステファン聖堂の裏にあるフィガロハウスにいったが、公開日でなく入れず、玄関で引き帰った。
別の日、予(かね)て知己のキャサリン嬢(当時ウィーン大学生、現在は弁護士)に案内され、墓参し、献花を果たした。
まず、モーツァルトが埋められたとされるマルクス墓地で献花した。マルクス墓地は、ウィーンに住むキャサリン嬢も行ったことがなく、モーツァルトの埋葬実話も知らないという。訪れる人は少ないと推察した。
記念墓地指定の中央墓地の方は、訪れる人は多い。ここには、ウィーンに縁のある音楽家の墓が夫々のデザインで並んでいて、美しい墓地だ。これらの音楽家の曲の多様性を暗示するかのように多様である。それにしても、マルクス墓地のモーツァルトの墓碑は寂しく感じる。死の直前まで、弟子ジェスマイァーに口述しながら、レクイエムを作曲し完成、そしてレクイエムは、自身のための最後の曲となった。
途中暴風雨となり、見送り人は皆無で、共同墓地に埋められたのである。(その日は晴天であったらしいことが、最近の研究で判明した)
ベートーヴェンは、2万人のウィーン市民に見送られ国葬なみにその一生を終えたのに!
はじめてモーツァルトのあまたの住居先を調べあげようとしたヴルツバッハの言葉を借りれば「聖マルクス墓地という名の最後のもっとも狭い住居へ」移って行ったのだった。
「モーツァルトは、この地上の客にすぎなかったということはある程度真実である。このことは最も高い、最も精神的な意味で妥当である」--(アインシュタイン著「モーツァルト」より引用)
彼に関する地上的なものは、何枚かの肖像画のほかには何も残っていないし、デスマスクもすべて壊れてしまったということと共に象徴的で、いっさいの混沌たる地上性の克服を意味し、純粋な音響のみが残されている・・・そしてそれは未来永劫に消えさることはないだろう。


モーツァルトを偲ぶ(ザルツブルグの記録)

ウィーンでオペラを見た後、電車でモーツァルトの生誕地ザルツブルグに向かった。途中リンツを経由、車窓から街を伺った。交響曲36番「リンツ」はモーツァルトがザルツブルグからウィーンに帰る途中立ち寄り、書き上げた作品である。いま私は反対の経路をたどっているわけだ。「リンツ」は38番「プラハ」と共に私の最も愛好するシンフォニーで、スゥイトナー指揮のバイエルンSO.LP盤の演奏がいい。こんな夢想にふけるうちに駅につきタクシーでホテルに行く。
休憩後、ホーエンザルツブルグに登り、城から街を眺める。生家に行き、観光客にあふれている部屋等を見た。そして魔笛の小屋と、名物人形劇を観る。つぎにフルレオポルズ・クローン宮殿にゆき、大きな池越しにアルプスの山並みを見る。カラヤンの住居も近いらしい。静寂な、閑静な場所だ。大きな池とその背景にアルプスがそそり立つ。雪が残り寒い。
フルレオポリズからアルプスがみえる。
帰り道で道角のレストラン「モーツァルト」でウィーンナシュツェルを取る。落ち着いたいい店で気が安らいだ。モーツァルテゥムに行ったが、一般人の入館禁止であった。扉を押すとすんなりと開いたので入って記念撮影をする。奥の方で学生の奏でる弦の音が聴こえた。
ザルツブルグはモーツァルトの生家としての観光地ではあるが、周辺の自然の美しいのには驚いた。城からの眺望、フルレオポリズからのアルプスの山並み、街を流れるザルツァツハ河・・・自然に溢(あふ)れている。


べートーヴェンを訪ねて

青春の悲哀、歓喜、躍動につながるベートーヴェンは、永遠に人類の心の隅に残るに違いない。
私は、英雄・運命・田園・7番・9番のシンフォニーをフルトヴェングラーのベルリンO.で聞き惚れて、青春時代を送った。
ベートーヴェンは、5番運命作曲の時すでに聴覚を失っていたが、音は何処で、如何に、唄ってたのだろうか。ウィーンの森が見えるハイリゲンシュタットの家(遺書の家)で幾多の名作を書いたが、彼を気に入らせた周囲の自然はまだ残されている。 
私は、1961年渡欧の時ハイリゲンシュタットの家を単身訪れ、おな今回は妻と共に同じ場所に立った。
ベートーヴェンが愛したベートーヴェンの小径は保護されている。べートーヴェンは、文豪ゲーテや、モーツァルトにも会っているが、常に尊大な態度であったという。
近くのウィーンの森を散策し、帰路グリンツィングのホイリゲで、
妻・キャサリンの3人で一献をかたむけた。


聴衆者としての私


音楽は3者が共生して 構成されている。
1.作曲家
2.演奏家  
3.聴衆者
の3者である。
私は、音楽に対して全くの素人で、音符は読めず、楽器は鳴らせず、音楽の教育を受けた事もなく、ただ耳が付いているので聞こえてくる・・・ことが一途に聴衆者たることを可能にした。
モーツアルトの時代モーツアルトは作曲家であり演奏者であったが、聴衆者は宮廷官で、大衆という聴衆者はまだ存在せず、オペラ魔笛あたりから現代の聴衆者らしき者が生まれた。その末裔に私は存在する・・と考えている。
宮城谷昌光(作家)は、「音楽そのものは、たぶん説明と言う卑俗的ななことを拒絶しており、音楽を聴いた者は結局、感動や賛美にしろ、嫌悪や不快にしろ、ごく短い叫び言葉を吐くしかあるまい。音楽の純粋性に浸りきろうとする人は、自分を語っているか、作曲家を語っているか、演奏家を語っているか、いずれにせよ、音楽そのものを語れる人など、この世で一人もいないのだ」 という。私は名言だとおもう。
又、高村薫(作家)は、「神の摂理を超えたところで、ある時人間が美に震撼することがあるのなら、音楽はまさにその一つだ、と。彼岸に響く音のイメージが私の脳裏にある。」と述べる。
ゲーテや、ベートーヴェンは言った。音楽はすべての芸術より一段高みにあると。さて、愚かな聴衆者である私に何が分かっているのだろう? あるいは何がわかるようになるのだろう?
 1. 速い音楽・遅い音楽 
 2. 音色:ピアノの音色・チェロの音色・ヴィオリンの音色
 3. 質量:絶対的な高さ・相対的な高さ 
 4. 感情の方向:嬉しい・哀しい・興奮・沈静・緊張・緩み
これらが私の限界だ。しかし音楽を聴いて、感情を移入し、共に歓び、共に悲しむのは、私の生活を豊富にすることに直結する。感情以外の事柄や思想が生まれる可能性もある。
その啓示にあやかりたい!これが聴衆者としての私の音楽であり、「私の音楽風土」の出発点である。

年代別音楽界の推移

1960年代の追想
1.安保闘争で日本中が揺れていた。
2.核家族が崩壊し、高度経済成長期に移行
3.「上を向いて歩こう」「ス―ダラ節」が流行
4.固定為替制で1ドル360円観光ビザ禁止(63年解禁)
音楽関係:
61年 東京文化会館オープン
62年 ブルノ・ワルター没
63年 日生劇場オープン;ドイツオペラ開催
65年 ポリーニにつづきアルゲルッチ・ショパンコンクール優勝
66年 カラヤン来日
67~)、バーンスタイン:マーラー全集完成、NHKイタリア・オペラシリーズ4年間、グレン・グールド録音最盛期、

1970年代の追想
1.高度経済成長期がボスト成長期に入った。夢の時代から、虚構の時代となった。
2.オイルショック(1973年)を経て、世界の総人口はマイナスに転じ,優しさが求められた。
3.父の死は1970年、私の身辺も大きく変化した。音楽の好みも室内楽愛好者となった。
4.この時代は、オーディオを研究し、音質の表現の再生に時を費やした。
音楽関係
70年 小沢征爾サンフランシスコSO.の音楽監督就任
アルゲリッチとブレンデル初来日
71年 サヴァリッシュ:バイエルン国立歌劇場の音楽監督就任
73年小沢ボストンSO.の音楽監督就任
カルロス・クライバー初録音
74年 ポリーニ初来日、ベーム/ウィーンPO.初来日
75年ツイマーマン:ショパン・コンクール優勝
76年ケンペ没
77年マリア・カラス没
78年ツイマーマン初来日
79年ソニーがウオークマン発売

1980年代の追想
1.虚構の時代はまだ続いている。不安はよぎるがその上に安住していた。
2.やたら多い演奏会に辟易しつつ、心から聞きたい音楽会を選ぶ。
3.2回(1986年、1989年)ウィーンで音楽を聴く。音楽が途切れると、肌が乾燥し、ザラザラする。やがて肌のみか心臓にまで到達する様に思える。
4.分衆の時代に入る。音楽の享受も多様化した。
5.母が死去。最後まで浄土真宗に生き、親鸞に殉じた。
音楽関係:
80年  ジョン・レノン射殺さる
C.クライバー;ブラームス4番録音
ウィーン国立歌劇場初来日
81年カール・リヒター没
ミラノ・スカラ座初来日、
82年ムロ―バ;チャイコスキー・コンクールで優勝
グレン・グールド没
83年ホロヴィツ初来日
84年内田光子;モーツアルト・ピアノソナタ全集発売
「内田のモーツアルト」確立、
マーラーブーム、
86年K.クライバーバイエルン国立歌劇場と来日
サントリーホール開場
アムステルダム・コンチェルトへボーO.来日
アルバンベルグQ.モーツアルト弦楽四重奏曲集完成
カラヤン&ベルリンPO.最後の来日
88年ミラノ・スカラ座来日
クライバー「ボェ―ム」を指揮
オーチャードホール開場
89年サイトウ・キネンO.欧米演奏ツアー

1990年代の追想
1.1991年虚構のバブルは崩壊した。
2.混乱の中、オーム事件、阪神大震災が勃発。人は「優しさを取り戻したい」と願うようになってきた。
3.私の身辺雑事も多くなった。なかでも私の病気は思っていたよりも速く進行していた。入退院を繰り返している間に、3人の子供達は結婚し、3人の可愛い孫が誕生した。
4.時が速く回り始めたように感じた。        
音楽関係(音源大供給時代始まる。)
90年  諏訪内晶子;チャイコスキー・コンクール優勝) 
バーンスタイン没(’90)    
 ベルチーニ;マーラー・チクルスを日本;サントリーホールで行う。
モーツアルト;没後200年記念行事多数、
92年松本でサイトウ・キネン・オーケストラ開始
93年ルチア・ポップ没
94年C・クライバー最後の来日「ばらの騎士」を指揮        
95年朝比奈隆;ブルックナー全集完成
96年ウエストミンスターLPをCD化
97年リヒテル没 新国立劇場開館
98年テンシュテット没ウィーン国立歌劇場音楽監督に小沢征爾が選ばれる。

音楽書は面白い


先人の音楽評を読みながら.関心のあるレコードを聴くのには格別の楽しみである、私は音楽の素地がすくないからなおさらである。
過去手当たり次第に音楽書を買いあさり読んだ時期あった。同じ本が2冊あったりする。15年前、家整理のために古本屋にみてもらい、神田の音楽書専門店が音楽雑誌を7万円でひきとった。今にして思うと、残しておけばよかったと思う本も多い。

 印象に残る本 面白かった本 を思いつくまま挙げてみよう。

サイード音楽評論  エドワード・サイード
 レコードを聴くひととき    三浦淳史
友情の書簡  シューマン・ブラームス
空想交響曲  マルセル・シュネデール
ヨーロッパの音楽祭  高崎保男・黒田恭一
ヘルマン・ヘッセと音楽  フォルカー・ミヒェル
世界の名指揮者(上・中・下)  小石忠男
モーツァルトとの散歩  アンリ・ゲオン
モーツァルト アインユタイン
疾走するモーツァルト  高橋英夫
モーツァルト  小林秀雄
オペラノート 吉田秀和
バッハ   アンドレ・マルセル
音楽のたのしみ(全4巻)   ロラン・マニュエル
ベートーヴェンの闘いの軌跡  井上和男
モーツァルト心の軌跡   井上和男
音楽する精神   アンソニー・ストー
ヨーロッパ音楽の旅  中河理一
ショパン  イワシュキュウヴィチ
音。沈黙と測りあえるほどに  武満徹
遠山一行著作集(全6巻)
私のレコード棚から  福永陽一郎
友情の書簡   B・リッマン
グレングールドとの対話  ジョナサン・コット
恋する大作曲家達  フリッツ・フリグール
聴こえるものの彼方へ  武満徹
レコードとの対話  前田昭雄
わたしたちの耳は聴こえているか  武満徹
小澤征爾さんと音楽について話をする  村上春樹
色彩を持たない多崎ちずると彼の巡礼の時  村上春樹
永遠の故郷 夕映  吉田秀和
すべては音楽から生まれる  茂木健一郎
トリスタン伝説とワーグナー  石川栄作
グレン・グールド著作集  ティム・ペイジ編
音楽のなかの言葉  アルフレード・ブレンデル
小林秀雄 歩行と思索  高橋秀夫
グスタフ・マーラーの思い出  ヘルベルト・レヒナー
リヒテルは語る  ユーリー・ボリゾフ
私の時間  吉田秀和
レコードのモーツァルト  吉田秀和
楽想のひととき  アルフレッド・ブレンデル
ドビュッシー音楽論集  平島正郎訳
空想交響曲  マルセル・シュネゲール
ウィーン音楽地図  クリステイアン・ネベハイ
音楽に生きる  ダニエル・バレンボイム
「草枕」変奏曲  横田庄一郎
レコードと私  諸井誠編
マタイ受難曲  蟻山雅
武満徹 音楽創造への旅  立花隆

これらの本を片手に仮眠をむさぼる時、天啓が降りてくる事がある。
真摯に音楽に向かうことが出来る時が至福のときであろう。
他に、自己回想伝は面白い。不思議に音楽家達には、生活の中に、愛との葛藤が多い。また自叙伝も面白く読める。アルマ・マーラー、ルネ・フレミング などはとてもいい。
ワーグナーの20年に及ぶニーチェ研究もまた示唆に富む。「トリスタントとイゾルテ」はニーチェ哲学の成果なのだナーと。


第2部        モーツァルト賛歌

モーツァルトへの憧憬

モーツァルトは、日常的に私の傍にいる。聞こえて来るモーツァルト、求め探し思索の糧となるモーツァルト、静寂と自由を楽しむモーツァルトは、私には最大の財宝なのだ。

私は自然と対峙する時、何時からかモーツァルトのメロディが流れるようになった。日本モーツァルト協会会員となり、1か月に一度はモーツァルトの実演奏を聴く機会に恵まれたこともあり、宇宙誕生の時から存在し、漂っていた旋律がモーツァルトの音楽であるように感じる。

モーツァルトへの憧憬と礼賛は限りないが、私のような素人で知識に乏しい者が言を労しするよりは、私の好きなアンリ・ゲオンの下記の文を紹介したい。(名著モーツァルトとの散歩より)
<モーツアルトの心は、彼が知り尽くし、あらゆるさえずりを聴きわけ、思いのままに歌わせたり、黙らせたりできる小鳥たちでいっぱいの森では小鳥が満足するまで、彼らに森の調べを繰りかえさせる。ここに伸ばした音、あそこにココラトゥ―ラ・・・・いや、あれはまだだめだ。もう一度やりなおしだ。それぞれに新たに樂想が固まってくるにつれて、前の音を消してゆく。まだもう少しの辛抱だ・・・。こうしてやっとシンフォニーがきれいに出来上がるのである。

着想と制作の速さから、われわれは勝手な推論をするよりほかない。モーツアルトの森はけっして歌うことをやめなかったし、彼の心は片時も音楽を離れなかった。霊感はどこまでで終わり、計算はどこからはじまったのだろうか?楽しみや、苦しみはどこにあったのだろうか?才と技量は渾然と溶け合っていて、ひとつの傑作がどれほど彼に犠牲を強いていたか、我々にとても測り知れないだろう。あの傑作のなかに、どれほどの偽作があり、どれだけが彼自身のものかも永久に知るすべはないであろう。なぜならば、彼は先天的であろうと後天的であろうと、天分によろうと努力の末であろうと、自己のうちに、宇宙のあらゆる音楽をもっていたのだから>と。
こうした賛辞のように、モーツァルトと音楽と森は、私の生の憩いの中核を占めるようになったと思う。彼は掛け替えのない恋人なのだ。

交響曲41,40,39,38番、ピアノコンチェルト9,21,22,23,27番、そして美しい歌曲の数々、フィガロ、ドン・ジョバンニ、コシファントッテの歌劇などを経て、50歳代から私は弦楽四重奏曲・弦楽五重奏曲に溺れた。所謂(いわゆる)「疾走するモーツァルト」に彼の真髄を感じた。特に短調の曲が好きになった。モーツァルトを語れば楽しく、心が澄んでくる。


モーツアルトの短調を愛して

<モーツアルトの旋律は疾走する。アンダンテの哀しみは,宇宙をさまよい消え去る。涙はその速さに追いつけない。> 小林秀雄は短調の作品に涙する。
ゲオンは、モーツァルトの短調のなかに「allegre tristesse」「爽やかな哀しさ」が存在すると言う。モーツアルトは自己のうちに、宇宙のあらゆる音楽を具現し、内包して持っていたのだ。(モーツアルトとの散歩より)
ゲオンにしろ、小林にしろ、モーツアルト讃歌は揺るぎないが、その調べの中には共通して、現代れわれが失ったある種の音調があることに気づくのである。
特にモーツアルトの短調作品のK.466,K.491ピアノ協奏曲。K.516弦楽五重奏曲。K.550交響楽40番。これらの曲きく度に、自分の存在が宇宙とも一体化し安定した気持ちになる。

試みに私は、モーツァルトの短調の作品を調べた。列挙すると

モーツアルトの短調
1764(8歳)  
k.15 フーガ  ィ短調 
1765(9歳)  
k.16a 交響曲 ィ短調
1768(12歳) 
k.60ヴァィオリン・ソナタ21番ハ短調
ヴァィオリン・ソナタ22番 ホ短調?
1769(13歳)
k.65   ミサ・ブレヴィス  ニ短調
1771(15歳)
k.90 キリエ  ニ短調 
k.22 ブルサム  ニ短調
1773(17歳)
 K.173 弦楽四重奏曲第13番 ニ短調
K.183 交響曲第25番  ト短調
1778(22歳)
K.310 ピアノ・ソナタ第8番 イ短調
1780(24歳) 
k.390 リート「希望に寄せて」 ニ短調
1781(25歳) 
k.341 キリエ ニ短調
K.360 ピアノとヴィオリンのための6っの変奏曲  ト短調
1782(26歳) 
k.229カノン ハ短調
K.23 カノン ハ短調 
K.383c ピアノのためのフーガ へ短調
k.383d  ピアノのためのフーガ ハ短調
k.384a  セレナーデ12番ハ短調
k.384b  アンダンテ   ハ短調
k.397  ピアノのための幻想曲 ニ短調
1783(27歳) 
k.427  ハ短調ミサ(未完)
k.421  弦楽四重奏曲第15番 ニ短調 (ハイドンセット2番)
k.426  2台4手のピアノのためのフーガハ短調
k.453a   葬送行進曲  ハ短調
1785(29歳) 
k.466  ピアノ協奏曲20番 ニ短調
k.475 ピアノのための幻想曲 ハ短調
k.478 ピアノ4重奏曲  ト短調
k.477 フリーメーソンの葬送音楽 ハ短調
1786(30歳) 
K.491 ピアノ協奏曲24番  ハ短調
1787(31歳) 
K.511 ピアノのためのロンド ィ短調
k.515c 弦楽五重奏曲  イ短調
K.516a.b 弦楽五重奏曲  ト・ハ短調
k.517  リート「老婆」  ホ短調
k.524 リート「クローエに」 ホ短調
     1788(32歳) 
k.546 弦楽四重奏曲第27番 ハ短調
k.550交響曲第40番  ト短調
k.555 カノン「私は涙もろい」 イ短調
k.557 カノン「我太陽はかくれ」へ短調
1789(33歳) 
k.593a オルガンの為のアダージョ ニ短調
k.594  オルガンのための幻想曲へ短調
1791(35歳)  
k.603 オルガンのためのアレグロへ短調
  k.617    管弦楽のためのアダージョ ハ短調  魔笛 
k.626 レクイエム ニ短調(ジェスマイアー補完)
            日本モーツアルト協会:「モーツアルト作品総目録」より私作

モーツアルトの全作品626中、短調作品は50に満たないが、それらはいずれも、哀しさを超えて天空に漂う「疾走するモーツァルト」の代表作であるのは特筆に値する。


モーツァルトのピアノ協奏曲を聴く

1.クララ・ハスキルによるMOZART

クララ・ハスキルはスペイン系ユダヤ人を両親として1895年にブカレストで生まれた。10歳の初リサイタルで、モーツァルトのK488を演奏し好評を得、以後は順風満帆の道を開いた。
クララのピアノについて、私が最初に思うのは、やさしく、飾らず、透明な音で、彼女の心情がよく見えることである。だから彼女の演奏を長時間にわたり聴いたとしても、心地よさは残っても、疲れは感じない。モーツァルトのピアノ協奏曲をクララ・ハスキルで聴く人が多いことは当然のことだと思う。
モーツァルト研究者の高橋英郎氏が、クララ・ハスキル讃を書いている。引用してみる。

<およそピアニストの中で、モーツァルトを弾ける人はそうざらにいるものではない。完璧なテクニックと透明な音色を持っていなければならなし、隠れ蓑のない明快な音の合間に弾き手の音楽の心が丸見えに曝されるからである。モーツァルトがピアニストの試金石と言われる訳はそこにある。無類のデリカシーを要求されながら、その音は弱弱しいものであってはならないし、曲の背後に作曲者への並々ならぬ愛情が秘められていなければならない。クララの音は単純明快で、少しも曖昧なところがない。音が粒立ち輝かしく流れる。陰影を帯びる時でも適量そのもので、ロマンチックな大言壮語や誇張はいささかも感じられない。>

私が大好きなK271[ジェノム」を、ハスキルも若い時代から好んで弾いた。みずみずしく、転調の翳りも鮮やかに、決して軽薄や華麗さと結びつかないところに、クララ・ハスキルの真価があると思う。
ハスキルを語る場合、26歳も若いヴァイオリニスト;グリュミオーとの終生の共演と名演に触れなければならない。グリュミオーの弦の艶に匹敵するピアニストはハスキルのみであり、二人は相乗効果で幾重もの雲をぬけモーツァルトの碧い空に達したのだ。二人のヴィオリン・ソナタK.304,378,526を、併せて聴くといい。モーツァルトの神髄に触れることが出来よう。

2.アルフレッド・ブレンデルによるMOZART

ブレンデルは言う。<モーツァルトを演奏するにあたって、肝に銘じておくべきことがある。いかにミスなく弾けてもそれで事足れりと思ってはならない。モーツァルトのピアノ作品は演奏者にとっては、隠れた音楽の可能性を満々とたたえた器であり、純粋にピアニステックなものを超える場合が多いのだ。モーツァルトの音楽に見られるダイナミズムと豊かな色彩、そして表現力である。モーツァルトのピアノ協奏曲では、ピアノの音にはオーケストラから際立つような鋭い響きが与えられている。>と。
更に彼は言う。<歌の流れと感覚的な美しさがモーツァルトでは重要だが、無上の歓びを生むのはそれだけではない。モーツァルトを一つの特性に結び付けてしまうと、彼を見誤ることになる。偉大な作曲家には多彩な側面があり、様々な矛盾を秘めている事実が、演奏にもたちあらわれねばならない。>
<かくて、力強さと透明さ、気取りの無さと皮肉、よそよそしさと親密さ、そして自由と定型、情熱と優美さ、奔放さと様式の間でバランスをとること。・・・・・モーツァルト演奏の労苦が報われるのは、ひたすら僥倖を待つしかないのである>

私は、モーツァルトを完全無比とは思わない。しかし、つねに生命をもった響き、奇跡の様に混ぜ合わされた音、決然とした力、命をもった精神、心臓の鼓動、感傷の混じらない暖かい感情と均衡をたもつ彼を神格化して考えている。
ブレンデルのピアノは、知性派と言われる彼の思考に沿って弾かれている。完全無比ではないが、命を持って迫ってくる。彼は青年時代を小都市グラーツで過ごしている。私はキャサリン嬢(前出)の案内で彼女の従姉妹のいるグラーツへ行った。音楽水準の高い都市だが、明らかにウィーンのもつ華やかさはないが、思索に溢れていた。そんな基盤で巣立ったブレンデルの全てが好ましい。
ピアノ協奏曲22番に耳を傾けた(上記写真のマリナー指揮の全集)。ほかのピアニストに無い決然とした力をもつモーツァルトが聴こえる。


モーツァルト礼賛「ピアノコンチェルト9番:ジェノム」を聴く


モーツァルトの作品について、あれこれの評や研究や考察など無為なことをしない。 なぜなら、彼の作品はすべて音楽そのものだから。

ブゾーニは言う。「 モーツァルトは歌を出発点としていた。淀みなく流れる旋律性はそこから生まれている。旋律は彼の作品の中で、薄いドレスのひだから美しい女性の体の線が浮き出る様に、ほんのりと浮かび上がる」

ブレンデルは言う。「モーツァルトの作品は、隠れた音楽の可能性を満々とたたえた器であり、純粋にピァノ曲であってもピァニステックなものを超える場合が多い。あらゆる種類のアンサンブルにより、ある時は交響楽、ある時はオペラ、ある時は管弦楽に置き換えることが出来る。
そして第一楽章では、一連の建築素材をまるで万華鏡のように振り混ぜて変化させている」
「また、モーツァルトの音楽が公式的で無特性な表情を帯びる時にさえ、彼の人間的な側面を見失ってはならない。完全無比な彼の形式は、つねに生命を持った響き、奇跡の様に混ぜ合わされた音、決然とした力、命を持った精神、心臓の鼓動、感傷の混じらない温かい感情と均衡を保っている」  ブレンデルの吐露は心に突き刺さる。

シューマンは言う「流れるようなギリシャ彫刻の優美さ」 、またワーグナーは、「光と愛の天才」と。
私は、ジェノム嬢がどんな人かは知らない。しかしフランスのピアニストで、ザルツブルグに訪れた時、音楽性豊かな彼女からモーツァルトは大きな影響を受けたようだ。

私はこの「ピアノ協奏曲第9番」K271を、学生時代から愛聴して来た。私にとってモーツァルトのピアノ協奏曲は、この9番から始まっている。そして白鳥の歌といわれる27番まで全て大好きである。先ず9番のこの曲の出だしの斬新さに圧倒される。30分を超えるこの曲が終わるまで、冒頭の旋律が頭に残るのは不思議だ。そしてジェノム嬢を想う。

この曲は、すべてのピアニストが演奏していて、比較して聴いてみると楽しい。内田光子 クララ・ハスキル リリ-・クラウス マリア・ピリス ギーゼキング 、リヒテル等々。ピアニストの特徴がよく現れる曲でもあると思う。
一例をあげよう。花田独楽彦氏は雑誌クラシック ジャーナル044のピアニスト特集で、青年時代の夢は、クララ・ハスキルの<ジェノム>LP盤を見つけることであったという。そして中古レコード店でシューリヒトと共演したクララ・ハスキルのライブ盤と出会い、下宿で聴く。  「なんと優雅で、気品に満ち、澄み切った音楽世界なのだろう。タッチも丸く磨き抜かれ、水の流れの様に軽やかに音楽が流れてゆく。音楽は決して叫ぶことは無く、自己の内面だけを見つめたような孤独な演奏」と感激する。
人は、ハスキルを「日陰の花」というが、味わい深いピアニストである。私も大好きだ。そこには自由な自然が横たわっている。

 

ギーゼキング演奏:モーツァルト・ピアノ・ソナタを聴く

ギーゼキングのモーツァルトが美しく天空を彷徨(さまよ)う時間は、至福に満ちている。
Fantasie Nr3 ,Rond Nr3やKV457ハ短調など、言葉では表現不能の世界だ。この世の最後の純粋な響きだ。ピアノ・ソナタを聴くには、LP盤が一味違った響きがある。特にピアニシモ部分に相違が現われる。
ギーゼキングから、クララ・ハスキルそして若き頃のマリア・ピリスの全集物LP盤を彷徨い、最後は内田光子,そしてグレングールドの疾走するピアノ・ソナタで仕上げをすれば完璧だ。モーツァルトは、日常的に私の傍にいる。

個人的な体験で、恐縮だが、私は画家パウル・クレーの絵画なかにモーツァルトを思う。過去ベルンで訪れたベルン美術館の2500点に及ぶクレーの絵画に漂うモーツァルトを忘れることが出来ない。
「パウル・クレー:絵画と音楽」アンドリュー・ケーガン著のなかの(クレーとモーツァルト)(P145)でケーガンは次のように述べている。
<モーツァルトへの尊敬がクレーの音楽の趣向を支配するようになった。構築性と表現、荘厳さと遊戯性とのモーツァルト的な総合が、おそらくクレーの美術観の主眼になった。モーツァルトと同様、クレーにも典型的なある種の遊戯的要素が、色彩四角形の不規則な大きさと形状に現れる。絶対音楽と絶対絵画との筋道立った連関ということが、クレーの脳裏に芽生えて以来、つまり、音楽に対する彼の理想主義と情熱が解放されて以来、クレーはモーツァルトに承認とモデルを求めることができるようになったのである。>

私はベルン美術館でのクレ-の絵画のー複製プリントを、モーツァルトへの恋慕をこめて購入した。現在私の書斎の一隅を飾っている。
クレーの絵画に流れるシンフォニーを観ることは、モーツァルトを聴くことと同義なのだ。こうして、モーツァルトは、日常的に私の傍にいる。

モーツァルト:クラリネット協奏曲を聴く

演題   MOZART クラリネット協奏曲 K622 
   
指揮者;ARTUR RODZINSKI

演奏:  ウィーン国立オペラ管弦楽団

クラリネット奏者;IEOPOLD WLACH

このレコードがアメリカで発売されたのは1954年で、私の大学時代ということになる。この時代のクラシック音楽愛好者にとって、WESTMINSTERのLPは貴重品であり、私もMOZARTの室内楽をこれらのLPで育てられ学んだと思う。

この想い出深いレコード群のなかでも,今なお親しみを込めて見詰めるジャケットは、
Ⅰ。パドゥーラ・スコダやデームスの協演によるモーツァルトの室内楽
Ⅱ。バリリ弦楽四重奏団、ウィーン・コンチェルトハウス弦楽四重奏団のモーツァルト室内楽で、モーツァルトの音の世界を教えてくれた名盤たちである。
さて、演題のクラリネット協奏曲だが、1791年10月に作曲され2ヶ月後の12月5日35歳の生涯を閉じた告別の曲である。

私が2014年6月、スコダの最後のコンサートで聴いたK595ピアノ協奏曲第27番は1791年3月に作曲され、魔笛、レクイエムとともにモーツァアルトの告別の曲、天国の門に立った曲である。
「すべて最高のものは、それぞれの個別の領域を超える」とゲーテは言ったが、この曲の不思議な魅力は、私ごとき素人の論じる余地は無い。

吉田秀和さんの「いのちの響き」(中央文庫私の時間)から真に告白ともいえる文章の一節があるので、紹介する。
何という生き生きとした動きと深い静けさとの不思議な結びつきが、ここにあることだろう。動いているけれども静かであり、静穏の中に無限の細やかな動きが展開されている。ひとつひとつのフレーズは何ともいえぬ気品があり、雅致がある。ごく普通のイデオムで語られているのだが、ここには自由がある。
モーツァルトにとっては音楽とは何だったのだろうか?彼の場合、音楽は単に人間からというより、別のところから出ていたようだ。それがモーツァルトという人間を通過していくうちに、何ほどかの変化を受けはしただろうが。
こんな辛い、そうして透明な曲はない。ここの旋律は流動的で、内面と外と境界がないような形で、つまり、あるがままで、形でもあれば、心でもあるようにみえる。そうして何かに向かって動いているのだ。しかし、それがどこを指しているのか、私には、わからない。もし何かがあるとすれば、無心の恍惚とでも呼びたいものだ。これは、何らの企みも全く持たない音楽。およそ一切の目的意識から解放された音楽である。
クラリネット協奏曲の両端楽章は、ほどんとモーツァルト自身さえ超えている。ただこうゆう音楽を書いた者が、ほかにいないので、私たちはその作者をモーツァルトと呼ぶことしかないといっても、さしつかえないだろう。

かかる吉田秀和さんの文を読んだ人は、何を感じ、何を想うのだろうか?私は評論家を超えた人間味溢れる吉田さんを想う。

40数年前のことであるが、私は同僚二人を後部座席に乗せて美ヶ原の峠を案内していた。CDでこの曲を鳴らしながら・・・。雲一つない青空の日だった。ほどんと音楽を聴かないという男が、<哀しい曲ですが、美しい音楽ですね>と呟いた。私は第1楽章と第3楽章のクラリネットの陰影がいいと思う。
モーツァルトが宇宙を支配していると思った。この曲の想い出として今も記憶している。

後になったが、ウラッハは1954年まで30年にわたってウィーン・フィルの首席奏者を務め、柔らかく豊かな響きで、音楽を静かに語ると言われた。この録音を聴くとそのことが良く理解できる。
吉田秀和さんは、アルフレード・プリンツ奏者盤を推挙されているが、このウェストミンスター盤をお聴きになっていないのではと思う。私はこの曲が聴けることが生きている証であると感じています。


モーツァルト「レクイエム」を聴く

パリ聖オーガスト教会  1995.10.29

指揮:アレキサンダー

演奏:STAJIC室内楽団

演題:
モーツァルト/レクイエム
デヴェルチメント RE
デヴェルチメント FA

出演:
ソプラノ SUSAN BELLING
メゾソプラノ JACQUELINE MAYEUR
テナー MICHEL PASTOR
バス PAUL MEDIONI
コーラス CHCEUR D’OPERA FRANCAIS

 偶然に前を通り入った。入場料を払ってミサ形式のコンサートだ。満席だった。宣教師達の動きも神々しく、信者たちの敬虔な様子は、音楽劇場とは異なっていた。特異な経験をした。
 私は日頃クルィタンス指揮の「レクイエム」を聴いている。ディスカウとロスアンヘルスが唄っている。モーツァルトの最後と重なり,敬虔にして壮大なミサは涙なしでは聴けないものだ。心が引き締まる名盤である。



第3部        オペラを楽しむ



ウィーン国立歌劇場「運命の力」(ネルロ・サンテイ

作曲:ヴェルディ

指揮:ネルロ・サンティ

配役:
レオノ―ラ:アントニエッタ・ステラ
ドン・アルバーロ:ジェームス・マクラケン
ドン・カルロ:コスタス・パカリス   
レツィオシルラ:ビゼルカ・クベリック


「運命の力」の脚本は、サーべドラの戯曲によるが、終末の筋はいくとうリかがあり、原典が替えられているようだ
<美しい公爵娘のレオノーラはドン・アルバーロとの恋が認められず、彼の短銃の暴発で死亡、侯爵の息子ドン・カルロスが仇討ちを狙い追跡する。二人は偶々イタリア戦線で親友となるが、やがてアルバーロの身元がばれ、逃亡する。
修道院で俗世から離れ死を覚悟のレオノーラを、恋人アルバーロと息子カルロスが見出し、決闘となり3人ともに死ぬ>という結末である。

しかし、今なお記憶に鮮明なのは、主役レオノーラの歌唱のすばらしさと演技力である。傷ついた兄の腕の中で「神よ、我に平和を与え給え!」と唄い、やがて息絶えてゆくまでの声量のコントロールの上手さ!レオノーラ役のアントニエッタ・ステラにオペラの醍醐味を味わった。

ステラは当時マリア・カラスとレナータ・デヴァルディの二人の巨星がいたが、彼女たちにつぐソプラノと言われた。1956年NHK第1回イタリア歌劇団のメンバーとして来日「蝶々夫人」で称賛された。さらに1963年、1967年と3度来日した。私は案内役の黒沢さんの手配のおかげで、ウィーンで「運命の力」を観て僥倖を得た訳だ。恐らく黒沢さんはこのすばらしさを知ってのことだったのであろう。
この演奏から53年を経た2014.11.20サントリーホールでN響定期演奏会を聴いた。指揮者はネルロ・サンティ(83歳)であった。
私にとって、音楽愛好の始まりであった「運命の力」の指揮者その人であったが、当日は気づかず数日後ハタと気づいた。
当時33歳の青年指揮者は、私と同じように年を重ねていたのである。オペラ好きのこの人は、二つのオペラ序曲を軽快に聴かせた。ロッシーニ歌劇「アルジェのイタリア女」序曲とワーグナー歌劇「リエンチ」序曲であった。

長い人生には<めぐり逢い>と云えるものがあることを想った。55年前、オペラピットの中で、私に背を向けて指揮棒をふっていた若い指揮者その人であった。

私は、マリア・カラスもデヴァルディも、実演を聴く機会がなかった。ともにLP盤で楽しんでいる。とくにデヴァルディのレオノーラ(運命の力;プラデルリ指揮LP盤)は良く大好きである。この3人は、声の凄さが別格のソプラノである。


ミラノ・スカラ座「ボエーム」(C・クライバー)

1988.9.30 神奈川県民ホール

指揮カルロス・クライバー

作曲:ジャコモ・プッチーニ

演奏:ミラノ・スカラ座管弦楽団
合唱:ミラノ・スカラ座合唱団

配役
ロドルフォ/ぺ―タ・ドヴォルスキー
ショナール/アントニオ・サルヴァド―リ
ブノワ、アルチンドロ/クラウディオ・ジョンビ
ミミ/ミレルラ・フレーニ
マルチェッロ/ジョナサン・サマーズ
コルリーネ/ジョルジオ・スルヤン
ムゼッタ/バーバラ・ダニエル

クライバー指揮のスカラ座、そして現代最高のミミ役フレーニ。これ以上の目名優の揃った「ボェ―ム}はない。
ボェ―ムの初演は1896年トスカニーニが指揮をした。以来約90年間、名オペラとして全世界で愛されてきた。
ロドルフォの「冷たい手を」、こたえて「私の名はミミ」、屋外はクリスマス・イブの賑わい。胸の病が不治とわかり、別れを告げる「ミミの別れ」、そして哀しい最後の別れがくる。プッチーニ・オペラの真髄は、限りない哀愁と、「別れ」にある。あらゆる人々の宸襟に触れる。
吉田秀和さんの評(朝日新聞)を紹介する。
<まれに見る名演で、終生忘れがたいものになろう。フレーニは天下一品のミミだった。更に記念碑的出来栄えのもととして、特筆すべきは、カルロス・クライバーの管弦楽の演奏。これはもう伴奏などというものではない。名歌手の揃った舞台にもう一人の稀代の歌手が加わったような音楽を聴かせた。それでいて少しも歌にかぶさったりして邪魔をしない。むしろパステル画のように精妙で、しかも微妙な色彩をふんだんに交えながら必要とあればルーベンスやルノワールにも劣らない極彩色で音の劇を描き出すことも辞さないのである。>と最大級の賛辞であった。
吉田さんの賛辞がすべてを言い表している。付け加えるのは野暮なことだ。
しかし残念ながら、スカラ、クライバー、フレーニによる入神の音楽に別れを告げる時も、容赦なしであった。これぞ一世一代のオペラ「ボエーム」であった。何時までも忘れられない。

ミラノ・スカラ座歌劇「運命の力」(ムーテイ)

東京文化会館  2000.9.19 
      
作曲:ジョゼッペ・ヴェルディ

指揮:リッカルド・ムーティ

演奏:ミラノ・スカラ座管弦樂団・合唱団

出演:
レオノ―ラ; マリア・グレ―ギナ
侯爵; エンツオ・カプアーノ
ドン・カルロ; マエストリーナ
ドン・アルバーロ; サルヴァート―レ・リチトラ

私と「運命の力」は、その名の示すように、縁が深い。1961年ウィーンでの出会いから3回目のデートだ。今回はムーティ指揮のスカラ座による豪華な舞台である。ヴェルディ没後100年前夜祭として上演された。

このオペラは3人の主役が揃ってはじめて良くなる。私には39年前のウィーン国立オペラでのレオノ―ラの「神よ平和を与えたまえ」のアリアの残響が忘れられない。演技と音量が忘れられない。今回のレオノーラ;グレーギナは当年36歳、大物ソプラノ歌手がなくなった現在だが、残されたメゾ・ソプラノとしては、数少ない声量と、淀みないテクニックで最適役の人だ。

ヴェルディは、イタリア・ロマン派オペラに新風を吹き込み多くの名作を生んだが、劇的な迫力に満ちた音楽で現代でもオペラ上演の中心となっている。「アイーダ」「オテロ」「ファルスタッフ」「マクベス」「ドン・カルロ」などの傑作、そして「レクイエム」を生んだ。私にとって「運命の力」と「レクイエム」は、音楽の範疇を超えた存在感で私の心に染み込んでいる。

ヴェルディのオペラを世界に認めさせた場所は、常に「ミラノ・スカラ座」であった。その音楽歴史を辿りつつ、聞き惚れた「運命の力」であった。オペラの筋は、別稿< 56頁 >を参照されたい。
私は、記念盤として、プラデエリー指揮、アカデミー室内弦楽による、デヴァルディデル・モナコ、シミオナート、シェビが共演するLP盤を愛聴している。



プラハ国立歌劇場「ドン・ジョヴァンニ」(ドホナーニ)

オーチャードホール     1995.2.3

指揮:オリヴェル・ドホナーニ

演奏:プラハ国立劇場オペラの管弦楽団、合唱団、バレ団

配役:
ドン・ジョヴァンニ/アンドレイ・べスチャストニイ
騎士長/イジ―・カレンドフスキー
ドンナ・アンナ/へレナ・カウポヴァ
ドン・オッタ―ヴィオ/シュテファン・マルギ―タ
ドンナ・エルヴィーラ/リーヴィア・アーゴヴァ
レポレロ/ルジェック・ヴェレ
マゼット/アレシ・へンドレフ
ツェルリ―ナ/アリツェ・ランドヴァ

スメタナ、ドヴォルザークを生んだチェコ、そしてプラハ音楽祭のプラハ。プラハはお伽の街だ。スメタナの「我が祖国」、ドヴォルザークの「ドウムキ―」は私の愛する室内楽曲だが、同時にモーツアルト交響曲38番「プラハ」ももっとも好きなモーツァルトの交響曲だ。小説「プラハの春」も面白かった。この小説の女主人公がいい、聡明で、しかも美人である、

話はそれたが、「ドン・ジョヴァンニ」は、プラハで初演され、モーツァルト自身が指揮をした。プラハの民衆はこぞって支持し、公演は大成功であった。「フィガロの結婚」は、ウィーンでは不評だったが、傑作として熱狂したのはプラハの大衆であった。モーツァルトは、<今やプラハは「フィガロの結婚」で満ちていて滞在を伸ばしたい>と父宛の手紙に記している。プラハの聴衆は世界に先駆けて、いくつかの名作を認めているのだ。

演題の荒筋は次のとうりである。
<スペインの貴族;ドンジョヴァンニは女とみれば口説く稀代のドン・ファンだ。
今夜はドンナ・アンナの寝室に侵入したが騒がれて、騎士長の父と戦い、父を殺してしまう。数々の悪行の後、3人の過去の女と鉢合わせし、従者レポレロと墓場で落ち合う。その墓場に、死んだ騎士長の石像が立っていて、悪行を悔い改めよと諭すが、ドン・ジョヴァンニは動ぜず、逆に夕餉に招待する。
歩いて表れた石像は、ジョヴァンニの手を掴み、地獄に引きずり落とし火炎の中でジョヴァンニは最後を遂げる>
劇中には、ジョヴァンニが騙した1003人の「カタログの歌」や、最終の石像の足音など旋律、響き、喜劇、悲劇、が重なり、モーツァルトならではの世界が展開する。オペラの世界をこれほど堪能出来ることはない。    (写真;プラハ)

バスティーュ・国立パリオペラ「マノン」(ベルティニー)

1997.06.29       バスチーユオペラ劇場

パリ国立オペラ交響楽・合唱団 
  
作曲家:マスネー 

指揮:ガリー・ベルティニー

配役:
マノン:ルネ・フレミング
騎士デ・グリュー:リチャード・LICH 
レスコ:JEAM・LUECHAINAUD
ギョー:LAURENT NAOURI
マゼット:ANNE・NARIA

当日は時間が空いたので、散策の予定だったが、バスティーュでオペラがあると分り、妻とオペラ座まででかけ、窓口に並んでチケットを取った。丁度国立オペラ座は改修中であった。

フレミングは、まだ知られていず、CDは1枚出ていた。私も知ら無かったが、聴いているうちに大変な歌手だと分かった。まず声量がちがう。技法が深い。フレーニ―と違えたかと思い、妻と確かめたがフレーニでなく、フレミングという歌手だ。

彼女はその後アメリカに行き、現在はメトロポリタン・オペラの女王として君臨し、いまやドミンゴ皇帝と共に、メトロポリタン・オペラを支えている。
私は、フレミングは自分が見出したと思うことにしている。そして大ファンとなった。来日の公演は、挨拶を兼ねて(勿論相手は知らない)必ず行く。

追記 
「ルネ・フレミング・ソプラノ・独唱会」の{私とフレミングの出会い}を読んで頂きたい。

ウィーン国立歌劇場「ラ・ボエーム」(ドホナニー

1986.12.30

配役: 
 ミミ; カレン・エスリべアン
 ロドルフォ; べタ―・ドヴォルスキー
 マチェルロ; ハンス・ヘルム
 ショナール; ゴットフリード・ホルニク

作曲:プッチーニ

指揮:ドホナニー

ミミとロドルフの独唱は、いつ聴いても哀愁に富み心にしみる。「冷たい手を」「私の名はミミ}{愛らしい乙女よ」「もう帰らないミミ」「皆行ってしまったのね」物語の筋は書くまでもない。
ロドルフォ役は、2年後の日本公演でも、ペータ・ドヴォルスキーであった。
聴衆に世界で愛されてきたラ・ボェ―ムよ、永遠に人の心に残り、「片隅の愛」が世に潜在していることを忘れさせるなと思う。

開幕前、ロビーで盛んにアナウンスしていたが、意味が判らなかった。帰りの時間は遅く、事前にタクシーを予約しろとの事であったらしい。閉幕し外に出ると皆は予約のタクシーが来て帰る。
タクシー待ちの行列は長く、流しのタクシーは来ない。諦めて徒歩で帰る。思いがけない遠足となった。夜遅いので一般の店は閉店している。ようやく妻とマックを探し軽食で済ませてホテルに着く。12時就床する。
愛聴盤:ラ・ボェ―ム
    1.  カラヤン指揮 ベルリンSO。ミミ:フレーニ、ババロッティ (LP)
    2.  セラフィン指揮 ローマ聖チュチーリア管弦楽団 1959年



ケルン歌劇場「後宮からの逃走」(ジェームス・コンロン)

1992.2.16      オーチャードホール

作曲:A.モーツァルト

指揮:ジェームス・コンロン

演奏:ケルン歌劇場管弦楽団
合唱:ケルン歌劇場合唱団

配役:
太守セリム/フランク・ホフマン
コンスタンツェ/ルバ・オルゴナソヴァ
ブロンデ/ダルラ・ブルックス
べルモンテ/ゥ―ヴェ・ハイルマン
ぺドリロ/マンフレート・フィンク
オスミン/クルト・リドル

コンスタンツェは海賊にさらわれトルコに売られ,後宮(ハーレム)に閉じ込められていた。太守からの求愛に悩まされる。恋人べルモンテは探し求めて、発見し救い出そうとするが、さまざまな障害にあう。最後は太守セリムの寛大な決断で帰国を果たす。トルコ風エキゾチズムと甘美なアリアは聴衆の支持を受け大成功となった。

このモーツァルトの青春オペラは、一途な愛を捧げるコンスタンツェの女性像が当時の大衆に好かれ、加えて美しいアリアと高貴な太守セリムの断念は、トルコへの人気となった。1683年のウィーン包囲に失敗したトルコ軍の残した物は多く、マリア・テレージア女帝もトルコ製の絹織物を愛用したという。クルト・リドルのオスミン役は懐かしい。

1961年私はケルンに行き、大聖堂のオルガンの演奏をきいた。そして天に向かって聳える大聖堂のゴシック様式の威容に感嘆した。それが市民の献金で建造されたと聞き驚きは倍加した。聖堂前の広場でカメレオンの首飾り売りが執拗に追いかけてきた。ケルンは芸術的な文化都市であり、歌劇場も180年の歴史を刻んでいる。
私は5年後に、チューリッヒオペラ劇場でこの演目のオペラを鑑賞した。モーツァルトは世界中で愛されて上演されている。その時は劇場への道に迷って苦しんだ。



ウィーン国立歌劇「フィガロの結婚」(ラインスドルフ

1986.04.09 東京文化会館

作曲 W.A.モーツァルト

脚本ダ・ポンテ

指揮 エーリッヒ・ラインスドルフ

出演
伯爵  ヨルマ・ヒンニネン
伯爵夫人  グンドゥラ・ヤノヴッツ
スザンナ  パトリシァ・ワイズ、バーバラ・ヘンドリックス
フィガロ  アルベルト・リナルディ
マルチェリーナ  マルガリータ・リロヴァ
ケルビーノ  クララ・タカクス

管弦樂 ウィーン国立歌劇場管弦楽団
合唱  ウィーン国立歌劇場合唱団

伯爵夫人のヤノヴィツ、スザンナのバーバラ・ヘンドリックス、フィガロのリナルディは、フィガロの常連だと思う。リナルディは47歳とあって声量には衰えがあるが艶やかだ。

それにしてもフィガロの結婚は、どうして上演数が多いのだろう。下流階級の上流に対する反発場面の多い所為か?モーツァルトとポンテは、王政崩壊をもくろみ当時革命的とされ危険思想として見られていた戯曲フィガロを取り上げ作曲した。ヨゼフ2世は芝居では禁止したが、オペラでは許可したのである。
大衆は初演からアンコールが止まず熱狂し好評であった。懸念する貴族からの妨害で、「フィガロ・アンコール禁止令」なるものが発令されたと言う。

バイエルン国立「コシ・ファン・トッテ」(サヴァリッシュ)

東京文化会館     1988.12.7

作曲:アマデゥス・モーツァルト

演目:コシ・ファン・トッテ全2幕

出演:フィオルディリージ;ユリア・ヴァラディ
    ドラべラ;トゥルデリ―ゼ・シュミット
    デスピーナ;ジュリ―・カウフマン

指揮:ウオルフガング・サヴァリッシュ

演奏:バイエルン国立管弦楽団
合唱:バイエルン国立歌劇場合唱団

ベートーヴェンをしてあまりにも軽薄すぎると言わしめた、ふざけた筋書きだが、男女6人の愛の綾が最後は喜びと涙で終わる。

モーツアルトのオペラにはヴェルディやプッチーニにはないふざけた唄が多い。かりにこれをモーツアルトのロマン(ユーモア?)主義と呼ぼう。
ドン・ジョバンニの「奥さん、これが恋人のカタログ」、フィガロの「もう飛ぶまいぞこの蝶々」、魔笛の「可愛い娘か女房がいれば」等々枚挙に暇なしである。モーツァルトの音楽が広く現代に愛好されているのは、このロマン主義がその一端を担っているのかもしれない。

サヴァリシュの指揮は詩的な抒情性にあふれて、美的な指揮棒の動きに魅了される。また、1964年NHK交響楽団を指揮し、以後定期演奏会の常連指揮者となったが、82年からバイエルンの総監督となり、堅実な旋律、繊細な音でファンを魅了した。彼の指揮、彼の指の動きの美しさは格別である。指先から音が流れる。(後記:2013.2.25死去)


ユリア・ヴァラディは、美しい。人も知るディスカウ夫人だが、知的なコントロールは流石である。
モーツアルトはこの時期、妻コンスタンツェと葛藤があり、コシ・ファン・トゥッテを生むバックグランドが整っていた。「女はみなこうしたもの」の自然発生要素がこの傑作を生んだ。


ベルリン国立歌劇「モーゼとアロン」(バレンボイム

東京文化会館   2007.10.20

指揮:バレンボイム 
   
作曲: シェーンベルク 

出演: モーゼ: ジークフリート・フォーゲル
     アロン: トーマス・モーザ

合唱:ベルリン国立歌劇場合唱団

このオペラは、当日都合が悪くなったオペラ好きの知人からの贈り物として頂き、聴くことができた。この日は、天高く澄み渡った秋晴れだった。上野公園に1時間前に着き、公園内を散策した。都公認の野外アーチストが沢山いる。1人で9つの楽器を演奏する人もいて楽しんだ。

さて、肝心の演奏会だが、久しぶりに見るバレンボイムは髪が真っ白になっていた。時代は移りピアニストが指揮者になり、しかもいまや一流の指揮者だからと感慨を巡らす。

モーゼ役は、ジーグフリードだ。青年の様な発声をして、しかも若々しい。彼の「冬の旅」を1989年に聴いたが、若い声は今も不滅で威厳に満ちている。音量も同じだ。

作曲は当初は全3幕の予定でであったが、2幕で中断された。未完のままになっている。 台本は旧約聖書の「出エジプト記」で神に救いを求めるエジプト人を描き、エジプト王に迫害を受けている同朋のイスラエル人救出をめざす。背景にナチスによるユダヤ人迫害という政治的な状況があるようだ。
兄のモーゼと争うアロン。そのバック・コーラスが凄い。2年間練習したという。この合唱は、日本では聴けない高い水準のものだった。モーゼが単独山に登り神に教えを乞う。留守中のイスラエル人は黄金の牛を作り偶像とする。モーゼは下山する。兄アロンは口上手、モーゼは神に愛される。
物語の中核となっている「神についての論争」は良く理解できなかったが、モーゼがイスラエル民族に告げる預言「神と一つに結ばれん」でこのオペラは閉じられる。これがオペラとして現存することに文化の違い感じ、この機会を与えていただいた友に感謝した。旧約聖書を読んでみたいと思った。


ロイヤルオペラ「フィガロの結婚」(ジェフリー・テイト)

神奈川県民ホール   1992.6

指揮:ジェフリー・テイト

演奏:ロイヤル・オペラハウス管弦楽団
合唱:ロイヤルオペラ合唱団

配役
フィガロ/ルチオ・ガロ
スザンナ/マリー・マッグロッフリン
バルトロ/グイン・ハウエル
ケルビーノ/クリスチャーヌ・オーテル
アルマヴィーヴァ伯爵/トーマス・アレン
伯爵夫人/レッラ・クベルリ

ロイヤルオペラは、ウィーン国立、ミラノ・スカラ座、メトロポリタンと並ぶ世界のオペラハウスだが、国家丸抱えのウィーン、ミラノに比べ財政不安である。音楽監督にハイテインクが就任してから、彼の努力により、改善されたと言う。
コヴェントガーデンの弱点は合唱であることは広く知られるところだ。カルロス・クライバーの客演を請う為彼の示した条件をすべて準備したが、合唱が心もとないという理由で逃げられてしまったという。

ウィーン国立歌劇場「ばらの騎士」(C・クライバー)

東京文化会館 1994.10.18

作曲:R.シュトラウス

演奏:ウィーン国立歌劇場管弦楽団
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団

指揮:C.クライバー

配役:
元帥夫人;フェリシティ・ロット
オクタビアン;アンネ・ゾーフィ・フォン・オッタ
ソフィー;バーバラ・ボニ―オックス
男爵;クルト・モル
公証人;ヴォルフガング・バンクル

クライバーが振ると言うだけで、あとは充分というのがオペラ好きな人あとは安心だ。配役や合唱など全てが万全でなければクライバーは振らないのだ。すべて保証つきのクライバーの「ばらの騎士」である。
定評のある指揮、さすがクライバーらしく、このオペラの壺を見事に浮き彫りにした。ウィーンではクライバーのチケットを手にするために闇市場の相場は4~5倍という。当公演については、日本側が多額の出演料を払ったといわれた。老後が保障できるくらいの驚愕の出演料という風評がながれた。
私は、クライバーは天才指揮者で当代1番の指揮者と思っている。キャンセルの多い彼の演奏を実際に耳にすることが出来るだけで充分である。クライバーの風貌、容姿、身のこなし方、音楽そのもの、が彼の知性と合致して指揮台で動き回っている芸術なのだ。




ウィーン国立歌劇「フィデリオ」(ホルライザ)

ウィーン国立劇場  1986.12.28

演題:ベートーヴェン:フィデリオ

指揮:ハインリッヒ・ホルライザ

出演者
フロレスタン:ジェームス・キング
レオノ―レ:ギネス・ジョーンズ
ドン・ピツアロ:ハンス・ヘルム
ロッコ:クルト・モル
マルツェリーネ:エリザベス・ガレ

感動は人を無言にする。涙が止まらなかった。フィデリオは、ベートーヴェンの唯一のオペラである。

物語は、女性に裏切られ続け、婚約者テレーゼからは婚約解除され、唯一愛した甥カールに自殺されたベートーヴェンが、夫フロレスタンを暗殺者の手から救い出すためにフィデリオに変装した妻レオノーレとの夫婦愛と、フィデリオに恋した若い娘の失恋を、「相思相愛の歓び」、「片思いに悩む者」の2極として、作曲したものである。共通の人間愛を賛美するベートーヴェンらしいオペラだ。「フィデリオ」は、ベートーヴェン自身の現実でもあったのだ。

指揮者ホルライザ―は、ギネス・ジョーンズと相性が良く共演が多い。
当演出者の5名は当代最高の組み合わせであった。

第1幕のレオノ―レの有名なアリアは、ダイナミックに難曲をうたい、ギネス・ジョーンズの高い技術を伺わせた。
それにしても、絢爛豪華なキャストである。巨匠カール・ベームは「フィデリオ」を(自分の運命のオペラ)と呼び録音したレコードは名盤となっているが、フロレスタンとレオノーレは、当出演と同じ組み合わせであった。
私は、偶々聴くことが出来、僥倖に感謝する。
愛聴盤:フィデリオ     指揮 ジョージ・ショルティ シカゴSO.


ロイヤルオペラ「ドン・ジョヴァンニ」(ハイティンク)

東京文化会館     1992.7.9

作曲:モーツァルト

指揮:ベルナルド・ハイティンク

管弦楽:ロイヤル・オペラハウス管弦楽団
合唱:ロイヤルオペラ合唱団

配役:
レポレロ/クラウディオ・デズデリ
ドンナ・アンナ/キャロル・ヴァネス
ドン・ジョヴァンニ/トーマス・アレン
騎士長/ロバート・ロイド
ドン・オッタビオ/ハンス・ペーター
シェルリーナ/マルタ・マルケ―ズ
マゼット/プリン・デルフェル

稀代のプレーボーイ・ドン・ジョヴァンニは、数々の悪行の末地獄の業火にのみ込まれる。この音楽の多彩さは、モーツァルトの天分無しでは生れぬ作品だ。
「これが恋人のカタログ」のユニークさ、「シャンパンの歌」、「ぶってよ、マゼット」のアリア、石造の騎士の歩み、等々このオペラの楽しみ方は尽きることが無い。このモーツァルトは、かなり難解な音くりをしていて、カラヤンは「ドン・ジョヴァンニ」の指揮を最後にまわした。因みにオペラ指揮ではカラヤンの代表作となった。

また、吉田秀和さんは、「フィガロ」よりも「ドン・ジョヴァンニ」がモーツァルトのオペラの最高作ではなかろうかと論じ、次のように書いている。
<なんと凄い音楽だろう!音楽の極めて高度な充実と、数あるこの天才のオペラの中でもとびきり上質な演劇的な深みを湛えた「ドン・ジョヴァンニ」をこれほど真正面から、これがもつ甘美と苦渋、死と愛が肌を合わせている音楽を鳴り響かせているのに成功したのは奇跡に近い>と。永年積み上げられた英国国立オペラの伝統の厚みが迫ってくる上演であった。



ウィーン国立歌劇「ランスへの旅」(クラウディオ・アバト

東京文化会館1989.10.28

作曲:ロッシーニ

指揮:クラウディオ・アバト

演奏:ウィーン国立歌劇管弦楽団
合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団

配役:
ゴリンナ/チェチーリア・ガスディア
メリベア侯爵夫人/ルチア・ヴァレンティーニ      
フォルヴィルの伯爵夫人/レッラ・クベルリ
コルテーゼ夫人/モンセラ・カバリエ

シャルル10世の戴冠式の祝典に出席しようと、ランスへ旅する貴族達の様子を描いた1幕25場面のドラマオペラ?である。
オペラのドラマチック性に欠け、お祭り騒ぎに終始するオペラは、エンターティメントの仮面を持つシニカルな面もあり、アバトの指揮はこの分析もなされた音楽となっている。

ドイツ・カンマーフィル管弦樂団「フィデリオ」(ヤルヴィ)

コンサート形式・語り付き 「ロッコの物語」より

横浜みなとみらいホール   2013・11・30

指揮者:パーヴォ・ヤルヴィ

演奏:ドイツ・カンマーフィルハーモニィ管弦樂団

出演者
フロレスタン:ブルクハルト・フリッ
レオノーレ:エミリー・マギー
ロッコ:ディミトリー・イヴァシュチェンコ
マルツェリーネ:ゴルダ・シュルツ
語り:ヴォルフ・カーラー

合唱:東京音楽大学合唱団

1986・12・28 ウィーン国立劇場で歌劇「フィデリオ」を観た。
その時の配役は、ジェームス・キング、ギネス・ジョーンズ、ハンス・ヘルム、クルト・モルといった歴史的名歌手を揃えた公演であった。
あれから数えて27年ぶりの今日、音楽学者平野昭氏によれば「天啓に導かれたような閃きに満ちた指揮者ヤルヴィ」によるフィデリオを 横浜で聴いた。

指揮者ヤルヴィは、明瞭な、まさに閃きに満ちた音響と表情でベートーヴェンの持つ人間への愛を聴かせた。演奏のドイツ・カンマーフィルハーモニィ管弦楽団は、世界屈指の室内オーケストラで、特にベートーヴェンを新基準で演奏すると絶賛されている。ヤルヴィは見事な指揮棒捌きで彼の冴え渡る一点の曇りもない音楽とオペラを演出したと思う。

「フィデリオ」の物語は、無実の罪を着せられた夫フロレスタンを、妻レオノーレが男装して救い出す物語だが、ベートーヴェンが実人生では手に入れることが出来なかった彼の理想の女性観や恋愛感が表現されているとされる。人間性の観念に係累されたベートーヴェンの真髄を観る想いだ。
最終の場面で、「愛が私の努力を導いた。真実の愛に恐れはない」と謳うレオノーレに唱和する民衆の大合唱は、私には交響曲第九番の「歓喜に寄す」で示した自分自身を叱咤し立ち上がるベートーヴェンを想起させた。
歳の所為か、字幕が読みづらく、苦労したが、音楽の魅力を十二分に味わった11月末日であった。

日生劇場20年記念演奏会を聴く 

1983。11.18 ~11.29

作曲家:モーツァルト 

11.18 魔笛
11.22 コシ・ファン・トゥッテ
11.26 ドン・ジョバニー
11.29 フィガロの結婚

主演:二期会 配役:略

1983年日生劇場が有楽町に新築された時、絢爛豪華な建物として話題を呼んだ。大理石の入り口に眩い思いをしたと記憶している。初演はベームが指揮したベルリン・ドイツ・オペラのフィデリオだったと思う。
あれから20年の今日、二期会単独での上演だ。記憶は霧の中で霞んでいる。


オペラ「鼻」・モスクワ・シアターを観る

湘南台文化センタ-    1991.7.12

演奏: モスクワ・シアター・オペラ管弦楽団

作曲: ショスタコーヴィチ

指揮: アダローンスキー

出演:
コワリョーフ;エドゥアルド・アキーモフ
イワン;ワレ―リー・ベルィーフ
イワンの妻:マリーヤ・レ―メシェワ
警察:フセルゲイ・オストロゥーモフ

新装なった文化会館センターは、設計者が女性でいま話題の設計者である。外装は奇抜だ。中に入ると鉄骨が目立ち、従来の音樂堂とは感じが違う。どちらかといえば体育館に近い。

物語は鼻が一時顔を離れ、戻ってくる悲喜劇だ。帝政ロシアの日常に見られる官僚のエゴイズムに対する風刺劇。ショスタのオペラ第1作。コメディともいえる。楽しめたが、音楽的感動はなかった。オケはわずか20名位でのオペラであった。ロシアの事状は良く分らない。

英国ナショナルオペラ「ピータ・グライムス」(Noei・Davies)

英国国立オペラ劇場   1993.6.27

作曲家:ブリテン

指揮:Noei・Davies

配役:
ピーター(漁師)  Philip Langridge
エレン(ピーターの慕う恋人)  Janice Cairns
パルステロード(退役船長)  Alan Opie
スヴォロウ (判事) Andrew Greennan

ウエールズ大学で日本語を教えている知人を家人が訪問し、ウエールズの自然を満喫し、ロンドンでこのオペラを観た。

ストーリーは以下のようである。
<嵐で少年を死亡させた漁師ピーターは、村人に好かれず、未亡人の教師エレンだけが慰めの声をかける。孤児院の少年の世話をすることになったピーターは、魚の大群をみつけ崖伝いに少年達を海に降ろす。
少年たちは溺れ死ぬ。半狂乱のピーターはエレンの名を呼びながら沖に船を出し、自分で沈めて死んでゆく。人々はいつも変わらぬ様子で何事もなかったように合唱し終わる>。
哀しい終末だが、ピーターの行為に彼の人生観が泰然と輝いる。初演も大成功だったという。


ボリショイオペラ「ボリス・ゴドノフ」(ラーザレフ)

神奈川県民ホール       1989.7.2

作曲:モデスト・ムソルグスキー

指揮:アレキサンドル・ラーザレフ

合唱:ボリショイ劇場合唱団

配役:ボリス・ゴドノフ/ユフゲニ―・ネステレンコ
皇女フョードル/タチヤ―ナ・エラーストワ    
皇女クセーニア/ニ―ナ・フォミーナ            
乳母/ニ―ナ・ガボーノア
書記官長/ユーリ/マズローク
グリゴリー(偽のドミトリー)/ウラジミール・シチェルバコーフ

「展覧会の絵」で知られるムソルグスキーは、独創的で革新的であった。従来の音楽の原則が彼の作曲を妨げていると嘆く。「準備ばかりしていないで、何かを作り上げる時だ!」と手紙で絶叫している。
プーシキンの悲劇「ボリス・ゴドノフ」の題材は、民衆蜂起の場面を含め、時代の歴史的真実にそった。(民衆の悲劇)と(皇帝の良心の悲劇)がこのオペラの核心となって聴く我々を圧倒する。特に若者と民衆の合唱は圧巻で印象に残った。

物語の荒筋は、ポリスは民衆の歓呼の中,新皇帝に就く。ポリスはフョードル先皇帝の異母弟ドミトリーを殺して支配者になった。
しかし、悩み続ける皇帝の弱みに付け込んだ偽のドミトリーに化けたグリゴリーの軍に敗れ、モスクワに進軍してくるとの報に、ボリスは皇女を呼び寄せ別れを告げて「さらばわが子よ、私はもう死ぬ」と死んでしまう。
皇帝役ネステレンコの声量の豊かさと、最後の「さらば…」の演技の上手さには驚いた。そして脇役の声と合唱団の重厚な深さには、流石ボリショイオペラだと感動した。

このオペラを一躍有名にしたのは、1906年パリ・オペラ座で、シャリャ―ピンの主演で上演されてだった。私は今は聴くことはできない彼の伝説を信じていたから懐かしい思いすらする。さらに、ボルショイ劇場に行ったことがない我が身には、文章で読むその歴史に驚く。建物の高さ、席数2100席、この劇場で働く人は約3000名、全て桁違いだ。
又ロシヤ文学との関わり、チャイコフスキーとトルストイ、「静かなるドン」のオペラ化、話題は尽きない。何時かの機会に調べてみよう。


マリポール歌劇「カルメン」(ロリス・ヴォルトリーニ

2014.6.15 よこすか芸術劇場

演題:カルメン

作曲:G.ビゼー

指揮:ロリス・ヴォルトリーニ

マリボール歌劇場管弦楽団/バレエ団/合唱団

配役
カルメン:ヴェッセエリーナ・カサロヴァ
ドン・ホセ:エフゲニー・アキモフ
ミカエラ:ペティヤ・イヴァノヴァ
エスカミーリョ:グレック・べロボ

私は少年時代から、カルメンの「ハバネラ」が好きだった。ビゼーはスペインの俗謡のメロディから、この曲を作った。そして妖艶な「歌の呪文」となった。二拍子のゆったりとしたリズムは、少年の私には心地よいものだった。

吉田秀和さんは<カルメンやホセは、人類普遍永遠の姿に属する>と評する。

ホセが切なく唄う「花の歌」、カルメンが死を予感する「カルタの歌」、[闘牛士の歌」、幕切れの「殺しの二重奏」、これ等はビゼーが斬新なオペラ・コミック様式を目指した音楽史の始まりを象徴するものであった。
ビゼーは、この不朽の名作の初演から3ヶ月のち、36歳で急逝した。最後の「殺しの二重奏」でカルメンがホセに言う、「カルメンは何時だって自由な女よ!自由に生きて自由に死ぬのよ!」
メリメの短編小説「カルメン」をもとに作曲されたが、私には生き方の哲学(リベルテ=自由)が感じられるのだ。

さて、肝心の演奏だが、主役カルメンのカサロヴァは、現代のメゾ・ソプラノ歌手の第一人者との評が高く、今年のザルツブルグ音楽祭でこの役での出演が決まっている。実は今回はカサロヴァを聴きたくてチケットを購入したのだ。
期待したようにドラマチックな歌手で、素人の私には不遜なのであるが、マリア・カラスの声量と演技を連想した。ただ最高音がキーンと濁って響くように思った。透明ではなかった。
ドン・ホセ役のアキモフは素晴らしい歌手だった。声量と唱和力を持ち演技も最高だ。又エスカミーリョ役の黒人歌手も美声で心地良く聴いた。
管弦楽団の弦の響きはやや不満を感じた。指揮者も予定の指揮者でなく、当夜交代を知った。

余談だが、私は1961年と1995年にウィーン国立オペラ劇場で「カルメン」を観ている。
1961年のカルメン役は、<バンブレイ>という黒人歌手で24歳のデビュー舞台であり、初の黒人歌手として音楽史に残る人であった。1995年のカルメン役は<エレナ・ザレンバ>で指揮者はドミンゴであった。
私は何かしら「カルメン」との奇縁を感じる。子供の頃からの歓喜と興奮が続いていて蘇ってくる。カルメンの自由人ならではの恋愛哲学に酔うからであろうか?善人ドン・ホセへの憐れみのなせる業からか?哲学者ニーチェは「カルメンこそ生そのものだ」と言ったが、私に生きる哲学を考えさせる歌劇「カルメン」なのである。


バスティユ・オペラ「マホガニー市の興亡」(ジェフリ・テイト)

1995.10.28

演奏:パリ国立オペラ合唱団・交響楽団

作曲:クルト・ヴェイル

指揮者:ジェフリ・テイト

配役(不明)
べグビク
ジム
ジェニー

ヴェイルによるいわゆる三文オペラである。
話の筋は他愛ないものだ。どうしようもない3人のやくざ者たちが荒廃地を娯楽の地に変え、人々を騙して金儲けをたくらむ。売春や悪事、酒と女、で知られるようになったが、やがて荒廃し、逃げ惑う民衆。ジムは絞首刑になる。最後の合唱は<誰も死んだ男をたすけられない>と棺を運んだ男たち唄って終わる。

主人公はジム・マホニー、他の3人とアラスカで木こりをしていた。皮肉や風刺に満ちた会話に溢れているらしい。因みに悪徳の町の親分の名は、トリニティ・モゼフで、聖人モーゼをもじっている。
HVDでも発売されており、人気はあるらしい。パリっ子は、ゲラゲラ笑ってこのオペラを鑑賞するのだろう。私には何もわからずじまいだった。




ウィーン・フォルクス「ジプシー男爵」(ルドルフ・ビーブル)

1989.6.8    東京文化会館

指揮:ルドルフ・ビーブル

演出:ロベルト・ヘルツル

配役:
ホモナイ伯爵/ボーイッェ・スコーフス
カルネロ伯爵/クルト・ルジチカ
バリンカイ/クルト・シュライプマイヤー
ジューパン/ヘルベルト・プリコパ
アルゼ―ナ(ジューパンの娘)/ウルリケ・シュタインキ     
オトカール(ミラベラの息子)/フォルカー・フォゲル      
ザッフィ/ミルヤーナ・イーロッシュ

「こうもり」と並ぶオペレッタの名作である。物語の筋は複雑であったため、過去何回も修正されているようだ
<ハンガリーを統治していた最後のトルコ軍総督が、大地主の屋敷に財産を隠したという噂が出回り、総督がジプシー女ツィプラを養女とし、実の娘ザッフイを表面に出させない。
ジプシー男のバリンカイはジプシー仲間の信望あつく、「ジプシー男爵」と自称しザッフイに結婚を申し込む。しかし総督の実子であることを知り、身分の違いに愕然として諦める。その後の戦場での勇敢さが認められ男爵の位を与えられる。そこに突然美しい調べとともにザッフイが現れ、二人は抱き合ってハッピイエンドを迎える>
「ジプシー男爵」バリンカイは恋と財産を両手にしたのだった。


オペラ「シモン・ボッカネグラ」(アバト)

1981年、東京文化会館でアバトが、ミラノ・スカラ座を指揮しこのオペラを上演した。私は観ていない。レコ芸で知った。
また、家人が偶々FMでその録音を聴いて大変良かったという。
アバト追悼の一環として聴いてみたくなり探したら、藤沢市の図書館がLP盤のスカラ座公演を保有していた。早速借りて自宅で聴いた。

指揮:クラウディ・アバト

シモン・ボッカネグラ   ピエロ・カプッチッリ(バリトン)
ヤコボ・フィエスコ     ニコライ・ギャウロフ(バス)
パオロ・アルビアーニ  ホセ・ヴァン・ダム(バス)
ピエトロ          ジョヴァンニ・フォイアーニ(バリトン)
マリア・ボッカネラ    ミレッラ・フレー二(ソプラノ)
ガブリエル・アドルノ   ホセ・カレーラス(テノール)

ミラノ・スカラ座管弦樂団・合唱団

1977年1月、ミラノのスタジオ録音であるが、先日死去した(2014年)アバト指揮の最盛期の演奏である。スカラ座音楽監督として最高のキャストをそろえたこの盤は、最高のオペラを聴かせている。フレー二、カレーラス、ホセ・ヴァン・ダム等、なんと豪華な顔ぶれであろう!

ヴェルディは、この作品を愛し、固執した。しかし、後世では失敗作として扱われている。それは有名なアリアが無く、熾烈な探求心と、音楽の底に流れる重層的なドラマであることが聴衆のヤンヤの喝采を得なかっただけの事だと思われる。
私は声楽の魅力を満喫出来る数少ない一枚だと思う。オペラの筋などどうでも良いのだ。筋を楽しみたいなら小説を読めばいい。

それにしても、なんというヴェルディらしからぬ静寂なオペラだろう。ソリストの流れるような豪華な音声とともに、このオペラを上演に選んだアバトの人柄を想った。
オペラをこよなく愛し、音楽を創造したアバトを追想しながら、耳を傾けた。




ボローニャ歌劇「ドン・カルロ」(ダニエレ・ガッティ)

神奈川県民ホール  1998.10.11

作曲:ヴェルディ

指揮:ダニエレ・ガッティ

配役:
エリザヴェッタ―・ディ・ヴァロア/ダニエラ・デッシ
エポリ公女/グロリア・スカルキ
ドン・カルロ/アルベルト・クビート
フイリッポ二世/ニコライ・ギャウロフ
ロドリーゴ/バオロ・コ―ニ

ドン・カルロは、悲しいオペラだ。登場する全ての人物が満たされぬ苦悩をもっている。しかもオペラの終わりまで望みが満たされず、希望は実現しない。
登場人物だけではない。作曲家ヴェルディは、統一後の愛するイタリアの現実に失望する。その悩みの中から「運命の力」に続き「ドン・カルロ」が生まれた。

指揮者ガッティは、ミラノ生まれ27歳でミラノスカラ座にデビュー、以来数々の歌劇場の首席指揮者を歴任し、2016年からコンチェルトへボウ管弦楽団の首席指揮者に就任予定である。

私は、井上ひさしが書いた「ボローニア紀行」を読んだ。ボローニアは知的な教育の街だ。ここには歴史に流されないどっしりした人間の営みがある。だからボローニア歌劇は2百数拾年生きながらえてきたのだろうと思う。



ローマ国立歌劇場「セビリアの理髪師」を観る

作曲    ロッシーニ

演題:セヴィリアの理髪師

日本を出て3日目で、丁度時差ボケが出て来たらしく、開演途中やたら眠くなり目が開けられなくなり困った。
プログラムを買いぞこね、キャストが不明だ。チケットだけ残っていて、手元にあった。会場前オペラ座前で、とうりすがりの日本人夫婦が写真を撮ってくれた。



歌劇「カーチャ・カバノヴァ」

ベルンオペラ劇場    1997.06.21

作曲家: ヤナーチェク

出演:カバノヴァ;CLARRY BARTHA 
          
べルンは、スイスの首都であり、その美しい町並みは世界遺産である。オペラ劇場は古い伝統をもち、しかも流行に追われずあらゆるオペラの上演により、知られている。当日のカバノヴァにも、その一端がうかがわれた。
舞台装置は比較的簡略化されている。古都のオペラを楽しむ市民のさまに、欧州の文化のあり様を考えた。
舞台は簡略であるうえに、各場面が暗い照明のなかで物語が進行する。ヴォルガ川のほとりに住む富裕な商人の後家カーチャーカヴァノアはあらぬ恋に悩む。最後にカーチャはヴォルガ川に入水自殺する悲劇である。古代が美しく保全され、中世の伝統が生かされているこの街で、救いのない人間の金銭的、日常的な現実を思うこともまた有意義である。(右写真は市内で見つけた中古レコード屋)


メトロポリタン歌劇(アンドレイ・デイヴィス)

2001.5.27  神奈川県民ホール

演題:ばらの騎士

作曲:リヒアルト・シュトラウス

指揮:アンドリュー・デイヴィス

主演:ルネ・フレミング

ばらの騎士の聴きどころは、なんといっても元元帥夫人のアリアである。フレミングは、高い技法で哀愁ある表現の声で会場を圧した。
他の配役者も、多彩でメトの層の厚い事に感嘆する。

配役:
伯爵夫人/ ルネ・フレミング
オクタビアン/スーザン・グラハム
モハメッド/ レミー・ロヴェッリ
オックス男爵/フランツ・ハヴァラ―タ
元帥夫人の執事/バーナード・フィッチ

若い二人を祝福して身をひく元帥夫人の運命を受け入れる平静さの心情を音量、表現,音質で唄って行くのはさすがにメトロの女王といわれるフレミングの力量であろう。
4年前パリでマノンを聴いたときその声量に驚いたが、今は貫録らしきものが見について大スターに見えた。
オクタビアンのスーザン・グラハムは当代一番のズボン役だ。見事の一言に尽きる。
私は、2006.6.17NHKホールで,指揮パトリック・サマーズによる「ばらの騎士」を、ルネ・フレミングの主演で聴いた。最後の愁嘆と死の場面では、舞台劇とでも見られないようなフレミングの演技力に驚いた。パリ以来のファンとしての義理?を果たした。




ウィーン国立歌劇「カルメン」(フォーレスター)

ウィーン 国立オペラ劇場1961.10.15

作曲:ビゼー

指揮:フォーレスター

出演:
カルメン: ミレ・グレース・バンブレイ
ドン・ホセ: ウィリアム・アルパイン
エスカミ―リョ: ジュリアン・ハス
ミカエラ: ベルキー 

 カルメンは、分り易い物語で、ドイツ語で唄われても意味を考えず、音楽の旋律や声量や演技に酔いしれる事が出来る。中でも、「ハバネラ」や「闘牛士の歌」は幼少の頃から口ずさんだ好きなリズムである。振り返ると、生涯で「カルメン」は数度鑑賞したが、この上演が最初の「カルメン」であった。後でわかった事だが、主役カルメン役:グレース・バンブレイは黒人でオペラに主役として登場していた歴史的経歴の持ち主であり、私はその初日を鑑賞していた!レリは野卑なカルメンを上手く歌い上げた。彼女の気性は激しく、しかも哀調に富んでいる。1961年は、24歳、デビューの歳である(此の度調べて判明)初の黒人歌手として話題の人であった。偶然の機で、知らなかった。


ウィーン国立歌劇「カルメン」(プラシド・ドミンゴ)

ウィーン国立歌劇場  1995.11.1

指揮:プラシド・ドミンゴ

作曲:ビゼー 

配役
カルメン:ELENA ZAREMBA
ドン・ホセ:LUIS LIMA
エスカミロ: AIGNOUD
ミカエラ:ADRIANNE IECZONKA

カルメン役は、37歳のロシア生まれ。ドン・ホセ役は、47歳のアルゼンチン生まれ。共に若くはないが、音声は凛々しく美しい。1961年にバンブリ―のカルメンを観たが34年たっても、カルメンは健在というところか・・・カルメン役のエルナ・ザレンバは、現在はメトロポリタン・オペラで活躍しているが、ウィーンでの初主役デビュであった。
冒頭のハバネラは、何時聴いても親しめる旋律だ。小さい時から、オペラアリアの最高と思っていた。後日、日本で日本語のカルメンをみた。ハバネラを「貴方は好きでも、私は大嫌い」と唄っていたが違和を感じた。私はアモーレの方がいい。


「ウィーン・フォルクス・オーパー」(ミカエル・トーマス)

1995.10.31

演題< KISS ME KATE>

指揮者:ミカエル・トーマス

作曲  コール・ポータ

出演:フレッド・グラハム:ミリオゥ・アドルフ
   リリー:ジュリア・ステンバガ―
   ビル・カルホーン:BRUCE BROWN
  ロイス・レーン:MARTINA DORAK

シェイクスピアの戯曲「じゃじゃ馬馴らし」を参考に離婚後の男女関係を織り込んだミュージカルコメディである。1949年トニー賞を取得した。日本でも1966年江利チエミが初上演している。語学のない私は曲を楽しんだ。他人がゲラゲラ笑っているのに言葉が解らないのは辛い。その方がお笑いだ。又1953年エリベス・テーラとリチャード・ブラウンが主演で映画化されている。

メトロポリタンオペラ「ホフマン物語」(レヴァイン)

NHKホール     1988. 05.25

指揮:ジェームス・レヴァイン

配役
ホフマン/クラシド・ドミンゴ 
オランピア/エリー・ミルズ
ジェリエッター/マル 
ティーヌ・デュピュイ
アントニア/ロバータ・アレグザンダー
ステッラ/ジーン・アンダーソン

日本2度目の演奏のメトロだ。ドミンゴとレヴァインの両雄をたずさえた公演にふさわしい熱狂があり、その雰囲気に圧倒された。随分話題に富んだ公演だった。

ホフマンは自分が経験した3度の恋を物語る。が筋をあらかじめ知らないとよく分らないオペラだ。ドミンゴは言う。「ホフマン役は、人生の4つの世代にわたる一人の男を演じねばならない。それはそれぞれ異なったドラマティックなアプローチを求めている。」と。ドミンゴは70年代に入ってから、バヴァロッティ、カレーラスと並んでいる。

フレンッエ6月音楽祭「ツーランドット」(ズ―ヒン・メータ)

フレンッエ市民劇場      1997.6.10  作曲:プッチーニ

指揮:ズ―ヒン・メータ

配役 
トゥランドット  EAGLEN  
カラフ  GIUSEPPE
リュー  RISTINA GALLARDO   
ティムール  CARIO・COLOMBA

夕方、アルノ川の堤防に沿って、夕日の方向に歩くと20分くらいで劇場に着いた。オペラは、中国の映画監督・チャン・イモウが演出した。衣服は中国色にあふれ、豪華絢爛な舞台だった。EAGLENは、まったくのデブ、オペラを見ているのに、衣服のせいで京劇を観ている感じがした。

客席がざわめいているので、見渡したら、ソフイヤ・ローレン(女優:河の女で有名)が同じ2階席に来ていた。すぐ近くだった。イタリア国民からとても慕われているという。

アルノ川はフィレンチェの歴史に欠かせない川である。塩野七生さんの小説には度々登場する。メジッチ家の歴史と、その所縁の途を、西陽を浴びながら歩いている・・・。私はずうっと以前からここで育ったような気持になり感慨に耽った。


メトロポリタン・歌劇「椿姫」(パトリック・サマーズ)

NHKホール        2006.6.17

作曲:ヴェルディ

指揮者:パトリック・サマーズ
 
出演:
ヴィオレッタ  ルネ・フレミング
アルフレード  ラモン・バルカス

フレミングのファンとして、義務感?に駆られて、NHKに出掛けた。早く着いたが、ホール前で30分ほど待たされた。大勢の人が、不満そうにして、雑談していた。とてもオペラの雰囲気ではないナと思った。しかし、憧れのフレミングに久しぶりに会えるので我慢した。

椿姫ほど物語の筋が判りやすいオペラはない。椿姫・恋人・恋人の父、3人の間の勘違いから生ずる葛藤をヴェルディは音楽の力を借りて如何に表現するのか。
それと最後の愁嘆と死の場面では、舞台劇とでも見られフレミングの演技力!メトロポリタンオペラは全てを満足させてくれる。

チューリッヒ歌劇「後宮への誘拐」(アダム・フィツシャー)

チューリッヒオペラ劇場  1997.6.27

作曲家:モーツアルト  K.384

指揮: アダム・フィツシャー

配役:コンスタンツェ;  ELIZABETH・NAGUNUSON
    ベルモンテ;  ROBERUTO・SACCA
    べトリルロ;  MARTIN・ZYSSET
    オスミン;  ALFRED・MUFF
    セリム(語り);  GLORY・SCHUCHTER

モーツアルトが成功をおさめた最初のオペラである。新聞では酷評されたが、大衆には受けた。未来の妻コンスタンツェに夢中になっていた最中での成功だった。

モーツアルトの手紙 から引用しよう。 
モーツアルトの洞察力が面白い。 「オスミンの怒りをご覧ください.歌が終わりそうに思われるところで、アレグロ・アッサイがまったく違った調子とテンポに変わり、非常にすばらしい効果をあげます。こんなに激怒している人間は、規律も節度も限界もすべて踏み越えてもはや我を忘れているのですから、音楽もそれに倣わなくてはなりません。しかし情熱というものは、激しかろうとそうでなかろうと、決して不快の念を起させるまで表現させるべきではないし、また、音楽はけっして耳ざわりになってはならず、やはり耳をたのしませる、つまり、あくまで音楽でなければなりませんから、僕はアリアの個性であるへ長調と無縁の音を避け、関係調ではあるけれど最も近いニ短調ではなくて、一番遠いイ短調を選びました。」 と彼は書いている。

クラーマーの音楽雑誌は、「後宮からの逃走」は、美しい樂想に満ちており、公衆の期待をはるかに超えている。そして、聴く者の心を奪う新鮮な着想は、極めて広範囲の聴衆から、極めて高い喝采を受けた・・・。」と評した。

ホテルから電車で出掛け劇場にたどり着いた。原語でのプログラムが読めず、現地の日本人に聞いたが要領を得ない。以前日本で見ていたので筋書きだけは理解しながら「モーツアルトのイ短調」を聴いた。

当時の流行であったトルコ風である。ドイツではトルコ風=東洋風なのである。      
物語の筋は、海賊から太守セリムに買いとられ、後宮に幽閉されている恋人コンスタンツェを、ベルモンテが策略を巡らし、最後には太守が折れて帰国を許して、二人の愛が成就されるというものだ。目出度し、目出度しで終わる。
チューリッヒは観光地として親しまれ、ホテルも日本人団体が多いようだった。



R・フレミングの「メリー・ウィドウ」(アンドリュー・デイヴィス)


2015.2.23  横浜ブルグ13劇場 

演題:「メリー・ウィドウ」

指揮:アンドリュー・デイヴィス

作曲:レハール(Lehar・Franz)

キャスト:
 ハンナ・グラヴァリ: ルネ・フレミング(S)
 ダニロ男爵: ネイサン・ガン(B)
 ヴェランシエンヌ:ケリー・オハラ(S)
 ド・ロシヨン: アレック・シュレイダー(T)
 ツェータ男爵; トーマス・アレン(B)

主役の裕福な未亡人を演じるR・フレミングは、私が1997年パリのバスチーュオペラ劇場で偶々「マノン」を鑑賞した際の「マノン」役が、当時無名に近いR・フレミングであった。聴いているうちにこれは大変な歌手であると思った。(私のクラシック音楽の旅そのⅠに詳述)
私がその時感じたように大歌手として頭角を現し、今日では、メトロポリタンオペラの女王として君臨している。
パリ以来、私は大ファンとなった。来日の彼女のオペラを観ることが、ファンとして義務と思い、2001年5月「ばらの騎士」、2002年サントリーホールで「ソプラノ・リサイタル」、2006年NHKホールで「椿姫」を鑑賞、4度の逢瀬(?)を通じ、その自然な嫌味のない素直な音声と,声量の大きさに圧倒されてきた。

そして今回は、METライブビューイングとして、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のライブ映画である。映画館のスピーカーは肉声で聴く音とは違い完璧なものでなかったが、フレミングの歌唱ぶりに満足した。十分の一の料金で映画によりオペラを鑑賞できるとは便利な世になったものだ。
第2幕はじめの、フレミングが唄う「ヴィリアの歌」のアリアの美しさは、凄いと感じた。演技も流石である。約20年前のパリでの若さは無いが、堂々とした貫禄がついている。経年を想った。

演出・振付のスーザン・ストローマン(トニー賞受賞)による見応え充分なカンカン踊りの豪華なこと、オペラファンならずとも、楽しい映画であって楽しんだ。

数年前、この人の自叙伝「プリマドンナが出来るまで」を読み、波瀾万丈の人生に驚いた。そして率直で飾らぬ性格さに好感を抱いた
オーデイションやコンクールに落とされ続け、30歳でギャラが貰えるようになったという。その間の苦難時代の努力に唖然とした。声の出し方の工夫など詳しく書いているが、こんな自伝は珍しいだろう。
私は自分の魂に聴き入りながら、あまりにも安易に過ごして来た自分を責めた。メトロポリタンオペラの声優でなく、人としてのR・フレミングを好きになったのであった。


ベルリンドイツオペラ「ローエングリン」(ティーレマン)

東京文化会館     1993.10.4

作曲:リヒャルト・ワーグナー

指揮:クリスチアン・ティーレマン

演奏:ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
合唱:ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団

演出:ゲッツ・フレードリッヒ

配役:国王ハインリヒ/マンフレート・シェンク
ローエングリン/P・フライ
エルザ/カラン・アームストロング
 テルラムント伯爵/オスカー・ヒレブラント      
オルトルート/ギネス・ジョーンズ

ワーグナーは、1840年代に<さまよえるオランダ人>、<タンホイザー>、<ローエングリン>の3作品を作曲した。「ロマン的オペラ」と言われる。芸術家が社会的に孤立という共通した主題で結ばれている。

白鳥にひかれて登場する騎士ローエングリンは、エルザに「何処から来たかも、名前も素性も尋ねてはいけない」との約束で結婚する。しかし謀略のなかで、エルザは禁句を問いかける。騎士は秘密を明かし、ただ淡々と去ってゆく。エルザは憔悴し死に絶える。騎士は聖杯の騎士パルジハルの息子であったのだ。愛するエルザとローエングリンの悲劇の結末を私は考えてみた。

聖と俗の二つの世界を聴衆は理解する。ワーグナーは3000におよぶ書簡で彼の構想を述べていて、彼の音楽と文学、哲学を知ることが出来る。彼は想像に絶する思索を繰り返す。勿論、彼の実生活での3度におよぶ妻・愛人・コジマとの不倫と結婚が影を落としている。

ワーグナーを初めて聴いたのは、フルトヴェングラーの(トリスタンとイゾルデ)の録音だった。とりわけ第3楽章(愛と死)は良く聴いた。音楽による哲学のようなものを感じた。私は、1987年、ベルリン・ドイツ・オペラで「ニーベルングの指輪」を4夜にわたり聴いた。音楽も体力との勝負だと思った。ただワーグナー独特の旋律の美しさが体に浸みた。
モーリス・ベジャールによる「ワーグナーの魅力」から引用すると、「人間としてのワーグナーにもっとも惹かれるのは感動と構築性の両面を併せ持っていることです。彼は指輪を完成させるのに20年の歳月を費やしました。独特の複雑な構造と同時に絶えず生き生きとした感動が存在しています。」となる。

私は、ローエングリンでワーグナーは、現代生活に深く根ざしていている愛と嫉妬、不信に宗教的な帰結をしたと思う。シェンクからギネス・ジョーンズまで名手5人をそろえた名演を日本で堪能した。ただ未だ何かがこのオペラには存在しているように感じた。


連日の「こうもり」(C・クライバー、GUNTER・EUHOLD)

Ⅰ.1987年1月1日・・・ウィーン国立歌劇場

Ⅱ.1987年1月2日・・・バイエルン国立オペラ劇場

作曲:ヨハンシュトラゥス2世

『こうもり』は1874年ウィーンで初演された全3幕のオペレッタであり、数あるオペレッタのなかでも「オペレッタの王様」とよばれる。
優雅で軽快なウィーンワルツの旋律が全編を彩り、そのメロディは全世界から愛されている。その物語が大晦日の出来事を題材にしているため、ウィーンをはじめドイツ語圏のづでは大晦日恒例の出し物となっている。
年始のウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートともに恒例行事なのである。チケットは、知人に手配して貰ったが、とくにC.クライバーのこうもりは、現地の人々も入手困難であった。ちなみにこの年のニューイヤー・コンサートは、カラヤンが指揮者で、現地到着後に勧められたのは一人14万円とのこと、とても届かず断った。

2日つづけておなじ演題を聴くことは勿論空前絶後のことである。ウィーンで元日をおくり、翌朝飛行機でミュンヘンに飛んだ。「こうもり」の筋書きは、仮面舞装会で仕組まれた夫婦の浮気に起こる喜劇である。
仮装のとは気付かず、妻を口説くアイゼンシュタイン。仮装を夫人に見破られ時計をまきあげられる仕草など、まことに抱腹爆笑もので楽しい。

Ⅰ.1987.1.1 ウィーン国立歌劇場

指揮者:GUNTER・EUHOLD

配役:
ロザリンデ:NORMA・SHARP
アイゼンシュタイン:ベント・ヴ ァイクル
アルフレート:トーマス・MOSER
アデ―レ:フランク・カセマン
フランク:ウオ―タ・ベリー
ファルケ博士:ジョウジ・TICHY
オルロフスキー:HELGA・DERNESCH

2.1987.1.2 バイエルン国立オペラ劇場

指揮者:カルロス・クライバー

配役:
ロザリンデ:ジャネット・ペリー
アイゼンシュタイン:EBERHARD・WAECHTER
アルフレート:ジョセフ・HOPWIESER
オルロフスキー:ファスベンダー

2日のクライバーは、さすがに流暢なウインナー・ワルツを聴かせた。総じてバイエルンはウィーンより堅固な底力を感じる。特にクライバーの「こうもり」は行く末永く歴史に残ってゆくだろう。
後日、クライバーがウィーン・フィルで振ることを断わり、「こうもり」はバイエルンに限ると言ったということを知った。
もっとも刑務所長の役がウィーンの方が面白くて爆笑をさそう演技だったので楽しめた。
終了後、オペラ座の前のレストランで。ビールとソーセージで夕食をとる。そのソーセージの味の辛いこと!ビールを浴びなければ舌の痺れが治らない。ついでに今年の多幸を念じて多めの乾杯!
12時40分にホテルの部屋にたどり着き連日の「こうもり」を終えた。楽しい正月であった。





第4部      交響曲を聴く


ウィーン交響楽団・年末の第9(PETER SCHNEIDER)

1986.12.31  ウィーン・コンチェルト・ハウス

演題:ベートーヴェン:交響曲第9番OP125

入手困難なチケットをシュミット夫人の手配により、年末の恒例9番にたどり着いた。

指揮者:PETER SCHNEIDER     演奏:ウィーン交響楽団

配役
ANA PUSAR
バス:RUGGERO RAIMONDI

日本では恒例の9番だ。「歓喜の歌」で今年を終わろう。
指揮者のシュナイダーは、85~87年バイエルン国立歌劇の音楽監督を務めていた。ソリスト4名は当時のベストメンバーといえる。ジェームス・キングは高音域で張りと伸びのあえる声で名高く、歌唱力を伺わせた。ソプラノのANA.PUSARは、透明感のある声量で貫禄があった。

ベートーヴェンは54歳、真の歓喜をうるため自分自身を叱咤し立ち上がった。この曲は終結部のシラーの頒歌[歓喜に寄す」にむけ第3楽章まですすみ、「オオ!フロイデ!」とバリトンのソロが始リ魂を引き裂く。そしてベートーヴェンは昇華される・・・

参考のため、シラーの「歓喜に寄す」の一部を記す。

<おお友よ!この調べではなく、さらに心地よい、さらに歓びに満ちた調べを、ともに唱おう。全てこの世にある者ら、自然の胸から歓びを飲み、すべての善人も、すべての悪人も、歓びの薔薇の小道をゆく。
そして最後合唱は、ひれ伏して祈るか?億万の人々よ、創造主を心に感じるか?世界の民よ。星空の彼方に、主をさがし求めよう!星達の上に、主はすみたもうのだ!>で終わる。

だが私は,「歓喜に寄す」が、運命への抵抗と激しい悲しみの叫びに聴こえる。彼は快癒への最後の望みも断たれ、自ら命を断とうとする危険の淵に立たされていた。ただ不屈の道徳心のみが彼を支えていた。

彼の「ハイリゲンシュタットの遺言」から引用しよう。
「私を支えてきた最も高い勇気も今では消え失せた。おお、神のみこころよ。たった一日を。真の歓喜のたった一日を私に見せて下さい.真のよろこびのあの深い響きが私から遠ざかってからすでに久しい。おお我が神よ、いつ私は再び悦びに出会えるのでしょう?・・・その日は永久に来ないのですか?…否、それはあまりにも残酷です!」
また、遺言には、「このままではとうていやりきれない。-運命の喉元をしめつけてやる。
断じて全面的には参ってやらない。おお、人生を千倍にも生きられたらどんなにいいか!」と書いている。あと700年生きたい人もいたが、べートーヴェンは、なんと1000年だ!
交響樂第9番は、ベートーヴェンの最後の魂の叫び声に聴こえる・・・
終了後、STADTKRUG(レストラン&バー) で年越し。ジプシー3名の音楽演奏は何やらもっぱら我々の方に向けている。チップの額に頭を使った。来年は、いい年でありますよう!乾杯!


シュトゥットガルト管弦楽団(ディータ―・ハウシルト)

サントリーホール  1988.12.6

指揮:ウオルフ=ディータ―・ハウシルト

奏者:シュトゥットガルト・フィルハーモニー管弦楽団

シュトゥットガルト・フィルハーモニ-合唱団

独唱:ソプラノ:ロジーナ・バッハー/アルト:カタリーナ・アッカーマン/テノール:フォルカー・ホルン/バス:ヴァルデマール・ヴィルト

演題:
ベートーヴェン:カンタータ「静かな海と楽しい航海」
交響曲第9番OP.125「合唱付き」

第9交響曲を年末行事としているのは日本だけだ。第9の構想は55歳の最晩年であり、残された時間はあと8カ月たらずだった。彼のハイリゲンシュタットの遺言で解るように、痛ましく苦悩に満ちていたが、その生活の中に散りばめられた幸福な瞬間の美しく無垢なこと!
「苦悩をつきぬけた人間だけが真の喜びを得る」という交響樂は、音楽の領域を超えて私に迫ってくる。


ウィーン・フィルハーモニイ管弦楽団(ショルティ)

神奈川県民ホール  1994.10.4

指揮者:ショルティ

ピアノ:ライーナー・ロイシュニッヒ

演題:
ストラヴィンスキー:バレエ「ぺトルーシュカ」
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調「悲愴」OP。74

ウィーン・フィルハーモニーは、ベルリン・フィフィルとともに世界第一の交響楽団である。1842年以来、指揮者には歴代のクラシック音楽の名将達が名を連ねる。マーラー、フルトヴェングラー、トスカニー、クレンペラー、ベーム、カラヤン、クライバー、マゼール、アバト、ムーティ、小澤征爾、シノポリー、ラトル、ショルティは7回目の、ウィーン・フィルは12回目の来日という。

私は、1956年の初来日を聴いている。まだ学生であったが、たしか有楽町の東京宝塚劇場?あたりで聴いたと覚えている。最後に(アンコール?)アイネクライネを聴いたが、弦の美しかったことを覚えている。ウィーン・フィルは1956年ヒンデミット指揮での初来日以来、カラヤン、ベーム、マゼール、ムーティで、ドホナニ―、アバト指揮でその艶やかな弦の響きを聴かせた。今日は待望の日だ。

ショルティは1912年生まれ、C。クライバーの父:エーリッヒ・クライバーの演奏に感激し、指揮者を目指したという。ナチを恐れたユダヤ人の彼は、スイスに亡命、家族とも生き別れとなった。こんどのウィーン・フィルとの来日は1969年以来で25年ぶりである。

ストラヴィンスキーの「ぺトルーシュカ」は、「火の鳥」「春の祭典」とともに彼の三大バレエ音楽の代表作である。物語は謝肉祭委の市場の見世物小屋で人形遣いが3体の人形,ペトルーシェカ、踊り子、ムーア人に命を吹きもこむ。ペトルーシェカは踊り子に恋をするが踊り子はム―ア人が好きだ。嫉妬に狂うペトルーシェカはムーア人に殺され、亡霊となって去る、

チャイコフスキーの「悲愴」は死の年に作曲した。彼は「筆を進めながら幾度ともなく泣いた」と述べているが、絶望的な悲愴感を曲全部に漂わせている。学生時代には特によく聴いたものだ。82歳のショルティは、悲劇の嘆きの第4楽章を、オーケストラの限界とも思われる音楽で締めくくった。

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団(プレヴィン)

1911。3.8      サントリーホール

演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

指揮:アンドレ・プレヴィン

ヴィオリン:シュロモ・ミンツ

演題:
モーツァルト:交響曲第38番「プラハ」
モーツァルト:ヴィオリン第5番「トルコ風」
モーツァルト:交響曲第39番

本場のザルツブルグ音楽祭は夏の風物詩である。それを東京のサントリーホールに移行した形で3月に18公演行われた。時あたかもモーツァルト没後200年のモーツァルト・イヤーである。モーツァルトファンにとってこれほど嬉しい企画は無い。妻とザルツブルグを訪ねたのは1986年で5年前だ。
ザルツァハ川の流れに、街の三方を囲む山は、山上の古城から美しい姿をみせる。モーツァルトが歩いた石畳の道を歩むと、魔笛のパパパが聞こえる。交響曲38番39番は、私が最もよく聞くシンフォニーでもある。


ウィーン・フィルハーモニー交響楽団(ドウダメル)

2014.9.24   サントリーホール

 指揮:グスターボ・ドウダメル 

演題:
モーツァルト:協奏交響曲変ホ長調K。364
ソリスト:ヴィオリン;ライナー・キュウッヒル
ヴィオラ;ハインリヒ
ルネ・シュタール:タイム・リサイクリング
ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調 B163
アンコール曲: ヨゼフ・シュトラウスの「憂いもなく」

クラシック音楽界の別格王者のウィーン・フィルハーモニーを聴くという数少ない機会なので興奮した感情のたかぶり感じながら、陶酔して聴いた。チケットを購入した半年前から恋人を待つ気持であった日が遂にやって来たのである。
私のウィーン・フィルハーモニーとの初出会いは、学生時代(1956年)のウィーン・フィルハーモニー初来日の演奏だ。有楽町の東京宝塚劇場(旧)であったと記憶しているが、資料は紛失し残っていない。
指揮者はヒンデミットで、最後の曲(アンコール?)にモーツァルトの<アイネクライネ>を演奏した。弦の美しさが今も鮮明に印象に残っている。しかし他の演題は紛失し記憶にも残っていない。

今回の指揮者ドウダメルは33歳だが、グラミー賞受賞者であ  り、「タイム」誌が「もっとも影響力のある人100人」(2009年)など受賞歴の多い指揮者である。彼の指揮棒を持たない左手の表現は、かなりユニークで魅力的だった。なお彼の指揮棒は日本製(ヤマハ)だそうだ。
クラシック音楽界の救世主とも評され欧米で著名なドウダメル。それは彼の謙虚な美しい次の言葉の中にも汲み取ることが出来るように思う。
<僕自身は、自分のなかに子供がいることを強く自覚していて、その大切さも認識しています。子供とは何かに初めて出会った時の驚きを忘れられない人。日の出を見て、新しい一日が始まる歓びが感じられる人。自分が巨大な宇宙の一部であることを日々新たに感じ、自分の存在がsomethingであって、同時にnothingであることを分かっていれば、いつも幸せで楽観的でいられます。好きなことに一心に取り組むことが出来ます。シンプルだけど大切で、シンプルな中に深い真実が隠されていることが多いのです。>(考える人:2014秋号より引用)

彼のこの言葉は、今日の彼のエネルーギに満ちて、そして幸せそうに見える指揮をみて、充分に納得できるように思った。

偶々皇太子の来場があり、拍手が止んだところでドウダメルの指揮棒が下ろされ荘重な和音が聴かれた。
私は瞬間息を呑んだ。なんと丸い、そしてぬくもりのある音か!乳児が母の胸の中で安らぐ優しさと、体温がある。これぞ「一音一会」だ。私は今日この音を求めて来場したのだ。更に弱音でそっとふれるような弦楽器の和音がつづく・・・。

1.さて、今日の演奏で最も楽しみにしていたのは、モーツァルトのK364「協奏交響曲」だ。拙著の「忘れていたレコード」(  頁)で特記した曲である。LP盤で聴くこの曲は、<人間が生んだ作品とは思えないような旋律に満たされ美しい>と私は書いている。思わず身を乗り出して聴き入るような魅力的な曲だ。
モーツァルト研究の大家アンリ・ゲオンは、<この曲以上に広大で魅力的な曲は決して見当たらない>と絶賛している。長い人生には偶然が存在するものだ。15回目の来日公演が、昔LONDONで購入していたLP盤の実演奏鑑賞となったのだ。神様が私の為に与えてくれたのかもしれない。
モーツァルトの「協奏交響楽」のヴィオリンとヴィオラのアンサンブルの優しさと美しさがホールに漂い、天空から降りて来る小鳥たちの囁きのようだ。ウィーンフィルの音楽演奏の素晴らしさに酔った。期待していた以上に美しい。

2.シュタール:タイム・リサイクリングは、ウィーンフィルの
第2ヴィオリン奏者のルネ・シュタールの作品で本年の5月ウィーンの楽友協会で初演された。勿論本邦初公開である。
<時の流れは循環(リサイクル)し、再び戻り新たなるものの出発点を迎える>との意図らしい。

3.ドヴォルザークの「第8番交響曲」は、ブラームスの影響が強い曲だが、ボヘミアののどかで明るい田園的印象が強く表現され、歌謡性を備えた民族性に溢れる、私の大好きな一曲 だ。
第一楽章のティンパニの連打、フルートの主題、第二楽章のヴィオリンのソロの美しさ、最終楽章のトランペット、ティンパニのソロ、ホルンのトリル、管楽の響きがすごい。聴き慣れた旋律がつづく。そして驚くのはコントラバス奏者たちの農夫の踊りと歓びだ。楽器片手に大声をあげステップをする。こんな曲は珍しい。

私は全霊を傾けて聴いていた。アンコール曲の「憂いもなく」を聴いた時、疲れを感じた。R・シュトラゥスで疲れることは無い筈なのに。ふと私の体力では、これが最後のウィーンフィルかな?と考えた。
「貴方にとって死とは何か?」と問われ、「それはモーツァルトが聴けなくなることだ」と答えた人もあったナーと思い出しながら。所詮人生の出会いは「一期一会」だと自分に言い聞かせた。



ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(カラヤン)

1884.10.22  普門館 

指揮者:カラヤン

演題:
ベートーヴェン:交響曲第6番  田園 OP.68
べ―トーヴェン:交響曲第5番  運命 OP.67

1978年に指揮者台から転落し、歩行が困難な舞台だった。最後になった日本公演を感慨無量で味わった。指揮者台の手摺りに寄り掛かって指揮棒のみがかすかに動いた。
カラヤンについては、毀誉褒貶があろう。だが功績偉大である歴史的地位は揺るぎない。カラヤンは、フルトヴェングラーの後任としてベルリン・フィルの常任指揮者となったのは1955年,翌56年には終身芸術監督となり、ベルリンの王座に就いた。1954年単身来日しNHK交響楽団を指揮した。その時の演奏は伝統的な客観性のある指揮であったと言う。

以後カラヤンは、あらゆる名誉を独占し帝王として君臨したのである。彼は純粋な音楽家と企業者の素養に満ちていて、音楽家達の財政にも寄与した。
レパートリーの広さも格段で、音のふくよかな広がり,浮揚、こまかいヴィブラート、雄弁な弱音効果などで、聴く者を魅了したのである。個人的には彼の指揮の大衆迎合的な点がきらいで、あまり聴かない。
ただ例外的には、「ドン・ジョバンニ」、「カラヤン、新ヴィーン楽派管弦楽曲集」(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団)がかけがいのない名演だと思う。曲目の「田園」「運命」については省略する。


巨匠アバトの死を悼む

2014.1.20 アバトが死去した。80歳である。

近年、巨匠指揮者の死去が続いている。カルロス・クライバー、バーンスタイン、サヴァリッシュ等・・・寂しい。

私のアバト遍歴(演奏会)
Ⅰ.1989.10月文化会館でオペラ「ランスへの旅」の指揮がアバトとの初めての出会いであった。

Ⅱ.1991.3月サントリーホールでヨーロッパ室内管弦楽団を率いた来日公演
ベートーヴェンのピアノ協奏曲4番(ピアノ;マリー・ペライァー)
シューベルトの交響曲第2番
シューべルトの交響曲第5番を聴いた。

Ⅲ.1992.1月サントリーホールでベルリンフィル管弦楽団演奏の指揮を聴いた。
ベートヴェンピアノ協奏曲第1番(ピアノ;ブレンデル)
ブラームス交響曲第3番

Ⅳ.1996.10月サントリーホール10周年記念演奏会で
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による
マーラー:交響曲第2番・・復活
四度の指揮を聴いたこととなる。四度とも来日公演である。

Ⅴ.録画による愛聴(NHKのTVよりCD録画)

Ⅰ.昨年8月、TVでルッツエルン音楽祭でのシューベルト「未完成」を聴いた。
彼の体調が悪いことに驚いた。頬骨が落ち込み窶れ果てていたのである。
しかし音楽は、人生を被せた深い影に、ゆっくりと最後の光が射してゆくような諦念の表現(吉田純子氏の評)があった。そして、痩せ衰えた容貌のその記憶がまだ消えぬまま、今日の訃報をきいた。
Ⅱ。2011.5.18ベルリンフィルホールでのマーラー:交響曲「大地の歌」の録画:最終章を、<アンネ・フォン・オッターとカウフマンが歌った。(詳細;後記)
Ⅲ.2010.8.20ルッエルン・音楽祭でのマーラー交響曲第9番、ルッエルン祝祭オーケストラの指揮を聴いた。
Ⅳ.2012.5  ルッエルン音楽祭で
モーツァルト:交響曲K385<ハフナー>聴いた。

アバトはイタリアのローカルな指揮者であったが、カラヤンに見出され、ポストカラヤンの地位を確立した。過去のイタリアの音楽指揮者はすべてオペラ指揮者であった。しかし彼の透明な清楚さと自然さが,悠悠たる風格をたたえて、ファンに愛され、揺るぎない地位を築いた。
彼の音楽は、正確なテンポの中で、情緒的な歌の部分ではやや遅くテンポを落とす。
得意な作曲家は、ベートーヴェン、チャイコスキー、マーラー、モーツァルト・ブラームスだろう。報道によれば、10数年前から、胃癌と戦っていたという。訃報はいつ起こるか誰にも分からない。私はクライバー、サヴァリッシュ,アンセルメ、バーンスタインの日本最後の演奏を聴くことを経験したこととなったがいずれも最後の予感はなく聴いた。
歳を重ねた所為か、喜ぶべきか、悲しむ別として、良い音楽演奏指揮者が未来永劫に続きさえすればよいと思う。しかしアバトの訃報は悲しい。

彼の印象に残る名演奏の一つに、マーラーの「大地の歌」を挙げたい。
名盤にキャサリン・フェリァの唄うワルター指揮盤があるが、アバトのベルリンフィルを振った「大地の歌」も深い感動を呼ぶ。特に最終章の6.<別れ>は素晴らしい。メゾ・ソプラノのアンネ・ソフィ・フォン・オッターも好演した。

<別れ>を記して、アバト追悼としたい。

最後の別れを告げるために
友よ 君の傍らで この夜の美しさを味わいたい
君はどこにいる?私をずっと一人にして!
私は琴を持ち彷徨う
柔らかな草で膨らんだ道を
美よ!永遠の愛と生に 酔いしれた世界よ
彼に別れの盃を差し出す
そして問う どこへ行くのか なぜ行かねばならぬかと
彼は語る くぐもった声で 
友よ この世で幸運は私には微笑まなかった
どこへ行くのかと?
私は山を彷徨(さまよ)い歩く
孤独な心に安らぎを求めて
私は故郷を 居場所を探す
決して遠くまでさすらうのではない
心は安らぎ その時を待ちわびている
愛しき大地は 春になれば
大地は安らぎ 花が咲き 新緑になる
どこまでも 永遠(とわ)に 永遠に
彼方は 明るく 青くなる
永遠に!永遠に!永遠に!永遠に!永遠に!

指揮者宇野さんは、「大地の歌」最終章を聴いて涙しないものは人間ではないと断言した。同感である。そしてアバトは諦念の表現で見事にこの音楽を演出した。
なお、雑誌「レコード芸術」3月号でアバト緊急特集を編集した。世界中のファンから愛されたアバトであったことを、改めて感じた。日本での演奏回数は13回という。日本にもファンが多い。どうか永遠に安らかにご休息ください。


クリユイタンスの芸術とフランス音楽

ドイツ系の音楽を聴きつづけ、疲れた時は、フランス音楽で疲れを癒すのが一番いい。
まずドビッシーやラヴェルの曲がいい。

そして好きな指揮者はクリユイタンスである。
パリ音楽院管弦樂団の12代常任指揮者としてシャルル・ミンシュの後任指揮者として名実ともにフランス最高の指揮者であった。

彼のラヴェル管弦樂曲全集は私の最高の財宝である。
クリュイタンスの指揮は端正・明快なテンポの的確さで、美しい魅力が溢れた音楽となって流れる。
意外なほど暖かく、凛とした資質を秘めた人間味あふれる音楽となる。洗練されたフランス的感覚を彼ほど味わいさせる指揮者はいない。62歳でかけがいのない生涯を終えた。
フォーレ「レクイエム」
彼の指揮する宗教曲フォーレの「レクイエム」もロス・アンヘレスとディスカウの美声と一体化して私の最も好きなレクイエムである。リヒターのレクイエムもいいが私はクリュイタンスのほうが好きだ。この「レクイエム」には<生きることは、祈ることだ>という何かで読んだ敬虔な声が聴こえる。
演奏者:パリ音楽学院管弦楽団
エリザベート・ブラッスール合唱団
フィッシャー・ディースカウ
ロス・アンヘレス


ドレスデン国立歌劇場管弦楽団(ジュゼッペ・シノーポリ)

1998.1.26    サントリーホール

指揮:ジュゼッペ・シノーポリ

演題:
ウェーバー/歌劇「オペロン」序曲
シューマン/チェロ協奏曲イ短調OP。129
チェロ奏者:ハンナ・チャン
R.シュトラウス/交響詩「ツアラトゥストラはかく語りき」

親友のご好意により、招待コンサートを聴く事が出来た。この楽団は中部ドイツのザクセンのあるこの音楽都市に1548年宮廷楽団として創立され今年は450周年という。桁外れの年月だ。
この間指導に当たった指揮者たちは、ウェーバー、ワーグナー、ベーム、ケンペ、スウィトナー、プロムシュテット、デーヴィス等を経て、今はシノーポリーである。そしてオペラ音楽でR.シュトラウスが60年にわたり歌劇演奏を指導したので、<シュトラウスのオーケストラ>と称された。今回は1995年以来の来日である。(演題については3曲とも別稿で書いたので参照ください。)


ウィーン祝祭交響楽団(ジョウジ・ESCU)

1961.10.22 ウィーンコンチェルトハウス

指揮者:ジョウジ・ESCU

演奏者:ウィーン祝祭交響楽団

演題:
ESCU 交響曲第九番
メンデルスゾーン バイオリン協奏曲OP64
ブラームス 交響曲第3番 ハ長調OP68

偶々当日コンチェルトハウスに行き最後方の立見席で聴いた。プログラムを4シリングで買った。立見席は1階の舞台に向かって正面であるが、入口扉の前で音響が最も良くない場所であるが、貧しい学生や人のために安い料金で音楽が聴ける。私は当日窓口に行ったので、学生と間違えたのかもしれない。
立ち見で背丈の低い私は、舞台が見えず苦労したが疲れは無かった。2時間たち続けて聴き人生で一度の経験となった。若き日の想い出である。
余談だが、以前ゲーテ館で子供は無料だといい、入場料を取ろうとしない。私が社会人だと言ったが私のドイツ語が通じなくて、<お前は子供だから>といい、受け取らなかった。係りはかなりの高齢者だった。

バンべルグSQ(オイゲン・ヨッフム)

モーツァルト:36番「リンツ」、33番

ゲオン著の「モーツァルトとの散歩」を読んでいたら、モーツァルトの3大交響樂曲39番、40番、41番のうち、39番、41番に代えて33番と34番を推薦している一節があった。
そこで34番をヨッフム指揮のバンベルグSQ.で聴き直してみた。私はもともとヨッフムとバンベルグSQ.の組み合わせが好きだ。バンベルグのいぶし銀の音色、ヨッフムの風格豊かな悠々とした音楽には、独特の味がある。
ヨッフムは、フルトヴェングラーの指揮を継承したとされるがこの演奏はその事を裏打ちしている。
33番は、洗練された旋律(ゲオン)を、36番は「リンツ」の軽快さを演奏し安定感にあふれた盤だ。ヨッフムはバンベルグとモーツァルトの交響楽を35番(ハフナー)以降を全部収録しているが、細かい表現や、高い格調の演奏に、私は年齢とともに親しみを増加している。


ドヴォルザークの「ピアノ協奏曲OP33](C・クライバー)

演題:
ピアノ協奏曲 OP.33 B.63  1977年(ミュンヘンで録音)

作曲:ドヴォルザーク

指揮:カルロス・クライバー

ピアノ:スヴャトスラフ・リヒテル

交響楽団:バイエルン交響楽団(Bavarian State Orchestra)

35年前、ロンドンで英国盤を購入した。LPで、日本語の解説はない。
この曲は、ドヴォルザークの作品の内でも最も演奏されない曲とされる。その為か自分も聴かず、忘れられたレコードの一つであった。真新しいジャケットのままであった。ドヴォルザークで唯一のピアノ協奏曲である。
日本ではチャイコスキーとドヴォルザークは、最も演奏回数が多いそうだ。日本人に、北の国のこの二人の作曲家が好かれるのは、北帰趣味があり、悲しみや情緒の表現に使われることが多い為という説がある。なるほど南国へ帰るという表現は見たことがない。

指揮者のクライバーは、稀代の名指揮者であるが、手勢のバイエルンを引き連れての選曲は、この曲に対する肯定的な意向が知れる。
クライバーは自己主張の激しい指揮者だ。嗜好にあわない曲は絶対振らない。
この曲を選曲した趣旨を知りたいものだ。

リヒテルがドヴォルザークを弾くのも、めずらしい。ユーリー・ボリゾゾフ著「リヒテルは語る」(宮沢淳一訳)では、あらゆる作曲家についてリヒテルが言及しているので調べてみたがドヴォルザークについての記述はない。やはりクライバー主導での演奏であろうと推測する。
さて、見事な演奏だ。詩情豊かな曲だ。暖かい。そして何よりもクライバーの指揮が見事に表現されている。細部にわたり繊細な配慮が行き渡っていて、心地よく聴けるのである。一切の目的意識から解放された音に聞こえる。思いがけない天空の新星を、新しく見つけたような気分になった。私は世評を基準に音楽を聴いているのではない。自分が感動できる音楽が、私の音楽なのだ。


メンデルスゾーン「エリア」(サヴァリッシュ

サントリーホール     2001.10。12

出演: エリア;ヤン・ヘンドリック
寡婦、天使;ルート・ツイーザク
王妃、天使;マリアーナ・リボヴシェク

東京芸術大学音楽学部合唱
管弦楽;NHK交響楽団

N饗創立75周年記念演奏会であった。サヴァリッツシュは日本ではN響以外には振らないという惚れこみようであり、N響奏者側でも<指揮台から、投網を投げつけられたようだ>と、心酔の声があった。

エリアの生涯は、旧約聖書の時代だ。イスラエルの神エホバに仕える徹底した預言者で、おりからの邪悪の時代に、神の意志を力強く代弁した。(旧約聖書の時代だ。無知なので少し勉強しようかナ)メンデルスゾーンは宗教音楽に熱心で、大衆にも受け入れられた。作品は2部、42曲からなる。美しい独唱曲の数々、色彩豊かなオーケストラの魅力もさることながら、合唱が充実していて神の栄光を賛美し愛や慰めを抒情的に唄う。どの曲も力強く精彩にあふれ、オラトリオの中軸となっている。

加えて、サヴァリッシュの指揮棒は見事に振られて、宗教曲の集大成を聴く思いだった。1998年最愛の妻に先立たれた彼は死後の最初のコンサート、フィラデルフィアでのリハーサル中、ブルックナーの第2楽章の「葬送行進曲」にさしかかったとき、あまりの悲しさに身体を崩して立ち上がれなかったという。
生真面目な人間性と、ウィーン国立歌劇場に招聘したカラヤンに断りを入れ、ベルリン・フィルとは生涯指揮できなかった一徹さをもつドイツ人であった。
私は彼の指先から糸を引くように流れ出る美しい音楽に言い知れない魅力を感じていた。が2013年生地バイエルンで帰らぬ人となった。もう二度と彼の指揮棒の動きを見ることが出来ないと思うと哀しい。

オットマール・スウィトナーのディスコ

「私のクラシック音楽の旅」(頁5)の中で、学生時代にN蠁の定期演奏会でスウィトナーの指揮に聴き惚れたと記したが、あとで調べたらスウィトナーのN蠁指揮は、1971年からの数年間のことと解った。
青年時代の思い出としては10年ほどずれた記憶であった。それにしても、スウィトナー以前の指揮者名が思い出せない。おそらく、私は不器用なまでに誠実な彼の音楽に聴き入り感銘を受け、その他の指揮者を忘れたのだろうと思う。

彼は1922年インスブルグに生まれ、モーツァルテウム音楽院で学んだピアニストだった。
指揮者としての彼は、古典的造詣と的確・軽快にして優雅なリズムが、瑞々しい魅力を奏でる。勿論モーツァルトが中心である。
彼のモーツァルトの名演奏は、シュタ―ツカぺレ・ドレスデンを指揮したものだが、曲は「28番、41番」、「28番、33番」「35番、36番、38番」「歌劇:魔笛」「32番、33番、34番」「29番、アイネクライネ,ノット―ルナ」「39番、40番」が夫々LP盤で手元にある。
又N蠁を指揮した「36番、38番」(DENONLP録音)もいい。私の青春時代の思い出と重なり合って、彼のディスコと音楽は私の宝物である。

パリ管弦楽団(バレンボイム

神奈川県民ホール 1987.4.7

演題:
ドビッシー:海
アルベニス:イベリア(セビリアの聖体とトリアーナ)より
ストラヴィンスキー:春の祭典
                 
バレンボイムは、ブエノスアイレスで生まれ、イスラエ方ルに移住した。ザルツブルグでマルケヴィッチに指揮法を学んだ。1954年彼の演奏を聴いたフルトヴェングラーは「ダニエルは驚くべき天才だ」と絶賛したといわれる。13歳の少年時代の話だ。1975年にパリ管の音楽指揮者に就任し、89年までその成果をあげた。
パリ管を指揮しながらのバレンボイムは、精悍な顔つきで、多彩に変化する3曲を振った。愛妻チェリスト:デュプレの病状がよくない時であった。

「ドヴッシーの海」は、ドイツ的なものに反発を抱いていたフランス人としての挑戦として、音色や響きに光を当て、新しいフランス音楽を形成させた曲となった。

「アルベニス」では、スペインの民族音楽の特徴と魅力を備えた独創的な曲を聴くことができる。

「春の祭典」は、エキゾチックな躍動感と、革命的な技法で20世紀への道を敷いた。
バレンボイムは述べている・・・指揮することだけに専念すると演奏そのものの物理的な問題との接触をあっさり無くすることがある。指揮者は音に対する物理的な敏感さを持たなければならない。これがないと鋭く聴きとり判別することができないではないか。それぞれの音に対する様式は、互いに他を補っている。私にとってはそれらは二つに分けられるものではなく、(ピアノと指揮は)いわゆるメダルの両面のようなものである、と。
演奏後出口にいたら、バレンボイムが車に乗る為に出てきた。妻がサインをねだり、プログラムの裏表紙にサインを貰った。


アムステルダム・コンセルトヘボウ(アシュケナージ)

藤沢市民会館 1986.9.23

指揮者:アシュケナージ
ピアノ:アシュケナージ

演題
ラヴェル:道化師の朝の歌
モーツアルト:ピアノ協奏曲17番K.453
ドヴォルザーク:交響曲第8番作品88

アシュケナージは1962年チャイコフスキー・コンクールで優勝以来、ピアニストとして活躍してきたが、最近では(1974年以来)指揮者での活動が目立つ。当日も指揮をしながらの演奏であった。かりやすくそして良く唄い、聴き手を楽しませる音楽をする。(別稿;アシュケナージを追って参照)
アムステルダム・コンセルトヘボウは1888年初演を行っていらい、大指揮者メンゲルベルグ、オイゲン・ヨッフムが育て、最後はハイテインクにより不動の位置を築いた。

「ラヴェルの朝の歌」は、精密な色彩感にあふれた曲だ。R。シュトラウスの<オイレンシュピーゲルのゆかいな仲間達>が好きで、道化師狂言回しのような一節が含まれる。
モーツァルトのピアノ協奏曲はウィーンにうっつてからのピアノ曲の全盛期の作曲であり、流れるような美しい曲だ。

ドヴォルザークの第8番交響曲は、ボヘミアの美しい田園風景を想像させる旋律が、美しく流れていて「新世界」に匹敵する名曲だと思う。アシュケナージの指揮も冴えた。


忘れられていたレコード(ズ―ビン・メータ)

12月となった。LPレコードを整理していたら1987年ロンドンHMV立ち寄り8.69英ドルで購入した真新しい盤が出て来た。

演題
モーツァルト:バイオリンとビオラのための合奏協奏曲
KV.364とKV.190

指揮:ズ―ビン・メータ

演奏:
イスラエルフィルハーモニー交響楽団
ヴィオリン:パールマン
ビオラ:ズッカーマン

因みに私のバイブル書である「アンリー・ゲオンのモーツァルトとの散歩」を読む。驚いた。
ゲオンは、この曲以上に広大で魅力的な曲は決して見当たらないと絶賛しているではないか!

早速針を落として聴く。見事な演奏に驚く。そして人間が生んだ作品とは思えないような旋律に酔いしれる。演奏会では聴いた事のない曲だし、初体験の陶酔が訪れた。メータの指揮には硬さが無く、パールマンの弦には艶がある。予期せざる宝を見つけた心境だ。


フィレンツェ5月音楽祭(アルツール・タマヨ)

フィレンチェ市民劇場  1997.6.12

指揮者:アルツール・タマヨ

演奏:5月音楽祭オーケストラ

演題:
ガルニェリ  Omaggio a Mina
フェデレ   ピアノ協奏曲(1993) 
マンゾーニ Moi, Antonin A
ベルグ    Tre Pezzi per orchestra op.6
 ピアノ Dimitri Vassilakis
 ソプラノ Alda Caiello Daniela Uccello

現代作曲家4名奇妙な音が連続した。初演もあり、作曲者が舞台で挨拶をした。音楽に対するイタリアの文化の幅について考えた。日本では成り立たない、企画出来ないナと思った。
タマヨは、マドリット生まれ、現代音楽の拡大に尽くしている。録音盤も多い




BBC交響楽団(アンドリュー・デイヴィス

藤沢市民会館      1990.5.12

指揮者:アンドリュー・デイヴィス

演題
マーラー:交響曲第3番ニ短調
アルト;アルフレ―ダ・ホジソン

合唱:
桐朋学園大学合唱団

全6楽章、演奏時間100分のこの曲は、ザルツブルグの近郊アッタ―湖畔で、美しい自然と向き合い作られた。しかしベートーヴェンの田園とは違い、自然に対する彼の思いは複雑でとりとめがない。なお、アルフレ―ダ・ホジソンは、世界中の指揮者と共演する名アルトである。

曲の構成は、
第1楽章(;牧神ガ目覚める。夏が進みくる)
第2楽章(野の花が私に語ること)
第3楽章(森の動物達が私に語ること)
第4楽章(夜が私に語ること))
第5楽章(朝の鐘が私に語ること)
第6楽章(愛が私に語ること)
曲は激しい起伏に導かれて、最後は力強く、輝かしくおわる。

この曲の評論家の評価は悪かった。マーラーは友人ブルの・ワルターに評論家を痛烈に罵倒する手紙を書いている。
又ハルムート・リュックは、<マーラーの第3交響曲はキリスト教的な救済の音楽として書かれてはいない。神を超える超越、地上的な実存を目標に未来志向の希望の音楽である>と述べる。
最終楽章の「愛が私に語ること」では、牧歌的ながら未来志向のマーラーの心の奥が見える。



チェコ・フィルハーモニー菅弦楽団(ノイマン)

サントリーホール    1988.11.3

指揮:ノイマン        ヴィオリン:堀正文

R.シュトラウス;交響詩「ドン・ファン」作品20
モーツァルト:ヴィオリン協奏曲第3番K.216
ドヴォルザーク:交響曲第8番ト長調作品88

チェコという響きは、私にはプラハ、ドヴォルザーク、スメタナ、ヤナーチェク、スークを想起させる。
又、同時に土の匂いがする。春の日の土の匂いである。そしてドヴォルザーク、スメタナ、ヤナーチェクの音楽がもつ土の匂い、いわゆる泥臭さは、私に心の安らぎをもたらしてくれる。私が田舎育ちだからであろうか。だから、スメタナ弦楽四重奏団の演奏が好きだ。
しかも「ボヘミア人は貧しいくせに、枕の下にヴィオリンをおいて生まれてくる」と言われた様に音樂的素養、弦楽器の演奏では、チェコ人は素晴らしい。そのチェコ人の特性の集合体が、チェコ・フィルだ。柔軟できめ細かく、つねに潤いをもち、力強さも不足しない。指揮者ノイマンは、チェコ・フィルの名と同化してスラブ民族を表現できる名指揮者だ。

「ドン・ファン」は、理想を追い求めながらも永遠に満たされることのない悲劇的人物で、常に悔恨の情を抱きながらも女性遍歴をつづけ、ついには絶望して自ら死を選ぶ。悲しい交響詩だ。
モーツアルトのヴィオリンは、19歳の時書かれ、彼の個性が滲み、美しい傑作である。N響の主席ヴィオリン堀は、技巧もすぐれ、知性豊かな演奏をする。

ドヴォルザーク第8番は、ボヘミアの郷土色が濃厚に表れ、心休まるいい曲だ。また奏者たちの作に対する思い入れの素晴らしいこと!ドヴォルザークを聴くには、やはりチェコ産に限る。
    

フェスティバルin Tokyo(ピエル・ブーレズ)

そのⅠ.東京文化会館1995.5.18

指揮:ピエル・ブーレズ

ピアノ演奏:マウリツィオ・ポリーニ

演題:
シェーンベルグ:
3っのピアノ曲
6っのピアノ小品
5っのピアノ曲
ヴェーベルン:ピアノのための変奏曲             
ブーレーズ:ピアノ・ソナタ第2番

ブーレーズは、指揮者である以上に作曲家である。彼は長年にわたり上りつめた指揮者活動を自分で打ち切り、作曲の道を選んだ。かなりの数の曲を残しているが、演奏される機会が少ないまゝ、彼も自分の曲を演奏指揮したことは少ないようだ。怒りっぽい彼は、評論家に反発して、現代音楽に対する論評を書いている。私も読んでみたが、ノーノ、ローゼンストック、ラヴェル、シェ―ンベルグ,ウエーベルン、ストラヴィンスキー、メシアンなどに対する独特の賛辞を送っている。
ブーレーズが、20世紀後半の世界の音楽芸術に大きな影響を与え新しい方向を示唆したのである。

12音技法で知られるシェーンベルグだが70作品中ピアノ曲は5曲である。そのうちの3曲だ。ポリーニは、高い知性と技法を駆使し現代音楽の拡大に尽くしている。

私は、1974年録音盤で、シェーンベルグのこの演奏会の3曲をポリーニが弾いた盤を所持しているが、彼は保守的革命家であって、彼の音楽は後期ロマン派の延長線にある様に思われる。音の響きから、ブラームスを想像することは容易であろう。

そのⅡ.サントリーホール1995.5.26

指揮:ピエール・プーレーズ

ロンドン交響楽団

ピアノ:マウリツィオ・ポリーニ

演題:
メシアン/クロノクロミ―
シェ―ンベルグ/ピアノ協奏曲作品42
ストラヴィンスキー/春の祭典
                                第1部 大地への讃仰
                                第2部生贄の踊り

メシアンについては、私は別稿「アッシジの聖フランチェスコ」で詳しく書いた。日本好きで各地を歩き鳥の声を採集して、日本の自然を愛した。彼の言代音楽も、自然との同化が主体だ。




「火刑台のジャンヌダルク」(オーマンデイ)

作曲:オネゲル

脚本:クローデル

指揮:オーマンディ

演奏:
フィラデルフィア管弦楽団
テムプル大学合唱団

配役:
ジャンヌダルク;ヴェラ・ゾリーナ
僧ドミニック;レイモンド・ジェローム

オネゲルは、この交響曲を「劇的オラトリオ」と呼び「オペラ」の認識は無かった。その認識の不明確さが、この音楽を逆に佳作にした。ジャンヌダルクはドミニクと会話するが、唄わない。そして音楽の進行役は、主にコーラスである。
この盤は1966年に発売されたものだが、私は1986年頃,中古レコード屋から購入したと記憶している。確か小澤征爾が松本でこの曲を指揮演奏したことを知り、更に小澤さんが、メシアンの「アッシジの聖フランチェスコ」を東京カテドラルで指揮し、大成功を収めたことに刺激され、この分野に興味をもった時だった。1983年小澤さんのパリのオペラ座で、ホセ・ファンダムとEAD・PIERREを主演とする「アッシジの聖フランチェスカ」を指揮したフランス盤CDを持っていて聴いていたので、期待してこの中古LP盤(二枚盤)を探し求めたものだった。

オーマンディ指揮は、地道な彼の音楽を余すことなく伝え、この盤を世紀の名盤とした。
フランスとイギリスの100年戦争中の史実を題材としたこの曲は、[神と人との対話]というキリスト教的主題であり、オネゲルの作品の真髄だ.史実を振り返ってみたい。

<1428年10月、フランスオルレアンの町は英軍に包囲され、オルレアン公シャルルはすでに英軍の捕虜となった。オルレアンが陥落すれば、フランス全土が英国人の蹂躙に委ねられることになることは明らかであった。「オルレアンを救え!」はフランスの解放を意味する合言葉として、フランス全土に湧き起こった。人々は神に念じ、ひたすら奇蹟を待った。
奇蹟の主は、寒村ドムレミイの貧しい羊飼いの娘、文字さえも知らないジャンヌだった。やさしい性格と篤い信仰の持ち主だったジャンヌは13歳の頃から神のお告げを聞くようになった。二度にわたる厳しい審問を経て、ジャヌは立ちあがった.神剣を右手に軍旗を左手に甲冑をつけ馬にまたがり先頭にたって怒涛のごとき勢いでオルレアンの囲みを解き、更に各地に転戦し、イギリス軍は各地で敗退した。

しかし1430年5月、不幸にも英軍に味方した手勢に捕えられ、イギリスに一万ルーブルで売られたのである。
天使ジャンヌダルクは異端裁判にかけられ、公正な尋問のかわりに罠にかけられた。
「火刑」牢獄で待つジャンヌへの断罪であった。文字を読めぬジャンヌは内容を理解出来ぬまま十字架の署名をさせられた。
火刑台へ曳かれる途中、「なぜ?なぜ?」とジャンヌは叫んだという。
ジャヌの悲劇は再びフランス国民の胸に火を灯した。「聖女の死を無にするな」新しいフランス解放の軍勢がフランス全土からイギリス軍を追い返すのにそう長い時間を要しなかった。100年戦争は終結したのである。

オネゲルは第二次世界大戦の最中に、果てしない殺戮を繰り返す人間に対する怒り、「神」に救いを求める心からの祈りを、このオラトリオに結実させたのだ。(参照:オネゲル著「私は作曲家である」吉田秀和訳)

この史実に基づくクローデルの脚本により、曲は火刑台に繋がれたジャヌダルクにフランス民衆の苦痛のうめきの合唱よりはじまる。オラトリオは劇的に展開される。
僧ドミニック、ジャンヌ、そして合唱団が実によい。

曲は次のように展開される。
1.プロローグ
2.天よりの声
3.一巻の書
4.地よりの声
5.野獣の手にゆだねられたジャンヌ
6.火刑台のジャンヌ
7.王たちのトランプ遊び
8.聖カトリーヌとマルグリット
9.王ランスへ向かう
10.ジャンヌの剣
11.5月の歌
12.炎に包まれたジャンヌダルク
さて、神のお告げにより生きながらの火刑により昇天するジャンヌ・ダルグの言葉と霊は聴者の感動をよび、心を揺さぶる。
特に最後の合唱の美しさは、心を素直にさせる。

私は、十字架で処刑される「マタイ受難曲」のイエスと比較し、連想する。最後の合唱の美しさと感動は、同じだ。
ジャンヌダルクは言う。
<いま、わたしは、勝利に立ちあがる歓びを感じます。
 いま、わたしは、勝利に立ち上がる愛を感じます。
 いま、わたしは、勝利に立ち上がる神を感じます。(火刑台のジャンヌダルクは息絶える)
聖職者たちは唄う。
<かくも偉大なりし愛はかって無かった。その命を、惜しみなく愛する者らのために
棒げし偉大なりし愛>

マタイ受難曲では、聖職者は罵り、群衆が賛美の最終合唱を唄う。(参照92頁)
合唱の主役は異なっているのだ。         
共通点は、人間に対する愛であろうと思う。愛聴に値する盤だ。蛇足だが冒頭のジャケットの写真が美しい。私の好きなイングリット・バークマンに似ている。
追記
遠山一行さんの著作集を読んでいたら、このレコードについての記述があった。私は1987.8.16に読了と記入しているが、まったく記憶にないものだ。<この曲は、オーマンディ指揮の全曲レコードがあるが、現在では廃盤のようである。オーマンディの演奏は大変よいが残念なのはジャンヌ役のヴェラ・ゾリーナのフランス語のなまりがひどいことだ。音楽のリズムには、よく乗っていて不満はないが、やはりフランス人には聴きづらいもののようである。>としている。(「名曲百選・名曲のたのしみ」より)
私には、フランス語の発音などは分からないから、聴く上での不自由(は無い。廃盤を大切にしよう、幸せである。


ゲヴァントハウス管弦楽団(ハンス・ヨアヒム・ロッチュ)

1990.12.5  オーチャードホール

演題:
マタイ受難曲

作曲:ヨハン・セヴァスティアン・バッハ

合唱:聖トーマス教会合唱団
管弦楽:ゲヴァントハウス管弦楽団

指揮:ハンス・ヨアヒム・ロッチュ

 独唱:
ソプラノ/レギーナ・ヴェルナ―
アルト/ローズマリー・ラング
テノール/ペーター・シュライヤ―
バス/テオ・アダム
バリトン/ゲオルグ・クリストフ・ピラーソ

聖トーマス合唱団の歴史は古い。1212年の修道院学校の設立に始まる。1723年からバッハがこの指導にあたった。毎週日曜日にはゲバントハウス管弦楽団員が参加しミサを共演する。ここにヨーロッパの文化伝統を感じる。

受難曲の構成
テノール歌手が担当する福音史家により、イエスの言葉はバス独唱により朗唱され、受難曲の骨格を形成してゆく。福音史家が簡単な通奏低音のみにより伴奏されるのに対し、イエスの言葉は弦楽合奏の美しい和音に彩られその対比は見事である。四声帯の簡単な合唱のコラールは教会の讃美歌で、受難の物語の進行のなかで、それぞれの場面に対する信徒の思いを吐露するかのごとく、感慨深く唄われるのである。

受難曲の全体は二部から構成され、第一部は壮大な二重合唱として開始される。キリストと人類の苦悩を象徴するオーケストラの音楽に乗って、「来たれ、汝ら娘達、我が嘆きをたすけよ。」「誰を」(その花婿を)と唄われる対話、その劇的効果は聴かなければ解らない。イエスは自ら十字架上の死を予言、ユダの裏切り、最後の晩餐、イエスの逮捕で第一部は終わる。
最後の合唱曲「涙と共にうずくまり、墓の中の貴方を呼ぶ」は、ぬかずくような身振りを伴った美しい葬送音楽として、「いこえ、やすらかに、やすらかにいこえ」と、感動的に受難曲をしめくくって終わる。(樋口隆一氏マタイ受難曲参照)

愛聴盤
1.カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ管弦楽団(ディスカウ)
2.クレンぺラ―指揮フィルハーモニー管弦楽団(ディスカウ、シュワルッコップ)
3.フェルトヴェングラ―指揮
ウィーン・フィル管弦楽団(ディスカウ)
私は、1.のリヒターが一番好きだ。彼の宗教音楽は、神への敬虔が充満している。


ルートヴィヒスブルク音楽祭(ゴォネンヴァイン)

1989.12.6   サントリーホール

指揮:ヴォルフガング・ゴォネンヴァイン

演奏:ルートヴィヒスブルグ祝祭管弦楽団
南ドイツ・シュトウッドガル合唱団

独唱:
フィーザック(ソプラノ)
クンツ(アルト)
ハイルマン(テノール)
リカ(バス)

演題:
ヨハン・セバスチャン・バッハ/クリスマス・オBWV248
フリードリッヒ・ヘンデル/メシアス、オラトリオ3部作
モーツァルト/交響曲41番「ジュピター」
モーツァルト/レクイエムKV626

ルートヴィヒスブルグ城には、王宮劇場や礼拝堂などが揃い城の各部屋は優れた音響の場となる。音楽祭が企画され、ゴォネンヴァインが指揮者となった。彼は寄せ集めでなく音楽祭専任のメンバーを養成し、さらに南ドイツの合唱団、管弦楽団から「音楽祭アンサンブル」を結成、年を追うごとに円熟味を増し世界を巡回し、特有の色彩を持った音楽を聞かせている。
夫々安定した音色で、こだわりのない音楽であった。モーツァルトのジュピターは、楽しく聴けたし、レクイエムの合唱は美しく一点の曇りのない演奏であった。


都民劇場フェスティバル・ドヴォルザーク(ブランギエ)

2015.2.11   東京芸術劇場コンサートホール

演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団

演題:ドヴォルザーク・プログラム
序曲「謝肉祭」 OP92
チェロ協奏曲 ロ短調 OP104  
チェロ奏者:宮田大
交響曲第9番 ホ短調 OP95 「新世界より」
サンサーンス「白鳥」
ドヴォルザーク;スラブ舞曲/第2章

 私は昨年10月、ドヴォルザークの交響曲第6番をN響演奏会で聴いた。そして、今、ドヴォルザークの4曲を聴き、改めて彼に共感した。私がドヴォルザークに憧れ、そして求めるものは、彼の故郷ボヘミアへの愛情と望郷の念から発する、哀しく美しい旋律の漂いである。客席は超満員、当日券も売り切れていたが、日本人の誰しもが抱いている望郷の旋律への想いがあるのだろうと思った。

ドヴォルザークは1892年、アメリカに渡った。そして見知らぬ異国の生活の中で「チェロ協奏曲」が完成した。
1.序曲「謝肉祭」は渡米直前の作、交響曲第9番「新世界」は、滞在中、そして「チェロ協奏曲」は置き土産として帰国直前に完成された。

2.「チェロ協奏曲」私はこの曲が大好きで、「ロストロボーヴィチ奏、ベルフィル、指揮カラヤン」や「ジャクリーヌ・デュ・プレ奏、シカゴ、指揮ダニエル、バレンボイム」(写真参照)「マイスキー奏、イスラエル・フィル、指揮バレンタイン」の三つの録音盤で親しんできた。

ドヴォルザークの名作「チェロ協奏曲」の旋律については、今更説明は不要であろうが、私は第一楽章のクラリネット、ホルンのあとの切ないチェロの即興的な響きに息をのむ。
第二楽章は3部形式で、各部にチェロの独奏が入る。アメリカから故郷を想う感傷が聴く者の心を打つ。自作歌曲の「わたしにかまわないで」(若き日の恋人歌手の想い出)は、後で付け加えられたものだ。
第三楽章では、黒人霊歌の旋律やボヘミアン民謡舞曲が楽しい。フィナーレは静かな祈りで終わる。
曲が終わると一斉にブラボーが起こり、アンコール曲「サンサーンスの白鳥」を弾いた。サンサーンスは、ラロ、ドヴォルザーク、エルガー、と並ぶ4大チェロ作曲家の一人である。そしてさらにドヴォルザークのスラブ舞曲で締めくくりを付けた。

宮田大はロストロボーヴィチ国際コンクールで優勝、水戸室内管弦のメンバーで、1698年製ストラディヴァリウスを使用している。その優れた素養を、小澤征爾との共演をみて感じていた。

3.交響曲第9番「新世界より」は名曲だ。ホルンが奏でる「家路」で知られ唄われるメロディは黒人霊歌の影響を受けつつもチェコ民族に捧げられた唄であろう。私は高校時代から故郷を離れていたので、ドヴォルザークの故郷を慕う気持ちを理解できるような気がする。

余談だが、曲を懐かしみ、帰宅し「チェロ協奏曲」を聴いてみる。「デュプレが弾き、バレンボイムが指揮」する盤だ。そして、シューマンとクララの如き相思相愛の夫妻として、音楽界で讃えられた「バレンボイムとデュプレの悲恋」に想いを馳せた。1967年結婚した天才少女デュプレは、匹敵するものは。若き日のメヒューインくらいといわれ17歳にしてレコード録音をだしたが、その後原因不明の病気に倒れ、花の命は短くて、大輪を咲かせることが無かった。その間のバレンボイムの看病ぶり、愛妻物語は、有名で、バレンボイムは自分の演奏活動を契約上無理なものを除きすべて中止した。
1987年10月デュプレは帰らぬ人となったが、偶々1987来日.3月サントリーホールで8日間のベートーヴェン・ソナタ全32曲の演奏会に6日間通い、翌4月にはパリ管弦楽を指揮して「春の祭典」を聴いた。愛妻の重病のため、その時の彼の言動には問題が多く残っている。一部の新聞でもとりあげたと覚えている。
しかし私は連日の聴衆であったので、マネジャーのアドヴァイスを得て、彼のサインを頂いた。大切にしている。これも音楽を通して得られた人生のひとこまだと思う。ドヴォルザークの取り持つ縁であろうか。


2016都民芸術フェスティバル(リオネル・ブランギエ)

2016.2.26  東京芸術劇場コンサートホール 

演奏:NHK交響楽団

指揮:リオネル・ブランギエ

ヴィオリン:アラベラ・美歩・シュタインバッハ

演題:
チャイコフスキー;ヴィオリン協奏曲二長調 作品35
アンコール:イザイ/無伴奏ヴィオリン・ソナタ第2番第3楽章
ドヴォルザーク/スラブ舞曲第1番
ムソルグスキー;組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編)

第一曲は「ニ長調四大ヴァイオリン協奏曲」(ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ブラームス)の一つである。ヴィオリン奏者はミュンヘンに住むドイツ人の父と日本人の母に生まれた美歩さんである。日本音楽財団貸与のストラディヴァリウス「ブース」を駆使している。
聴き慣れた第一主題と第二主題が繰り返され、チャイコフスキーの甘美な旋律が心に沁みわたるようだ。美歩さんは、節の終わりに弦を丸く輪を描くように弾く。鳴りやまぬ拍手に応えて、イザイとドヴォルザークを弾いた。ともに静寂な感じの曲であった。

「展覧会の絵」ムソルグスキ―が10の絵画を見ながら会場を歩む足音に挟みながらロシアの民族的哀愁を、色彩感を交えて作曲した。そして約50年後、指揮者クーゼヴィツキ―の依頼でラヴェルがオーケストラに編曲したものである。
大変親しみの持てる組曲である。


バイエルン国立オペラ座・ガラ・コンサート(サヴァリッシュ

サントリーホール    1992.11.18

指揮:ウォルフガング・サヴァリッシュ

演奏:バイエルン国立管弦楽団

演題
リヒアルト・シュトラウス:愛に寄せる讃歌より
ペーター・ザイフェルト
リヒアルト・シュトラウス:四っの最後の歌
ユリア・ヴァラディ
リヒアルト・シュトラウス:二つの歌
ヤン・ヘンドリッ
リヒアルト・シュトラウス:二つの大きな歌OP44より
ヤン・ヘンドリック
リヒアルト・ワーグナー:ヴェ―ゼンドンクの五っの歌
マリヤーナ・リボヴェシェック
リヒアルト・ワーグナー:ブルンヒルデの自己犠牲
ジャニス・マルティン

四っの最後の歌はシュトラウスの死の一年前に作曲された最後の作品で、死を予感した諦観の心境を、隠さず歌に託している。
私はこの歌を名手シュワルッコップの唄う盤(ベルリンフイル)で聴いている。四っは、春、九月、眠りにつくとき、夕映えのなかで、の四曲である。この録音は最盛期のシュワルツコップの美しい声が聴かれる名盤である.


スコダのラスト・コンサートを聴くために

2014.6.5   すみだトリフォニイーホール

演題
第1部  リサイタル
モーツァルト:幻想曲ニ短調 K397
ハイドン:ピアノ・ソナタハ短調 HOB。XVI-20
シューベルト:4つの即興曲 OP90、D899
第2部  協奏曲の夕べ:東京交響楽団
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K595

6月5日は、まだ来ない。このチケットは約半年前に購入した。手元に届いたチケットを前にして、まだ見ぬ地を想像して旅程を練る旅人と同じ楽しさが、演奏当日まで続き、あれこれ演奏家・曲目を下調べする、楽しさは旅と似ている。そして自分なりの知識の範囲で、コンサートの予期と期待が作られ、当日を迎える。勿論聴き終わってからの感情の赴く処も何処かとの楽しみも、その一つだ。
また、6月15日にヴェッセリーナ・カサロヴァの演じる「カルメン」を観る予定だ、同様の楽しみが待っている。9月にはサントリーホールにウィーンフィルハーモニーが来日する。このチケット販売日は4月末でこれから手配しよう。

さて、私は、1951年WESTMINSTER盤(LP)でスコダの弾く「モーツァルト;ピアノ協奏曲24番、27番」(ウィーンフィルハーモニーと共演)を聴いて育った。当時WESTMINSTER盤は録音がよいことで貴重盤であった。スコダはウィーン音楽家の頂点のピアニストだった。
なんという歳月の速さだろう!そのスコダが86歳になり、最後の来日コンサートを開く。即ち私とは55年間の恋仲というわけだ。しかも同じ27番を最後に弾く!きっと僕のために・・・

彼は現在もレコーディングを続け、昨年10月には、モーツァルトピアノ協奏曲15番、20番をリリースした。指の強さにも衰えは無いという。

幻想曲二短調は、バッハの影響があらわれているといわれる。中間部のアダージョの旋律が二度現れるが美しい。ロマン・ロランは「モーツァルトの幻想曲とアダージョは、モーツァルトの「精霊(ジエニイ)」であると書いている。

さて、恋仲の27番(変ロ長調)の下調べである。
変ロ長調の主題は「聖なる世界」に属すると、ブレンデルが言っている。「モーツァルトでは単純を装いながら、蘇った子供時代を暗示し、シューベルトでは深い内省を伝える。しかし共通して旋律の歌謡的な性格、控えめな静けさ、そして全体に漂う憂愁を表現する」と。
モーツァルトはこの曲を死の直前35歳に描いた。アインシュタインは「告別の作」「永遠の扉、天国の門に立つ作品」と評した。
第一楽章は聖浄な静けさ,第二楽章はラルゴ、最終第三楽章は、もはや哀しみを訴えようともせず、明るく澄んだ心境の中に<春への憧れ>を唄っている。スコダがラスト・コンサートの最終曲として弾く心境を私は垣間見る。
そしてこの曲が、モ―ツァルトが最も貧しく、病気の妻、幼い子供を抱え、その日のパンに追われつつ書いた曲であることを思う時、彼の天分の偉大さと人生観を偲ばずにはいられないのである。
私は、今年の寒い冬の中で、暖かい春風が訪れる日を心待ちにしているが、6月にスコダがどのようなMOZART27番を聴かせてくれるのか、楽しみである。



パウル・パドゥラ・スコダの最後の演奏を聴く

2014.06.05    すみだトリフォニーホール

指揮&ピアノ: パウル・バドウラ=スコダ

管弦楽: 東京交響楽団

演題
MOZART:幻想曲二短調 K397
HAYDN:ピアノ・ソナタハ短調Hob.XVI-20
SCHUBERT:4つの即興曲 OP90、D899
MOZART:ピアノ協奏曲第27番 変ロ長調  K595
アンコール:
MOZART:第27番第2楽章 MOZART:グラスハーモニカのためのアダージォ

背筋をまつすぐに、ペンギンが急いで歩いているような歩調で、舞台に現れた私の青春時代からの恋人には、かってウィーンのピアニストの頂点を極めていた風格が漂っていた。

冒頭の幻想曲には、ややとまどいの様なものが感じられた。ロマン・ロランがの「精霊(ジェニイ)]と表現した曲だ。

二曲目のHAYDNは、モーツァルトが先生と仰いだハイドンがあり、モーツァルトを聴く思いがした。
モーツァルトの傑作「ハイドンに捧げし弦楽四重奏曲6曲」は私の最も好きな室内楽であるが、この曲も師弟関係がよくわかる。一卵性双生児だ。

三曲目のシューヴェルト:D899,OP.90は、圧巻であった。シューベルトは二つの即興曲集を書き、ともに1828年頃の作品であるが、旋律の中から無限の美しい歌を縦横に描いている。
スコダは、ここで若者の様な生気に溢れ躍動した。
指の動きに衰え等なく正確なタッチで4番を弾き終えた。第1番は歌謡風の主題が鮮やかに展開される。第2番は小さなリズムと感情が溢れる。
特に第3番のロマンチックで美しい歌を、見事に詠いあげた。その美しさに打たれ胸にこみあげてくるものがありここで私は泣いた。第4番は悲愴な旋律で静かに終った。
我が青春時代からの恋人は、感動した聴衆からのブラボーの声と拍手の渦の中で、本当に嬉しそうだった。

幕間の廊下に出ると若者が「俺泣いちゃった」、「俺もだ」と話している。驚いたことは聴衆の半分が若い人々であったことだ。私は今日の聴衆は8割方高齢者であろうと思っていた。

さて、待望のMOZARTの第27番である。
死の直前、35歳の年に作曲された「天国の門に立つ作品」と評されるこの曲は、私の学生時代からWESTMINSTER盤のスコダの演奏で1951年以来馴れ親しんできたが、今日63年前の恋慕が成就し、再現されるように錯覚した。
しかも予想外の展開が起きた。スコダが通訳者を従えて舞台に現れたのである。そして「拙著そのⅡ」(91頁)で記した下記と同じ内容を、ピアノの前に立ったままで,小節を弾きながら解説したのである。この種の本格演奏会では異例といえよう。

私の「そのⅡ」の記載は、<第一楽章は清浄な静けさ、第2楽章はラルゴ、最終楽章は、もはや哀しみを訴えようとせず、明るく澄んだ心境の中に{春への憧れ」を唱っている。>であった。
スコダは、まったく同じく「春への憧れ」にみるMOZARTの心境を述べた。私は63年前の恋人と胸中をうち明けて話しているように思った。スコダはいう。「そうだよ、モーツァルトは、春への憧れを口ずさみながら天国の門の前に立ったのだよ」と。
スコダは僕の為にラストコンサートで27番を弾いてくれたのだ!そしてモーツァルトと同様に「春を信じて、春を待つ」スコダの心境に想いを馳せた。変ロ長調の「聖なる世界」を鮮やかに描きだしたのだ。

見事な演奏であった。胸が熱くなり、目頭を押さえながら、私はロマンチックな思いに浸った。・・・63年前の邂逅から63年後に恋が成就する人生も存在するのではないかと・・・。
アンコールは、東京交響楽団を指揮しながら、27番の美しい旋律第2楽章を再現してくれた。
しかし鳴りやまぬ拍手にモーツァルトのK.617のアダージョを楽しげに、美しく弾いた。1791年ウィーンでの作品だ。
調べるとこの時期は作曲の少ない頃で
魔笛が生まれる3年前だ。恐らくスコダの想いの絡む曲ではなかろうか・・・。
私が泣いたシューベルトの3曲目を、私は今ケンプの演奏を聴きながら書いている。1965年盤LPだ、加齢とともにシューベルトが美しく響き、心に浸みて来る様になってきた。第3曲の美しい旋律が伸び伸びと展開されている。
こうして「パウル・バドゥラ・スコダのラストコンサート」は、私の音楽愛聴の記念碑となったような気がした。




レコードの友」を慕う

私は,逢った事がない「レコードの友」を持っている。その人の年齢・職業は知らない。ただその方は、こよなく音楽を愛し、聴いているひとだということは間違いない。

偶々見つけた中古レコード店で購入したが、5枚のレコード内袋にそれぞれの曲名が見事なアルファベットで記入されている。そして箱書きに,
私は、この人の音楽に対する姿勢に慄然とする。
そして私は後日またこの人に再会した。勿論再会はレコードを通してである。<ベートーヴェン中期弦楽四重奏集(アルバン・ベルグ)>であった。見慣れた懐かしい筆蹟があり、<APRIL 2.1983 TANDY'S1124-6>との箱書きである。

更に後日,<モーツァルト弦楽四重奏全集(バリリ&ウィーン・コンチェルトハウス)>で出会った。7枚組でしかもWestminster盤だ。迷わず購入した。<S.49.3.21>と記されてある.この人のレコードは実に丁寧に扱っていて、傷などなく然も演奏が良い。私はこの人を想い乍ら心地よく聴くのである。
これら3度の奇遇を通して、この人を想い乍ら聴く弦楽曲は、感慨深い。昨今「メル友」なるものが存在しているが、中身は違うと思いたい。それにしても、恐らくこの人にとって大切なレコードが処分されて売られているのは、遺族が処分したのだろうか。レコードの演奏は残るが旧所有者の音楽への志は残らなかったのだ。高名な音楽評論家であったかも知れない。アルファベットの達筆とENGLANDと書かれているのは、外国暮らしの経験がある人かもしれない。日づけのSから昭和を示し日本人のようだ。TANDY'Sの署名らしき書き込みもある。空想すると愉しい。これも音楽の取り持つ縁だ。
 人生では、懐かしい人に3度の出会いは難しいというのに。






ロンドン・フィルハーモニー(テンシュテットー1992)

東京芸術劇場  1992.3.3

指揮:クラウス・テンシュテット

演奏:ロンドン・フィルハーモニー管弦樂団

演題:
ベートーヴェン/交響曲第6番作品68「田園」
ベートーヴェン/交響曲第5番作品67「運命」

ロンドン・フィルは1932年創立されて約80年を経た。ロイヤル・フェスチバルホールを根拠とする英国第一の名門であり、ウィーン、ベルリンに次ぐ音楽都市となる役割を果たしている。

ベートーヴェンは、第5番「運命」で人間の内面の世界を、第6番「田園」では自然と言う外的な対象に目を向けた。「運命はこのように戸をたたく」とベートーヴェンは言ったがこのアレグロの「運命のモチーフ」が強く全曲を貫いている。冒頭の4連打の運命のモチーフは全楽章を貫き、苦悩から歓喜へというベートーヴェンの真髄がよく聴かれる。

第6番「田園」は、彼が遺書を書いたハイリゲンシュタットののどかな美しい自然のなかに自分を置く喜びに満ちた曲だ。第5番交響曲と並行して作曲された。すでに耳の状態が悪化していたベートーヴェンにとり、自然は何にも勝る良薬だったに違いない。楽章は1.「田舎に着いた時の愉快な気分」、2.「小川のほとり」、3.「田舎の人たちの楽しい集い」、4.「雷と嵐」、5.「牧歌、嵐のあとの喜びと感謝」である。牧歌的で素晴らしい曲だ。6番と5番は同じ日に初演されたのであった。
今回の訪日演奏は7回行われ、3プログラムを演奏したが、ベートーヴェンはこのプログラムだけだった。




ニューヨーク・フィルハーモニ(Zubin Mehta)

1989.9.13  サントリーホール  3周年記念コンサート

指揮:ズービン・メータ

演題:
ドヴォルザーク/序曲「謝肉祭」作品92
ドヴォルザーク/ヴィオリン協奏曲イ短調作品53
ベートーヴェン/交響曲第6番「田園」作品68

奏者:五嶋みどり

ボンベイ生まれのメータだが東洋人を思わせる志向はない。このオーケストラとの最長音楽監督である。
ニューヨーク・フィルは1842年創立のアメリカ最古の楽団であり、ブ―ㇾ―ズ。バーンスタインを継いだ。
創立期より、ドヴォルザーク、ベートーヴェン、ブラームス、ベルリオーズ、マーラーを得意として成長してきたようだ。

「謝肉祭」序曲は3部作で、自然、人生、愛のタイトルが付けられているが、「謝肉祭」は、人生に当たる部分である。謝肉祭の騒ぎの中で、孤独を描くことが目的であった。耳を澄ませて彼の孤独を感じたい。

ドヴォルザークヴィオリン協奏曲は、有名なチェロ協奏曲とは違い演奏されることが少ないが、ボヘミアの美しい自然と民族性を含む曲だ.五嶋みどりは最近ベルリン・フィルハーモニーと3回続けて共演し、レコーディングも決まった。日本人としては稀有である。

「田園」は、ハイリゲンシュタットの美しい自然の中で、自己内面の世界を深く掘り下げたクラシック音楽の聖典である。ベートーヴェンは楽章ごとに注釈をつけている。
 第1楽章 田舎に就いた時の愉快な気分
 第2楽章 小川のほとり
 第3楽章 田舎の人々の楽しい集い
 第4楽章 雷と嵐
 第5楽章 牧歌、嵐の後の喜びと感謝
 
カラヤンは、将来の世界のクラシック音楽をリードする3人の名を挙げた。
アバト、小澤、メータの3人だ。予言は精確であったと思う。その一角を堪能させた演奏会だった。



バイエルン放送交響楽団(コーリン・ディヴィス)

東京文化会館1988.5.13

指揮:コーリン・ディヴィス

演題:
R.シュトラウス/ 交響詩「ドン・ファン」
ハイドン /交響曲第99番
ベートーヴェン /交響曲第5番「運命」OP.67

「ドン・ファン」の筋書きは、他稿で書いた。標題音楽を確立したのは、シュトラウスの功績のひとつだ。
ドン・ファンを表わす旋律は3っある。1.情熱に駆られて走るドン・ファン 2.美しい女性に魅了され求愛するドン・ファン 3.そして自嘲するドン・ファンである。しかし最終楽章で流れる哀しみの旋律はシュトラウスのドン・ファンに寄せる彼のエレジーであろう。

「ハイドンの99番」は楽章構成で自由さが目立ち、ベートーヴェンの交響樂に大きな影響を与えた。

「運命」は、「運命の動機」のモチーフが全曲を貫く。運命はこの様に戸をたnたくという4音の積み重ねが緊迫感を生み、最終の歓喜の歌に繋がってゆく。

バイエルン放送交響楽団は,第2次世界大戦後、オイゲン・・ヨッヒム指揮者により、微細なロマンチズムに溢れた音楽を得意とする事が伝統となった。
指揮者デーヴィスは気取りのない、謙虚な、人間性により、ペルシャ美人の誉れ高い夫人を得、家庭人であることを誇りとしているという。



ロンドン  ・フィル・ハーモニー(クリップス)

1961.10.08        ロイヤル・フェスチバルホール

指揮:クリップス

シュトラウス   交響詩 ドン・ファン
ベートーヴェン  ピアノ協奏曲4番
シューベルト  交響曲9番;グレート

ピアノ演奏: ジーナ・バッハウァー 

ロンドンでの音楽会は想い出深い。クリップスは、小沢征爾や大町陽一郎と親交があり、ロンドンフィルの首席指揮者である。
ジーナは48歳(当時)、欧州では著名なピアニストであったが日本では知られていない。おそらく実演を聴いた日本人は少ないだろう。ブラームスを良く弾いた。

愛聴盤: ベートーヴェン:ピアノ4番 グルダ;ウィン・フイル、グールド;ニュウヨークフイル、クララ・ハスキル;ロンドン交響楽団
シューベルト: 交響曲9番 ワルター指揮 コロンビア交響楽団


クリーブランド管弦楽団(ドホナーニ)

オーチャードホール    1990.5.31

指揮:ドホナーニ

演題
メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」より
ベルリオーズ:幻想交響曲作品14

指揮者ドホナーニは、ジョウジ・セル以上にクリーブランドを鍛え上げた。父、叔父をナチで失った彼には、死を賭して闘い抜いた先祖の血が、音楽での妥協を許さなかった。室内楽のような音の繊細・緻密さがクリーブランドの弦楽を支えている。その意味でこの楽団のレベルの高さに驚いた。

クリーブランド管弦楽団はアメリカで最もレコード録音が多い楽団で、1987年から、アシュケナージが首席指揮者となった。名門である。3年前にも訪日している。

真夏の夜の夢は、17歳の時作曲した序曲がいい。他はその17年後作られた曲だ。聴き手を陶酔させる。又第7曲目の「夜想曲」はホルンで奏でられる主題が美しい、傑作である。

[幻想] ベルリオーズは作曲の2年前イギリス・シェイクスピア劇の女優、はリエット・スミッソンに恋をした。求愛し、失恋に終わった。この曲は身を焦がす思慕と傷心の思いが託されている。「恋人の旋律」を主柱としての展開が面白い。
ベルリオーズはこの曲に説明文を書いている。<ある芸術家の生涯のエピソード>と。
さらに楽譜の冒頭に彼は書いた。<病的な感受性と豊かな想像力に溢れたある若い音楽家が、報われない恋に苦しんだ末、阿片をのんで自殺を図る。しかし薬が致死量に満たなかったため、彼は深い眠りに落ちた挙句、異様な幻覚に落ちる。夢の中では、恋する女性はイデー・フィクスとしてあらゆる場所できこえてくる>
私は、告白にも似た説明に驚いた。ゴシップ好きの私には格好の「幻想交響曲」であるが、しかし本気の恋と失恋であれば、無言・沈黙が筋ではなかろうか?と。シャイな僕には無縁の世界だ。
クリーブランド管弦楽団の本拠地は、1931年に新築されたセヴェランス・ホールだ。現在でも音響について世界屈指のホールと言われる。下の写真を見ればなるほどと思われるだろう。


ドイツ・バッハ管弦楽団(ゲンネンヴァイン)

サントリーホール   1989.12.6

作曲:モーツァルト

指揮:ウオルフガング・ゲンネンヴァイン

演題:
交響曲第41番「ジュピター」K.551
「レクイエム」 K.626

ゲンネンヴァインは、南ドイツの出身でこの地方独特の素朴な人情を音楽に反映させていると言われる。そうしてヨーロッパ文化の伝統と本質に根ざした永遠なるものの追求者である。

「ジュピター」は、モーツァルトの最後の交響樂だ。序奏なしで第一主題がはじまるが、緊張感のなかに清楚な旋律だ。終楽章が力強く終わると、何かをなしとげたような気分になる。私には生活のリズムを付けてくれる曲である。

「レクイエム」は、最後の病床にあって8小節めで絶筆となり、弟子ジェスマイヤーが妻コンスタンッエの求めに応じてその後を完成させた。
曲全体を貫く通奏低音は、荘厳の上に哀しい。数あるレクイエムのなかでも、最も愛されている曲であろう。いうなればモーツァルトの遺言書なのである。



エンシャント・ミュージック管弦楽団(ホグウッド)

サントリーホール    1991.10.26

演題:
モーツァルト「皇帝ティートの慈悲」全曲

指揮:クリストファー・ホグウッド

合唱:国立音楽大学

出演:
ヴィテッリア/ロバータ・アレグサンダ―
  アンニオ/クリスティナー・へ―グマン
  セルヴィリア/中嶋彰子
  ティート/アンソニ―・ロルフ・ジョンソン
通奏低音:
アラスターズ・ロス、スーザン・シェパード

このオペラは、モーツァルトが「魔笛」その他の終生の名作を生み出している最中に生まれた為、色んな事情が重なって評判が良くなく、上演されることが少ない。オペラの筋は複雑な人間心理の葛藤を扱い、詳細に述べるにはかなりの文言を要する。

ホグウッドはバロック、古典派、ロマン派初期の音楽にオリジナル楽器を使い当時の編成に沿って演奏することを追求し、目覚ましい成果をあげている。ホグウッドより、モーツァルトのティートが再評価されたといえる。揺れ動く人の心を克明に浮かび上がらせ、テンポの良さで、全体を求心力と集中力でモーツァルトを名演奏したと思う。演奏会形式で字幕付きだった。そのため歌手の歌唱力がよく分かった。微妙な感情の動きを、各役柄の性格に合わせて、ホグウッドは描き出したと思う。名演であった。上演数の少ないことが残念だ。




新日本フィル第538回定期演奏会(ポンマー)

2015.3.27  すみだ トリフォニ―ホール

演題  J.S.Bach
管弦楽組曲第3番 ニ長調 BMV1068
管弦楽組曲第2番 ロ短調 BMV1607
   アンコール:7曲のバディヌリー
管弦楽組曲第1番 ハ長調 BMV1066
管弦楽組曲第4番 ニ長調 BMV1069
   アンコール:3番の3曲のガヴォツト
         2曲のG線上のアリア

指揮:マックス・ポンマー
  
演奏:新日本フィルハーモニー交響楽団<フルート奏者:白尾彰>(新日本フィルハーモニー首席奏者)

べ-トーヴェンは、「バッハは小川ではなく大きな海だ」と感嘆したという。バッハは音楽の父と称されたが、音楽の源流を構築した彼を、マタイ受難曲、クラヴィア平均律、ゴールドベルグ変奏曲、ブランデンベルグ協奏曲等により、私はBachを理解していた。
しかし、今回の管弦楽組曲全体を聴き、大海であるBachの大きさと、その深さを知った。
今般の、J.S.Bachの聖地であるライプツィヒ出身で一時代前のスタイルを斬新に聴かせてくれると高い評価の正統派であるマックス・ポンマーの指揮による演奏だからであろうと思う。
管弦楽組曲は、オーケストラの為の組曲の意味で、序曲、舞曲を主とする小曲が続く構成を持つ。
しかし今回の組曲をBachは、「序曲に始まる作品」という名称で発表した。この曲が従来の組曲の伝統に沿っていないからである。
第2組曲と第3組曲が演奏の回数が多いそうだが、第2組曲はフルートがソロ的な曲で、独奏の協奏曲に近い形式でマリーア・ゾフィーの死を悼み衝動的に作曲された。私は、1986年小澤征爾の指揮によるMozartのフルート協奏曲第1番で、若かりし白尾彰の演奏を聴いている。

今や白髪の白尾氏は、見事な音を響かせた。サラバンドやメヌエットが印象的であった。第3組曲は「G線上のアリア」として、有名であり親しみの多い曲であった。最後のアンコール曲でも聴かせて頂いた。素晴らしいBach DAYであった。



アムステルダム・コンセルトヘボウ(シャィー)

1991.10.15  サントリーホール

指揮:リッカルド・シャィー

演奏:アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

演題:
ムソルスキー/組曲「展覧会の絵」<ラヴェル編曲>
プロコフィエフ/「古典交響曲」第1番ニ長調OP25
ラヴェル/バレエ組曲「ダフニスとクロエ」

私は、マーラーに心酔していた若い頃、マーラー交響曲第4番のLP盤を聴いていた。「メンゲルベルグ指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウの演奏」であった。懐かしいレコードを想いだしながら今日の演奏を聴いた。
調べてみると、メンゲルベルグは24歳の時2代目の常任指揮者となった。フルトヴェングラーがベルフィルの常任指揮者に選ばれたのは36歳であったから24歳は異例のことであったろうと想像される。
メンゲルベルグは激しいロマン気質と情熱を持ち、稀有な芸実性と巨匠性により、当時(1890年代)の音楽界の待望に応えたという。1888年創立のオランダの威信をかけ、ベルリン、ウィーンに対抗したのだ。
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団は、このような歴史の成果で現在がある。

シャイ―は1953年生まれだ。<シャイ―は望遠鏡を空に向けて、宇宙の果てを観ようとする。>と松本勝男氏は述べている。我を忘れて熱狂的になるあまりにメロディをいい加減にする指揮者ではない。曲全体を俯瞰しながらも精密な指揮をする。
「ラヴェル」も「プロコフエフ」も弦は柔らかく,低弦の響きは力強い。どこかにほんのりとした湿り気を帯びた音質に聞こえる。ベルフィルやウィーンフィルとは違っている。
コンセルトヘボーが本拠地としている「ミュジック・シアター」のホールは内部が全て生木で覆われている。その環境がその音を作り出したようだ。



ミラノ・スカラ座管弦楽団(ロリン・マゼール)

東京文化会館        1988.9.29

指揮:ロリン・マゼール

演題
ロッシーニ 「セビリアの理髪師」序曲
プッチーニ 「マノン・レスコ」
ヴェルディ 「シチリア島の夕べの祈り」より、<四季>
レスピーギ 交響詩「ローマの噴水」
レスピーギ 交響詩「ローマの松」

指揮者マゼールは、8歳でニューヨークフィルを指揮した神童だ。来日も30回を超える。ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを8回も指揮して記録を作った。

「セビリアの理髪師」序曲の第2主題は、オーボエとクラリネットで奏され、このメロディの美しさは有名だ。

「マノン・レスコ」は、プレヴォーの小説が原作である、以前私は読んでいた。アメリカに追放されるマノンを騎士デ・グリュ―が追いかける。二人の悲しい運命とつかの間の幸せへの回想を、音楽が甘美に奏でる。

「シチリア島」は、実在した事件を脚色したオペラだ。冬、春、夏、秋と、ハープ、クラリネット、フルート、オーボエが夫々の季節を演ずる。春の温かいそよ風のハープ、そして秋のティンパニから始まり、終わる。

「ローマの噴水」は噴水をみるレスピーギの色彩感と、ファンタジーの豊かさを味せてくれる。4つの噴水のノスタルジーは詩情にあふれている。「ローマの松」も有名な「4つの松」の描写である。標題音楽の代表となっている。

交響詩「ローマの松」は、ボルゲーゼ、カタコンブ、ジャニコロ、アッピア街道の風景と4景は、古代ローマへの郷愁に満ちている。



シュトゥットガルト室内楽団(カール・ミンシュンガー)

Ⅰ.日比谷公会堂  1972.5.24

指揮者:カール・ミンシュンガー

演題:
バッハ  音楽の捧げ物
ブランデンブルグ協奏曲
モーツアルト  喜遊曲17番K.334

Ⅱ.神奈川県民ホール  1976.6.18

指揮:カール・ミュンシュンガー

演題
バッハ  カノン、四季、パリスとヘレネ・カプリチオ
バッハ  ブランデンブルグ協奏曲

Ⅲ.サントリーホール 2010.5.13

指揮:ロジャー・ノリントン

演題
ハイドン 交響曲第1番 
ブラームス バイオリン 協奏曲

Ⅳ.神奈川県民ホール 1976.6.18

指揮:カール・ミュンシュンガー

ヴィオリン:ゲオルグ・バイノフ

演題
 バッヘルベル カノン
R.シュトラウス 6重奏曲「カプリチオ」作品85より
グルック オペラ「パリスとヘレネ」より
ヴィヴァルディ 「四季」作品8

指揮者のノリントンは、速い演奏と古典ものが、得意なようだ。
又ミンシュンガーの古楽器研究は、音楽の演奏の域から学究しゃのようだ。
縁あって、ヴィオリンの1人が我が家に宿泊した。家を去る日,我家のピアノで「別れの曲」をひいた。細身の音楽家らしい風貌だった。名は忘れた。


バイロイト音楽祭Bプログラム(ジョゼッペ・シノーポリ)

1989.9.8   オーチャードホール

指揮:ジョゼッペ・シノーポリ

合唱指揮:ノルベルト・バラッチ
演奏:バイロイト祝祭管弦楽団
    バイロイト祝祭合唱団

演題 作曲  
R。ワーグナー
ジーグフリート牧歌
「さまよえるオランダ人」序曲
「パルジファル」第3幕(コンサート形式による全曲)

配役
    パルジファル/ライナー・ゴールドベルグ
    グルネマン(老騎士)/マンフレート・シェンク
    アンフォルタス(城主の息子)/エッケハルト・ウラシハ
    クンドリー(妖女9/ウタ・プリエフ

渋谷の文化村に、オペラ可能のクラシック音楽劇場ができ、そのこけら落としに「バイロイト音楽祭」の引っ越し公演が行われた。過去日生劇場の開場の際は、ベルリン・ドイツオペラの引っ越し公演であったことを想いだした、1963年のことですでに四半世紀昔だ。

バイロイト音楽祭は、ワーグナー作品の専門劇場である。所縁の演奏者たちの演奏に聞き惚れた。ワーグナーの響きは特有な音響がする。

「ジーグフリード牧歌」の誕生秘話は面白い。ワーグナーは2度目の妻であり最愛のコジマ(リストの娘)とルッツエルンの湖畔で過ごし、前夫との離婚が成立し、さらに長男ジークフリードが誕生クリスマスの朝、15人の音楽家が奏でる美しい音楽で目覚めた。ワーグナーの指揮である。後年編成を直して「ジークフリード牧歌」として公開した。自分だけのものにと、コジマは公開を嫌ったという。憧れに満ちたこの旋律は<ジーグフリードの動機」として親しみ深い。

「さまよえるオランダ人」序曲は、ハイネ原作の物語である。荒筋は小澤音楽塾の上演(   頁)を参照されたい。ワーグナー自身の体験もある音楽だ。

「パルジファル」は1882年完成したが、この年のバイロイト音楽祭で16回上演され大成功を収めた。聖杯をめぐる物語である。紆余曲折の末、妖女ケンドリー死し、聖杯はパルジファルの手に輝く。ワーグナーは同年9月心臓発作で69歳の生涯を終える。執筆中の論文「人間性における女性的なものについて」は、<愛―悲劇性>の言葉を残して終わっていた。ワーグナーならではの終焉であったのだ。



バイエルン国立オペラ座(サヴァリッシュ)

サントリーホール    1992.11.18

指揮:ウォルフガング・サヴァリッシュ

演奏:バイエルン国立管弦楽団

演題
リヒアルト・シュトラウス/愛に寄せる讃歌OP71
リヒアルト・シュトラウス/四っの最後の歌
リヒアルト・シュトラウス/二つの歌
リヒアルト・シュトラウス/二つの大きな歌OP44
リヒアルト・ワーグナー/ヴェ―ゼンドンクの五っの歌
リヒアルト・ワーグナー/ブルンヒルデの自己犠牲

歌手
ペーター・ザイフェルト
ユリア・ヴァラディ
ヤン・ヘンドリッ
マリヤーナ・リボヴェシェック
ジャニス・マルティン

四っの最後の歌はシュトラウスの死の一年前に作曲された最後の作品で、死を予感した諦観の心境を、隠さず歌に託している。
私はこの歌を名手シュワルッコップの唄う盤(ベルリンフイル)で聴いている。四っは、春、九月、眠りにつくとき、夕映えのなかで、の四曲である。この録音は最盛期のシュワルツコップの美しい声が聴かれる名盤である.




ベルリン交響楽団(シャンバダール)

2016.7.11   東京オペラシティ

指揮:リオール・シャンバダール
  
ヴィオリン奏者:イリヤ・カーラー

演題:
エルガ―:「威風堂々」第1番
モーツァルト:交響曲第41番 「ジュピター」
チャイコフスキー:ヴィオリン協奏曲 ニ長調
アンコール:
ヴィオリン:イリヤ・カーラー
バッハ:無伴奏パルティ―タ第3番「ガボット」
ベートーヴェン:交響曲第5番 「運命」
アンコール:
ワグナー:「ローエングリー」第1幕前奏曲より

思いがけなく、音楽好きの親友から二人分のチケットを頂戴した。
 ベルリン交響楽団は、1966年西ドイツ側で設立され、ベルリンフィルのホールを本拠地として活躍している。今回は8度目の来日である。ベートーヴェン、モーツァルト、ブラームス、メンデルスゾーンなど古典的な名作普及を活動の中核とし、今回のプログラムも例外ではない。

エルガーの「威風堂々」は、私にとって6月23日にN響で第2番交響曲を聴いたばかりであった。その為か親しみを感じながらこの交響楽団のもつ分厚い音を心地よく聴いた。

「モーツァルト:ジュピター」は、かなり速いテンポで進んだ。音量が大きく響いて、モーツァルトが疾走した。

「チャイコフスキーの二長調ヴィオリン協奏曲」は、今日では、ベートーヴェン、ブラームス、メンデルスゾーンと並んで四大ニ長調ヴィオリン曲とされるが、作曲当時はあまりにもロシア風土が強いとしてロシア、西欧から不評で上演を拒否され続けたのである。

さて奏者イリヤ・カーラーは、シベリウスや、チャイコフスキー国際コンクールで優勝した。1963年生まれ53歳、円熟した音楽を聴かせる。楽しんでいるかのように安定した見事な演奏であった。珍しく演奏の途中ブラボーが入り中断する場面もあった。アンコールでバッハを弾いたが「ガボット」は聴き慣れた曲だが新鮮に響かせた。

「運命」は、楽しく聴いた。クラシック音楽の入門曲は、今なお燦然と威光を放っていると思った。新鮮で音楽の領域を越えている。一生を通じて音楽は最大の伴侶だ。





ロンドン・交響楽団(テンシュテット-1988)

サントリーホール開場2周年記念  1988.10.18

指揮:テンシュテット

演題:
ワグナー特集
歌劇「タイホンザー」序曲より
歌劇「リエンツィ」序曲
歌劇「神々の黄昏」より
ジークフリートのラインへの旅
葬送行進曲
歌劇「マイスタージンガ―」より第1幕への前奏曲

ワーグナーの響きが広がり、残響音が体に残る。ロンドン5大交響楽団のうち、最も古いロンドン交響楽団だ。1903年の結成でモント―やケルテス、アバトなど有名な指揮者が育てあげた。
テンシュテットはバイオリン奏者から転向し、成功した。1983年から首席指揮者に就任し、世界の主要なオケを指揮し、「世界レコードの売り上げベスト4位の指揮者」の一人という。しかし今回はオペラを幕が上がる前の、ピット・ボックスから聞こえてくる音楽ばかりを、2時間聴いているような気がして、疲れた。

「リエンツィ」」序曲は、ワーグナーオペラの第3曲目の作品だ。長編で演奏時間が当初6時間であった。ナポレオン時代の革命を題材にしている。

「ジーグフリートのインへの旅」と「葬送行進曲」は、「指輪」の最終部の音楽である。別稿でも触れたので略する。

「マイスタージンガー」第1幕前奏曲は、この歌劇全体を予告していて、主題が一とおり演奏される。



ロンドン・フィル・ハーモニー(クリップス)

1961.10.08                ロイヤル・フェスチバルホール

指揮:クリップス

シュトラウス   交響詩 ドン・ファン
ベートーヴェン  ピアノ協奏曲4番
シューベルト  交響曲9番;グレート
ピアノ演奏: ジーナ・バッハウァー 

ロンドンでの音楽会は想い出深い。クリップスは、小沢征爾や大町陽一郎と親交があり、ロンドンフィルの首席指揮者である。
ジーナは48歳(当時)、欧州では著名なピアニストであったが日本では知られていない。おそらく実演を聴いた日本人は少ないだろう。ブラームスを良く弾いた。

愛聴盤: ベートーヴェン:ピアノ4番 グルダ;ウィン・フイル、グールド;ニュウヨークフイル、クララ・ハスキル;ロンドン交響楽団
シューベルト: 交響曲9番 ワルター指揮 コロンビア交響楽団



エンシャント・ミュージック(ホグウッドー1988)

サントリーホール1988.6.27

作曲:W.A.モーツァルト

指揮:クリストファ・ホグウッド

演題
レドゥーテン・ザールのための6つの舞曲
ヴィオリン協奏曲第5番「トルコ風」K.219
ソリスト;サイモン・スタンデージ
戴冠ミサ ハ長調K.317

ソリスト;蒲原史子/小見佳子/西垣俊朗/宮原昭吾
オルガン;鈴木雅明

ホグウッドは、古楽器いわゆるオリジナル楽器を使い、弓や奏法もその音楽が使われた当時の物に従う演奏を行い、モーツァルトにおいても生き生きとした演奏によって、革命的な音楽を提良く示した。彼の言葉「例えば歴史的な名画に長年の間に付着した汚れを洗い流して、絵が描かれた時とおなじ光彩を取り戻すのとおなじ作業を、音楽でも行なおうとしているのです。」は、ホグウッドの意図を良く現している。

レドウテンザールのための・・・は、1788年にウィーンの宮廷レドウテンザールで行われるカーニバルのための舞踏曲である。すべて4分の3拍子で書かれたウィーンの舞曲で、当時の華やかな宮廷の様子がうかがえる。

ヴィオリン協奏えるのだろう曲第5番は、7曲残るヴィオリン協奏曲のうち、最も傑作と言われる。第3楽章に<トルコイムズ>があり、その為「トルコ風」と呼ばれている。モーツァルトらしい曲だ。

戴冠ミサは、レオポルド2世の戴冠式を記念してザルツブルグの大聖堂で上演された。ヨーロッパの街を散策中教会からこのミサ曲が聞こえて驚いた事があったが、彼らには自然で鳴く鳥の声のように聴こえるのかも知れない。この演奏から、名画が描かれた時と同じ光彩を取り戻すように、汚れのない音楽の再現を聴き得たのかどうか、反問した。




アムステルダム・コンセルトヘボウ(アシュケナージー1986

藤沢市民会館 1986.9.23

指揮者:アシュケナージ
ピアノ:アシュケナージ

演題
ラヴェル:道化師の朝の歌
モーツアルト:ピアノ協奏曲17番K.453
ドヴォルザーク:交響曲第8番作品88

アシュケナージは1962年チャイコフスキー・コンクールで優勝以来、ピアニストとして活躍してきたが、最近では(1974年以来)指揮者での活動が目立つ。当日も指揮をしながらの演奏であった。かりやすくそして良く唄い、聴き手を楽しませる音楽をする。(別稿;アシュケナージを追って参照)
アムステルダム・コンセルトヘボウは1888年初演を行っていらい、大指揮者メンゲルベルグ、オイゲン・ヨッフムが育て、最後はハイテインクにより不動の位置を築いた。

「ラヴェルの朝の歌」は、精密な色彩感にあふれた曲だ。R。シュトラウスの<オイレンシュピーゲルのゆかいな仲間達>が好きで、道化師狂言回しのような一節が含まれる。

モーツァルトのピアノ協奏曲はウィーンにうっつてからのピアノ曲の全盛期の作曲であり、流れるような美しい曲だ。

ドヴォルザークの第8番交響曲は、ヴォヘミアの美しい田園風景を想像させる旋律が、美しく流れていて「新世界」に匹敵する名曲だと思う。アシュケナージの指揮も冴えた。








C・クライバ―の指揮をYou Tubeで見る

YOU TUBEでC・クライバーの「リンツ」があり、聴いてみた。
正直驚いた。終始クライバーの指揮を映像した内容である。客席で実演をみても、背中しか見えないのだが、舞台側から実写しているので、クライバーの表情・指揮棒の動きが良く分る。
便利な時代になったものだ。今後もどんなことが起って来るのだろう。無知な私には想像がつかない。You TubeにつながりTVでも観ることができる。大型TV大画面で見ることが出来る。

You Tubeのクラシック音楽もかなりの数である。楽しいぞ!私は幸いにも、クライバ―の実演奏を3回聴いた。
初回は1987年1月2日:バイエルン国立劇場で「こうもり」
2回目は1994年10月:ウィーン国立歌劇で「ばらの騎士」
3回目は1988年9月:ミラノ・スカラ座の「ボエーム」を神奈川県民会館である。
彼の指揮は常に生き生きとした音楽を生み出す。彼の指揮棒の流長な動きは,名俳優の舞台演技に似ている。聴く者にとって音楽が良く分かるのである。その点で彼に勝る指揮者はいない。彼の日本公演には、日本側の莫大な支払いがあった事で知られる。老後が保障できる位の巨額の出演料という風評があった。

それにしても、便利な世になったものだ。YOU TUBEを検索し、音楽をそのままTVで写せ、聴けるようになった。また i  TUNEでPCからTVで聴くことが出来、いわゆるPCオーディオと称する分野では、音質を含め目覚しい進歩だ。自分のスピーカーシステムで聴くことが出来る。因みにMOZARTを検索すると、5,490,000の演奏が聴けるのだ。
更に、私は目の老化で車中では本が読めず、娘が呉れたipod nanoに好きな曲1200曲を入れ、(腕時計兼用)イヤフォンで聴いている。先日ある人から,補聴器ですかと言われ、慌ててNO!と言った。
歳相応を心掛けないと誤解される。




xx学園音楽祭を聴く

プラザー大ホール:2013年12月
演題
  
5年生
この歌を
鞠と殿様
        
6年生
流浪の民
ありがとう
  
7年生
地球の鼓動
地球星歌
  
職員合唱 オーケストラ カルメンより   
「アラゴネーズ」   
「ハバネラ」   
「闘牛士」
   
8年生 「GLORY to GOD」
Ⅰ.“Jesus IN CREASED IN WISDOM AND stature、
AND IN FAVOR WITH GOD AND MEN”  
2.“DO NOT WORRY”  
3.“YOU SHALL LOVE THE LORD

孫は8年生、下校後は自宅近くに住んでいるグランドパパ(私)・ママの家に立ち 寄り、その日の鬱憤をジジババの家ではらしてから自宅に帰るのを日常としている。 孫の鬱憤は多岐に亘る。部活テニスの成果、交友、読書・ビデオ・映画・ゲームの 報告、そして最後に、学業の成果を少々話す。
老齢の私達は、孫のスピードについて行けず、苦労する。 孫は、今年急に成長し、アレヨ・アレヨ!という間に私より10センチも身長が伸びてしまった。 声変わりも無事終わり、いまや我が家第一のテナー歌手だ。 彼は、意味がよく判らないはずの英語の歌詞を、一度で簡単に正確に暗記して、大声で謳う。 彼の所為 で、 私 は「ONEDIRECTION」「JLS」「KATYPERRY」 「BACKSTREETBOYS」「TALORSWIFT」等々を日常聴く羽目となっている。

さて、当日の音楽会だが、8年生の我が孫は、今新進作曲家として活躍している田村修平の「GLORYTOGOD」から三曲を謳った。 若さあふれる200余名のオーケストラと合唱は、保護者の暖かい拍手を超え、同年代の奏でるオーケストラの響きに調和した。
特に最後の曲:“you shall love the lord”は全生徒が全エネルギーを注いで謳い終わった。保護者には、若者の気取りの無い歌声の中に過去のわが青春の 想いが、蘇 よみがえったに違いない。

1番の曲は、イエスの成長・賛美である。 “Glory to god ㏌ the highest, and on earth peace, good will toward men!” Jesus increased ㏌ wisdom and stature, and ㏌ faver with God and Men.

2番は、困難な状況に対するイエスの言葉である。 Ask, and it will be given to you; and you will find; knock, and it will be opened to you.
求めよ、そうすれば、与えられる。
探せよ、そうすれば、見つかる。
叩けよ、そうすれば、開かれる。

3番は、イエスの賛美・隣人愛に関する言葉である。 For Yours is the kingdom and the power and the glory forever. "You shall love the lord your God with all your heart, with all your soul, with all your strength, and with all your mind, and your neighbor as yourself"
冬の日にも拘らず、暖かい光が、長い影を引く、幸せな夕暮れであった。



フイルハーモニァ管弦楽団(シノポリー)

藤沢市民会館 1998.9.17

指揮:ジョセッぺ・シノポリ

演題:
シューマン ;交響曲第2番ハ長調 作品61
ブラームス 交響曲第1番ハ短調 作品68

フィルハーモニア管弦楽団は1946年創立されたが、話題性に富む楽団だ。まず創立者は名ソプラノ歌手シュワルツコップの夫である。そして歴代指揮者には、トスカニーニ、フルトヴェングラー、カラヤン、R.シュトラウス、クレンペラー、マゼール、ムーティが名を連ねる。そして一度は消滅の危機を迎えるが立ち直り、世界中を巡業して今日を迎えた。日本でも6度演奏した。
シノポリは1946年イタリアの生まれで指揮者としての活躍は1975年からである。1986年にはミュンヘンで私の大好きな「運命の力」を指揮、大成功を収めている。過去6回来日し、私も4回目だ。今や巨匠の域に達している。

シューマンの第2番は、彼が精神病の兆候が表れた小康の間の作品である。独自の深い感情表現が、緊張感をもって迫ってくる。

ブラームスの1番は、4曲の交響曲の中で、べートーヴェンの影響をもっとも強く受けている。ベートーヴェンを回想しながらも独自の作風が感動的に浮かび上がる。さすがにブラームスとなると、有名な指揮者の録音に事欠かず、私は、メンゲルベルグ、カラヤン、バーンスタイン、ワルター、フルトヴェングラー、ベーム、C.クライバーを所有し愛聴している。


国立パリ管弦楽団(ダニエル・バレンボイム

1989.3.8  昭和女子大学人見記念講堂

指揮:ダニエル・バレンボイム

演奏:国立パリ管弦楽団

演題:
モーツァルト/ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595
ピアノ:バレンボイム
チャイコフスキー/交響曲第5番ホ短調

パリ管弦楽団は、前身は1828年創立されたパリ音楽院管弦楽団(世界最古)だ。サル・プレイエルホールを本拠地とし、年間15万人の聴衆を集める。

バレンボイムは、ブエノスアイレス生まれ、10歳の時イスラエルに移住した。
その後の恐るべき演奏活動は、彼のピアノを聴いたフルトヴェングラーをして<彼は驚くべき天才だ>と言わしめた。愛妻で名チェロリストのデュプレの病状が悪くなり、今回の演奏はかなり苦痛であったように新聞が伝えていた。

モーツァルトのピアノ協奏曲27番は、最後の協奏曲だ。死の11か月前に作られた。ウィーンでの人気が低迷し、経済的に困窮していた時の曲だ。
管楽器の澄んだ美しい響きのオーケストラをピアノの独奏部が融合、長調と短調対比から生み出される緊張感は、モーツァルトならではの世界だ。
終楽章の愛らしい主題は、K.596の「春への憧れ」と同じ音で始まる。透明で明るいようだが、底抜けの明るさは無くなっている。

チャイコフスキーの5番は、民族主義的ロマンチスズムの強く表れた作だ。初演は評論家から酷評を受けたが、聴衆から支持されたという。6番の「悲愴」とともに上演回数が多い曲のように思う。




スイスロマンド管弦楽団(アンセルメ)

東京文化会館 1968.6.24

指揮者:エルネスト・アンセルメ

演題
ベルリオーズ:幻想交響曲
ストラヴィンスキー:火の鳥
ラヴェル:ラ・ヴァルス

スイスロマンドとアンセルメの組み合わせは、たまらなく嬉しい。加えて最高の選曲”だ。ジュネーブを本拠とし、フランス語、イタリア語、ドイツ語の混在する中、最もフランス音楽を得意としている。
アンセルメは、スイスロマンドを一流のオケにした育ての親だ。得意はバレー音楽だが、そのリズム処理と色彩的音づくりの上手さで右に出るものは無いと評される。アンセルメは2度来日した。1964年と今回である。帰国した8ヶ月のち85歳、ゆかりのジュネーブで生涯を終えた。

「幻想交響曲」は、女優アンリェット・スミスソンに24歳のベルリオーズの情熱は燃え、灼熱の恋となり、書きあげたのが幻想交響曲である。彼は曲の出版の時、次の解説を付けた。「激しい欲情と豊かな想像力をもつ若い音楽家が、その欲望を抑えきれず、アヘンを飲んで自殺をはかるが、深い昏睡状態に入り,怪奇な夢を見る。
その夢の中に彼の官能や心持や思い出は全て音楽的な想念となって表れ、彼の恋人は一つの旋律となっている。この愛人の旋律は彼が至る所で体見、かつ聴く「固定観念」なのだ。」幻想交響曲はひとつの主題を中心に展開されこの主題がいろいろ姿を変えてつながる。最も演奏回数の多い曲だ。私は、シャルルミンシュ指揮のパリ管弦楽団のLP盤を愛聴している。

「火の鳥」はロシアの民話を音楽化したものだ。火の鳥が呉れた黄金の葉の援助により、魔王から逃れ、王女、王子はめでたく結ばれる。無名時代のストラヴィンスキーのバレー音楽である。

「ラ・ヴァルス」は、円舞曲である。ラヴェルが総譜に書いている。<揺れ動く雲の間から相抱いて踊る人たちの姿が見える。雲が晴れるにつれ多くの人たちが踊り動いている。その光景が段々と明るくなって、クライマックスに達する。>
フランス音楽の精髄を味わった良い日だった。





音楽は、朝から晩まで、聞こえてくる。

早朝 朝日が登る頃、森の中では一番鳥が鳴く頃は、バッハやモーツァルトの弦楽がいい。
荘厳な宗教曲もいい。マタイミサ曲や荘厳ミサ,レクイエム等だ。ブランデンブルグ協奏曲などもいい。
かって朝からマーラーをきいていて家族から止めて欲し朝一番で聴くBACHは、心地よい。

リヒテルの弾く「平均律」は、身も心も引き締まる。私はリヒテルのLP録音の「平均律全集」が好きだ。また、グレングールドのピアノは、格別な味がする。フォーレの「レクイエム」も同じだ。
昼は、ベートーヴェンが良い。人間の苦悩と葛藤を、感動と涙で洗う。そして生きる活力と勇気を与えてくれる。3,5,7,9番の交響曲、そして中期弦楽四重奏、オペラのフデリオ、ピアノ・ソナタ、そして彼自身の生涯の苦折に想いを馳せる。

三時は、COFFEEを飲みながら、ジェリエット・グレコのシャンソンに耳を傾けるのは如何?パリの風が吹き、オムレツの匂いがして来る。
またローズマリー・クルニー、サラ・ボーン、ウィーリ、ベラフォンテ等々のJAZZ・ VOCALもよかろう。
 
また、ミュージカルの定版「WEST SIDE  STORY」 「MY FAIR LADY」「CARNIVAL]等が楽しい。3曲とも1960年代に、ロスとロンドンで聴いた。
「THE BEATLES」はクラシック音楽と現代を繋ぐ存在だ。最高のTEA TIMEを演出する。BEATLESファンは多い。普遍性を内包している。

MOZARTは、何時でも感動的だ。交響曲は30番台から41番までを良く聴く。ピアノ協奏曲の美しさは、21番からの後半が素晴らしい。クラリネット協奏曲k622や幻想的ピアノ曲は、天才モーツァルトの独壇場だ。
  疾走するMOZARTを、私は特に彼の弦楽四重奏や弦楽五重奏で感じる。ここには、音楽の持つ魅力が凝縮されている。





聞きたい時、聴きたい曲と演奏家(夕べ)

黄昏に聞く音楽は、JAZZ演奏がいい。マイケルジャクソンやマイルス・デーヴィスのトランペットを聴きながら、鼻歌を歌うのはどうだろう。因みに私は音痴、孫から笑われる。歌曲を味わうのも、夕暮れに相応しい。

若し恋する人との夜であれば、未来への希望と、歓喜溢れるべ-トーヴェンがいい。オペラをTV鑑賞するもい
失恋の悩みで苦しみの最中にある人の夜は、シューベルトやベルリオーズ、ワグナーに聞き入るも良かろう。ワグナーの「トリスタントとイゾルデ」で泣き、儚い幸いをシューベルトに見るもよかろう。
クラシック音楽で癒されない人は、失恋の哀しみを、軽い音楽演奏で気を紛らわすのがいい。高橋真梨子のcome back to meなどがいい。高橋が解決の糸口を教えてくれます。

眠れぬ夜を過ごすには、ショパンの「ノクターン」を聴く。
安らぎを得るには、アシュケナージやフランソワの名演奏盤で癒されるだろう。またグレングールドの弾くゴルドベルグ変奏曲を聴き入るのも良いだろう。


ベルリン祝祭交響楽団(ロリン・マゼール

ベルリン  1961・10・05

指揮者 ローリン・マゼール

バイオリン:GERTY・HERZOG

演題:
JUAN CARIOS PAZ;1960年
BORISBLACHER; クレメンティ主題によるヴィオリン協奏
ベルリオーズ; 幻想交響曲

ローリン・マゼールは、1930年生まれ、トスカニーニに見出された。11歳でNBC交響楽団にデビューした。活躍最中若くして溺死した。バイオリニストのHezoxは当時著名なバイオリニストとして活躍していた。



ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団(ハンス・グラーフ-1991)

1991.3.19  サントリーホール  モーツァルト・フェスバル

指揮:ハンス・グラーフ

演奏ザルッブルグ・モーツァルテウム管弦楽団
ソリスト:フルート/ヴォルフガング・シュルツ

演題
モーツァルト/交響曲第33番K319
      フルート協奏曲第2番K314
      交響曲第36番「リンツ」K425

ハンス・グラーフはモーツァルトを得意とする指揮者だ。またシュルツはウィーン・フィルの首席フルート奏者で独奏者としても名高く多くのCDをリリースしている。
第33番交響曲は穏やかで、牧歌的であり「モーツァルトの田園交響曲」ともいわれる。
「パリ」交響曲以来5年ぶりの交響曲であったが、私には「パリ」交響曲の雰囲気を残しているように思う。

フルート協奏曲を2曲しか書かなかったとよみがえる。が1曲はオーボエ協奏曲からの編曲であるようだ

「リンツ」は大好きな曲である。停車した電車の窓からリンツの街をみた記憶が蘇る。静かな街だった。モーツァルトは新妻と3週間滞在し4日で作曲したというから、超人の域を越えている。




ザルツブルグ・モーツァルテウム管弦(グラーフ-1988)

神奈川芸術祭参加  1988.11.25 茅ヶ崎市民文化会館

指揮:ハンス・グラーフ

演奏者;ジャン・ピエール・ランバル(フルート)

演題:
モーツァルト/交響曲第40番K。550
       /フルート協奏曲第2番K。314
       /交響曲第41番「ジュピター」K。511

小林秀雄の名著「モーツァルト」の有名な冒頭の一節は、<「もう20年も昔のことを、どういう風に想いだしたらいいかわからないが、僕の乱脈な放浪時代のある冬の夜、大阪の道頓堀をうろついていた時、突然このト短調シンフォニの有名なテーマ―が頭の中で鳴ったのである。脳味噌に手術を受けたように驚き、感動で震えた。百貨店に飛び込みレコードを聴いたがもはや感動は還ってこなかった>第40番のアレグロ部分についての記述である。

モーツァルトは第41番の「ジュピター」、第39番とともに、3大交響曲を、わずか6ヶ月で作曲したがその真ん中に位置する40番交響曲は、哀しみに彩られた多様の響きの中にも、ロマンで美しい情緒の起伏が聴く人の心を捉える。
ジュピターは、輝かしく壮麗で力強く、情緒的な40番と対照的である。指揮者のグラーフは、1979年カール・べーム指揮者コンクールで優勝、現在39歳で、4年前かりら当楽団の首席指揮者を務め、今後にも期待が持てる人だ。

「フルート協奏曲」は、ランバルはフルートの巨匠として、国立オペラ座首席奏者となり、現在は独奏者に専念している。名手のフルートの高雅な唄が、空に舞い上がり、舞い下りる。
モーツァルトを聴く、最上の音楽会で、こんな機会は今後そう無いと感じた。





イスラエル・フイルハーモニー管弦楽団(ズービン・メータ)

サントリーホール 1988.03.09

指揮:ズービン・メータ

演題:
モーツアルト/交響曲36番リンツ
マーラー/交響曲1番巨人(花の章つき)

ズ―ヒン・メータはインドで生まれ育った。母はユダヤ人で、イスラエルとの関連は強い。メータは、第2の故郷のイスラエル・フィルを率いた演奏だったが、今回は覇気に欠けた演奏と評された。交響曲リンツは、私が大好きな曲で、日頃レコードで聴いているが、イマージ的には違っていた。

イスラエル・フィルは1936年世界各地で活躍しているユダヤ系音楽家が結束してパレスチナで創立された。初演指揮者はトスカニーニであった。初めはパレスチナ交響楽団という名称だったが、1948年イスラエル独立宣言によりイスラエル・フィルハーモニィと改名し現在に至っている。3年ぶり4度目の来日である。110名の団員は大部分イスラエル生まれで音楽文化を求める願いと、人道上の動機がこのオケの誕生の力となり、現在がある。

モーツァルト交響曲36番「リンツ」は、モーツァルトがザルツブルグに決別し、ウィーンに向かう途中、コンスタンツェと1週間滞在中、4日間で書き上げた曲だ。テンポの速い爽快なこの曲は私の好きな曲の一つだ。

ラー「巨人」の第2楽マー章「花の章」はトランペットが良かった。ジャン・パウルの小説「巨人」を参照して、タイトルが付けられている。
第1楽章 果てしなき春
第2楽章 花
第3楽章 帆に風をはらんで
第4楽章 座礁 
第5楽章 地獄=深く傷ついた心の突然の表出
第2楽章の「花の章」は、取り去られた時代もあったが、私は好きだ。今回は演奏され楽しんだ。
愛聴盤 リンツ:スイトナー指揮、ドレスデン・スタット管弦楽団LP
           巨人:小沢指揮、ボストンPh。


ロンドン交響楽団(トーマス)

昭和女子大学人見講堂   1989.3.24

指揮:マイケル・ティルソン・トーマス

演目
R.シュトラウス 「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」
ストラヴィンスキー  3楽章の交響曲
ベートーヴェン  交響曲第7番イ長調OP.92

演奏者:ロンドン交響楽団

ロンドン交響樂団は、サウンド・トラックで「スーパーマン」や(スターウオ―ズ)でも、名を知られている。そして指揮者のトーマスも、バッハからガーシュインまで幅広い。1904年創立され、ロンドン最古の楽団である。
指揮者トーマスは、昨年首席指揮者に任命された。さらにベルリン、ボストンの指揮者としても活躍中である。今回が初のアメリカ、日本訪問である。

交響詩「ティル・オイレンシュピーゲル・・」は、14世紀に実在したと言われるいたずら者の名で、ドイツからフランドル地方をいたずらと奇行をかさね民話となった。その民話を音楽で語ろうという目論みでかかれた。交響詩は小オペラと考えていい様だ。

ストラヴィンスキーは、5曲の交響樂を残したが、これはその内の1曲である。第1楽章でピアノ、第2楽章でハープ、第3楽章ではその両方、が主体楽器で使われる。ストラヴィンスキーは、この音楽は特定の内容を示すものではなく、絶対音楽であると言っている。
彼の言は<この交響楽は特定の表題や内容を表現したものではない。絶望と希望の、苦悩と緊張、こんな時代に生きた印象がこの音楽に爪を残しているのをみるであろう>と。

ベートーヴェンの第7番は「、限りなく奔放」な音楽であるが、上演は多く出ているので他稿にゆずる。





ベルリン・バッハ管弦楽団(ハルトムート・ヘンヒエン)

1995.3.11    藤沢市民会館大ホール

指揮者:ハルトムート・ヘンヒエン

奏者:ベルリン・バッハ(C。PH。E)管弦楽団

演題:
C。PH.E。バッハ/シンフォニア変ホ長調 Wa。179
ハイドン/歌劇「無人島」序曲
モーツァルト/レチタティヴォ「幸運な影よ」~
   アリア「私はあなたをあとに残すこの別れを」K。255
J。C。バッハ/「6っのシンフォニア」よりシンフォニア ト短調が
J。S。バッハ/教会カンタータ「我は足れり」BWV。82
J.S。バッハ/ブランデンブルグ協奏曲 第3番ト長調ヨッヘン・コヴァルスキー付き

この楽団は1969年ベルリン国立歌劇場管弦楽団のトップ奏者達で結成され。1980年から大バッハの次男C。PH。Eバッハの名をつけるようになった。次男は父に劣らぬ多作の作曲を残した。
指揮者:ヘンヒエンは当年51歳、カラヤンに指揮法を教わった。彼のバトンタッチは鋭い。

シンフォニア変ホ長調は、次男の代表作であり、「多感方式」となづけられている。(プログラム解説より)

ハイドン「無人島」は、歌劇の序曲で、船旅の途中で嵐に遭い、無人島に流され、姉妹だけになったが、男友人が来て恋仲が復活するという目出度い歌劇である。シンフォニックな音楽である。
モーツァルトのアリアは、美しい娘に結婚を申し込むが、すでに恋人がいた娘に断られ、怒って地下牢に閉じ込めてしまう。恋人が地下牢で唄って聞かせるのがこのアリアである。豊かな情感に溢れて、美しい。

J.C.バッハは,大バッハの末息子、モーツァルトに直接影響を与えたことで知られる。
J.Sバッハ(大バッハ)の「教会カンタータ」と「ブランデンブルグ」は、共にバッハ愛好家にとって欠かせぬ作品であるが、私は日頃、リヒター指揮のミュンヘン・バッハ管弦楽団のLP盤で聴いている。カンタータには「世俗カンタータ」も面白い。
なお、カウンター・テノールのコヴァルスキーは、声域が広く、国際的舞台で活躍中の人だ。


ベルリン放送交響楽団(ハインツ・レークナー

サントリーホール 1991.12.16

指揮:ハインツ・レークナー

演奏:ベルリン放送交響楽団
ベルリン放送合唱団

演題
モーツァルト/フリーメーソンの葬送音楽K.477
モーツァルト/モテト「アヴェ・ヴェルム・コルプス」K.618
モーツァルト/レクエムニ短調K.626

ベルリン放送交響楽団は1924年創立された最も古い歴史を持つ放送交響楽団である。音の精確さと均質性を称賛されてきた。さらにコッホによリ創立されたベルリン放送合唱団の共演で均質のとれたハーモニー、陰影感に満ちた音色で聴衆を魅了する。総勢は65名である

指揮者のレークナーは、1984年から5年間読売日本交響楽団の常任指揮者だった。つねに説得力を持ち、作品の本質にせまる演奏をする。すでに18年にわたりベルリン放送交響楽団首席指揮者を務め、ドイツ的伝統を守りつづけている。本日の演題は、晩年のモーツァルトの作品を並べた。古典派の音楽では端正な造形を示すという指揮である。

フリーメーソンの葬送音楽は、(フリーメーソンとモーツァルトとの関わりは、かなりの憶測を後世に残しているが)、この曲は2人の有力なメンバーの告別式のためつくられた。彼のフリーメーソンへの信条をも示す作品である。
モテットは妻コンスタンツェの世話をしてくれた人のために書かれたものだが、モーツァルト晩年の円熟と明晰な美しさをもついい曲である。妻が大好きにのせしている。

レクイエムは最後の曲で、映画モーツァルトでも有名になった。死の前日まで作曲を続けたが未完に終わった。未亡人コンスタンツェの依頼で弟子ジェスマイヤーが補完した。
コンスタンツェ




マーラー;スペシャル演奏会(サヴァリッシュ

サントリーホール   1989.4.28

演奏者:NHK交響楽団

指揮者:ウオルガング・サヴァリッシュ

さすらう若者の歌/バリトン:フイッシャ―・デイ―スカウ
交響曲第4番「大いなる喜びの讃歌」

ソプラノ;ユリア・ヴァラディ

数年前からマーラーブームが起こっている。
私がマーラーの音楽に驚いたのは1975年頃だったと思う。たしかワルター指揮のLPで4番、5番あたりだ。世の中にこんな音楽が存在するのか?あまりにも起伏の多い感情の揺らぎ、しかしとても魅力的なのだ。
やがて1番の巨人と2番の復活が好きになった。好きを通り越して麻薬のようにきいてきた。出勤前の朝から聴いていると幼い娘から苦情が出た。「朝からのマーラーは止めてほしい」と。妻はマーラーが気がくるっている、狂人ではないかと言う。四面楚歌の中で私は堪えた。
たしか指揮者宇野さんの評で、マーラーの大地の歌を絶賛され、あの終末の声を理解できぬものは人間でないと書いてあり、早速カサリン・フェーリアの芸術というLPを購入し聴いた。そして(永遠に、永遠に・・・)と消えて終わる声に涙した。どうやら俺も人間だ!と。

サヴァリッシュは、マーラーを振ることが少ない。とくに5,6,7番等は、理解できないと話している。私は、マーラーを聴くと後期古典派のロマンをこえ、現代ジャズにもつながる様な音感がある様に思う。当日は,デイ―スカウ夫妻の最高の技法と歌唱力に、感服した一夜であった。

1911年マーラーは50歳でこの世を去った。「大地の歌」完成の3年後だ。妻アルマ・マーラ―に「やがて、わたしの時代が来る」と断言した言葉どおりマーラーは世界を征服した。
余談だが、アルマは美人でウィーン社交界の花形であったので、マーラーの死後、画家クリムトをはじめ数人の有名人と浮名をながし、画家ココシュカとの交際の後、有名建築家のグロビウスと再婚した。自著「わが愛の遍歴」に詳しい。


ケルン放送交響楽団(ベルチーニ)

サントリーホール   1990.11.21

作曲家:マーラー

交響曲第4番ト長調
交響曲第1番ニ長調「巨人」

第4番の最終章では、マーラーの愛した民衆詩集「子供の不思議な角笛」が挿入され、天国の喜びを唄って終わる。

「巨人」は、ジャン・パウルの大河小説「巨人」から名づけられた。第一楽章はカッコウの鳴き声が聞こえる静かな序奏が彩りを添える。第2,3楽章でいくつかのメロディがきこえてくる。親しみの沸く曲だ。フィナーレは嵐のようにという激しい楽章で終わる。9番とともに良く演奏され、多くの指揮者が録音盤をリリースしている。
私も大好きな曲だ。第4番はBruno Walter指揮のウィーンフィル、第1番「巨人」は小澤征爾のボストン交響楽団1987版、Walter指揮のニューヨーク1954年版、Bernsteins指揮のアムステルダム・コンチェルトヘボー等が好きだ。


ケルン放送交響楽団(ベルティーニ)マーラー・チクルス

(1990.11~1991.12まで2年にわたり9回)全曲を聴く  サントリーホール(全回)

マーラーの音楽を最初に聞いた時の驚愕を想いだす。狂気の音楽だと思った。しかし繰り返して聴くうちに虜になり、マーラーなしで過ごせなくなった時もあった。

美人の誉れ高く、作曲もした妻アルマに「君は作曲を辞めた方がいい、何故なら俺が全自然を描き出してしまったから」といったマーラーの一端を理解できた時期もあった。

指揮者ベルティーニはソヴェト生まれで、イスラエル、エルサレム・フィル等を歴任し、今やヨーロッパ指揮界の中核となった。特にマーラーの演奏指揮には定評があり,第1人者であろう。
ケルン放送交響楽団は1983,1988年と2度来日し、今回は3度目である。
私は1985年ベルティーニ指揮のCD盤を持っていて、情熱的で、透明度の強い陰影の見事な演奏に聴き惚れていた。指揮の精確さ、明晰この上ない指揮棒の動きに魅了された。チクルスは3回に分けられたが、振りかえって見たら、全チクルスを通い詰めて終わった。当時は若かったのだ。

第一チクルス
第1回   1900.11.20
交響曲第3番「夏の詩」
メゾソプラノ/フローレンス・クィヴァ
東京少年少女合唱団

第2回   1990.11.25
交響曲第2番「復活」
ソプラノ/クリスティナ・ラーキ
メゾソプラノ/フローレンス・クィヴァ

第3回   1900.11.30
交響曲第5番

第2チクルス
第4回   1991.2.13
交響曲第6番「悲劇的」

第5回   1991.2.10
交響曲第9番

第6回   1991.2.22
交響曲第7番「夜の歌」

第3チクルス
第7回   1991.11.12
交響曲第8番「千人の交響曲」
第1ソプラノ/ユリア・ヴィラディ
第2ソプラノ/マリアンネ・ヘガンダー
第3ソプラノ/マリア・ぺヌーティ
第1アルト/フローレンス・クィヴァ
第2アルト/アン・ハウルス
テノール/ポール・フライ
バリトン/アラン・タイトス
バス/ジークフリード・フォーゲル

第8回  1991.11.16
交響曲第10番 「太地の歌」
テノール/ペン・ヘフナー
アルト/マリアナ・リポブシェック

第9回  1991.11.21
交響曲第4番
交響曲第1番「巨人」
ソプラノ/白井光子

 以上が演奏会の日程であった。内容については次稿を参照されたい。





べルチーニのマーラーを聴く

サントリーホール 1991.2.22

作曲家:グスタフ・マーラー

演題
交響曲第7番ホ短調「夜の歌」

この曲全体の調性が定めにくく、失敗作だという。初演はプラハで、2,3,4、楽章が夜ホルンではじまる夜の歌だといわれる。ベルチーニにとってマーラーの作品はかってない人間的な音楽と認識され、それガ演奏に反映されて、耳を傾けるもののこころを動かすのである。ベルチーニ演奏の根底にはユダヤ系である彼の血が、おなじユダヤ系のマーラーを理解し、知的理解を超えた生理的な広がりがあるようだ。




ケルン放送交響楽団(ガリー・べルチーニ)マーラ10番

サントリーホール   1991.11.16

指揮:ガリー・べルチーニ

出演:テノール:ベン・へプナー
    アルト:マリアナ・リポプシェック

第10番は、5楽章の構成の計画だったが、第1楽章の完成の後果たせずアダ―ジオのみ残された。
大地の歌は、李白、孟浩然など漢詩の独語訳を基にマーラーの世界観を表わした作曲である。第9番交響曲とすべきところ縁起をかずいて大地の歌となづけた。その後書かれた第9番の1年後、死去しているので縁起は生きていたのである。
大地の歌の最終楽章は「告別」でマーラーの死に対する思いが反映されている。「永久に、永久に・・・」と消えていく声でおわる。初演は親友ワルターによりマーラーの死後6ヵ月であった。マーラーは生存中に聴けなかったのだ。初演は親友ワルターであった。
愛聴盤:「カースリン・フェリアの」大地の歌」ワルター指揮:ウィーンフィル


マーラーの第9番交響曲(ガリー・ベルティニー)

サントリーホール  1991.2.19

ガリー・ベルティニー指揮

ケルン放送交響楽団

バーンスタイン亡き後、マーラー演奏の担い手となったベルティニー待望の第9番である。昨年から続けてきた日本でのチクルスの最後を飾る演奏会であった。
総じて、名演奏であった。私の心に残像が今も消えない。

マーラーの最後の交響曲となった9番は、マーラーの死の1年前に書かれ、死後1年演奏されなかったが、真の理解者であり友であった名指揮者ブルノ・ワルターにより初演され世に出た。ワルターは「終楽章において、彼はこの世に決別を告げる。その結尾は、あたかも青空に溶けている白雲の様に閉じられる。」と述べている。
また渡邊護氏は、「それは消滅と未来とを同時に予知している不思議な気分の楽章であるから」と述べている。

私もこのアダージョの終楽章を溺愛する。私は気が付いたら涙が頬をつたっていた。あの大地の歌の、永遠(とわ)に、永遠にと繰り返され消えてゆく終楽章が再現される・・・この演奏のライブ盤がEMIから出て購入し,この日の感激を味わっている。偶々自分の聴いた曲のライブを持っているのは、内田光子の「モーツアルト幻想曲ほか(サントリーホール1991.5)」だけであり私には貴重である。
マーラーの音楽を最初に聴いたときの驚愕を思いだす。狂気の音楽だと最初は思った。しかし、繰りかえし聞くうちに虜になり、マーラーなしに過ごせなくなった期間もあった。美人の誉れ高く、そして作曲家でもあった妻アルマ・マーラーに、「君は作曲をやめた方がいい、なぜなら俺が全自然を描き出してしまったから」といったマーラーの言葉には納得できる側面がある。

私は、交響曲1番巨人、2番の復活、大地の歌、9番、5番、が特に好きで、なかでもカスリーン・フェリアの歌う大地の歌は名盤だ。この日のベルティニーの演奏は、ブルノ・ワルター/ウィーン・フイル、バルビローリ/ベルリン・フィル、バーンスタイン/アムステルダムコンチェルト、に匹敵する演奏だった。一段と掘り下げられた陰影感があり、人間的な潤い、優しさを更に盛り込んだ指揮と演奏者のコンビネーションであった。




マーラー交響曲第8番(ベルティニ)

サントリーホール     1991.11.12

演題:
交響曲第8番「千人の交響曲」変ホ長調

指揮:ガリー・ベルティーニ

合唱:ケルン放送合唱団、プラハ・フイルハーモニー合唱団、東京少年少女合唱隊

出演:ユリア・ヴァラディ
    マリアンネ・へガンダ―
    マリア・べヌーティ
    フローレンス・クイヴァー
    アン・ハウルズ
    ポール・フライ
    アラン・タイトス
    ジ―クフリード・フォゲル

指揮者ベルティーニはソヴィエト生まれで、イスラエル、エルサレムフィル等を歴任し、いまやヨーロッパ指揮界の中核となった。特にマーラー指揮で定評があり、第1人者であろう。
ケルン放送交響楽団は1983,1988と2度来日し、今回は3度目である。1000人の交響曲は、初演で1029人が出演したことで名ずけられたものだ。

ケルン放送交響楽団(ガリー・べルチーニ)・マーラー第10番

サントリーホール   1991.11.16

指揮:ガリー・べルチーニ

出演:テノール:ベン・へプナー
    アルト:マリアナ・リポプシェック

第10番は、5楽章の構成の計画だったが、第1楽章の完成の後果たせずアダ―ジオのみ残された。
大地の歌は、李白、孟浩然など漢詩の独語訳を基にマーラーの世界観を表わした作曲である。第9番交響曲とすべきところ縁起をかずいて大地の歌となづけた。その後書かれた第9番の1年後、死去しているので縁起は生きていたのである。
大地の歌の最終楽章は「告別」でマーラーの死に対する思いが反映されている。「永久に、永久に・・・」と消えていく声でおわる。初演は親友ワルターによりマーラーの死後6ヵ月であった。マーラーは生存中に聴けなかったのだ。初演は親友ワルターであった。
愛聴盤:「カースリン・フェリアの」大地の歌」ワルター指揮:ウィーンフィル


フランクフルト放送交響楽団(インバル)

茅ヶ崎市政40年記念      1987.11.07
         
 指揮:インバル

演題:
ベートーヴェン 交響曲8番
マーラー    交響曲5番

フランクフルト放送交響楽団は、1973年初来日以来今回が5度目である。第2次大戦のあと、カール・ベームが首席指揮者となり、質的飛躍をとげた楽団だ。インバルは初めての来日?らしい。

ベートーヴェンの第8交響曲は、第7番と一緒に初演されたが、7番ほど良くは批評されなかった。しかしベートーヴェンは、第7番を大交響樂、第8番を小交響曲と呼んだと言う。私はこの二曲は対照的だと思う。7番の溢れる情熱的響きに対し、8番はゆったりとした田園の寛ぎがあり、ともにベートーヴェンの心情を表現している。

インバルのマーラーは、彼のマーラー交響曲の全曲録音により、愛好家に知られている。マーラーの演奏ではインバルとベルティニーが双璧だろう。
マーラーの第5番は純粋な器樂交響樂で、自信に満ちた、しっかりした構築により人生と現実を直視し、新しい音楽を創造している。特に歌謡性が強く、マーラーは常に唄っている。ウィーン第一と言われたアルマ・マーラーを妻に迎えて、彼の人生で最も幸福であった時の作曲だから。

マーラー演奏で忘れられないのが、9番を、ベルティニ―指揮によりサントリーホールで聴いた時は特に出来が良く、最終楽章で涙が止まらなかった記憶がある。マーラーは、あらゆる試みをしていて、奥が深いと思う。それ以来マーラー実演は聴いて損がないと決めている。
インバルの頭髪を長く後ろで結ぶ独特の風貌は変わらなかったが、音楽の全体像は明確になっていた。
愛聴盤: ベートーヴェン 8番 フルトヴェングラー ベルリンSO、ワルター コロンビアSO. マーラー  5番   インバル フランクフルト放送SO.   バーンスタイン ウィーンO.   べルティニー ケルン放送SO.   ワルター  ウィーンPO.



ベルリン・ドイツ交響楽団「レクイエム」(ケント・ナガノ)

サントリーホール  2003.10.28

ベルリン・ドイツ交響楽団

指揮 ケント・ナガノ

演題 
ブラームス: ドイツ・レクイエムOP.45
リーム:  記されたものの解説

出演:ソプラノ;ルート・ツィーザク
    バリトン;シュテファン・ゲンツ
    ベルリン放送合唱団

50年の歴史をもつベルリン放送交響楽団から、1993年ベルリン・ドイツ交響楽団に改称した。有名指揮者達の後を継いで、ケント・ナガノは2001年から主席指揮者に就任し、ベルリンの巨匠達と肩をならべ、今や世界に知られる存在となっている。
ナガノが初めて知られるようになったのは、「アッシジの聖フランシスコ」の世界初演の際、メシアンが小沢征爾の助手として彼を指名した時であった。レコーディングも数多い。
「記されたものの解説」の意味は、ブラームスのレクイエムの音楽的な解説をリームが試みたということにある。

ナガノは、この二つの曲「レクイエム」、「記されたものの解説」を、一楽章毎に交互に演奏した。
リームの作品は歌詞が無く、言葉のない詩作で、静かで瞑想的であり、聴き手はブラームスの音楽をもう一度かみしめることになる。ケント・ナガノの狙いは見事に的中していた。戦争レクイエムと俗称されるドイツ・レクイムに新境地を開いた試みであった。ケント・ナガノの欧米での評価は高いが、日本であまり知られていないのは残念である。





アッシジ聖堂でミサを聴く

フランシスコ大聖堂   1997.6.7 19:30

演題
バッハ O RE DEI RE
モーツァルト NINNA NANNA
Anonimo STELLA  LENDENS
ESECUTORI CANTORI DI SIST I BIANCHI LA SERA SUI ONTI

近くのホテルSUBASIOに宿泊したが、ミサが21時に終了しホテルに帰ると、夕食は8時で終わりという。外にでて食堂を探したが、小さな町でみんな終わっていた。お腹が空いて、困った。
妻がコンビニを見つけ、何か分からぬものを買い、部屋で頂いた。旅では思いがけないことが起こるものだ。

教会の聖堂内では僧侶の動きなど 敬虔・荘厳が充満し、音楽が終わり、聖堂から出ると眼下にウルビーノの野原が夕日に映えて、見事に展開していた。その美しさは生涯忘れ得ないものだった。




BACHの「マタイ受難曲」(リヒター)

出演者:
エヴァンゲリスト(テナー);エルンスト・ヘフリガー
イエス(バス);キート・エンゲン
ピラトの妻(ソプラノ);アントニー・ファーベルク
アリア(ソプラノ);イルムガルト・ゼーグフリート             
アリア(アルト);ヘルタ・テッパー
アリア(バス);フィッシャー・ディースカウ
           ミュンヘン・バッハ合唱団

リヒター指揮の「マタイ受難曲」は名演奏盤として名高い。この曲の録音盤は多いが、リヒターの人間味豊かな包容力溢れる音楽はバッハの精神力に一致し、聴く者をバッハの音楽に導いてくれる。             
この曲を最初に聴いた時の、不思議ともいえる高揚感を私は忘れることが出来ない。バッハを超え、音楽をも超えた、大きななにかを感じた。
                     
クュック・アンドレ・マルセルは言う。
<年配者は、イエスの死によって心動かされ瞑想に耽るのだ。この曲の情熱はうわべだけのものではない。音楽が展開するにつれて、並外れた慈愛がしみわたるのを感じる。心が中心にあってこの中心に向かって、アンサンブル、アリア、レチタティーヴォのあの荘重な行列が絶えず接近し、やがて死せるキリストとの対話に達する。私はこのような例を他に知らない>と(門倉一朗訳・白水社)。同感である。

又丸山真男は、<どんなオペラよりもオペラチックである>という。<バッハは不幸を描きはするが、その不幸によって死ぬことは無い>と。

私は、1990年、オーチャードホールで、ゲバントハウス管弦楽団による「マタイ受難曲」の演奏を聴いた。合唱は聖トーマス教会合唱団で、テナー歌手はペータ・シュライヤー、バリトン歌手はテオ・アダムという豪華な顔ぶれだった。〈拙書「そのⅠ」、124頁)

その文中で私は、<最後の合唱曲につき「涙とともにうずくまり、墓の中のあなたを呼ぶ」はぬかずくような身振りをもった美しい葬送音楽として、「憩え、安らかに、安らかに憩え」と、感動的に受難曲をしめくくって終わる>としている。
近年、歳とともに、神と人間、信じることと生きること、が命題になってきた。愚者の我身には、<愚者に相応したなにか>が得られればと思う。恐らくそれは教わるものではなく自分で創出し、確信するものだろうと思う。信じる者は救われる。<なにか>は未来を予想し希望にあふれる。私が感じた音楽を超えた大きなもののヒントがここにあると思う。そんなことを考えさせる不思議なバッハの音楽「マタイ受難曲」である。

私はこの曲を聴きながら、数冊の本を読んでみた。
文献
アンドレ・マルセス「バッハ」
杉山好「聖書の音楽家バッハ」
蟻山雅「マタイ受難曲」
樋口隆一「マタイ受難曲」
吉田秀和作曲家集 

吉田秀和さんは、<あらゆる音楽の中で、もし一曲だけを採れと言われたら、バッハのマタイ受難曲をとるだろう>という。
蟻山雅氏は、微細にこの曲を分析されている。大作で名著だと思う。彼はいう、「この作品には、罪を、死を、犠牲を、救済をめぐる人間のドラマがあり、単に音楽であることをはるかに超えて、存在そのものの深みに迫ってゆく力がある」と。

バッハは、神を信頼する歓びと平安を失わぬ信仰者で一生を終えた。その帰結としてバッハの音楽には常にキリストが存在する。バスで唄われるイエスの言葉は、常に弦楽四重奏で伴奏され、主の姿が微光の中に気高く浮かびあがる。
曲の進行を務める膨大なコラールは、バッハが聖書から選び出して、楽譜に赤色で記載されているという。私は最終の第68曲の合唱が大河のように滔々と流れ始めた時、この曲の偉大さと、<悩める良心の憩い>に感動する。

コラールにより、曲の展開を見てみよう。
第1章   花婿が,子羊のようにー冒頭の合唱
第2章   受難の予言(2~4曲)
第3章   香油を注ぐ女(5~6曲ーマグダラのマリア他)
第4章   血を流すイエスの言葉(7~8曲)
第5章   最後の晩餐(9~13曲)
第6章   オリーブ山にて(14~17曲)
第7章   ゲツセマネの園の苦悩(18~25曲)
第8章   捕縛(26~29曲)
第9章   イエスを探す美女(30~37曲)
第10章  明暗を分けた悔い改め(38~42曲)
第11章  流れ下る愛(43~49曲)
第12章  血にまみれた十字架(50~58曲)
第13章  イエスの死(59~63曲)
第14章  おのが心への埋葬(64~68曲)

最終合唱(68曲)を記す。(蟻山雅氏訳)

私たちは涙を流しながらひざまずき
墓の中のあなたに呼びかけます。
お休み下さい、安らかに、安らかにお休みくださいと。
お休み下さい、苦しみ抜いた御体よ、
お休みください。安らかに、お休みください心地よく。
あなたの墓と墓石こそ、悩める良心にとってのくつろいだ憩いの枕、
魂の憩いの場となるべきもの。
お休みください。安らかに、安らかにお休みください。
その時この日は、こよなく満ち足りて眠りにつくのです。
私たちは涙を流しながらひざまずき
墓の中のあなたに呼びかけます。お休みください。安らかに、安らかにお休みくださいと。
私は北陸の浄土真宗の家で生まれ、母と祖母が熱心な信者で、その様子をみて育った。我が家で親鸞の報恩講を開くこともあり、小学生の頃から、坊さんの説教を聴いて育った。講の終わりに受講者による和讃が唄われたが、それは、天井の高い和室にこだまして、敬虔な清らかな合唱となり、プロの合唱団に伍すると思われた。老齢の今、「マタイ受難曲」と「在所の人達が奏でる遠い昔の和讃の想い出」が重なって聴こえて来るのである。
所蔵比較盤(参考)
Ⅰ。フルトヴェングラー指揮:ウィーン・フィル管弦楽団(1954年のライブ)LP盤)
Ⅱ。オットー・クレンペラー指揮:フィルハーモニア管弦楽団(LP盤)
Ⅲ。アーノンクール指揮:アムステルダム・コンチェルトヘボウ管弦楽団(CD盤)



日本モーツァルト協会/RequiemK.V。626を聴く

没後200年命日記念ミサ 1991.12.05 東京カテドラル聖マリア大聖堂

司式:荒井金蔵 神父
          
指揮:鈴木雅明

独唱:
富本憲子(S)
服部伸枝(A)
石井健三(T)
水野賢司(B)
管弦楽:東京コレギュウム・オリジナーレ
合唱:日本オラトリオ連盟   グレゴリア聖歌:グレゴリアの家



ヴェルディ「レクイエム」(小野田宏之)

2014.11.30   藤沢市民会館大ホール

演題:
ヴェルディ「レクイエム」
    Ⅰ。レクイエムとキリエ
    Ⅱ。怒りの日
    Ⅲ。奉献唱
    Ⅳ。聖なるかな
    Ⅴ。神の子羊
    Ⅵ。絶えざる光を
    Ⅶ。我を救い給へ

出演:ソプラノ;菅英三子
    バリトン;福島明也
    メゾソプラノ;栗林朋子
    テノール;福井敬

指揮:小田野宏之

合唱:藤沢市合唱連盟
                                        
管弦楽:藤沢市民交響楽団

[レクイエム」は、死去した人を記念し、来世での幸福を執り成すために唄われる「死者のためのミサ曲」である。
ヴェルディのレクイエムは、モーツァルトの[レクイエム]、フォーレの[レクイエム]と並んで3大レクイエムとして親しまれているが、イタリア歌劇で名をなしたヴェルディらしく、もっともオペラチックな「レクイム」である。
フォーレの<黙想的で慰めに満ちた曲>、モーツァルトの<悲劇的な祈りの曲>と比較したとき、宗教的な色彩が少ないといえる。

藤沢市民交響楽団は、創立55周年を迎え、団員も100名をこえた。故福永陽一郎による指導で藤沢市民の文化を育ててきた。全国的にも珍しい3年毎の市民オペラ上演で知られる。
ソリストにはプロを招き、ほかは自前で上演する。1800の客席は常に満員である。
さて、演奏が終わって思ったことは、一時間40分に及ぶ大曲を弾き終わった管弦演奏者と、唄い終わった歌い手の人達の達成感の大きさである。
夫々家庭人や、仕事に追われる人々であろう。寸暇を惜しんでの練習であったろう。
オーケストラは若手中心で、歌手には中高年が多いように見えた。中には足を引き摺り乍ら段にあがる老齢者もいた。
音楽を生業としない人達のなかで創造された音楽は、それなりに意味のあるものだと思う。藤沢市は文化都市である。そんな事を想起しながら拍手を贈った。

私はかってパリの聖オーガスト教会と、アッシジの聖堂でレクイエムを聴いた。地元の信者が主体の「モーツァルト・レクイエム」であったが信者の信仰にあふれた感動的な音楽が流れた。両者を比べるのは不当であるが、彼我の差を感じた。

翌日,ゲルギエフ指揮のサンクトべテルスブルグ歌劇場管弦楽団と合唱団による「レクイエム」で聴いてみた。ソプラノ役はメトロポリタン歌劇の女王ルネ・フレミングだ。(この指揮者によるヴェウディの「運命の力」は素晴らしい。私は拙著「私のクラシック音楽の旅」そのⅠで記したが、このオペラを最上と思っている。)

冒頭の静かな永遠の安息を願う祈り、主題の旋律が美しい。口ずさみたくなる仄かな調べだ。
そして、「怒りの日」で爆発する大音響!独唱者たちはオペラの登場人物のように自分の感情を述べる。最終楽章「我を救い給え」まで爆音が続いて終わる。
率直さ、暖かい人間性をもつヴェルディの特質に、オペラ「運命の力」を思い出させた市民による「レクイエム」であった。




「アルゲリッチ、私こそ、音楽」のロードショーを観て

鬼気迫るピアノ演奏をするマルタ・アルゲリッチの真髄を、なんと映画という媒介で見た。実の娘の監督による音楽ドキュメントだ。渋谷村のル・シネマで全国ロードシヨーに先駆けての公開を駆けつけて観た。

恋多き彼女の、壮絶な人生と苦悩を、この映画は浮き彫りにしてくれる。私は、次元の違う彼女の演奏が好きであった。彼女の演奏には音楽の範疇を超えた生の人間が存在すると思う。
彼女は英才教育をウィーンで受けた。コンクール受賞暦はショパン・コンクール優勝ほか多くて列挙できない。1998年から別府アルゲリッチ音楽祭を開催している。
今年74歳だが、3度の結婚と離婚を繰り返し、3人の娘をもった。因みにN響の指揮者を務めたシャルル・ディトワは、2番目の夫である。その他噂の種となった男性は多いようだ。

映画は、実の娘:ステファニー・アルゲリッチ監督によるもので、アルゲリッチ自身が主演という他に例を見ないものである。
映画のなかで、多くの曲を聴かせるが、その激しいダイナミックに驚く。そして肉感的な旋律!
この映画では、過去の名演から、ベートーヴェン、ショパン、モーツァルト、シューマン、ラヴェルを聴かせる。加えて演奏前のイライラ状態から、弾き終わった瞬間に生まれ出る快感を娘が撮影し、映し出す。「音楽との関係は、葛藤の連続、それは愛と同じ」という。また一番感情的に同化できるのは、シューマンだという。

私は1980年代のCDを6枚持っていて聴いてきた。
実演奏はスイス・ロマンド管弦楽団との共演で1987年に聴いている。ラヴェルの「スペイン狂詩曲」、「ラ・ヴァルス」、「ボレロ」そして、モーツァルトの「ピアノ協奏曲第17番」だ。
<彼女の荒れ狂う絶叫の音色、音量、ツヤのある演奏に驚いた>と拙著[その1](97ページ)で書いている。
音楽そのものを人生として生きて、自己流に生きているアルゲリッチ。彼女は肉体の中に自分の音楽をもっているのだ。この人は老いて益々美しい。


ベルリン国立歌劇「トリスタンとイゾルデ」に「愛の死」を想う

NHKホール  1990.11.1

  大江健三郎さんは、随筆「ワーグナーへの遠い旅」で、≪トリスタンとイゾルデ≫につき次のように記述されている。
 <我々のような年齢になれば、死については日々思うことがあるけれども、愛については遠い日を懐かしむようにして、というにすぎない。しかし生涯の終わり近くなり、神秘的なほどの力で、「愛と死」のイデェが深くからみあいつつ恢復してくる・・・。僕はゾクリとおののくような気持ちになる>
大江さんの言葉は、僕の胸にも突き刺さるようだ。「トリスタンとイゾルデ」は、いま常に私を襲いつづけている。

  指揮:ハインツ・フリッケ

 演奏:ベルリン国立歌劇場管弦楽団

 配役:
トリスタン;ハイッキ・シゥコラ
イゾルデ;エヴァ・マリア
マルケ王;フォゲル  
クルベナル;エッケハルト‣ウラシーア
メロート;メーヴェス

私がワーグナーを初めて知ったのは、フルトヴェングラー指揮の1942年版のLP録音「トリスタンとイゾルデ」であり、ワーグナー入門の曲となった。「指輪」を聴いたのは、かなり後であったように思う。
このオペラは、ルッエルン郊外の館で作曲された。私は1987年この館を訪れた。今はワーグナー記念館となっていて、彼が使用したピアノや楽器が保管されている。ルッエルン湖の水面が見える閑静な館であった。
この館の持ち主の夫人であるマルマルデ・コジマとワーグナーは道ならぬ恋に落ちた。この恋が「トリスタンとイゾルデ」の不朽の名作を生むことになる。やがてワーグナーとコジマは二人の子供を儲け、1870年正式に結婚した。二人の愛の軌道をたどれば、一本の道が見える。それは生が辿りつく死とは異なる道だ。

人は、「死あっての生」とか、「生死一体の人生」だという。「愛の死」とか「愛死同一」とかのイディは「生の究極としての死」とは異質のものだ。
愛が辿りつくのは、死であってはならない。愛は無限なのだ。そこに死は無く、むしろ永遠に生きるイディが無くてはならないと思う。大江健三郎はゾクリと感じたのではないか、加齢とともに忘れられてゆく青春と躍動、そして恋を!

私はワーグナーのロマンを自分の青春に重ねて幻想の世界をさすらう時がある。その幻想の深まりとともにワーグナー作曲の所蔵レコードが増えた。
1942年のベルフィルとフルトヴェングラー指揮、ドレスデン国立とK・クライバー指揮、ウィーンフィルとカール・ベーム指揮等々。それは楽しむよりはむしろ苦悩に繋がっているのだが。

蛇足だが「トリスタンとイゾルデ」の悲恋物語は、ケルト世界に起源をもつ伝説だそうだ。その伝説が仏と英で12世紀以後に物語伝承となった。ワーグナーは、哲学者ショウペンハウアーの「意志と表象」を読み、さらにニーチェの「永劫回帰」と宗教の世界にも踏み込んだ。「トリスタンとイゾルデ」には、絶対的な生への意志が否定されている。(石川栄作著「トリスタン伝説とワーグナー」参照)

二人の恋の成就は死でのみ果たされる。前奏曲の<情念と運命>の美しい響きの後、互いの名を呼び合ってトリスタンはイゾルデの腕のなかで力尽きる。イゾルデも「彼が微笑み、空高く上がってゆく」と、唄いながらやがて息絶える。ワーグナーには死によって永遠に生きる生があり、それが浄化されて二人の死が生まれたのだ。その旋律の静けさに、遂げられぬ恋の究極を想うのである。
繰り返すが<曲は伝説と音を離れ,聖なる詩となって展開する>
<この高まる波の中に この鳴り渡る響きの中 
この世界の呼吸が吹き渡る宇宙の中に 溺れ 沈み 我を忘れる この上ない悦び!>
私は死に繋がらず、永遠に繋がる「愛」を求めて生きたいと思う。




ドレスデン国立歌劇場管弦楽団コンサートを聴く

1998.1.26    サントリーホール

指揮:ジュゼッペ・シノーポリ

演題:
ウェーバー/歌劇「オペロン」序曲
シューマン/チェロ協奏曲イ短調OP。129
チェロ奏者:ハンナ・チャン
R.シュトラウス/交響詩「ツアラトゥストラはかく語りき」

知人のご好意により、招待コンサートを聴く事が出来た。この楽団は中部ドイツのザクセンのあるこの音楽都市に1548年宮廷楽団として創立され今年は450周年という。桁外れの年月だ。この間指導に当たった指揮者たちは、ウェーバー、ワーグナー、ベーム、ケンペ、スウィトナー、プロムシュテット、デーヴィス等を経て、今はシノポリーである。そしてオペラ音楽でR.シュトラウスが60年にわたり歌劇演奏を指導したので、<シュトラウスのオーケストラ>と称された。今回は1995年以来の来日である。
演題については3曲とも別稿で書いたので参照ください。(       )


フイラデルフイア管弦楽団/R.ムーティ指揮を聴く

1989.5.24    サントリーホール

指揮:リッカルド・ムーテイ

演題:
ベートーヴェン/交響曲第3番OP.55[英雄]
ラヴェル/交響詩「スペイン狂詩曲」
ラヴェル/「ボレロ」

フイラデルフイァ管弦楽団は、アメリカでその音楽的多様性、革新性で評価が高い。ユージン・オーマンデイが44年間にわたり音楽監督を務め、そしてムーテイが引き継いで育て上げた。新しい音楽を目指し、現代音楽やオペラ活動にも勢力を費やしている。アメリカでもっとも古いホールである・アカデミー・オブミュジック・ホールを本拠地にしており、隣接するマン・ミュジック・センターで野外音楽祭も行っている。

ベートーヴェンの「英雄」交響曲は、彼を世に出した作品である。モーツァルト没後、翌年ボンからウィーンに出たベートーヴェンは、モーツァルトが経験しなかった時代の波にさらされた。ナポレオンの出現、自己中心的風潮、そして苦悩の公開等であった。ナポレオンが凱旋し自ら皇帝と名乗った時、ベートーヴェンは失望した。そして自分を「英雄」と考えたのかも知れない。
フイラデルフイァは、ベートーヴェン交響曲全曲の録音を完了していて、彼らの手慣れた曲だと云えよう。




シカゴ交響楽団演奏会(バレンボイム)

サントリーホール1990.4.26

指揮者:ダニエル・バレンボイム

演題:ブラームス特集
交響曲第2番
交響曲第4番


シカゴ交響楽団は、100年の歴史を持ち、アメリカで3番目に古い。クーベリック、ライナー、マルチノン、ショルティと歴代指揮者は、いずれの時代でもブラームスを取り上げ名演奏を聴かせてきた。特にマルチノン指揮による第4番の演奏は歴史的な名演として録音されている。
当日はこの歴史上このオケの主柱と言える演題であった。

指揮者のバレンボイムは1967年初指揮をして、ピアノ演奏から指揮者を試みた。1989年にショルティの後任としてシカゴ交響楽団の音楽監督となった。

「交響曲第2番」は、<ブラームスの田園交響曲>と呼ばれる。ヴィオリンが奏でる透明な楽想の美しさが素晴らしい。聴くものを陶酔させる。

「交響曲第4番」は、最終楽章で特徴的な低音主題が31回も反復演奏される。ブラームス特有の響きが体に浸透した。サントリーホールの音響がブラームスの弦の響きを倍加させた。




「アッシジの聖フランチェスコ(小澤征爾とメシアン)

世界初演を聴いて      作曲家:オリヴィエ・メシアン

演題:
アッシジの聖フランチェスコ

指揮者:小澤征爾

演奏:1983.11.28(世界初演)
パリ国立歌劇場管弦樂団

配役:
L’Ange;EDA/PIERRE
Saint Franqois;Jose' VAN DAM
Fre're Le'on;Michel PHILIPPE
Fre' Masse'e;Gedrges GAUTIER
Fre're E'Lie;Michechal
Fre're Bernard;Jean/PHilippe COURTIS

小澤征爾は、全ての曲を暗譜して指揮するが、当楽譜は900頁、6時間の演奏を、暗譜で指揮した。譜を見乍らでは楽団員とアイコンタクトができないからと小澤はいう。単に記憶力の良否の問題ではなく、その次元を超えた才能を感じる。

メシアンは、日本に対し、個人的な愛着を公言し、実験工房(武満徹、湯浅譲二、園田高弘)の初期の活動に影響を及ぼした。
メシアン夫妻は日本の田舎や奈良、軽井沢、山中湖、宮島などを巡り、ホトトギスなどの日本の鳥の声を採譜した。「7つの俳諧」はその時の日本の自然の印象を作曲したものだ。1988年12月、80歳の誕生日を世界の音楽ファンにより祝福され、1992年84歳の生涯を終えた。

「アッシジの聖フランチェスカ」は,ライ患者にくちづけし治癒させ、奇跡を起こして聖人となった生涯を、色彩豊かな、心休まる鳥のさえずりとともに味わえる、稀有の音楽である。
私は、1997年アッシジ聖堂にゆき、「小鳥に説教するフランチェスコ」の壁画に見入った。震災前で壁画は美しかった。そして偶々コンサートがあり、バッハとモーツァルトを聴いた(そのⅠ、85頁)

5日前、新日本フィルで、シェーンベルグ、バルトークの無調音楽を聴き、改めて現代音楽について考えた。その時、最初に想起されたのが表題のメシアンであった。1986年小澤征爾と新日本フィルハーモニーで東京カテドラルでの日本初演は聴けず残念だったので、世界初演で絶賛された演奏の仏版CDを購入し聴いたものだ。今日あらためて聴いてみるとこの曲は、新鮮な魅力にあふれている。現代音楽の先駆的な役割を果たしていると思う。 
アッシジ聖堂と壁画の想い出が、音楽を通じて蘇るのである。

そして、メシアンと小澤に共通し貫く<なにか棒のようなもの>に、限りない音楽への情熱を感じる。バッハの受難曲に見られる宗教的な荘厳さは無いが、この曲には天上に通じるきらびやかで豊かな音楽が奏でられている。




映画「ゆずり葉の頃」をみて

2015.6.10    岩波ホール

監督:岡本みね子(故岡本喜八の妻・七六歳)

配役
小川市子=八千草薫
宮謙一郎画伯=仲代達也
市子の息子=風間トオル
その他;岸部一徳、竹下景子、

音楽:山下洋輔

第36回モスク国際映画祭特別招待作品のこの映画は、昔の記憶を支えに生きて来た老女市子の熱い想い出とともに始まり、人のぬくもりに詩的な揺蕩うような時間と感動を与える。優れた芸術は、音楽を聴く人、絵画を見る人に無限の人生讃歌を生み出させるものだ。

物語は市子が幼いころ、こころの通い合った少年と、想い出の水辺で誓いを立てたが、少年はその誓いを実現させ。今は国際的な画家となっていた。
水辺の想い出は、彼の代表作となる。60数年前の想いを胸に秘め、軽井沢での宮謙一郎展で想い出の深い絵を観ようと家族に告げず市子は旅に出る。毎日展示場を捜すが目的の絵は展示されない。一部が毎日展示替えとなることに希望をもちながら・・・。

市子の執着が奇跡を起こす。毎日立ち寄る喫茶店主が宮謙一郎に逢わせるというのだ。市子は全てを隠して、今は盲目となっている宮画伯の自宅を訪れ一ファンとして逢う、「想い出の絵」は画伯の居間に飾られていたのだ。宮にとっても想い出の、最も大切な絵であったのだ。歓談し、二人はダンスを楽しむ。盲目の宮は市子の絵を描きたいといい、市子の体躯をなでながら触感で確かめる。仲代達也の演技が光る。

別れの時が来て、市子は宮夫人(フランス人)に、水辺で少年宮が呉れた記念の品を渡す。夫人から渡された小石を夫人から手渡されて、すべてを理解した宮画伯は号泣する。

帰路迎えに来た息子に市子はいう。「ゆずり葉はまだ生気があっても、若葉が出ると緑葉のまま落葉し土に戻るのヨ」と・・・
まだ生気のあるうちに最後の別れを市子は遂げたのだ。センチメンタルな物語を超えた、リアルな一つの人生を、76歳の岡本喜八夫人は再現させたと思う。岡本監督への愛も伝わってきた。八千草薫の味のある演技と山下洋介の音楽も良かった。いつまでも心に残る映画だ。人生の一齣であるが、あまりにも美しい。




「ダフニスとクロエ」(メルクル

すみだトリフォニーホール   2016.4.22

新日本フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会(557回)

指揮:準・メルクル

演題:
プーランク  組曲「牝鹿」FP36
フォーレ   パヴァ―ヌ OP.50
ラヴェル   「ダフニスとクロエ」   (全曲)

 演題はフランス音楽から3曲選曲されたが、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」で、準・メリクルは彼の指揮棒を心地よく、颯爽と振った。
 ラヴェルにバレエの作曲を依頼したのは、ソヴィエトの著名なバレエ主宰者のディアギレフで、物語の原作はコモンズである。1912年作曲が完成した。

 物語の筋は、祭壇に捧げられる宗教的な踊りの中で、クロエをダフニスは愛するようになる。しかし海賊がクロエを拉致する。3人のニンフが神秘的な踊りにより、パンの神に祈らせて、その力でクロエは解放される。
 この曲の魅力は、ラヴェルの自伝に詳しい。ラヴェルは語るー「この作品は、非常に厳格な音組織に基づき、交響曲のような構成を持つ。主題の展開が全曲を通して様式の同質性をもたらしている」

 構成は 第1部 パンの神とニンフの祭壇の前
      第2部 海賊ブリュアクシスの陣営
      第3部 祭壇の前
 「第一組曲」と「第二組曲」は、ほぼ同じように展開される。

 冒頭低音ィ音の積み重ねから、ホルンによる動機、フルートによる主題が切れ目なくつづき、舞曲となる。その心地よさ!
次に、荒々しい海賊たちの戦いの踊りとクロエの優しい踊りが聴く人を陶酔させる。
第三部は、夜明け・無言劇・全員の踊りと展開し全管弦楽による爆発的な歓喜の中でクライマックスに終わる。ラヴェル作品の中で、展覧会の絵、ボレロと並ぶ人気はおそらく将来も失われることはないと感じた。私は、ミュンシュ、アンセルメ、クリュイタンスの指揮によるこの曲をLPで聴いてきたが、メルクルの指揮はまさに現代の響きをもった括目すべき演奏だった。

 因みに彼は日本人の母とドイツ人の父から、ミュンヘンで生まれ、86年にドイツ音楽評議会の指揮者コンクールで優勝、フランス芸術文化勲章を受章している。バーンスタインや小澤征爾に師事した。全身を駆使した指揮ぶりは、職人的な指揮者の凄さをもっている。今後も楽しみだ。




武満徹の美学を想う

演題Ⅰ ノヴェンバー・ステップ

指揮:小澤征爾

演奏:トロント交響楽団

鶴田錦史(琵琶)
横山勝也(尺八)
 
演題Ⅱ 弦楽のためのレクイエム
    
指揮:若杉弘 演奏:読売日本交響楽団

演題Ⅲ ピアノと管弦楽のための弧 (第1部 第2部) 
 
 指揮:岩城宏之 演奏:読売日本交響楽団

打楽器奏者の吉原すみれさんが、2014.11.21に東京・初台のオペラシティで武満作品集のリサイタルを開催するという記事を読んだ。

私事で恐縮だが、30数年前のこと、当時このオペラシティの設置と運営に奔走していた知人から、館長を誰にするかとの相談を受けた。私は武満徹さんが最適だと強くアドヴァイスした。武満さんが、日本の文化を世界に発信できる最適な人であり、このホールがその一端を担うことを説いた。
交渉は不調に終わり実現しなかった。ただコンサートホールは「タケミツ・メモリアル」と名づけられた。その経緯はよく知らない。完成してオープン前の2階中央客席に座りながらの話であった。
オペラシティで武満特集という組み合わせが、忘れていた過去の些事を思い出させた。私には奇縁に思われる。

演題 Ⅰ。ノヴェンバー・ステップ

さて、1967年、「ノヴェンバー・ステップ」を初めて聴いた時の衝撃は忘れられない。
最初私はLP盤で聴いたが、小澤征爾の指揮するトロント交響楽団の演奏のなかに、武満が世界に通じる東洋の音楽を樹立したことを確信した。尺八と琵琶を取り込んで、東洋的な自然への憧憬と,清寧を見事に表現していると思った。

この曲では、特別の旋律的主題が無い。西洋音楽の音は水平に歩行するが、尺八の音は垂直に樹のように起る。邦楽の音はそれ自体が完結し、旋律は「間」によって関係づけられ調和している。
日本人である私には、それがよく分かるのである。

武満は言う、「生きることと死ぬこと、自己と他、個と全体、さらに厄介乍ら西洋と日本などという二律背反を肩に振り分けて歩く。真昼でも闇夜でもない薄明かりの長い道を歩いている訳だがそれはさほど単純な道程ではない」と。(武満著:「私たちの耳は聞こえているか」より)

武満には、日本と西洋という異なる文化の中で、西洋に同化するのではなく、日本的な音楽を確立するという命題があった。

私の理解できる範囲で、次のような見解を述べている。興味深い武満語録を列記する。

 私は諸文化が収斂して、一つの束を作ると思う。そう期待する。西洋の楽器を使って、私は新しい日本の音楽を創り出そうと思う。西洋の音楽は論理的で弁証法的です。音は互いに関係しあって構成されています。しかし日本では、たった一音で、すでに音楽「そのもの」なのです。その音は自然を内包しうるし、時間とともに存在しているのです。 できることなら、琵琶を弾ける時代が続けばと思います。然しそれは出来ない相談です。そこで楽器の精髄を温存し、音色の本質を把握し、その音色を他の方法で表現するように努めなければなりません。
 石の摩擦が爆弾や原子力よりもはるかに創意に富んでいることを分からせることです。
 日本の能では、長い沈黙で打つ鼓があります。ある音の終わりと次の音の始まりとの間には、一つの持続があり、その持続のお蔭で音の変化が知覚されるのです。沈黙は音そのものなのです.

さらに武満はいう。「歌が生まれるのは、沈黙と、そして沈黙の中で最も恐ろしくてもっと絶対的なもの、すなわち死と向き合うためなのです。音楽には常に沈黙がたちこめています。音楽が私を悲しい気持ちにし、また感動させるのも、おそらくそのためです」と。(「音、沈黙と測りあえるほどにより引用)

これらの強い思考は、武満の音楽に耳を傾ける時、なるほど!とよく理解できるのだ。「ノヴェンバー・ステップ」を聴いた時、私は東洋人であることが自覚できた。この音楽に表現される「間」の感覚の心地よさに、日本の禅を想定させる静寂があり、東洋の美学と清澄な宇宙を感じたのである。

演題 Ⅱ。弦楽のためのレクイエム

「弦楽のためのレクイエム」は、なんという鋭敏な感受性に満ちた音色の曲だろう。この曲には武満の内部に存在する声が終始聴こえる。故早坂文雄に捧げられたレクイエムだが、そこにはドラマティックなクライマックスもなく、沈黙につながる単調な旋律で終わる。

1959年に来日したストラヴィンスキーが、偶々この曲を聴き、「この音楽は実に厳しい、このような厳しい音楽があんな小柄の男から生まれるとは・・・」と絶賛して、一躍有名となった。又ハチャゥーリアンは「この世の音楽ではない例えば深海の底の様な音楽」と評した。

私は、武満の音楽表現だけでなく、彼の文章に東洋的美学を感じる。作家大江健三郎は武満の文章を、およそ同時代の芸術家によって書かれた最上の文章であると賛美している。
例えば、「私にとって世界は音であり、音は私を貫いて世界に環のように続いている。私は音に対して積極的な意味づけをする。そうすることで音の中にある自分を確かめてみる。それは私にとって、もっとも現実的な行いだ。形作るというのではなく、わたしは世界へ連なりたいと思う」
「世界はいつも自分の傍にありながら、気づくときには遠くにある。だから世界を呼ぶには、自分に呼びかける他にはない。感覚のあざむきがちな働きかけを避けて自分の坑道を降りることだ。その道だけが世界への豊かさに通じるものだから。」武満の美学の基盤を見出すことが出来よう。

彼の美学は、作曲の楽譜にも現れていて、驚いた。「ピアノと弦楽のための弧 第一部」は3楽章からなる。まず楽章の命名が美しい。
1.Pile(パイル)
2.Solitude(ソリチュード)
3.Your love and the Crossing   である。
小説の題目みたいだ。

さらに驚きは、彼の作曲楽譜(手書き)だ。まるで抽象画だ。クレーの絵,またはミローの絵図のようだ。こんな手書きの五線の楽譜を描く作曲家が過去存在したかどうかは、寡聞にして知らないが、凄いと思う。(3.Your love and the crossing)
彼の譜面を親友谷川俊太郎は「顕微鏡的な綿密さで、丹念なレース編みのような美しさ」と評する。

私は、過去に「音、沈黙と測りあえるほどに」、「音楽を呼びさますもの」、「私たちの耳は聞こえているか」の3冊の著作を読んでいる。挫折を経験した頃だ。
今再読してみると、彼は音楽を語る以上に、人間(彼自身)の実存を語っている。中身が見事である。ありふれた哲学のきまり文句は皆無であり、自由の内に自らを律する基準を持つ者の沈黙を感じる。

演題 Ⅲ。ピアノと弦楽のための弧

武満と親交の厚かった詩人:瀧口修造が、「ピアノと弦楽のための弧」を聴き、武満に宛てた私信は、詩人の心が、この音楽の特質を見事にとらえている(船山隆:「響きの海へ」より引用)

<弧について>
<弧のうちそと、というよりも、弧のあとさきをおもうほど    私をとらえるものはない。今夜,「弧」を聴く。
弧とは星屑のように降りそそぎ、噴出し、流れだし消えてゆく
身動きの音そのもの、いや不在の音というものか
そう思っているとき、一瞬、悔恨のようなものがわたしをとらえる。
引きしぼった弧から、ひとつの矢が走り出すだろう
それはもうひとつの弧を描いて消えるだろう。
いや、すぎていった体験だけが私にのこる。
死のように樹木の戦慄のように。
武満徹の手が、しだいに影絵のように小さくなり、
ついに見えなくなったとき、あなたがそこにいる>

武満徹の美学は、東洋の美学を世界に知らしめているようだ。
今私は、畏怖の念を抱きながら、海底の深みをみるような彼の音楽を味わっている.




第5部   小澤征爾を聴く

「さまよえるオランダ人」(小澤征爾)

1992.3.11 東京文化会館

演題
さまよえるオランダ人

作曲:ワーグナー

指揮:小沢征爾

演奏:新日本フィルハーモニ交響楽団

演出:にながわ幸雄

出演
オランダ人 ホセ・ファン・ダム
ダーラント  ハンス・ゾーテン
ゼンダ   エリザベス・コネル
エリック  若本明志
マリー   郡愛子

ワーグナーは、劇場の債務者からのがれるため、ロンドンまで船で脱出したことがあり、途中嵐に会い漂流した。その海の幻想的印象と船員たちから有名な「さまよえるオランダ人」の伝説を聴き、オペラへの構想を練った。
この伝説はハイネの小説でも取り上げられているが、ワーグナー自身が台本を書いた。
物語は、「昔々、あるオランダ人が喜望峰で激しい嵐に会い、神を呪う言葉を吐いたため神の怒りをかい死ぬことを許されず永遠に七つの海を航海しつづける運命を負わされる。」
その呪いの船が幽霊船となり嵐の晩に出没する、というものだ。合計2時間30分のオペラである。
50歳代の小澤征爾の脂の乗り切った演奏であった。






歌劇「ドン・ジョヴァンニ」(小澤征爾)

小沢征爾音楽塾オペラプロジェクトⅢ      2002.5.15東京文化会館

指揮:小沢征爾

配役:
ドン・ジョヴァンニ/マリゥス・キ―チェン
騎士長/セルゲイ・コプチャク
ドンナ・アンナ/ソンドラ・ラドヴァノフスキー
レポレッロ/シモーネ・アルぺルギ―ニ
ツェルリ―ナ/ハイディ・グラント・マーフィ

昨年の「コシファン・トッテ」につづき今年の「ドン・ジョヴァンニ」を見た。ドン・ジョヴァンニ役のキ―チェンは、若いポーランド人のバリトン歌手で昨年のコシファン・トッテでもグリエル役であった。メトロポリタンオペラ出で世界のオペラ劇場で活躍する旬の歌手である。その他の出演者も世界で活躍中のそうそうたる配役である。

ドン・ジョヴァンニは2065人もの女性を征服したという、稀代の色事師だ。この喜劇のなかに、人間の真実と激しさ、光と影が交錯する。

カラヤンはこのオペラを特別扱いして晩年まで振らなかったと聞いた(晩年に指揮し名盤を残した)
小沢も特別の思いで指揮したに相違ないと思う。

数多いアリアを楽しむ、レポレロの唄う「恋人のカタログ」、ツェルリ―ナの唄う「ぶってよ、マゼット」騎士長の石像の地に響くバス、いずれも素晴らしいものだった。小沢音楽塾のオケも合唱団も好評であった。




新日本フィルハーモニー管弦楽団(小澤征爾)

サントリーホール  1987.9.24

出演:新日本フィルハーモニア交響樂団

ヴィオリン独奏:ヴィクトリア・ムロ―ヴァ

演題
ブラームス 交響曲第4番ホ短調 作品98
ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調OP.77

たまたま、小澤征爾氏の現在の奥様の隣席に座った。小澤征爾のブラームスに対する執念が伝わってくる名演だった。

ムロ―バは小沢・ボストンとの組み合わせでモントリオールのレコード大賞を得て、世に認められた。
ムローバは、厳しく強靭だった。ブラームスよりベートーベンが適応していると思った。新日本フィルは、少々の縁があり、毎月定期のリハーサルを聴いているが、小沢征爾が指導していて、弦樂は将来性に富んでいると思う。当日の演奏につき音楽評論家・中河原理の当夜の記事があった。(朝日・夕刊)

蛇足だが実は2012年の昨日、新日本フィルのブラームス4番を聴いた。聴いたと言っても2日後サントリーホールで演奏予定のリハーサルを聴いた。指揮者は若きウィーン出のクリスチャン・アルミングである。第1楽章の繰り返される主題の旋律のうつくしさに酔った。ブラームスの音の響きには、独特の哀愁が漂って、そして残響が残る。




ボストン交響楽団(小沢征爾)

サントリーホール1994.12.8     ベルリオーズ・プログラム

指揮:小沢征爾

演奏:ボストン交響楽団

演題:
ベルリオーズ:歌劇「トロイ人」より夢とカプリチオ
マルコム・ロウ(ヴィオリン)
ベルリオーズ:荘厳ミサ曲(アジア初演)

独唱:
メゾ・ソプラノ/スーザン・グラハム
テノール/ヴィンソン
バス/ポール・プリシュカ
タングルウッド・コーラス

ボストン交響楽団は1881年創設、小沢は1973年より音楽監督を務めている。1900年シンホニ―ホールがオープンした。このホールは世界有数という。ボストンと小沢とベルリオーズでは1975年録音された「幻想」交響樂を思い出す。当時話題を呼んだ名演奏だった。今回はタングルウッド・コーラスを引き連れての公演だ。

歌劇「トロイ人」は、同名のオペラが大作すぎて上演されず、その一部を独立させたうちの序曲である。

「夢とカプリチオ」は、オーケストラ作品しか書かなかったベルリオーズが残した唯一のヴァイオリン曲で、ロマンチックな魅力を備えたポピュラ―な曲だ。

「荘厳ミサ」は、のちの「レクイエム」の基礎となった曲である。彼の初期の作品で、演奏公演は少ない。
   

新日本フィルハーモニー(小澤征爾)特別演奏会

1988.9.9   サントリーホール

指揮:小沢征爾

チェロ:マット・ハイモヴィッ
メゾソプラノ:伊藤直子

演題
ベートーヴェン:  交響曲第4番OP.60
チャイコフスキー:  ロココ風の主題による変奏曲作品33より
マーラー:  亡き子を偲ぶ歌(1905)

「ベートーヴェンの第4番」は、彼の生涯に最も平穏な時期に生まれた。聞くたびに平易な清楚な曲だなと思うが、じつは音楽的には新基軸が隠されているのだそうだ。私は4番と8番が気楽に聴けるので好きだ。最終楽章の指定の速さは、超快速だがこの速さを実現できるのは、C。クライバー位だそうだ。

「チャイコフスキー」の曲は、18世紀のロココ趣味への趣向よりも、ロシアのメランコリーが滲んでいる。この時期、彼は結婚の破局からのショックから逃れるため、モスクワを留守にしたが、その間にフイッシャ―ハーゲンが全面的に改変し上演、大成功をおさめてしまった。今日演奏されるのはその改訂版である。チャイコフスキーは、あれは自分の曲ではないと言っている。しかしメランコリックな曲だ。

「マーラー」にとって、死は常に重要なテーマで、「生と死、別れと祈り」がこの曲で見事に謳い上げられている。「大地の歌」と双壁をなす名曲だ。伊藤直子が唄った。ミュンヘンで活躍し、80年から日本に還った。
チェロのハイモヴィツは、ヨーヨー・マに師事し28歳ながら、有名オケと共演し,神童といわれる。今回が初来日である。14歳でメーター指揮のニューヨーク・フィルと共演、神童と言われている。





小澤音楽塾:演奏会(垣内悠希)

東京文化会館 大ホール      2013.3.30

演題
ドヴォルザーク:ヴィオリン協奏曲 イ短調 OP53
ベートーヴェン:交響曲第7番 イ長調 OP92

指揮 : 垣内悠希

ヴィオリン; 三浦文彰 
管弦楽; 小澤征爾音楽塾オーケストラ

音楽総監督; 小澤征爾

若い音楽家を養成する目的で、小沢さんは、2000年以来信州のベースキャンプで、合宿しながら研鑽を重ねている。信州では夏の最中に弦楽を主としたコンサートが開かれ、私も何度か聴衆となった。若い音楽家たちは、素養の優れた人が多く、信州の澄み切った夜の空に、繊細で清澄な音が漂う。
その東京公演がこのコンサートで13回目にあたる。

ドヴォルザークの音楽には、初春の土の匂いがする。私は田舎出の所為か、チェコの民族的表現がたまらなく好きだ。この協奏曲にも民族の情緒感があふれて心地よい。第3楽章の主題には、ドウムカ(スラブ民謡)も現れて、私が大好きなピアノ三重奏作品90の「ドウムキー」を彷彿させた。ヴィオリンの三浦は、2009年ハノーヴァ国際コンクールで史上最年少で優勝した将来性豊かな奏者で、メランコリックに弾いた。

べ-トーヴェンの7番交響曲は、わが青春時代から慣れ親しんできた曲だ。リズムの反復技巧が効果的に生かされ、ワグナーはこの作品を「舞踏の神格化」と呼んだという。「酔っ払いの音楽」との評もあるが,躍動感にあふれ、最終章の高揚感は、ベートーヴェンならでは味わえぬものだ。
小澤音楽塾は今や弦楽奏者を輩出していて、小澤さんの長年の努力が萌芽している。



サイトウ・キネンオーケストラ(小澤征爾)

東京文化会館 2001.1.4
指揮:小沢征爾
演目:
グスタフ・マーラー交響曲第9番
サイトウ・キネンは昨年からマーラーに取り組んでいる(昨年は2番復活)。今年もひきつづいてマーラーをとりあげ、しかも9番だ。小沢征爾は主題、あの大地の歌の「永遠に」の主題をゆったりと唄わせた。名手そろいのこのオーケストラを信じ、要所を締めながら流れを作って行く。巨匠たちが演奏したように最終楽章のアダージョに向けて、音楽をつくりあげてゆく。
このオーケストラの弦の豊穣さと、小沢の指揮が合致して、世紀末に死と永遠のメッセージを託したマーラーを演じた。



新日本フィル(小沢征爾)

海老名市文化会館    1986.5.9

指揮:小沢征爾

演目
尾高惇忠:イマージュ
モーツァルト:フルート協奏曲第1番ト長調

ソリスト:白尾彰(新日本フィルフルート首席奏者)、井原直子     晋友会合唱団
プロコフエフ:カンタータ「アレキサンダー・ネフスキー」

某学園の記念行事として行われた。小沢は、新日本フィルの育成をしており、この当時は首席指揮者であったと思う。新日本フィルは、高い技術の弦奏者が多く,精密な演奏と豊かな表現力は高く評価されている。メシアンの依頼で「アッシジの聖フランシスコ」で世界に知られた2年後の脂の乗り切った小澤の指揮が見られた。

「イマージュ」の曲は2っの主題による1楽章からなり、豊かな音楽性をもっている。
「モーツァルトのフルート協奏曲第1番」は、フルートをあまり好まなかった彼の唯一の曲で、流麗な旋律はまことに美しい。

「プロコフエフのカンタータ」は、「アレキサンダー・ネフスキー」という名前のロシア軍の英雄でスエーデン軍に大勝した将軍を称えた曲だが、根底にナチスファシズム対する反抗心が秘められているとされる。 

第6部    N響を聴く 




N饗定期演奏会「1787回」(プロムシュテット

  2014.9.10    サントリーホール

演題:
モーツァルト;第39番変ホ長調
チャイコスキー;第4番へ短調

指揮:ヘルベルト・プロムシュテット

指揮者プロムシュテットは、当年87歳である。6月5日に聴いたスコダは86歳であり、衰えぬピアノに感銘を受けたが(10頁参照)、プロムシュテットの健在ぶりにはまた驚かされた。世界各地の名誉指揮者を務め、昨年10月にはウィーンフィルハーモニーの定期演奏会でブルックナーを指揮して好評を得ている。

1.「モーツァルトの39番」は40,41番と並んで、最後の三大交響曲と呼ばれているが、私のバイブル「モーツァルトとの散歩」で著者アンリ・ゲオンは、次のように評している。
 <世間は、この曲は笑っているとか歓喜に酔いはじめているとか言うが、この非凡な作は、深遠でありながら同時に軽快であるという前代未聞の天性をもっている。歓びとか、哀しみとか、反抗とか、疑惑とか,変心、確信、無感心・・・といったおよそ人間感情に与えられた呼び名は、あまりにも荒く、簡略に過ぎるので、モーツァルトの創り出した天使のような存在を微妙に表現するには適さなかった。その感情を、彼の芸術は実に見事に昇華させたのだ。この曲は笑ってはいない、それは活気ある、あるいは敏感な、音の天使らであろう。>と。
私は第一楽章、第2楽章の軽快な心地よい音楽に耳を傾けた。第3、第4楽章は活力に溢れ、オーケストラが唸った。あまりに聴き慣れた曲であったので自分で指揮をしているような気分を味わった。

2.「チャイコフスキーの第4交響曲」は、彼の自伝的な告白の作品である。
この曲の作られた時期は彼の人生の転機となった。苦渋にみちた結婚生活の破局、モスクワ音楽院教職からの解雇があり、人生の破綻が創作へと直接に結合した。
私は楽譜が読めないし、音楽の専門的知識は全くない。
それ故、演奏を聴きながら不当な幻想や妄想に従い自由に物語を作ることが許される。私の特権だ。その幻想を披露しよう。
第一楽章は、挫折の怒りが爆発した。冒頭からファンファーレで始まる。まるで自棄のヤンパチだ。踊り狂ってやろうとしている。
第二楽章に入るとやっと理性とやらを取り戻した。このままでは拙いぞ!途端にオーボエ独奏は四っの音の下降音程で全楽章の統一主題と結合して正常化し、情熱的なクライマックスで終えた。美しメロディだ。
第三楽章は、見事な弦楽器のピチカートだ。この旋律は絵画的な幻想を惹起させる。当日の午後、来日中のオルセー美術館所蔵の84点の絵画を観たが、クロード・モネの「アルジャントゥイユのレガッタ」に漂っていた水面の横線の切れ目のようだと、一瞬思った。
第四楽章はロシアの舞踏歌に続き、第一楽章のファンファーレを引き出し、交響曲に相応しい雄大な音楽を展開してゆく。心憎いばかりの大音響だ。
以上が幻想の一端だ。この日のオケは、プロムシュテットの指揮の見事さに呼応して、素晴らしかったと思う。私はのめりこんで脳味噌が全部演奏のため抉り取られたように感じた。
アンコールの声が鳴り止まなかった。良い日だった。
追記
この演奏会の実録画がNHK「日曜クラシック音楽館」で放映された。残念ながらTVの音では、全く曲の演奏が異なって聴こえて、平坦で単調な音楽にしか聴こえないのだ。やはり、生の演奏でなくちゃ駄目だナーと思った。




N響定期演奏会「1802回」(シャルル・デュトワ)

2014.12.17  サントリーホール

演題:
ドヴュッシー(ラヴェル):「ピアノのために」から「サラバンド」
ドヴュッシー(ラヴェル):舞曲
ファリャ:交響的印象「スペインの庭の夜」
ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調
ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1919年版)

指揮:シャルル・デュトワ

ピアノ:ユジャ・ワン

指揮者シャルル・デュトワは、モントリオール交響楽団を色彩感豊かな管弦楽団に仕上げ、以来フランス音楽の指揮者としての世界の地位を確立した.
今年78歳のデュトワは1974年妻アルゲリッチとの日本公演直前に大喧嘩し、アルゲリッチが日本から突然帰国し、公演は中止となり話題を呼んだ。感情の激しいアルゲリッチと、プレイボーイのデュトワの日本での私生活上のロストロマンを思い出した。
野暮な話はそれまでにして、二人はその後苦い思い出の残る日本で、デュトワは1998年から16年にわたりN響に美しい弦の響きを植え付けたし、アルゲリッチは、日本好きとなり、現在も別府音楽祭を主宰して日本の音楽界に寄与している。

私は近年、音楽会の演奏から「何かを聞き出そう」という努力よりは、「何が聴こえて来るのだろう」とあるがままに聴き入る楽しみを愛する自分を感じるようになった。あたかも人がぶらり一人旅に出る心境に似ている。たとえそれが死への感覚に終わろうと自然に還る楽しみは実感できるのだ。



N饗定期演奏会「1792回」(下野達也)

2014.10.29       サントリーホール   


指揮:下野竜也

 演題
ショパン:ピアノ協奏曲第一番ホ短調 OP。11
      ピアノ演奏;ヤン・リシエツキ
      アンコール曲;ショパン:ノクターン20番
 ドヴォルザーク:交響曲第六番ニ長調 OP。60

指揮者下野竜也の印象が強く残る演奏会であった。
下野は今年44歳、2001年には小澤征爾も優勝したフランス・ブザンソンの指揮者コンクールで優勝し、活躍している。最も将来を嘱望される若手指揮者である。
両手を振り回して精力的な指揮をする。特にブルックナーやドヴォルザークとは相思相愛という。

ショパンのピアノ協奏曲第一番は、祖国ポーランドと家族、友人への愛、そして初恋(同級生のグワドロフスカ)のロマンスに満ちた曲だが、ピアノ独奏部を右手が歌曲のように詠い、左手が伴奏する。繰り返されるこの旋律はロマンチックで、しかも哀愁に富み、美しい。聴き慣れたこの旋律はいつ聴いても心に浸みる。
ポーランドうまれのリシエツキは19歳の好青年だ。独奏部ではオーケストラの早いテンポに抗するように、静かにゆったりとしたテンポで主題を味わせた。ショパンを体の中に宿しているようだ。
先般、23歳のダニール・トリフォノフを聴いたが、若い才能が生まれてくるのは嬉しいことだ。

さて、ドヴォルザークの第6番は、下野さんの指揮が光った。
私は、ドヴォルザークのボヘミアの大自然や田舎を愛でた旋律が好きで、第5番、第9番「新世界より」を聴いてきた。第9番の「家路」で知られる(後述)旋律は、日本人ならすべての人が愛している。しかし6番には一部分にボヘミア舞曲があり、むしろベートヴェンやブラームスのオーケストレーションを聴く思いがした。
調べてみると、この曲は指揮者ハンス・リヒターがウィーン・フィルハーモニーの演奏会の為にドヴォルザークに交響曲を依頼したものだった。彼はチェコの民族音楽を連想させる要素を第3楽章に集約させ,第一楽章はブラームスの二番、第二楽章はベートヴェンの第九番、最終楽章はブラームスの二番の影響が強いようだ。
アメリカへ渡り、アメリカで黒人やインデアンの音楽を初めて聴いて感銘を受け、もって生まれた東欧的な音楽の感性と西欧古典音楽の教養によって、アメリカ・東欧・西欧の3種の音楽を融合させようとしたがウィーンフィルによる演奏は三年後まで実現しなかった。
やはり私の様にドヴォルザークに求めるものはチェコの民族音楽からくる「土の匂い」であったのでは無いだろうか。

演奏はNHKFMで実況放送されていて、解説していた作曲家の西村氏は、歴史的な名演奏として残るとの評をされていた。確かにオーケストレーションの点からは、見事な指揮と演奏であったと思った。
繰り返すが指揮者下野氏の指揮ぶりが印象強い演奏会であった。

作曲:ドヴォルザーク                              
作詞:W。A.Fisher  堀内敬三 
遠き山に日は落ちて
1.遠き山に 日は落ちて
  星は空を ちりばめぬ       
  今日のわざを なし終えて
  心軽く 安らえば
  風は涼し この夕べ
  いざや 楽しき まどいせん
  まどいせん 
2.闇にもえし かがり火は
  炎今は 鎮まりて                     
  さそうごとく 消えゆけば
  安き御手に 守られて  いざや 楽しき 夢を見ん




N饗定期演奏会「1795回」(ネルロ・サンティ)

2014.11.26  サントリーホール

演題
ロッシーニ 歌劇「アルジェのイタリア女」序曲
メンデルスゾーン 交響曲第4番 OP90「イタリア」
ベートーヴェン 交響曲第2番 ニ長調 OP36

ワグナー 「リエンチ」序曲

指揮:ネルロ・サンティ

肥満した巨体の83歳を迎えるイタリアの名匠ネルロ・サンティは、ペンギンのヨチヨチ歩きで指揮台に上った。60曲ものオペラを暗譜で指揮するというこの人は,同じイタリア生まれのアバトやムーティの華やかさはないにしろ、自在にオーケストラを操ることで知られている。N饗との共演は15年に及ぶ。
今日のプログラムは、彼の最も得意とする分野の曲が選ばれた。

1.「ロッシーニの歌劇序曲」は、弦のピッチカートではじまり、のびやかなオーボエが続き、実に心地よい気分になる。その軽快な指揮棒には懸念した老弱のかけらさえなかった。最終の盛り上がり(クレシェンド)で、コントラバスの早い演奏が効果的であった。なお、コントラバス8人の奏者の位置が舞台の左後ろに並び、奇異に感じたが調べるとサンティの常道であるという。何故だろう?

2.メンデルスゾーンの「イタリア」は、第一楽章は明るい豊かな自然に輝くイタリアの印象が反映されたイ長調主和音の響きがいい。
最終第4楽章ではイタリアの激しい民族舞踊が斬新に聴こえた。とてもなじめるいい曲だと思った。

3.「ベートーヴェンの第2番交響曲」は、以前聴いた時はモーツァルトの影響が大きいと感じた記憶があるが、今回はベートーヴェンらしいエネルギッシュな曲との印象をもった。
ハイリゲンシュタットの遺書を書く直前の曲であり,生気に溢れている。ベートーヴェンの音楽にはその表現の強靭さに驚くのだが、その点ではまだ不充分にも思われた。

4.ワグナーの「リエンチ」は、ブルワー・リットンの小説「リエンチ・最後の護民官」から台本を書き、作曲したものだが、まだ無名の音楽家時代の頃の作品であったが、完成2年後ドイツで上演され、大成功を収め、宮廷指揮者となった因縁付の曲である。最終のダイナミックなクライマックスへの爆走が印象に残る。
サンティの「至芸」を確かめた(加藤氏の評)コンサートであった。


 


N響定期演奏会「1801回」(ジャナンドレア・ノセダ

2015.1.21  サントリーホール

演題:
リスト:交響詩「レ・プレリュード」
ラフマニノフ:パガニーニの主題による狂詩曲 OP43
カセルラ:交響曲第2番OP63
アンコール曲:
ショパン:エチュード「革命」

指揮:ジャナンドレア・ノセダ

ピアノ:アレキサンダー・ロマノフスキー

今冬最も寒い冷えた夜、凍える心を癒してくれたのは、指揮者ノセダの熱く力強い指揮台の演奏ぶりであった。
この人はワーグナーの指輪の巨人族から地上に舞い降りたような風貌と体格で、終始精力的に指揮棒を振り回した。フルオケの響きが凄い。

リストの交響詩「ㇾ・プレリュード」は、フランス・ロマン派の詩人ラマルティーヌの交響詩に依っている。「人生は、死が冒頭の厳粛な音を奏でるあの未知の歌への前奏曲ではないのか。愛の幸せは嵐に遮られ、人は野の静寂の中に想い出を鎮める。やがてトランペットが鳴ると戦いに駆けつけ、自分を知り、試そうとする。」と。

第一部:死へと向かう人生の始まり―愛
第二部:嵐(苦悩)
第三部:田園
第四部:闘い
異なった場面が主題を変え変化する、熱く力強い、リストのロマンチズムが展開する。アバトやムーティにつぐイタリア指揮者50歳の円熟した音楽に固唾を呑んだ。

「ラフマニノフの作品43」は、彼がその独自性から意識的に協奏曲に決別し、狂詩曲とした作品といわれる。悪魔に魂を売り渡したヴィオリニスト:パガニーニの24の奇想曲からの展開である。
中間部では、ゲーテのファウスト伝説の、悪魔よりヴィオリンと恋の技法を手にしたパガニーニが、最後に魂を奪いとられる怒りの日が主題となり、「死の舞踏」が繰り広がるが、ノセダは指揮台上で
舞踏の仕草でワルツ?を踊った。ロマノフスキーは高いキーを巧みに操りながら、ブゾーニ国際コンクール優勝の力を見せた。

「カセルラ交響曲第3番」は、プッチーニにつぐイタリア作曲家のカセルラの大作だが、種々の作曲家からの影響がみられ、この曲はヒンデミットの影響が強いとされる。40分の長編だ。
クライマックスの音響が強く心に残った。
終わって外は冷雨であったが、心は満ち足りていた。




N饗定期演奏会「1804回」(パーヴォ・ヤルヴィ)

サントリーホール   2015.2.18

指揮者: パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi)

演題: 
R.シュトラウス: 交響詩 「ドン・ファン」
モーツァルト:ピアノ協奏曲第25番ハ長調K503
R.シュトラウス 英雄の生涯」作品10

演奏: NHKシンフォニーオーケストラ
    Piano: Anderszewski(アンデルジェフスキ)

今年9月からN響の首席指揮者に決まったヤルヴィは、いま世界中の有名なオーケストラを客演指揮し、まさに旬の脂の乗り切った感がある指揮者である。
2001年に初共演しN響との信頼関係は出来あがっている。私は、2013.11.30横浜みなとみらいホールで、ドイツ・カンマーフィルを指揮した歌劇「フィデリオ」を観た。
1年余を経ての再会であったが、「天啓に導かれたような響きに満ちた指揮」はさらに磨きがかかり、R.straussの「ドン・ファン」と「英雄の生涯」で指揮棒と身体がさえ渡った。

特に「英雄の生涯」のフルオーケストラでは、見事な響きを聴かせた。英雄の生涯は、シュトラウスの自伝的な交響詩で、英雄とは、彼自身である。
第1部は「英雄のポートレート」:躍動、力と意志の誇示、誘惑的なエレガンス、
第2部は「英雄の敵」:評論家からの嘲笑
第3部は「英雄の伴侶」感能的な愛
第4部は「英雄の闘い」勝利
第5部は「英雄の業績」:昔日の陶酔
第6部は「英雄の引退と死」:<諦念の微笑と死>で終わる。

この曲を、ロマン・ロランはベートーヴェンの第3交響曲(英雄)と比較している。「ベートーヴェンの作品は打ち負かされた英雄の勝利だ。しかしシュトラウスの作品は打ち負かす英雄の敗北だ」と評している。二つの音楽の本質を浮き彫りにしている。MOZARTの25番ピアノ協奏曲は、奏者Anderszewskiの独自の思索的表現が目立った。音はきれいで,緩急が明確で、自分のMOZARTを弾いたと思う。久しぶりに25番を聴いたが、感じていた以上に長い曲だった。

ヤルヴィの指揮は、今後日本人の好評を得るだろう。私はその風貌にフェルトヴェングラーを想起した。頭の禿げ具合などそっくりそのままだもの。とにかくフルオーケストラを鳴らす”陽の指揮者”だと思う。この人のロマン派の交響曲を聴いてみたくなった。


N響定期演奏会「1807回」(ザンデルリング)

2015.4.22   サントリーホール

指揮者;ミヒャエル・ザンデルリング

ピアノ;ベルトラン・シャマュ

交響楽団;NHK交響楽団

演題;
シューマン;ピアノ協奏曲イ短調OP。54
ブルックナー;交響曲第4番「ロマンチック」

「シューマンのピアノ協奏曲」が初演されたのは、愛妻クララのピアノによってであり、同伴者との共同作業で生み出された名曲となった。
第一楽章、冒頭有名な「クララの動機」が響く。第二楽章の「クララの動機」は、とりわけ美しく、シャマュは,淡々と弾いた。目を閉じて天井からの音響に聴き入るとショパンには無いような諦観に通じる哀愁を感じた。以前に書かれていた「幻想曲」を改訂したものという。
クララの日記には<やがてこの曲は聴衆を最高に満足させるに違いない。ピアノとオーケストラはこの上なく繊細に合し、お互いに片方なしには考えられない>と記している。
私にはシューマンは難解だが、彼の交響曲よりは、このピアノ協奏曲が好きだ。

私はブルックナーの「ロマンチック」は、ベーム指揮のウィーンフィル(1973年版)LPで聴いて来た。
ブルックナー自身がこの曲をロマンチックと名付け、「ロマン主義の白鳥の歌」と呼んだが、樋口隆一氏は<自然への憧れ、遠い昔への郷愁、神秘的な幻想が込められ、時代を超えて、私たちをそうした世界に誘ってくれる>と評する。
新しい楽想で盛り上がると思えば、再現部では寂しげな響きとなり、孤独な面を伺わせる。彼は俗世間から離れ音楽と信仰の生活を続けたのだった。
汚れのない無垢の音楽を感じるのは、第Ⅱ楽章の挽歌である。
70分に及ぶ長編だが、飽きず聴く歓びを味わった。さすがにアンコールなしで終わった。




N響定期演奏会「1810回」(エド・デ・ワールト

2015.5.20    サントリーホール

演題
シューマン:「マンフレッド」序曲 OP115
メンデルスゾーン:ヴィオリン協奏曲ホ短調 OP64
アンコール BACH「ガボット」BW1006
ブラームス:交響曲第2番ニ長調 OP73

指揮 エド・デ・ワールト

ヴィオリン ギル・シャハム

指揮者は、予定のデーヴィッド・ジンマンが骨折手術のため来日不可となり、オランダ生まれのワールトが代役を務めた。彼は欧米の主要オーケストラを歴任し、特にオペラ指揮でバイロイト、パリ・オペラ、メトロポリタンで大成功を収めているという。N響にも過去3度共演している。

ヴィオリン奏者のギル・シャハムは、54歳だが10歳でデビューしコンクール優勝後多岐にわたり活躍、使用楽器は1699年製ストラディヴァリウス「ポリニャック伯爵夫人」である。
1.シューマンは詩と音楽の融合が作曲理念であった。「マンフレッド」序曲は、不倫の恋人を死に至らしめたマンフレッドの魂の放浪が音楽となり、そして「自己忘却と無」に到達する。
冒頭3回くりかえされる和音が心の動揺を告げ、最終に魂の救いが示され平穏な響きで閉じる。(藤本一子氏の解説参照)
シューマンは妻クララに、この原作バイロンの劇詩を朗読し、感動の涙をとともに作曲、完成後指揮する姿はマンフレッドその人の様だったという。

2.メンデルスゾーンは弦楽とティンパニから始まり、独奏ヴィオリンの高い音域の旋律は美しく自然で万人に知られ親しまれている有名な曲だ。生涯裕福であったメンデルスゾーンが、プロイセンの聖職者達と対立し失意の静養中に書かれたこの曲は新しい境地への飛躍であったに違いない。
ベートーヴェンのヴィオリン協奏曲をアダムとするならば、この曲はイヴであるとベネットはいうようにロマンテック楽派の頂点というべき傑作である。
美しい女性の曲線美のような、そして強烈で華麗な躍動感をストラディヴァリウス「ポリニャック伯爵夫人」は、深みのある音域で示した。ギル・シャハムは前後3歩位を動き回りながら軽快に、見事に弾きブラボーの繰り返しに、バッハの「ガボット」を弾いた。好青年らしい態度だった。

3.ブラームスの交響曲第2番はベートーヴェンの5番「運命」を、念頭に置き影響が強い。
連休の最中の東京は、静かであった。



N響定期演奏会「1813回」(尾高忠明)

2015.6.17    サントリーホール

指揮=尾高忠明

ピアノ:小山実雅恵

演題
チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番 変ロ長調 OP23
アンコール:ラフマニノフ
ラフマニノフ:交響曲第一番 ニ短調 OP13

指揮者尾高は、旋律を悠々伸び伸びと歌わせるので、歌謡性のある曲では特にいい音楽を醸し出す。だからチャイコスキーもラフマニノフも得意の様だ。
ピアノ協奏曲第1番は、オーケストラとピアノが対話する。優美な郷愁をさそう二つの主題がカデンツァを経てクライマッツクスを迎える箇所はうっとりする。

小山実雅恵は、チャイコフスキー国際コンクールとショパンコンクールの両方に入賞した日本人唯一のピアニストだ。特にロシア音楽を得意としているようだ。堅実な弾き手と思った。

ラフマニノフの交響曲第一番は、1897年の初演は酷評のもとにおわり日の目を見たのは、死後の1945年図書館でこの楽譜をみた音楽学者が総スコアを復元した時であった。ソヴィエトとアメリカで復演され、特に1948年オーマンデイ指揮によるフィラデルフィア管弦楽団による演奏でその地位を確立した。
死後数年を経て、残されていた楽譜が発見され、世に認められた例は数多いが、世人は天才の墓に線香をあげることには疎いものだ。
追伸  2016.1.21日 N響定期演奏会で、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴き、その美しさに驚いた。交響曲第1番に比し、濃厚なロマンチシズムに溢れていたのである。第1番交響曲が斬新すぎて時代は理解に苦しんだのである。 

N響定期演奏会「1815回」(プロムシュテット)

2015.09.17    サントリーホール

指揮者:ヘルベルト・プロムシュテット

演題:べートーヴェン:
交響曲第1番ハ長調op.21
交響曲第3番変ホ長調op.55(英雄)

プロムシュテットの指揮が冴えた。タクトを持たず両手を表現豊かに振り、腕と肩を動かし、78歳の高齢ながら緊張感を最後まで維持した。

私は、ベートーヴェンの交響曲では、偶数番の4番、6番,8番が好きでよく聴いてきたように思う。
特に1番を聴くのは、久しぶりで、この曲はモーツァルトの影響が強いとの固定観念があった。しかし今日の演奏を聴き、強烈なベートーヴェンの意思が流れていることを感じた。
3番の「エロイカ」はナポレオンに捧げる意図で作曲にかかったが、皇位に就いた行為に激怒したベートーヴェンが取りやめ、表題は出版社がつけた。この曲によりべートーヴェンは一躍世に出て、知られるようになった。言うなれば彼の出世作である。

吉田秀和著「ベートーヴェンを求めて」で199頁~232頁にわたり3番「エロイカ」に対する精密な考察がある。吉田さんは、主題の展開と取り組むベートーヴェンの苦闘をとりあげる。モーツァルトに於いて主題は自然に発生した。「エロイカ」の主題の展開は第2主題に巧妙な展開にあるという。彼は曲の構成に努力を費やした作曲家だ。私には作曲技法は分からないが、天才ならでは出来ない構成という。ベートーヴェンならではの音楽を感じた夜であった。





N響定期演奏会「1818回」(パ~ヴォ・ヤルヴィ)

2015.10.15    Suntory Hall

指揮:  パ~ヴォ・ヤルヴィ

奏者;
チェロ; トルルス・モルク
ヴィオラ; 佐々木亮

演題
R。シュトラウス;   交響詩「ドン・キホーテ」op.35
R.・シュトラウス;交響詩「テイル・オイレンシュピーゲル愉快
ないたずら」op.28 
R・シュトラウス   歌劇「ばらの騎士」組曲

今年2月18日、同じN響定期演奏会で、R。シュトラウスの「ドン・ファン」と「英雄の生涯」を聴いた(そのⅢ50頁)。この指揮者はよほどR.Strausが好きなのだろう。
参考として、近年のヤルヴィ評を記す。
・平野昭氏・・・(2月演奏について;毎日新聞)マーラーの一番「巨人」でN響は完全に豹変したのだ。強弱法と緩急法に生きた意味を与えて音楽に豊かな表情をもたらした。
・山之内英明・・・(週刊オン・ステージ新聞)R・シュトラウスに焦点を当てた「英雄の生涯」「ドン・る。ファン」は、各パートの楽器が遅滞なく鳴り、団員同士も普段以上におたがいの音を聴き合って、N響の芳醇を引き出した。

今日のR・Straussの3曲は正に常任首席指揮者就任(3年契約)を飾るに最も相応しい演題であったのだ。
彼の指揮は、天上から雷が落ち、閃光が指揮棒に感電し、震え、管弦が場内を満たす。筋肉質豊かな体躯が踊る。見事なものだ。団員の目を見ながら指示して通常の指揮者とは一段上の指揮だと私も思った。ヴィオラの佐々木亮は素晴らしい音色で感銘を受けた。良い音楽会であった。
身体全体を使い表現する、例えば低い音は体を低く折り曲げる。旋律と音量がそれに合わせて低く小さくなる。オケは見事に合わせて響く。聴衆にも解り易いといったふうである。シュトラウスの魅力的な変化もこの指揮者には易いことのようだった。

 


N響定期演奏会(第回」(マリナー)

2015.11。26    サントリーホール

指揮:ネヴィル・マリナー

演題:
Mozart ピアノ協奏曲24番 ハ短調   
ピアノ:ゲアハルト・オビッツ
アンコール;
シューベルト:三っのソナタD。946第一楽章より
Brahms:交響曲第4番 ホ短調 OP。98

指揮者サー・マリナーは、当年91歳であるが、名声はアカデミー室内管弦団の常任指揮者に就任(1967年)してバロック音楽「四季」での名演奏で世に知られた。

私は不幸にして当時生演奏を聴く機会がなかった。しかし話題を集めた映画「アマデゥス」のサウンドトラックで奏でられたマリナー指揮のアカデミー室内管弦の音楽は素晴らしかった。この映画によりモーツァルの死をめぐるサリエリの陰謀説が話題とされた。そして音楽の効果が大きく、印象に残った。ご覧になった人は多いはずだ。
私にとっては、マリナー指揮の「アルフレッド・ブレンデル」の弾く歴史的名盤「モーツァルトピアノ協奏曲全集」(1970年LP13枚版-装丁が実に美しい)を所有し、愛聴していたので、かなり身近に感じられた。モーツァルトの協奏曲で、この盤に比肩するのは、リリー・クラウス、内田光子(全集はない)が双璧だと思う。

彼の指揮は、ピエール・モントゥーから指導された、自然体の音楽であり、まったく淀みがない。細部まで細かく動く指揮棒は、若く躍動する。そしてモーツァルトもブラームスもマリナーが最も愛し、得意とする曲であろう。
モーツァルトの24番協奏曲は、27の協奏曲のなかで、20番とともに短調は2曲しかない。しかもその旋律は不安定でもある。
しかし、24歳で第2回ルビンシュタイン国際コンクールに優勝したこの人は、師のケンプさながらに、正確なタッチから生まれる美しい音色のモーツァルトを聴かせた。

なりやまぬアンコールの拍手に対し、シューベルトの3つのソナタD946から第一楽章を弾いた。私は91歳の指揮者、62歳のピアニストを聴き、音楽に年齢ないとの思いを強くした。

ブラームスの第4交響曲の旋律の美しさは、麻薬だ。ため息にも似た第一楽章の第一主題、静かな幻想を想う第二楽章、フィナーレとまがう題三楽章、終楽章はバッハのカンタータの合唱からの主題に見られるシャコンヌは彼のバッハ研究の集大成といわれる。
ブラームス自身は、この第四交響曲を、一番好んだという。私は実演奏を、第一交響曲は今年2月・新日本フィルで聴いたが、過去1992年ァバト指揮のベルリン・フィルでも聴いている。
第二交響曲は、今年5月N響で、第三交響曲は1961年ウィーンでウィーンフィルによる演奏を聴いている。
第三交響曲で思い出すのは、「ブラームスはお好き?」という映画である。フランソワーズ・サガンの小説を映画化したものだが、主演に<イングリット・バークマン><アンソニ―・パーキンズ><イブ・モンタン>という豪華メンバーによる名画であった。アンソニ―・パーキンズが15歳年上の美しいバークマンを愛し、同棲するが破たんを迎える。別れ際バークマンが叫ぶ。I am old, I am old!  音楽はブラームス第3番交響曲であった。



N響定期演奏会「第1825回」(シャルル・デュトワ)

2015.12.17    サントリーホール

指揮:シャルル・デュトワ Charles Dutoit

演題:
コダーイ;ガランダ舞曲 Zoltan Kodaly
バルトーク;組曲「中国の不思議な役人」 Be’la     barto’k
サンサーンス;交響曲第3番  ハ単調 OP。78
Sain-Sae’ns(オルガン付き)パイプオルガン:勝山雅世

1987年からN響を指揮しているデュトワは、フランス的な色彩感、退廃的官能美で聴衆を魅了している。
この日は最後の「サンサーンス3番」では、彼の指揮ぶりは見事であった。N響の透明な旋律から、ロマンチックな情感と均衡を引き出していた。2007年にもこのコンビで演奏され名演と賛辞を得たという。
この曲は、リストの死の年に<リストの想い出に>の献辞が添えられて作られた。主題で全曲の統一をはかるリスト的な手法がとられた。又オルガンの名手であったサンサーンスは敬虔なコラールをパイプオルガンに託していて曲に彩をつけ、最後のクライマックスを築いている。
私が似ていると思う曲に<イベールの寄港地>があり、共に大好きだ

「中国の不思議な役人」は、ハンガリーの文芸誌に掲載された物語を読み、バルトークがバレエ音楽として作曲したものを組曲化した、奇妙な音楽構成の曲だ。

「ガランタ舞曲」は、作曲家コダーイが7年間住んでいた父の故郷の町ガランタのジプシーの楽師達の演奏の響きに魅され、幼年時代の想い出として作られた。
真に楽しい曲である。幼い頃の回想は終末のアレグロで、軽快に華やかに終わる。
愛聴盤:指揮:ジャン・マルティノン  サンサーンス:交響曲第3番 イベール:寄港地



N響定期演奏会「1837回」(ネーメ・ヤルヴィ)

2016.5.26    サントリーホール

指揮:ネーメ・ヤルヴィ

演題:
シューベルト 交響曲第7番 ロ短調 「未完成」D。759
プロコフィエフ 交響曲第6番 変ホ長調OP。111

この指揮者は、カラヤン、マリナーに次ぐ録音を残す巨匠であり、旺盛な活動は機能的で効率的な演奏を達成できる彼の資質に依ると云う。N響の指揮は今度は3回目である。
今夜の演奏にも、テンポの速さ、こだわりのない誇張のないところにそれが窺われた。

 [未完成」はロマン的な響きが多く、まだ短調交響楽が少なかった時代に、シューベルトは見事に謳いあげた曲だが、淡々と演奏し,心が軽くなったように感じた。第2楽章の第2主題では、クラリネットが哀愁を帯びた旋律を響かせた。

プロコフエフの第6番はこの指揮者の最も得意な曲であるという。プロコフエフは7曲の交響曲を書いたが、難渋を極めた沈痛で憂鬱な曲だ。しかし軽快なテンポで、むしろ軽く楽しむように指揮が行われたように感じた。高齢な事もあってか1時間40分で演奏が終わりアンコールも無かった。


N響定期演奏会「1828回」(トウガン・ソヒエフ)

2016。1.20     サントリーホール

指揮;トウガン・ソヒエフ

ピアノ;ルーカス・ゲニューシャス

演題;
グリンカ:歌劇「ルスラントリュドミーラ」序曲
ラフマニノフ:ピアノ協奏 第2番 ハ短調 作品18
チャイコフスキー:バレエ音楽「白鳥の湖」 作品2(抜粋)

指揮者ソヒエフはベルリン・ドイツ交響楽団の首席指揮者でドイツ、フランス、ロシア音楽に精通し、ベルリン・フィルにも定期的に客演、妖しい音彩を愛でると評される。あわただしい現代だからこそ、瞑想する時間が必要だという彼の指揮ぶりには、個性的な包容力に満ちた音であった。
ピアノのゲニューシャスは、2010年ショパンコンクール2位入賞、ラフマニノフやチャイコフスキーなどロマン派を軸に取り組んでいる。N響とは初演である。

グリンカの序曲は「民話オペラ」で、原作はプーシキンにより書かれた。物語は勇士留守ランが幽閉された恋人を救い出し結婚するというものだが、登場人物の性格描写が叙事詩的に悠然と展開され、後世に影響を与えたという。このオペラによりグリンカは「近代ロシアの音楽の父」と呼ばれて、特に序曲のみ演奏されることが多い。

ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番はロマンチックな曲だ。冒頭のピアノの和音が鐘の音のように聞こえ、徐々に響きを増してゆく。第2楽章では静寂な響きの中で葉擦れや小川のせせらぎの音もあり、第3楽章で抒情的な旋律が最高潮に達して終わる。とてもいい曲だ。

チャイコフスキ―の白鳥の湖からの抜粋は指揮者ソシエフによる選曲である。バレー音楽で聴きなれたメロディが続く。筋書きは省略しよう。



  N響定期演奏会「1831回」(パーヴォ・ヤルヴィ)

N響定期演奏会「1840回」(アシュケナージ)2016.2.18  サントリーホール

指揮者:パーヴォ・ヤルヴィ

演奏:NHK交響楽団
ピアノ/カルティア・プニアティシュヴィリ

演題:
R。シュトラウス  変容
シューマン ピアノ協奏曲 イ短調作品54
アンコール  ドヴィッシ―「月の光」
R。シュトラウス 交響詩「ツアラトゥストラはこう語った」作品30

[変容」は、シュトラウスが80歳の時作曲した曲である。あと4年しか残っていなかったが、「4っの最後の歌」とともに、美しい輝きを持った曲だ。
シューマンのピアノ協奏曲は、ピアニストの彼がピアノを主とせず管弦楽と融合して音色を溶け合わすことを試みた。妻クララは自分で弾いてみた後、「極めて繊細な方法で、ピアノがオーケストラに編み込まれている」と高く評価したという。
最初に、クララの主題がオーボエで登場し、とても素晴らしい美しい曲だと思う。録音盤を探してみよう。

ピアニストのプリアティシュヴァイリーはルビンシュタインコンクールで第3位、最優秀賞ショパン賞をとり静かな神秘性がある。

交響詩「ツアラトゥストラ・・・」は、哲学者ニーチェの「永遠回帰」への傾倒から生まれた曲だ。
序奏は以下のように展開される。

1.背後の世界の住人について
Ⅱ.大いなるあこがれについて
Ⅲ.歓喜と情熱について
Ⅳ。墓場の歌
Ⅴ。科学について
Ⅵ。病が癒えつつある者
Ⅶ。踊りの歌
Ⅷ.夢遊病者の歌

人生の目的や究極の価値などはなく、世界はただ同じことを繰り返すだけではあるが、だからこそ現在を生き続ける力(力への意思)が重要であるという。
シュトラウスは、「この作品で哲学的な音楽を書こうとか、ニーチェの偉大な著作を描こうとしたわけではありません。ニーチェという天才に捧げた私のオマージュなのです。」と言い、初演を自身の指揮で飾った。
ヤルヴィの指揮は冴えわたった。この人はシュトラウスが大好きのように感じた。


N響定期演奏会

2016.6.23  サントリーホール

指揮:アシュケナージ

演題:
シューマン:交響曲第2番ハ長調
エルガー:交響曲第2番変ホ長調

79歳のアシュケナージは、踊るような小走りで舞台に現れた。すっかり白髪で年を感じさせた。私が彼のピアノ演奏の美しいタッチから流れ出る音に魅了され、東京・名古屋・広島と所謂<オッカケ>をしたのは。1987年であった。あれから30年を経た今日、指揮者としての地位を確立している。2004~2007にはN響の音楽監督を務めた。フィルハーモニー管弦楽団の桂冠指揮者を務める。私は彼の「ノクターン」のCD録音が好きだ。

今回の演題はともに長時間をついやして作曲され、しかも情熱にあふれた曲を選んでいる。

「シューマンの2番」についてシューマンは「暗い時代」を想起させ「苦痛の響き」がすると言ったが、終楽章は明るい。晩年の精神不安のなかで一時的に安定した時に完成した。静かな瞑想的な旋律の主題の展開が美しく響く。情熱がほとばしる、何か引き付けられる曲である。

「エルガーの2番」は、イギリス国王エドワード7世への追悼曲だが、自筆の楽譜に詩人シェ―リの詩の一節<めったに、めったに来ない、汝、喜びの聖霊よ!>が書き込まれている。意図は謎である。
推測の域を出ないが、実はこの曲には、大ロマン物語が秘められている。エルガーは当時アリス・スチュアート・ワートレイという女性に密かな思いを寄せていた。アリスはみずにうかび花を抱いて河を流れゆく名画「オフィーリア」を書いたジョン・ミレーの娘で男爵の妻であった。才色兼備のアリスはエルガー音楽の最大の理解者でもあった。エルガーは彼女を(アネモネ)の名でよんだ。
この曲に現れる憧れの情熱は、エルガーの{トリスタンとイゾルデ}なのだ。シューマンの2番とともに、苦悩を超絶した透明な選者アシュケナージの意図が感じられた一夜であった。







第7部     器楽曲を聴く




「ル-ビンシュタイン」のカーネギーホール演奏会を聴く

1961.10.30    カーネギーホール

旅行中でニューヨークにいた私はチケット得て、カーネギーホールに駆けつけた。ショパン弾きとして著名であつた彼の「ノクターン全集」をレコードで聴いていたので、親しみがあった。

1906年 ルービンシュタインは、このカーネギーホールで演奏し、酷評を受けた。苦い思い出のよみがえるこのホールで74才の彼が行なった10回連続演奏の初日であった。10.22までパリーで演奏し、多忙を極めるスケジュールだったが、「why do it? It is simple. I love to play piano.」と答えている。 (S.HUROKのthe return of rubinsteinより引用)

ベートーヴェン二長調ソナタ OP57  「情熱」
ドビッシー 映像第2集ペルガマスク組曲
ショパン ノクターン27番 スケルツオ31番

74歳で堂々とし自信に満ちた演奏で技巧に円熟が感じられた。50年前の記憶は 確かではないが、聴いたという歓びは今も鮮明である。



ヴィオリン演奏会(ミッシャ・エルマン

芝・日活スポーツセンター  1955.10.20

演奏者
ヴィオリン:ミッシャ・エルマン
ピアノ:ヨセフ・セイガ―

指揮:上田仁         東京交響楽団

エルマンは1921年、1937年につづき3度目の来日であった。1891年キエフ生まれで、1911年からアメリカに永住した。巨匠といわれたオイストラッフに対抗し、粘っこく、重厚でヴィオラやチェロの響きを髣髴させる音色で、エルマン・トーンとして、人気がありレコードの売り上げは200万枚に上ったという。
<エルマン・トーン>と言われたが、命名は、野村あらえびす(野村胡堂)らしい。それにしても、会場は不思議な所だ。記憶にない。私の大学時代だ。場所はいま何だろう?手元に残されているチケットの黄色だけは色あせず鮮明である。<昨日は遠く、昔は近い>と高齢者を揶揄する活字を目にしたが、やはり昔は遠いのである。演題は不明だ。



クラリネット独奏会(ザビネ・マイヤー)

東京文化会館小ホール   1985.4.8

演題:
ウェーバ 主題と変奏 
ベルク  4つの小品  OP5
マルチーヌ  ファガチマ
ドヴィッシ―  ラブソディ第1
ウエーバ  クラリネット協奏曲
ミヨ   ストラムッシュ

カラヤンが男性集団であるベルリン・フィルに初めて女性演奏者ザビネ・マイヤーを加えようとしてベルフィルと対立し、全員投票で拒否され実現しなかった。1983年のことである。
その話題にいささかの興味が沸き、この演奏を聞いた。1960年生まれのマイヤーは噂にたがわぬ美人で、眩いばかりの白い顔で現れた。
ふくよかな響きが美しく、旋律を歌わせて弾く。クラリネットがもつ哀愁も感じられた。私はモーツアルトのクラリネット協奏曲K。622が好きなので、この弾き手で聴きたいと思ったりした。
愛聴盤:K.622 ウラッハ




ピアノリサイタル(岡田将)

2016.3.15    リベルラ(石神井公園)

奏者:岡田将(ピアノ)

演題:
第一部(14:00開演)

ブルグミューラー:25の練習曲より
リスト:ラ・カンパネラハンガリー狂詩曲第2番他

第二部(16:30開演)

ベートーヴェン:ピアノソナタ/テンペストOP。31
リスト:バッハの名による幻想曲とフーガ他

1999年リスト国際ピアノ・コンクールで、日本人初の第1位を受賞、リスト、バッハ、ショパンを主体に国際的活躍をしている当人の演奏を18名限定の「リベルラ」で拝聴した。
私は、2013年12月に藤沢で、岡田のシューベルト、シューマン、リストを聴いた(私のクラシック音楽の旅そのⅡ参照)その時は、はるか離れえた客席からであったが、今回は2メートルも離れていない右真後ろの同床で聴いた。

演奏前少々雑談する時間があり、どこで聴けばいいかと聞いたら、ピアニストのイスを指して,<ドウゾそこで>と、ニヤリ笑った。ユーモアな人だ。お客が皆帰るからと私は辞退した。
見るととても手が大きい。指が長い。ショパンはビロードの指といわれた手で弾いた事を思い出して、岡田の手の大きさと指の長さを聞いたら、リストの手型とくらべたことがあり、大きさと指の長さが全く一緒だったそうだ。彼によると指は、これ以上長くなると鍵盤に合わせにくくなるということであった。

第一部はブルグミューラーの楽譜を手にしながら、彼の話からはじまった。ブルグミューラーは1806年の生まれで練習曲は中級教則本書として定番であるが、夫々標題がついている。
「おおらかな(正直な)心」、「貴婦人の乗馬」「アラベスク」「パルカロール(舟歌)」「タランテラ」「家路」を目にも留まらぬ指の動きから生まれ出る正確なタッチで紡ぎ出した。私は息を飲んで、見て、聴いた。
目前の音は、コンサートホールで聴いている音と、まるで違って、各音が私の骨の芯に叩き込まれて響いているように感じた。ペダルを踏む音が同時に身体に入ってくるのに驚いた。
ピアニスト達は、日頃このような音で音楽を聴いているのであろうか。今日のスチェーションは、昔王侯貴族が楽しんだ宮廷音楽の様だと思い、モーツァルトを聴くマリア・テレシアになった私を想定し密かに微笑んだ。

続くリストの「ラ・カンパネラ」と「ハンガリー狂詩曲第2番」は、2013年に藤沢市民会館で聴いたと同じ演題であった。
狂詩曲は演奏者の即興精神や情熱が聴衆に伝えられる手段で、普遍的だ。
特にハンガリーの旋律に魅せられ、これから霊感を得た者は、ハンガリー人のリストだけでなく、ブラームス、ハイドン、シューベルトがいる。ジプシー・スタイルと都会風の民族音楽の集積であったらしく、さらに現代のJazzに繋がっている。
放浪の自由、ロマンチックな気分の高揚、旋律の束縛放棄は、リストの性に合っている。
この「ハンガリー狂詩曲」をリスト・コンクール優勝者の貫録と安定感で溢れる見事な音楽で岡田さんは弾いた。全身が舞って聴く者をリストに近づけた。
アンコールは、モーツアルトの「キラキラ星」を聴かせた。そして更に彼が現在取り組んでいるベートーヴェンの「ハイリゲンシュタットの遺書」にふれ、死の直前に書かれた2度目の遺書の内容を説明され、ピアノソナタ31番を弾いた。死の3日前の日に書かれた第2番目の遺書には、<聴く人を楽しませることに音楽の意味がある>としているが、岡田さんは同時に作られたこの曲が好きらしく、明るく響かせて弾いた。私は最後の32番を良く聴いているが、彼は最後の曲については言及しなかった。

更に彼の好きなベートーヴェンの曲として、三大ピアノソナタとワルトシュタインをあげ、2年がかりで全32曲を演奏中であるとの説明を受けた。私は、かってバレンボイムがサントリー・ホールで8日間で32曲全曲(1か月を要した)を演奏したことがあり、通って聞いた思い出を話したら、岡田さんは、その体力は素晴らしいと驚かれた。

第二部は、ベートーヴンの「テンペスト」から始まった。命名は弟子のシンプトラーに、ベートーヴェンが<シェックスペアのテンペストを読め>と言ったということから由来している。第3楽章が有名である。岡田さんは,この曲を強く賛美されていた。

以下の感想は、私の勝手な幻想であるが許されたい。
テンペストは、シェクスペア最後の戯曲で、観客を喜ばせて静かに舞台を去る作家を彷彿させる戯曲であり、Beethovenがハイリゲンシュタットの遺書を書いた時期であり、自分の心境を暗示したのかもしれないと思う。
その悲しみは曲のなかに流れている。ベートーヴェンの手記の一節に書き留められたミュラーの詩があるという(ロラン・マニュエルの「音楽のあゆみ」より引用)
  生は音楽の振動に似ている。
  そして人間は弦の戯れに、
  もし強く撃たれすぎると、
  その響きを失ってしまい、
  二度と鳴らなくなってしまう。
でも、ミュッセはいう。
  絶望のいや果ての歌こそ、こよなく美し・・・。

ドヴィッシ―の「ミンストレル」について、演奏前の岡田さんは説明した。<ミンストレルは「道化師」の意味です。ドヴィッシ―の一音は、考え抜かれた末の一音の積み重ねです。この曲はサーカスの二人の心の動きを見事に捉えています>と。そして、鮮やかな指の動きで、ややコミカルに弾き終わった。

帰宅してから、ドヴィッシ―について、幻のピアニストといわれたリヒテルにドヴィッシ―の前奏曲集についての評論があったことを思いだした。調べると面白い。蛇足として書かせていただく。以下は巨匠リヒテルの言である。
全部で24曲のドヴィッシ―の前奏曲の内、私が弾かない曲が2曲ある。「ミンストレル」と「紫色のあばたの肌」だ。白人が黒人に扮したり、あばたは嫌だ。ルノワールの裸婦の絵のようだし、亜麻色の髪の乙女の髪が生肉の灰色であるように私向きでない。(注;リヒテルは絵画に詳しい)
ついでにブレンデルは、<ハンガリア狂詩曲」には、音色に、鋭く暗い光を放ち、微妙にうすれてゆく無数の陰があって、それが発見されるのを待っている。>という。私は、芸術の多様性を思い、勝手な自分なりの感覚で、過ごせればと願うのみである。

最後は、「バッハの名による幻奏曲とフーガ」で、リストがピアノ用に編曲したものである。リストのバッハに対するオマージュであろう。ペダル扱いの難しい曲らしいが、私には分からない。
岡田さんは、B、A、C、H 音がこの曲に配分されていると解説され、キーを弾いて示された。
アンコール曲は、司会者が聴衆からでたリストの「カンパネラ」であった。私はBachの「サラバンド」が今日の最後に相応しいと思ったが、疲れ果てている岡田さんには言えなかった。

リサイタルが終わりテーブルを囲んでワインで団楽の時、私は<ベートーヴェンの32曲演奏の挑戦のあとは、どちらへ向かう積りかを聞いた。しばらく考えた岡田さんの返答は、<ブラームスです。>であった。
私は彼の心境を理解した。ブラームスの交響曲第1番は、べ-トーヴェンの最後の曲第9交響曲の後書かれた最も優れた曲である(ハンス・ビューロやヘルマンによる)。即ちドイツロマン派の集大成をブラームスが行っているのだ。ベルリン芸術大学で学び、音楽を取得した岡田さんがベートーヴェン全曲演奏の途上に、次はブラームスを目指すのは、私には当然の帰結のように感じた。





津軽三味線演奏会(岡田修)

2015.11.29    石神井リベルラ

演奏者:岡田修

題目    
津軽よされ節
津軽さんさがり
津軽じょんから節
十三の砂山
南風にのって
庄内の彩

1985年津軽三味線全国大会で優勝し、以来欧米でも多彩な活動を続けている。
羽織、草履姿がよく似合う人だ。眼光と太い眉は、津軽三味線奏者に相応しい威厳がある。
20人限定の音響の良いこのピアノホールで演奏に当たり、岡田さんは3丁の三味線を用意されていた。それぞれ大きさや、デザインがちがい、音色がちがうのである。

「津軽よされ節」
三味線の歴史を話された。昔、越後は貧しく食うものにも貧した。<こんな世は去れ>と三味線を抱えながら門付けと言い、家の前で三味線を弾き、唄い農家を物乞いに回り、飢えを凌いだ。元は中東で生まれ、中国を経て日本に伝来した。した。津軽三味線は越後から津軽へ北上し、津軽で定着した。

「よされ節」の意は、<こんな世は去れ>という貧窮したから生まれているのだ。

「十三の砂山」
津軽半島の日本海側最先端に13の港を築き海外交易で繁栄していたが、1340年二十メートルを超す大津波が突如起こり、死者10万余人を数えた。
跡には砂山が残った。<砂が米なら良かったに>と唄う歌詞と旋律には、悲しい哀調がながれている。
3.11の東北地震に後は、岡田さんはこの唄を封印していたが、今年の3月11日より復活させたという、涙顔で唄ったのが印象的だった。

「南風にのって」
蛇の皮の三味線は蛇味線といい、沖縄で使われる。沖縄の空の碧さに憧れて3度沖縄に行ったが生憎毎回天気が悪く、その中で作曲したのがこの曲で、<少しは温かみが感じられましたでしょうか?>と。
次の機会をまっているそうだ。

「庄内の彩」
岡田さんは庄内で生まれ育った。で18歳で三味線に憧れ弟子入りし、5年の修行を経て独り立ちしたという。楽譜も教則本もなく伝承で、自分で考えて工夫をされたようだ。
この唄は、自分の幼少の頃の思い出と感傷を作詞・作曲されたものだ。
大声で、故郷を懐かしむように唄った。

三っの三味線は皮の張り方により音色がちがう。皮は、犬だ。三弦は二弦が絹糸を縒って作られ,他の一弦はナイロン製だ。撥は今は鼈甲だ。昔は木製であった。鼈甲を最良とする。三味線は打楽器と考えていい。津軽は特に力強くたたくという。演奏が終わってから三味線を持たせて戴いたが、重いのに驚いた。
何時もながらの美味しいケーキとお茶の御もてなしを受けで、リベルラを後にしたが、強いバチの打音が心に残響として記憶された。      




チェロ・リサイタル(宮田大)

2015.12.08    JTアートホールアフィニス

演奏者チェロ;宮田大
            ピアノ:ジュリアン・ジェルネ

演題
ファリャ;バレエ音楽「恋は魔術師」より
ショパン;チェロ・ソナタト短調OP.65
ファジル・サイ;4つの都市OP.41(ピアノとチェロのためのソナタ)
アンコール:ラヴェル:逝き王女のためのパヴァ―ヌ
久石譲:風の谷のナウシカより

JTァートホールは定員256席の小ホールで、残響1.2秒の室内楽に最適なホールだ。当日はTV用の録画と録音があるという。全席自由席のため1時間前から会場を待つ人の列が出来た。
幸い最前列に席が取れて、5メートル位離れた位置で、大ちゃんファンの友人と家人と3人で聴いた。

素晴らしい1698製ストラディヴァリウス(シャモニー)のチェロの音色は深く渋く千変万化した。ピアニストのジェルネ(フランス人)とは6年間のコンビで、見事に息がぴったり合った。

「ファリャ:恋は魔術師」
情熱的な女性が、死んだ愛人の亡霊にとりつかれ、新しく愛する男と結ばれない。幽霊の魔法の力で、最後には恋が成就される。楽章名はなく、小休止を挟んで、下記の曲が展開する。
Ⅰ.パントマイム  Ⅱ.悩ましい愛の歌  Ⅲ.恐怖の踊り  Ⅳ.情景  Ⅴ.狐火の歌  Ⅵ.魔法の輪  Ⅶ.火祭りの踊り
音量の変化、弦の音色の変化、宮田の身体がチェロと一体化し揺れ動く。私はチェロの魅力をこれほどまでに味わったことがないと思った。
ミラノ・スカラ座で聴いたロストロポーヴィチや、ミッシャー・マイスキーの数度の演奏の思い出し比較を試みたが記憶は遠かった。

「ショパンのチェロ・ソナタ」
ピアノの詩人ショパンが生涯残したピアノ曲以外の室内楽は4曲のみで、そのうち3曲がピアノとチェロのためのデュオである。
39歳で早逝した彼が、この曲を作ったのは37歳の時で、恋人ジョルジュ・サンドと別れパリに戻り健康が悪化したが、彼を支えた親友は、「画家・ドラクロア」と「15年間の友人チェリスト・フランコーム」の2人だった。
この曲は、フランコームの友情に感謝し、彼との共演を想定して作曲され、献呈されたものだ。
余談だが、画家ドラクロアは、ショパンとジョルジュ・サンドの肖像画を残したが、今は二人は引き裂かれ、単独の画として美術館(ルーブル美術館)に展示されている。
<第一楽章>
ピアノの短い序奏に導かれチェロによる第一主題は幻想的でロマンチックだ。瞑想的な第二主題との対比が凄い。演奏者二人の呼吸が聞こえた。
<第二楽章>
ピアノとチェロは対立し、更に協調に変わる。チェロが唄う旋律が真に美しい。
<第三楽章>
緩徐楽章はノクターン調で、チェロとピアノが緊張感溢れるラルゴである。
<第四楽章>
主題が、チェロとピアノで体位的に絡み合い非常に哀れで美しい。そして力強く終止する。
私は初めてこの曲を聴いた。ショパンのチェロに対する執念を感じ、又宮田大の音色に驚いた。
ショパンの人生の深淵なる愛情の終焉をこの曲の中で聴く事ができるように想った。

「ファジル・サイ:4つの都市」
演奏前に宮田大がマイクでこの曲を解説した。
楽章名に代わり、Ⅰ.スイヴァス  Ⅱ.ホパ  Ⅲ.アンカラ  Ⅳ.ボドルム  は4つの都市名であり、ファジル・サイは、トルコ出身で、<各々の都市には、それぞれの気候、雰囲気、伝統があります。作品ではその各地の民謡や歌い継がれてきた旋律を各楽章に取り入れています。あたかもトルコを旅しているような雰囲気を味わってください>と述べる。
演奏は中東特有の民謡、カルカスダンス、夏のヴァケーション地の喧騒、ジャズを聴くような多彩な音色に楽しみ、感嘆する。

サイは、12年前から毎年訪日し、日本文化にも詳しい武満徹、黛敏郎に興味を持つという。(朝日新聞グローブ参照)
会場全聴衆の熱狂した拍手の続く中、、アンコール曲はラヴェルの「逝き王女のためのパヴァ―ヌ」を弾いた。私はパリ音楽院管弦楽団のクリュイタンス指揮のオーケストラ版をLPで愛聴しているが、チェロ・ソナタでの演奏には驚いた。特に宮田のチェロの弦の響きは、哀愁に溢れ忘れられない。

以前、小澤征爾が宮田大を指導したTVを観たが、<真面目で、繊細すぎる傾向がある。もっと暴れてもいい。>との評であったと覚えている。本日の演奏は、かなり暴れた、思いどおりの演奏をした、と思う。
宮田大本人も<今日は、録音TVをしていたので、いつもより力んでしまった。>と話したが、本心を披露したのであろう。
更に鳴りやまぬ拍手に、久石譲作曲の<風の谷のナウシカ?>から草原を吹く風を感じる曲を弾いた。
帰路の寒風も、聴衆にとっては、 微細なことであったろう。知人は<今日はこころに残る演奏会だった>と満足げだった。







ショパンを偲ぶ:

テオフィール・クフィアトコフスキー(ポーランドの画家)は、ショパンを「彼は涙の様に純粋だった」と言った.
即ち、人格の高貴さ、妥協を許さないこと、自分の人生、自分の使命をはっきり意識していることでショパンに匹敵する人は、ごくわずかしかいない。この偉大なる人の非凡な特徴を、眼前に彷彿させ、彼の作品に耳を傾ける時、私は我が人生の儚さ愚かさを痛感する。

ショパンの指は、多くの人が語っているが、ジョルジュ・サンドは「ビロードの指」と表現した。
又コルトー(ピアニスト)は「ほどんと非物質的な彼のタッチが、あらゆる微妙さを可能にする関節の限りない柔軟さと、頑丈な骨格との驚くべき結合からなるものである。」と書いている。
又、遠山一行さんは、名著「ショパン」で、ショパンの美しいメロディの秘密はその一つ一つの音の発見にあると言う。それはむしろ、ピアニストの指が音楽家の新鮮な意識を呼び起こす、その瞬間の奇跡をいうと書いている。
私は思う。モーツァルトの後継者を考えることが出来ないように、ショパンの後継者もあり得ない。観念は生き残るが肉体は確実に死ぬからである。

ポーランドでのショパンの青春時代は、それは幸福なものであった。
遠山一行さんによれば、彼は大変「もてた男」で、それを充分楽しんだという。彼が本当に真剣になった相手は、初恋のコンスタンチアだ。次に結婚の手前まで行ったマリア、そして最後のジョルジュ・サンドの3人で、彼が積極的だったのはマリアの場合で、対サンドとは「受け身な」恋人であった。
ショパンが求めたのは、単なる恋人ではなく、完全な愛で包んでくれる人だったのではないかと言う人もいる。ショパンの恋愛は結局実らないで終えた。
私は、作品62番「ノクターン」を、彼の悲恋の鎮魂歌としても聴くことが出来るし、そう響いているように思う。
病中の身で新しい愛人ジョルジュ・サンドとの「恋の逃避行」の中で、彼は39歳での短い生を終えた。
音楽史におけるショパンを考えることは、素人の私には不遜だが、ショパンという一人の純な人間の魂の流離を考えずにはいられない。彼のピアノ曲が聴こえる限り、それは続くのだ。





マウリッイオ・ポリーニ講演会を聴く

サントリー・小ホール  2002.11.13

マウリツィオ・ポリーニついては、ショパンのエチュード・プレリュードと後期シューベルト・ピアノソナタ集のCDを聴き、大理石の彫刻のごとき彫りの深さに驚き、研ぎ澄まされた音の響きに畏敬の念を感じていた。
そのポリーニが音楽についてピアノ演奏なしの講演をすると聞き2回受講した。イタリア語で話し、通訳がアナウンスした。
かなり難解な、感覚的な話で良く分らなかった。講演では、大学の教師のような風貌で訥々と話した。

序に吉田秀和氏のポリーニ評が的確だと思うので、紹介する(吉田秀和著・世界のピアニスト)
{ポリーニの演奏には、燃えるような強烈なダイナリズムと非常な速さで走ってゆくアレグロの音楽の中に、きれいに歌がきこえるという魅力があるのだが、その反面、奇妙な冷たい感触をもったピアニシモの世界があり、それを現代風の演奏とよぶのも多分的外れではないだろう。それはいわゆるロマンティックな気質とは違い、むしろ感覚的でしかも理知的な肌合いが強いのだ。私は1989年、1993年と2度聴いた。まったく同感である。

愛聴盤:ポリーニの名盤;ショパン プレリュード・エチュード(OP25,10)シュウベルト さすらい人幻想曲 ショパン ポロネーズ集シェーンベルグ OP19,11,23,




ピアノリサイタル(ポリーニー1993)

1993.4.27    東京文化会館

演題:作曲家ベートーヴェン

ソナタ第2番イ長調OP.2-2
ソナタ第3番ハ長調OP.2-3
ソナタ24番嬰ヘ長調OP78.
ソナタ第23番ヘ短調OP.57「熱情」

ポリーニはモーツァルトを弾かない。彼は納得出来ないホールでは弾かない。協奏曲でも、同じで、指揮者はアバトが多い。だから演奏回数も少なくチケットを手にすることが欧米ではかなり困難なようだ。
第三者の評価に耳を澄ませて聞き入るタイプではないようだ。自分自身のピアノ音楽の信念を確立しているのだ。
1960年ショパンコンクールで優勝した時、審査委員長のルービンシュタインが、「私達の審査員の中で彼ほどうまく弾けるものがいるだろうか」と講評したことは有名な話だが、彼の精確極まるピアノ技法は驚くべきものだ。
私は1972年の録音LP盤<ショパン/エチュード10&25>と、1974年/プレリュードCDを持っていて聴いていた。まるで大理石の彫刻のような冷たい理性を伺わせる音で、奇異に感じた。ロマンチックな要素を嫌っているように思える。

今回の訪日は、8回目である。私は4回聴いた。そのテクニックの清澄なことは変わらず一貫している。1987年演奏の「シューベルト後期ピアノソナタ集」を聴いてみたが、ポリーニは全く変わらないでいる。(演題については略す)



ピアノリサイタル(ポリーニー1989)

東京文化会館  1989.4.19

演題:
ブラームス:4つの小品OP.119
シェーンベルク:3つのピアノ曲OP.11
シュトックハウゼン:ピアノ曲第5、第9
ベートーヴェン:ソナタ29番OP.106「ハンマークラヴィア」

6度目の来日である。天才ピアニスト・ポリーニも47歳となった。レコードでシェーンベルク、シュトックハウゼン、ベートーヴェンは聴いていたが、ブラームスは、私には初めてであった。ミケランジェロのダヴィデ像のような彫塑的なブラームスで、落ち着いた華麗さに溢れていた。
ポリーニは、20世紀後半の音楽との取り組みが深い数少ない巨匠であり、今日のシェーンベルク、シュトックハウゼンのほか、ノーノ―などの音楽に積極的に関わっている。どこか哲学を感じる芸術家だ。

2002年彼は音楽に対する講演会を行ったので、私は2晩通ってその講義を受講した。懐かしい思い出だ。あの頃の自分は純だった様にも思う。なお、ポリーニについては,別稿(1993.4.27)を参照されたい。




ショパンを聴く(サムソン・フランソワ

演奏家の中で、彼ほど自己主張することをためらわない人は少ない。彼の演奏がスリリングで、絶妙な場合は、誠に感動的な音楽となる。

ショパンの音楽には、演奏者の主観的な感受性を発揮させる余地が多く、フランソワの個性との一致が生まれた時、技術偏重の現在音楽とは、全く異なったショパンを聴くことが出来る。
彼のピアノソナタNOS.2&3(LP)、ピアノ協奏曲NOS.1&2は、宝玉の盤である。
ソナタ2番”葬送”の第3楽章と第4楽章を聴いて、ショパンとフランソワの相性一致を実感する。
静かな夜に、フランソワのショパンを聴くことが、私には生きていることの実感に繋がるのである。





ピアノリサイタル演奏会(クラウディオ・アラウ)

神奈川県民ホール  1987.5.8

演題:
べト―ヴェン;告別ソナタ7番OP10-3  
リスト;エステの噴水
    ぺトラルカのソネット
    ダンテを読んで

魅力あふれる演目だ。特にリストは抜群だ。
アラウはチリ―の生まれで、11歳にベルリンでデビューした。一時貧困を極めたが、夫人の内助の功もあり、ナチスから逃れ、ニューヨークに移住し活躍の幅を広げた。中期以後のベートーヴェンは、詩情にあふれ、味わい深い。 この日の[告別]も老成したベートーヴェンを演じた。
林光氏も高く評価し「作曲者の音による思考を把握し、それをピアノにより追体験している音楽家が、みごとに存在した。」と書いている。
人間味のある温かい音楽を、もっと聴きたかった。しかしこの人の来日は少ない。
私は、アラウの「ベートーヴェン・ソナタ全集」を所蔵し聴いているが、名演だと思う。
愛聴盤:
ベートーヴェン:告別 バックハウス;1959年(LP)グルダ、ゲルバー、ポリーニ
リスト;ボレット、ブレンデル、ホロヴィツ





ピアノ・リサイタル(アルフレッド・ブレンデル)

東京文化会館  1992.01.16
 
演題:
モーツアルトソナタ・へ長調 KV.533/494
ベートーヴェンソナタニ短調OP.31-2テ ンペスト
モーツアルト:幻想曲ハ短調 K.475
モーツアルト:アダージョロ短調 K.540
ベートーヴェン:ソナタイ長調OP.101

吉田秀和はブレンデルの演奏は、意識的な音楽の対話があるという。ウィーンの土壌が生んだ難しいピアニストだ。プログラムは最高だった。彼の演奏で、モーツアルトとベートーヴェンの対比が面白い。
情感豊かなモーツアルト、躍動するベートーヴェン、上手いものだ。




ピアノ・コンサート(ブレンデルー1988)

神奈川県民ホール    1988.10.12

演題:
モーツァルト;デュポールのメヌエットによる九つの変奏曲KV.573
ブラームス;主題と変奏 作品18
リスト;バッハの主題による変奏曲
シューベルト;ピアノソナタ第二〇番、D959

巨匠ブレンデルは、膨大な録音を残した。1931年生まれの彼は当年57歳、円熟期の音を聴かせた。特にリストは、精密に裁てられた音楽分析の上での精妙巧緻な名演であった。

私はブレンデルを思う時、丹念に音を拾い、けっして奮い立たず・・・演奏技実は高度、と言った彼の音楽とともに、政治、芸術、哲学についても一家言を持っているということである。これはウィーン的とか、ベーム、ウィーンフィル、から想起するウィーンの音楽家のモデルとは、少々違うと思う。調べると彼は青年時代を「小ウィーン」と呼ばれているグラーツで過ごしている。私はキャサリン嬢(前出)の案内でグラーツへ行った事がある。音楽水準の高い小都市でありながら、あきらかに華やいだウィーンとは異なっていた。
ブレンデルのピアノは、ウィーンに対する小都市グラーツの音楽なのでは・・と思う。ウィーン育ちのグルダ達とは違うのだ。

モーツァルトの曲は、ベルリンの宮廷室内樂長のデュポールの作品から主題を得て、即興的に作った曲である。
ブラームスの主題と変奏は、かれの意中の人、クララ・シューマンの誕生日を祝って書かれた作品である。
リストの曲は、名のとおりバッハの作品から素材を得た創作であって、反復低音による主題を多彩に変奏した作品である。
シューベルトの20番ソナタは彼の死の半年前に書かれた最後の作品3曲の内の1曲である。
最高のピアノ曲だ(内田光子の演奏稿を参照されたい)


特別ピアノ・コンサート(ダニエル・バレンボイム)

オーチャードホール1990.11.15

演奏者:ダニエルレンボイム

演題:
J.S.バッハ ゴルトベルク変奏曲

バッハが彼の弟子テオフィール・ゴルトベルグの為に作曲したので、この名で親しまれている。別説に後援者の伯爵の不眠に対しての曲との説があるが信憑性は不確かである。 この変奏曲を語る場合、この曲を世界に知らしめた奇才ピアニストのグレン・グールドについて触れなくてはならないだろう。ご承知のごとく1955年グールドは、ゴルトベルク変奏曲で、全く衝撃的なデビュウをした。この曲に対する解釈上の大胆さはそれまで受容されていた文化的水準、演奏の型、から完全に解放されていたのだ。彼の想像を超えたバッハ解釈は、全世界の音楽を愛する人たちを熱狂の渦に巻き込んだのだ。今ここで詳細に述べることは適当ではないので、他日を待ちたい.
私は、ここでは、グ―ルト自身の言を借りよう。(グレング―ルト著作集Ⅰより引用)「あの曲は、終わりも始まりもない音楽であり,真のクライマックスも、真の解決もない音楽であり、ポードレールの恋人たちのように「留まることのない、風の翼に軽々ととどまっている」音楽である。さて横道にそれたが、バレンボイムバッハは、音が明るく透明で、そして美しい。最後まで柔らかさを保ち、弾き終わった。




ピアノ・リサイタル(小菅優)

2016.2.13    神奈川県立音楽堂

演奏者:小菅優

演題:
シューマン/蝶々OP。2
ブラームス/バラード集OP。10
ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第31番変ィ長調  
アンコール
シューマン;アラベスク
シューマン;献呈(リスト編)
シューマン;詩人のお話し(子供の情景より)

小菅は若手ピアニストのうち最も将来のある人だと思う。彼女の高度の技巧からの微妙な音の美しさは、群を抜いている。有名オケとの共演や受賞歴も数多い。舞台上の態度も大物で肝が据わっているように見える。曲の解釈でも確信を持っているようだ。私は内田光子を別格としても、小菅優はさらに世界的な飛躍をとげるよう祈るのである。

「蝶々」は文学少年でもあったシューマンが、ドイツの小説「生意気盛り」の最終に触発されて19歳の時作曲したという。筋は <双子の兄弟が同じ一人の女性に恋心を抱き、仮面舞踏会で兄弟の一人が告白し、女性は受け入れる。譲った方は、相手の幸せを願いながら去ってゆく>・・・蝶の舞にも似た女性の様子が19歳のシューマン青年の心に落とした影を感じさせます。

「バラード集」は、シューマンが精神病で入院中、夫シューマンと妻クララを気遣ったブラームスが、このバラードを書き慰めた。バラードは中世の詩や物語を音楽的に表現したもので、ブラームスの恩師夫妻にたいする不安定な旋律も現れます。

「31番ソナタ」は、最後のソナタ32番のひとつ前の作品で、温かく美しい第一楽章、「嘆きの唄」の悲痛なメロディ、そして達観した圧巻の終結はベートーヴェンならではの響きを放つ。32番と並ぶ名作と言える。小菅優はすでにベートーヴェン全曲演奏会を行っている。
鳴りやまぬ拍手に小菅はアンコール曲シューマンの3曲を淡々と弾いた。「詩人のお話し」などは帰路で口ずさむほど美しく感じた。



ピアノ演奏会(ガガリーノフ)

藤沢市民会館    1986.06.22

演題:
ショパン:五つの練習曲OP.25より 
ショパン:ソナタ第二番変ロ短調作品35(葬送)
ラフマニノフ:二つのプレリュードOP.23-2 23 -1 32-12  23-5
ラフマニノフ:練習曲音の絵OP39-3
ラフマニノフ:樂興の時OP16-3、OP.16-6

18歳でチャイコフスキーコンクール優勝、ソ連生まれのこともありチャイコフスキー、ラフマニノフ、プロコフエフを得意とする。リヒテルの弟子である。パワフルな演奏は力で圧倒するだけではなく、音造りも上手い。31歳で将来が楽しみだ。

ショパンは練習曲を27曲書き残したが、どうすれば響きの美しさが得られるかが目的だった。
シューマンは言う。「芸術家の手が楽器に託して語っているのは、奔放な幻想ではあるが、基調となる低音はあくまで朗々と響き,高音は妙なる歌の調べとなって漂うのだ。」と。
ラフマニノフは「チャイコフスキーに還れ」とロシア的ロマンを求めた。
音の絵はピアノの技巧と音に依って絵画の表現を作り出そうとした作品である。若い頃の小品だ。





ピアノ演奏会(ツイメルマン)

藤沢市民会館   1985.5.15

演題
バッハ   パルティータ1番
モーツアルト 幻想曲K397
ショパン 舟唄OP60
リスト  悲しみのゴンドラ
リスト  暗い雲
ベートーヴェン  ワルトシュタイン21番

小澤征爾はツイメルマンを高く評価しているようだ。村上春樹との対話で話している。1987に小沢・ボストンのリストの録音はいい。ツイメルマンは、ポーランドの出、ショパン・コンクールに優勝後も、地道に演奏している。
ロマンチックで情熱的な演奏は、その輝かしいコンクール受賞歴に裏打ちされ刮目して待つ天分を感じる。地方でこんな音楽が聴けるのは幸せの一語に尽きる。

「悲しみのゴンドラ」は友人ワーグナーの死を予感し作られた。「暗い雲」はリストの晩年の深い悲しみを描いた曲である。
「ワルトシュタイン」はベートーヴェンの傑作である。雄大な構想と、ダイナミックな旋律は、ベートーヴェンならではの作品で、他の追随を許さない。



ピアノリサイタル(ジャンルカ・カシオーリ

藤沢市民会館ホール     1999.2.13

演題
モーツアルト: ピアノソナタ第1番
ベートーベン: ピアノソナタ第3番
ベートーヴェン エロイカの主題によるフーガ
リスト:    超絶技巧練習曲/2番/4番「マゼッバ」

1979年イタリアのトリオ生まれ。20歳だ。ウンベルト・ミケーリピアノ・コンクールで第1位、のちムーティ指揮やアバトとも共演している。




ピアノ・リサイタル(横山幸雄)

2015.2.8  藤沢市民会館大ホール

奏者:横山幸雄

演題:
バッハ=ブゾーニ:シャコンヌ
べート―ヴェン:ピアノソナタ  8番「悲愴」
フオーレ;主題と変奏OP.73
ショパン:幻想即興曲
ショパン:ポロネーズ第7番「幻想」 ほか

この人の音楽活動は。いわゆる商業活動を離れて、自分のやりたいことを意欲的に構築してきたようにみえる。
2010年ショパン・ピアノ・ソロ全166曲コンサートを行いギネス世界記録に記される。1990年ショパンコンクールで日本人の最年少入賞を果たし、のち数々の賞に輝いているが、エリザベイト音楽大学客員教授などのかたわら。京都、東京で音楽つきのレストランを経営している。いわゆる音楽家と言われるプロ意識とちがう音楽との取り組みだと思う。
決して音楽家意識が低いと言う訳ではない。その証拠には、見事な演奏をする。今日の演題は、バッハからベートーヴェン、フォーレ、そしてショパンへと展開するが、全く異なる四作曲家を、どんな意識で区別し、切り替えるのか、私には魔法のように思える。

バッハのシャコンヌは、バッハの「無伴奏パルティータ第2番の5楽章」であり、ブゾーニが改訂したものである。高い技巧を要する曲で、バッハ時代のチェンバロをピアノに適応させた。最終の轟音など異物を観るような気持に感じた。

ベートーヴェン「悲愴」は、聴き慣れた曲だが、第2楽章が格別に美しい。32曲のピアノソナタを書いたが初期の名作だ。ご存知のとおり「月光」「情熱」とならび3大ピアノソナタとして知られるが、私は学生時代手に入れたW・ケンプの弾くLPを聴いて育ってきた。今でも彼の心に響く名演奏を聴くことが多い。
余談で申し訳ないが、高校生の孫が一昨年ピアノおさらい会で、堂々と「悲愴」を弾いたことを思いだして幸せな気分が湧いてきた。所詮音楽は聴く者がどう感じるかだ。尚孫は今、ベースギターを弾き、恋の歌などを私には分からぬ英語で唄っている。
更に余談を加えれば、ベートーヴェンから100年後にロシアのチャイコフスキーが交響曲第6番「悲愴」を作った。我が孫を加え「悲愴」を巡る220年の物語?である。

ベートーヴェンの後にフォーレを聴くとホッとする。ドイツからフランスへ旅した気分だ。私はフォーレの「レクイエム」が大好きだ。そこには理屈ぬきの神に対する敬虔な感情がある。私が好むのは。"理屈抜き"という点だ.ロマン派特有の優美な旋律が流れる。
「主題と変奏」の持つ力強い軽快な甘美と、表現の深さを感じる。コルトーは「最も稀有で、最も高貴な記念碑の一つである」と絶賛したという。

最後のショパンの数曲は、愛人ジョルジュ・サンドの介護の中で最後の力を振り絞って書かれた不朽の名作である。横山はショパンが得意で、この憂鬱な曲を,静澄に弾いた。ショパンの音がきこえた。
小説家のアンドレ・ジイドはショパンのもつ即興性を愛した。「ショパンの作はそれが、すでに出来上っているというふうに弾いてはいけない。一つ一つの音を新しく発見して行くようにひかなければならない」という。

名著・遠山一行さんの「ショパン」の最後の一章は<晩年のショパンの創作・様式に変化はなかったが、何か静かな、安定した、空間の広さのようなものが感じられる。天才は、平凡な人間につながる広い平面の感じが好きなのである。>で終わる。(遠山一行著作集2より引用)
私は、ショパンが好きだが、不思議なことに、モーツアルトを楽しんだり、バッハに気分を癒したり、べ-トーヴェンを尊敬したりする場合とは違う心でショパンに逢っていると思う。
一生を通じショパンを愛したアンドレ・ジイドは、シューマンは詩人だが、ショパンは芸術家であるとしたが、私は、ショパンが他の音楽家とは違った世界で生きていた人の様な気がしていて、彼の音楽に接するのである。(遠山さんのショパンを参照)

ピアニストの横山幸雄さん達は,それぞれ異なる特質を何処でバッハ、モーツァルト、ショパンと区別して切り替えているのかと、繰り返し考えてしまった。楽譜に書いてありますよと言うのだろうか?




ピアノ・サイタル(シブリアン・カツァリス)

藤沢市民会館    1987.4・16

演題:
シューマン  子供の情景
リスト  孤独の中における神の祝福
シューベルト 即興曲 D946-1~2
ベートーヴェン 3番{英雄}変ホ長調OP.55

シューマンは夢見る様に情感が揺れる。カッアリスは、子供の情景は前年に録音、英雄は85年に録音し、手慣れた曲目だ。音の美しさ、分節化と、詩情豊かに謳い上げ、濃厚なロマンティシズムをかんじさせるシューベルト出会った。

彼は又ベートーヴェンの交響曲をピアノ曲に編曲したものを意欲的に弾いている。すでに、3番5番6番7番9番を録音した。魅力的なピアニストだ。
シューマンの「子供の情景」は、抒情的でロマンテックである。そしてベートーヴェンの「英雄」を大胆に変えて,ハンマークラフイーアのように演奏した。
彼は技巧派でありながら、複雑なピアニストなのであろう。改めて巨匠であると思った。



ピアノ・リサイタル(仲道郁代)

2014・5・31(土)  藤沢市民会館

演題
MOZART:「きらきら星」による変奏曲K265ピアノソナタ第11番K331
MOZART:「トルコ行進曲付」
BEETHOVEN:ピアノソナタ第14番「月光」
CHOPIN:バラード第1番・第3番幻想即興曲/子犬のワルツほか
アンコール:Chopin;ノクターンよりエルガー;愛の挨拶

仲道郁代は、1994年からベートーヴェンのピアノソナタ全集演奏会、2004年からピアノ協奏曲全集演奏会や録音をし、「ベートーヴェン弾き」の評価を確立した。現在はモーツァルトとショパンをシリーズで行い演奏活動は華やかである。当日は、モーツァルト時代のピアノが、現代に比し格段に小さく、音も異なっていたこと、「きらきら星」は当時の歌謡から生まれ、300年間も継承されているメロディであるとの解説から始まり、かわいい少女のような口調で曲の時代背景を語った。
MOZARTは優しく弾いた。ベートーヴェンの「月光」は手慣れた曲のようで、綺麗に弾いた。
CHOPINは美しくまさに幻想的で、堪能した。アンコールのノクターンも良かった。
後日聴いて知ったが、この地に所縁のある人らしい。
今は、日本中を駆け巡り売れっ子だ。ベートーヴェン全集も発売されていているが魅力のあるピアニストである。FM放送でも解説者としての美声を聞くが何か親しい存在の人と錯覚しそうな人柄を感じる。




ピアノリサイタル(ボリス・ベレゾフスキー)

藤沢市民会館      2002.2.2
演題:
シューマン/ソナタ第1番ヘ短調
シューマン/トッカータハ長調
ショパン/スケルツオ第1番ロ短調
べレゾフスキー
ショパン/スケルツオ第2番変ロ短調
リスト/巡礼の年第2年(ヴェネツアとナポリ)
リスト/メフイスト・ワルツ第1番
1990年チャイコフスキーコンクールで優勝、CDも多く、諏訪内昌子との共演CDスラヴォニックがある。
ソナタ第1番は、後に妻となるクララ・シューマンへの心の叫びといわれる。
トッカータは、ポエージに富んだいい曲で心地よい。
スケルツオとは、イタリア語で(冗談)の意味でベートーヴェンがメヌエットを転化して以来使われてきたが、ショパンはこれを独立させ、自分の絶望や憂鬱を告白した深刻な音楽へと更に転化させた。
第1番は1831年に作曲されたがワルシャワ蜂起の暗い影がショパンの民族的感情を刺激したらしい。第2番はショパンの最も有名な曲の一つで曲の冒頭は聴く者に強いインパクトを与える。ショパンの絶望や憂鬱の告白でもある。
リストは(ピアノは私自身、私の言葉、私の命)と断言し、「巡礼の年」はジュネーブに居を構えヨーロッパを演奏中の(旅のアルバム)で、第1年はスイス、第2年3年はイタリアであった。
メフイストは、ファーストの戯曲によるリストの名技法に酔う曲である。技巧の限りを尽くし響きの後、メフィストフェリスがファストを連れて居酒屋に現れ楽師からヴィオリンを取り上げて弾く。
ベレゾフスキーは1990年チャイコフスキー国際コンクールで優勝し、現在パリ、ウィーン、ミュンヘンで活躍している。




ピアノリサイタル(ラドウ・ルプー)

東京芸術劇場 1991.11.06

演題:
ブラームス/主題と変奏(1860)
ブラームス/ピアノ・ソナタ第2番作品2
シューマン/クライスレリアーナ作品16

主題と変奏は、ブラームス作品のなかでも最もロマンティクな音楽の一つ、若き日の傑作の一つである。その背景には恋人アガ―テとの恋愛の破局、クララ・シューマンとの恋があった。

ピアノ・ソナタ2番は、夢みるブラームスを、若々しく情緒的に表現した傑作である

シューマンのクライスレリアーナは、ホフマンの小説の主人公からとった。今では、ピアノ曲のポピュラーとなっている。
ルプーのピアノは、思索的で深みのある表現のピアニストとしての地位を確立している。決して華やかなピアニストではない。単なるピアニストではなく彼は音楽家なのだ。



ヴィオリン演奏会(パールマン)

藤沢市民会館     1987.10.15

演題:
バッハ:無伴奏バイオリンソナタ1番
フランク:バイオリンソナタイ長調
ベートーベン:バイオリンソナタ1番

パールマンは1945年イスラエルに生まれた。4歳の時小児麻痺になり下半身が不自由となった。
ジュリアード音楽院で学び、アイザック・スターンから、高い評価を受け、17歳でカーネギーホールデビューした。
彼の天分をニューヨーク・タイムズ紙は賛辞を惜しまなかった。(17歳時)
「真に評判通りのヴィオリニストだ。音は豊かで暖かく、音楽に合わせて脈打ち、また鎮まる。オクターブの奏法は実に見事だったが、それにも増して最後の楽章のハーモニックスのみじかい部分を、パールマンがヒューと通過した時は凄かった。彼の演奏を聴くときは―技術的、音楽的、そして取り分け人間的な―あらゆるレヴェルで喜びを生みだす。何故ならこの逞しい若者は特別な資質を、つまり心を持っているからである。」
愛聴盤:              
バッハ:無伴奏ヴァイオリンの為のソナタとパルティター  
 モーツァルトソナタK.296,K.305、K.306
 ベートーヴェンソナタ9番、5番 春(アシュケナージ)


ピアノリサイタル(マリア・ジョアオ・ピリス)

サントリーホール 1994.7.19

演奏:ピアノ/ピリス

演題:
グリーグ:抒情小曲集第3集OP.43
モーツァルト:ソナタ変ロ長調K.333
シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化
ピリス
シューマン:子供の情景

ピリスはリスボン生まれで、今年50歳になった。私は1974年録音の「ピリスモーツァルト・ソナタ全集)を持っていて、そのピアニシモの美しさに驚嘆していた。レコードジャケットのピリスの写真は、可憐な少女の顔立ちであり、もっと若い人だとおもつていた。
モーツァルトのK.333は、メロディが美しく、ききがいのあるモーツァルト最盛期の作品である。

シューマンの「子供の情景」は、彼の代表作となったが、28歳の時の作品であり、愛するクララ・シューマンへの手紙は「シューマンの情景?」が記されている。すなわち「以前あなたはよく、僕の事を子供みたいなところがあると言っていましたね。多分その言葉の余韻の様なものが残っていたのでしょう。今僕は丁度そんな気持ちで30の小曲を書き、その内から12曲を選んで「子供の情景」と題しました。・・・」

私には、あの(ピリスの「ジャケットの少女)の少女)と、(「シューマンの子供の情景」の子供)が重なって想起されるのである。




ピアノ演奏会を3回(アシュケナージ)

Ⅰ.「アムステルダム・コンセルトヘボウ」管弦楽団を聴く

藤沢市民会館 1986.9.23

指揮者:アシュケナージ

ピアノ:アシュケナージ

演題
ラヴェル:道化師の朝の歌
モーツアルト:ピアノ協奏曲17番K.453
ドヴォルザーク::ピアノ協奏曲第8番作品88

アシュケナージは1962年チャイコフスキー・コンクールで優勝以来、ピアニストとして活躍してきたが、最近では(1974年以来)指揮者での活動が目立つ。当日も指揮をしながらの演奏であった。かりやすくそして良く唄い、聴き手を楽しませる音楽をする。
                           
Ⅱ.アシュケナージ・ピアノ演奏会

昭和女子大学人見記念講堂  1987.12.05

出演:アシュケナージ
プログラム:不詳 

チケットは残っているし、人見講堂に行った記憶は残っているが、肝心の内容が判らない。
LPでアシュケナージのショパンのノクターン全集を聴き、そのテンポの良さと切れの良いピアニシモに酔っていた頃だ。晴れた冬の演奏会だったと思う。

Ⅲ.アシュケナージ・ピアノ演奏会

広島郵便貯金会館  1987.12.12

出演:アシュケナージ

演目:ベートーヴェン:
ピアノ・ソナタ第21番ハ長調 OP.53 
[ワルトシュタイン」
ピアノ・ソナタ第23番ヘ長調 OP.57[情熱」
シューマン:
子供の情景 OP.15
ダヴィッド同盟舞曲集 OP.6

所用で広島に行った。丁度アシュケナージの演奏会があることを知り、聴いた。私は指揮者のアシュケナージよりも、ピアニストとしての彼が好きだ。繊細な彼のテクニックが冴えた。3回続けて聴いた。




ピアノ・リサイタル(レオナード・ゲルバー)

オーチャードホール1990.3.13

演題
ベートーヴェン:
ピアノソナタ第17番ニ短調OP.31- 2[テンペスト」
第32番ハ短調OP.11 
第21番ハ長調OP.53[ワルトシュタイン」
第14番嬰ハ短調「月光」
 
ゲルバーは、アルゼンチン生まれの49歳、3年前からベートーヴェン・ピアノソナタ全集を録音しADFディスク大賞を受賞し高い評価を得、一段と風格を増し絶賛をあびた。ゲルバーのピアノは重厚で量感があり、技巧も完璧と言われる。総じて音がきれいだ、光沢もある。

「テンペスト」は、ベートーヴェンが弟子にこの曲について尋ねられた時、シェクスペアの「テンペスト」を読めと答えたところから来ている。第2楽章は心の洗われる様な神々しい楽章である。
第32番は個性的な曲で、ベートーヴェンの音楽が凝縮されている。

「ワルトシュタイン」と「月光」は共に感情の高まりが強く、綿密な構成のうえに幻想的なロマンにみちた傑作である。


チェロ・リサイタル(マイスキー1988)

茅ヶ崎市民文化会館  1988.04.02

演奏:ミッシャ・マイスキー

演題
ベートーヴェン  チェロソナタ5番ニ長調OP.102-2
ストラヴィンスキー イタリア組曲
ブラームス    チェロソナタニ長調OP.78
ドビッシー     チェロソナタニ短調

音楽に国境はないが、人間すべてから、国境を取り除く日はまだまだ遠い。マイスキーは身を持って体験して人生の頂点とどん底を見てしまった事を、彼の音楽は物語っている。詳細は別稿で。


クロイツェル・ソナタ」を愛聴する

演題:
ベートーヴェン:ヴィオリン・ソナタ第9番イ長調OP47

 演奏:ヴィオリン; シュナイダーハン
                  ピアノ;ウィリヘルム・ケンプ

今、机上に三枚のLPがある。共に傷つき汚れている。
この三枚は、私の学生時代、下宿の部屋で、安い電気畜音器の鉄針で聴き惚れたもので、今は汚れ果てたジャケットの中に鎮座している。
一枚目は、ベートーヴェン;ヴァイオリンソナタ:「クロイツェル」
二枚目は、べートーヴェン;ピアノソナタ「月光」「情熱」「悲愴」、(ピアノ:ケンプ)
三枚目は、チャイコフスキー;ヴィオリン協奏曲ニ長調 (ヴィオリン:ダヴィット・オイストラフ)である。ともにドイツ・グラマフォンのレコードだ。

演題は、その三枚の内の筆頭のレコードなのだ。私の音楽愛聴の初代にあたるこのレコードには強い愛着をもっている。
演奏は1950年の録音である。私が初めてべートーヴェンを好きになったのはこの「クロイツェル・ソナタ」だった。おおかたの人が交響曲の9番とか5番の「運命」だとか6番の「田園」など、交響曲からの入門と思うが、私の場合はピアノソナタだった。

私はトルストイの禁欲的な愛をテーマとする同名の短編小説を読んでいたので、レコードを購入したと記憶している。
私は、好きなこの曲を、最初ハイフェッツや、オイストラフで聴いた。そして最後にシュナイダーハンで聴いた。前の二者はアメリカ的演奏様式であるのに比べ、ウィーンの古典的美感が息きずき、美しい柔らかな音色をシュナイダーハンは引き出している。理屈抜きで「これだ!」と感じた。因みにシュナイダーハンはウィーンフィルハーモニーの首席ヴィオリン奏者であった。
私にはウィーン古典派の音楽が自分の音楽となっていたように思う。

ベートーヴェンは10曲のバイオリン・ソナタを作曲したが、第9番はバイオリニストのルドルフ・クロイツェルに捧げられ、「クロイッェル・ソナタ」と呼ばれている。トルストイの小説「クロイツェル・ソナタ」はこの曲に触発されて書かれたものだ。又、ヤナーチェクはトルストイの書に刺激され、弦楽四重奏曲第1番「クロイツェル・ソナタ」を作曲している。

私は、全楽章に登場し、繰り返される第一主題に心を奪われた。何時しかこの旋律が私の体に浸みこんだ様だ。
ベートーヴェンがこの曲を作曲した時期は、並行して交響曲3番「エロイカ(英雄)」が作曲されていた。いわゆるハイリゲンシュタットの遺書を書いた後で、新しく甦生し緊張感、充実感、を伝える強さが、この曲に表されている。交響曲「エロイカ」精神の室内楽版と言える。
第一楽章は、咳き込むような第一主題と、穏やかな第二主題が鋭く対照して、青年の心を揺るがす強さを感じる。私はこの第一主題が好きだ。自分の心情が躊躇いなく現されている。
第二楽章は、豊かな抒情性と風格をもち、静かに主題が回想される。
第三楽章は、力強いフイナーレで、展開部で第一、第二主題の跳ねるような上昇と下降の効果により、輝かしい楽想が聴かれ、清々しい気分になる。
ベートーヴェンの音楽は、多くの苦しみや悩みがあり、率直な歎きが込められている。そして諦念ではない解決と、歓喜で終わる。我々がベートーヴェンを求めに戻るのは、人間生きてゆくためには何度でも勇気を要する時間に遭遇する。その時、ベートーヴェンはかけがえのない友として戻ってくるのだ。「クロイッェル・ソナタ」にその典型を感じる。
今回レコードを聴きながら気づいたことだが、不思議な事に私はこの曲の実演奏を聴いていない。いつか名演奏を聴くことを今後の楽しみの一つとして残して置こうと思う。
キズの為、雑音の聴こえるレコードに耳を傾け乍ら、青春時代の想い出に耽るのも、悪くない。

尊敬している吉田秀和さんは、いう。
「僕は音楽が好きだった。心情と感覚の世界を通じて、陶酔と忘我を実現してくれる。音楽の中に特に人生観とか世界観とかいったかたちでのみ思想をさぐる嗜好はない。ゆるぎなく明確な音の中にある動かしがたい何かを感触する。」と。
このクロイツェル・ソナタは、私にとっても動かしがたい恩恵なのだ。
安らぎへの限りない還帰があるように思う。



「巡礼の年」を聴き高邁なリスとの人生を想う

演奏者:LAZAR BERMAN

巡礼の年(全曲)
第1年<スイス>S160
第2年<イタリア>S161ダンテを読んで<巡礼の年>第2年補遺
第3年S163

作曲家リストは、作品においては気取りやのいかさま師で、表面的な誇大なロマン主義を体現したとされてきた。しかし、リストは最も多くの誤解を受けてきた音楽家だと思う。

モーツァルトと違って、リストの音楽は人間を映し出す。作品に対する誠実さが投影されるのだ。
著名なハンス・ビューローは、リストを演奏する者はパトス(情念)と誇張をはっきり区別すべきだ
と教えたという。〈泣き、歎き、悲しみ、おののき)に基づく素晴らしいリストの曲を演奏するには、演奏者は音楽に泣き、歎き、悲しみ、おののく表現を与えるべきで、泣きわめきがちがちと
歯をならしてならないのだ、と。

そして巡礼の年は、彼のロ短調ソナタとともに、彼の最高傑作である。第1年<スイス>の元の曲は、リストがさすらい人にして巡礼者であり、いずこにも定住することなく定住の地を求めるロマン主義のリストを聴くのである。第2年<イタリア>とともに、ここには、<人間を取り巻く自然>と<人間のうちなる本性としての自然>が表されている。
たとえば、三つの<ペトラルカのソネット>は、愛の二面性が歌われている。「自らを憎悪しつつ、他人を熟愛する」こうした矛盾の群れを、リストは力強く、フォルテの連続で表現しているという(ブレンデルより)。リストの娘コジマがワーグナーと不倫の恋仲になり、結婚するという事件があり、父としての葛藤は大きいものだったろう。

<ダンテを読んで>は、もっとも数多く演奏される曲であるが、<地獄を描いた画家は、自分の生涯を描いたのだ>というヴィクトル・ユーゴの詩の題名を採っている。
そして、<悲惨な中で幸せな時を想い返すほど、大きな哀しみはない>という心理描写で第3年は終わるのである。
リストのこの大きな歩幅をベルマンのピアノは、見事に、余すことなく表現したと思う。
さて、
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」:村上春樹著が発刊され、読んだ。村上さんは音楽に堪能しているが、クラシック音楽にも造詣が深い。
一年前に小澤征爾と音楽についての対談集を出したが、かなりの音楽を聴き詳しい。
彼の文章には、一定のリズム感があり、そして背景に音楽が流れていると思う。
村上さんは、上記の小説の中で、表題になっている「巡礼の年」をリストの同名の音楽によることを示唆して進行している。
そして、推薦しているのがベルマンの弾くリストの巡礼の年である。
私は、リストのピアノ曲は、定番のボレットのピアノで聴いてきたので、ベルマンのアルバムを知らなかった。

ベルマンは、リストを大きな呼吸で唄わせている。深い想念を忍ばせて弾いている。
この曲は、リストのスイスやイタリア旅行記のようだが、リストには深い思い出がかさなりあっている。美貌のマリー・ダグー伯爵夫人とジュネーブで同棲生活を始め、世間から非難を浴びた。しかし、この時代から作品は、成熟し豊かになったのである。村上さんは、この抒情的な智佳を見逃さず、この演奏を褒めているのは流石である。
過去に読んだ「海辺のカフカ」では、村上は物語の進行を「べ-トーヴェン」の「大公トリオ」をBGMとし物語を進めた。
村上春樹には、クラシックなBGMが良く似合い、物語を立体化している、と思う。私は4月発売予定の「女のいない男たち」も楽しみにして待っている。




フェスチィバル(ピエル・ブーレーズ)

東京文化会館      1995.5.18

指揮:ピエル・ブーレーズ

ピアノ演奏:マウリツィオ・ポリーニ

シェーンベルグ:3っのピアノ曲/6っのピアノ小品/5っのピアノ曲
ヴェーベルン:ピアノのための変奏曲
ブーレーズ:ピアノ・ソナタ第2番

12音技法で知られるシェーンベルグだが70作品中ピアノ曲は5曲である。そのうちの3曲だ。ポリーニは、高い知性と技法を駆使し現代音楽の拡大に尽くしている。
私は、1974年録音盤で、シェーンベルグのこの演奏会の3曲をポリーニがひいた物を所持しているが、彼は保守的革命家であって、彼の音楽は後期ロマン派の延長線にある様に思われる。音の響きから、ブラームスを想像することは容易であろう。




ピアノ・リサイタル(リヒテル)

茅ヶ崎市民文化会館1988.9.28

演奏:スヴャトスラフ・リヒテル

演目
モーツァルト:ピアノソナタヘ長調KV.533
ブラームス:ヘンデルの主題による変奏曲とフーガ作品24
リスト:スケルツォと行進曲ニ短調

リヒテルは、7回目の来日だ。初来日の当時(1970年)は、飛行機が嫌いで、鉄道と船の旅であった。いまや親日家であり、当年は25日まで八ヶ岳音楽堂で演奏した。日本の風土も好きらしい





モーツァルトピアノ・リサイタル(グルダ)

ウィーン・コンチェルトハウス  1995.11.3

会場に到着17:30  開始19時30分と分かり席で待つ。2時間前にきてしまったのだ。更にグルダに事故あり21時開始となる。誰一人文句を言う人がいない。談笑しながら待つている。日本なら一騒動だ。

第一部 モーツアルト・リサイタル
ピアノソナタ第8番イ短調K310
ピアノソナタ第13番変ロ長調K333
ピアノソナタ第14番ハ短調K457
ピアノのためのジーグト長調K576
アンコール:グルダ作曲 4のアリア

第二部パラダイス・トリオとジャズ(チック・コリア)
第三部 ディスコ・パーティ

トレーナにジャージのズボン、白のスニーカーで動き回る65歳にグルダは、明朝3時半まで弾いたという。私達は,二部の途中で帰った。グルダは奇才だ。残念ながら来日歴は無い。

彼のピアノは、歯切れよく、そして軽快ながら全体像がはっきり浮かびあがる。彼は又クラシック的ジャズを好み、第2部はその演奏だ。彼の作曲したアリアを弾いたが、透明ないい曲だった。このアリアは、CDでも聴ける。グルダ・ノン・ストップというCDである。又、彼の弾いたモーツアルトピアノソナタ全集は楽しみのモーツアルトが聞ける。
愛聴盤:グルダ・ノン・ストップ(1990)4のアリア




ヴィオリン・コンサート(ヒラリ―・ハーン)

2016.6.4    青葉台フィリアホール

演奏者VIOLIN;ヒラリ―・ハーン           
            PIANO;コリー・スマイス

演題
モーツァルト 
  ヴィオリン・ソナタト長調K375
 J。S。バッハ 
  無伴奏ヴィオリン・ソナタ第3番
  アントン・ガルシア・アプリル 
  無伴奏ヴィオリンのための6つの
  パルティ―タより第2曲「無限の広がり」、第3曲「愛」
 コープランド
  ヴィオリンとピアノのためのソナタ
  ティナ・デヴィッドソン
  地上の青い曲線
アンコール
            マーク・アントニー・ターネジ:ヒラリーのホーダウン     
            佐藤聰明:微風
            マックス・リヒター:慰撫

ヒラリ―・ハーンは、美貌と知性が優先する芸術家だ。デビュー以来20年の活動は3度のグラミー賞受賞や、世界の著名なオーケストラとの共演歴に加え、特筆すべきは自身のウェブサイトでゲストとインタビューをしている。
そして、新しいレパートリーの開拓に積極的で現代音楽を聴衆に媚びないで演奏している。彼女の知的な活動は多くのファンに愛されているという。

前半の古典作品と後半の現代音楽の演奏には、明らかに違いが感じられた。幕間に、隣席の親友は<予想していたイメージとは違った演奏だ>との評だった、同感した。

しかしながら、後半の現代曲に入るや演奏が一変した。身体をゆさぶり、大きな呼吸にあわせた
太いヴィオリンの音色は、激しく何かを訴えた。
アプリルの第3曲「愛」は、スペインの作曲家にヒラリ―・ハーンが依頼した曲であるが、<ヒラリーの想像力が私達に与えてくれる、時を超えて果てしなく広がる音楽で満たされたヴィジョンを、「愛」は「多様な形をとる芸術、科学、自然、想像力など、あらゆる新しいものに対するあなたの愛」を
表現している。>とアプリルはコメントしている。

コープランドは、アメリカの作曲家で古典的な感じの曲だが,アメリカや中米の音楽を随所に配した作品である。穏やかな序奏で始まり、静かに終わった。ハーンの音色は、太くて豪快な孤高の感じがあったように思う。

「地上の青い曲線」は、アメリカの女性作曲家デヴィッドソンへの委託作品で、11月の荒れた空の様々の青色の動きを想像して作られたという。

親友は<全体の演奏は後半の自身表現の構成を目論んで意図したものだったね>ともらした。私は、最近現代音楽を聴く機会が増えてきて、違和感は無く同化できるようになった。併せて好きになってゆく自分を想った。ヒラリ―・ハーンの与えてくれた恩恵であろうか。



ピアノ・リサイタルー本邦初演(リヒテル)

東京文化会館        1970.9.10.

演題:
シューベルト  ソナタハ短調 遺作
バルトーク 15のハンガリー農民歌
シマノフスキ 3つの詩曲「仮面劇」より OP.34
 Ⅰ.シェエラザード
 2.道化師タントリス
プロコフエフ ソナタ第7番 変ロ長調 作品83

1974年国際ショパンコンクールで、審査委員長ルビンシュタインから<我々審査員の中で彼以上にうまく弾ける人がいるだろうか?>と言わしめ優勝したリヒテルはロシアでの演奏が主であったため、実演を聴かないまま、レコードで聴いているのが一般的であった。「幻のピアニスト」と言われ、神童とされたが当時実演奏を聴く事は日本ではできなかった。その神童がついに来日したのである。初来日だ。しかも日本での第1日だ。私も、幻のピアニストの噂を聴き、1961年アメリカで数枚のLP盤を買った。「SVIATOSLAVRICHTER AT KARNEGIEHALL Vol.1~4」他9枚である。非凡なピアにズムに驚いた。音楽を聴くのではなく、もう一段上の流れ出る音に耳を傾けた。内容はBeethovenピアノソナタ3,9,22,12,23 Prokofiev6,2Haydn50,Schumannノヴェレッテン1,2,8番で1960年10月のライブ盤だった。

さて、素人の私にリヒテルを論じる資格がないので、参考に、山根銀二さんの「リヒテルの音楽」を引用します。リヒテルを言い当てています。

「リヒテルの音楽を本質においてなりたたせているのは心の力です。中略・・・人間のやる音楽には心があり、その心がこもっているほど音楽は立派になるのです。こうゆう簡単な原理をリヒテルの演奏は再認させずにはおかない心の言葉があることが彼の特徴であり、名声を得た理由であると思われます。
例えば戸外から聞こえてくる遠くの村の祭りの音も、窓辺に鳴く虫の声も、彼の手にかかると、なにか深い意味をもった生命の響きに変わってしまい、あの即興的な自然描写が一大交響曲のように豊かな音楽になってしまうのです。そのあとでは誰の演奏、レコードをきいても、そうゆうことはありません」

演題選曲については、リヒテルが生まれ育ったウクライナ・ロシア音楽に対する情熱と、真摯な、ひたむきの音楽にむかい常に新しい曲に挑戦してきた人らしく、聴衆におもね無い心も見たように思った。父はドイツ人でウィーンのオルガン奏者であった。普通の音楽家庭で育っている。

「シューベルトのソナタハ短調」は、最後のソナタ3曲の内の1曲である。シューベルトらしい楽想が豊かに流れていて、ロマン的だ。多くの人は、ベートーヴェンの影響が大きい曲であると述べている。
「ハンガリー農民歌」は、バルトークがコダーイと協力してハンガリーの民族音楽を収集し、自分の音楽に反映させ完成したもので、実に17年間の歳月を要している。古い民族音楽を基としている。またバラードはボルバーラの悲恋物語を変奏に取り入れていて人気が高い。

「シマノフスキの仮面」シマノフスキはポーランドの作曲家で、進歩的で、無調的な作曲がみられる。第1曲「シェエラザード」は、リムスキー・コルサコフの同名の交響曲が著名であるが、「アラビアン・ナイト」の王妃の名前である。第2曲の「タントリス」は、中世の騎士「トリスタン」の変名で、王妃と騎士は秘められた名によってお互いの恋を確かめ成就するというロマンチックな曲だが難曲のようだ。

「プロコフエフ第7番ソナタ」の初演は、リヒテルが行った。無調的な旋律もあり難解なピアニズムを要するが、リヒテルは美しく、豊富な音色で弾き終わった。

最近私は、ユーリー・ボリゾフ著「リヒテルは語る」(ちくま学芸文庫)を読んだ。リヒテルの芸術に対する見識は音楽のみに限らない。
文学では、チェーホフ、プルースト、トーマス・マン、ゴーゴリ、絵画では、フェルメール、ピカソ、シーレ、ダリ、そしてコクトー、フェリーニ、黒澤明の映画、シエイクスピアの演劇、世界の、あらゆる芸術・文化が幅広い関係を示す幾多のエピソードとともに語られている。博識と鑑識眼の鋭さに驚く。
中でも音楽に対する見識は独特であり、シューベルトのソナタはプルーストの小説に似ているといい、スーラの点描はチャイコフスキーだという。著書の第1ページが彼の好きな抽象画で、内容は啓発的で示唆に富んでいる。

今私は、後日リヒテルが人見講堂で演奏した際、キャンドルをピアノの上に置き、自らの顔を浮かび上がらせて弾いたことを思いだす。彼独特の美意識に基づいていたのかも知れないと気付いた。彼の弾く「バッハ平均律全集」ほど静かな朝に相応しい音楽は無いと感じていて、幸せな時を送るのである



第8部   内田光子を聴く




2回のピアノ・リサイタル(内田光子)

2015.11.10&11.15   サントリーホール

11.10 の演題(第1回)     
 シューベルト:4つの即興曲 OP。90 D899 ハ単調/変ホ長調/変ト長調/変イ長調
ベートーヴェン:デイアベッリのワルツの主題による33の変奏曲 ハ長調 OP120)

11.15 の演題(第2回)
シューベルト:4つの即興曲 OP。142 D935 へ短調/変イ長調/変ロ長調/へ短調
ベートーヴェン:デイアベッリのワルツの主題による33の変奏曲 ハ長調  OP120

内田さんの弾くシューベルトが訴えかけてくるものは、悲しみとか、生への諦観という生易しいものではなかった。
私はOP.90とOP.142を弾いた彼女の1996年の録音盤をもち、聴いてきたが、それらの「死へ向かってゆく「哀しみの美しさ」を感じさせる従来のシューベルトとは今度の演奏は異なっていたと感じた。彼女の知性によって、楽譜に忠実でありながら、生きることへの凄まじさを強く感じた演奏だった。音楽の範疇を超えていた。今日の演奏や近年の演奏録音が新しく出版されることを希望する。

初日10日の9後半には、美智子皇后が来場され、べートーヴェンの33の変奏曲が奏でられた。
この曲は演奏が最も少ない部類の曲だという。私も実演奏を聴くのは2度目だ。1970年日比谷公会堂でリヒテルのリサイタル(ベートーヴェンでの夕べ)で聴いている。又この奇妙な曲は、バックハウスのLP盤(1988年/独版)と、クラウディオ・アラウのCD(1985年/独版)をもっていたが、聞き覚えがないまま放置状態であった。
しかしながら、6日前に内田さんのレクチャーを受けて、この曲のもつ魅力にとりつかれた。(前項参照)
私にはベートーヴェンは、孤高の存在であり、孤軍奮闘し、立ち上がる人間像があった。しかしもっと多面的な彼の姿を33の変奏曲で知った。最終楽章33番は崇高な世界にひろがって静かに曲を閉じる・・・。

プログラムで青沢隆明氏は、<それは救済なのか,帰天なのか、中座なのか。消失なのかー。あらゆる悲哀を、悲喜劇を超え、多様な現象を巻き起こし、壮大な生を変換させてきた後には、もはや人間的な憤怒も嘲笑も砕け散って、生命の舞踊が途絶えたように宇宙の沈黙が残される。>と評されている。またアルフレッド・ブレンデルは「音楽の中の言葉」の著書で、偶々シューベルトの即興曲とデイアベッリ変奏曲の対比を論じているではないか!田さんの2回の演奏会プログラムと一致しているのだ。時を超え、人を超え、音楽という妖怪が暗躍し結びつけたのか





内田光子:デイアベッリ変奏曲を語る

2015。11.4  サントリーホール(小ホール・ブルーローズ)

演題:ベートーヴェンの「デイアベッリ変奏曲」について

2年振りの来日だ。今秋の演奏会は2回のみで、内田さんは、<この作品は、人間が生きて行く上で遭遇する最大の深みにスポッとはまってしまい、その一方で深みに落ち込んだ者を上にもちあげる力があり、それはベートーヴェンにしか出来ないこと>と語る。さらに続けて<ベートーヴェンは当時の人々の地上の自然を超えて、神秘な広大な全宇宙を観たのです。>と.

今般2回の演奏会は、共通して「ディアベッリ変奏曲」が演奏される。演奏に先立ち、無料レクチャーが催された。実演奏会の聴衆のうち希望者抽選で参加させて戴いた。

颯爽と現れた内田さんは、早口だが流暢な日本語で、しかも明快なレクチャーをされた。私はかなり興奮しながら聞き入った。
先ずこの曲の誕生秘話から説明された。内容は以下のとおりだ。

<オーストリアの出版業者で作曲家でもあったデイアベッリは、在住の作曲家やピアニストに自作の変奏曲を1曲ずつ送り、作曲を依頼し、これらを集めて「祖国芸術家連盟」の名称で出版する企画をたてた。
シューベルト、ツエルニー、フンメル、11歳のリストなど50人が応募、ベートーヴェンも1曲のみ依頼を受けた一人だった。ベートーヴェンは当初気に入らなかったが、途中で気が変わり、4年後33曲の変奏曲を完成させ、題名を「変容」とした。9番交響曲と並ぶ晩年の最高傑作となった。>
 
 Ⅰ。曲の構成について
「デイアベッリ変奏曲」は58分もの演奏時間を要するが、楽章はなく,休止時間のない,単楽章のみで33の変奏曲から構成されている。
完全に暗譜されている内田さんは、33の各曲間の関係を説明された。明晰な頭脳者の講義は、時折交えるユーモアとともに、面白い。

内田さんは、変奏曲1番,二番、十番、二十番、三十一番から三十三番を祥述された。特に三十三番の短調から長調への変換は、見事でと強調された。
また、二十九番がモーツァルト、三十一番がヘンデルに捧げられていること、最終の三十三番でベート―ヴェンは、この時代の人間が見えなかった{宇宙を見てしまった}(ウイリアム・キンテーム著より)・・・Ⅲで詳述する。

巨匠ピアニストのブレンデルは、名著「音楽の中の言葉」(木村博江訳)のなかで、<クラシック音楽はつねにシリアスであるべきか>のテーマで81頁にわたり「デイアベッリ変奏曲」に論評している。かなりの労力と知識が必要だが私なりに興味深く読んでみた。
その中で、彼はこの曲に対するベートーヴェンの「バラ色の気分」を照らし出し、各曲に題名をつけた。とても面白いので参考として列記する。
主題:    通称「ワルツ」
第一変奏:行進曲―力瘤を見せびらかす剣闘士
第二変奏:雪
第三変奏:信頼と執拗な疑い
第四変奏:博学なレントラー
第五変奏:手なずけられた小鬼
第六変奏:雄弁なるトリル(大波に立ち向かうデモステネス)
第七変奏:旋回と足踏み
第八変奏:間奏曲(ブラームス的な)
第九変奏:勤勉なくるみ割り
第十変奏:忍び笑いといななき
第十一変奏:「潔白」(ビューロー)
第十二変奏:波形
第十三変奏:刺すような警告
第十四変奏:選ばれし者、来れり
第十五変奏:陽気な幽霊
第十六・十七変奏:勝利
第十八変奏:ややおぼろげな、大事な思い出
第十九変奏:周章狼狽
第二十変奏:内なる聖所
第二十一変奏:熱狂家と不満屋
第二十二変奏:「昼も夜も休まずに」(デイアベッリ的な)
第二十三変奏:沸騰点のヴィルトゥオーゾ
第二十四変奏:無垢な心
第二十五変奏:ドイツ舞曲
第二十六変奏:水の波紋
第二十七変奏:手品師
第二十八変奏:操り人形の怒り
第二十九変奏:「抑えたため息」
第三十変奏:優しい嘆き
第三十一変奏:バッハ的な(ショパン的な)
第三十二変奏:ヘンデル的な
第三十三変奏:モーツァルト的な。ベートーヴェン的な

最終変奏をベートーヴェン的なとしたのは、後述のⅢで吉田さんが指摘する「没個性的宇宙」が漂うからであろう。
内田さんも最終変奏には「ベートーヴェンはここで当時の人間が想像もしなかった地平線から見える世界を離れ、全宇宙を創造したのです。」と表現された。

Ⅱ。ベートーヴェンの「デイアベッリ変奏曲楽譜とメモ」について
内田さんが、この曲に関心をもち、研究をはじめたのは4~5年前からという。
ベートーヴェンが書いた膨大な作曲メモが、近年、農村から発見され売られようとした。ウィーン楽友協会は国費でこれを買い上げて、原爆が投下されても安全な倉庫を作り保管した。世界的な遺産だからである。
3時間閲覧を許された内田さんが見たものはベートーヴェンの深かい苦悩の跡であった。(この間原爆は投下されませんでしたよ!)
当時は紙代が高価であったため、何度も消しながら書いていった足跡がたどれるという。モーツァルトは頭で記憶して努力の跡はないが、ベートーヴェン何度も書き直した。特に曲の構成に努力を傾けたのがよく解るという。

Ⅲ。ベートーヴェンの没個性的宇宙について
内田さんは、<この作品は、人間が生きて行く上で遭遇する最大の深みにスポッとはまってしまい、その一方で深みに落ち込んだ者を上にもちあげる力があり、それはベートーヴェンにしか出来ないこと>と語る。さらに続けて<ベートーヴェンは当時の人々の地上の自然を超えて、神秘な広大な全宇宙を観たのです。>と。
吉田秀和さんも、このスケッチを見て感想を記している(「ベートーヴェンを求めて」より引用)
曰く<彼の筆跡が壮年時代の嵐のように激しく、力任せのそれとは違って、はるかに細く、緊密で注意深く書かれ、私にはまさに天空を横切ってゆく星の軌道のように、またその星に向けられそれを取り囲む無限の憧れの鼓動の姿そのもののように思えるのだった>と。

Ⅳ.雑記
レクチャーがおわり、高松宮殿下記念世界文化賞音楽部門受賞式が常陸宮の代理から行われた。
内田さんは、「私は朝から晩まで、好きな音楽のこと以外の事は全くしないし、知らない人間です。それが表彰されるなんてなんと幸せなことでしょう!」そしてくるりと体を一転させて「しかも賞金まで一緒です」と笑わせた。そして「いま世界には大きな津波が押し寄せています。裸の幼児が極寒の中で震えているではありませんか。許せません、この賞金はそんな人々に毛布一万枚を買うことに使います」と。
帰路気付いたら、すっかり疲れが取れ、爽快な気持ちに還った自分がいた。
右直筆のサイン(私の宝です)





シューベルトの最後の「3っソナタ」を聴いて

1997年ウィーン中央墓地を訪ね、念願だったモーツァルトの墓に献花し、更にベートーヴェンの隣に眠るシューベルトに墓参した。
1828年31歳の短い生涯を、泉の如く溢れる楽想と美しさで飾った墓碑には、<音楽は、ここに豊麗なる重宝と、それよりも遥かに貴い希望を葬る。フランツ・シューベルト、ここに眠る。>と記されてあった。

演題
3つのソナタ D.946
ソナタ ハ短調
ソナタ イ長調
ソナタ 変ロ長調

演奏者:内田光子

私は内田光子の演奏が大好きである。拙著「私のクラシック音楽の旅」で、内田光子礼賛(P155~P163)を記したが、彼女の来日公演はほどんと聴いてきた。しかしながら「3っのソナタ」の実演奏は記憶に無い。恐らく演奏していないと思う。
1997年ウィーンのミュージック・フェラインでの録音CDを所有していたので、自宅で聴いてみた。
彼女の魂が、シューベルトに寄り添って、死と生を見つめ合っているかのように、優しく細やかな、心洗われる演奏だ。同じ曲をマウリツィオ・ポリー二が弾いて1985年パリ、サル・ヴェラムで録音したCDと聴き比べてみると、内田さんのシューベルトへの思い入れの深さが解る。シューベルトの本質は唱うことだと私は思う。内田光子は優しく唱っているではないか!シューベルトの唱が聴こえる。

シューベルトを弾くピアニストは多い。ショパンと双璧だろう。
田部京子の弾くこの曲もいい。作家の久世光彦さんは、「この人のピアノは<不思議な光るピアノだ。シューベルトのモティーフを、朝の無心の童女のように、そして深夜の虚ろな老女のように、語る。私はいま突然、音楽とこの人のピアノに、恋している」と賛辞を送っている。

私は、2011年11月サントリーホールでシューベルトのピアノソナタD.960を演奏中の内田光子が、曲に憑りつかれた妖女となり、頬を涙で濡らしながら弾いたシューベルトD.960を想起した。内田光子はシューベルトと同化していた。この演奏も同じように感じる。

私は、ショパンを弾かないが、シューベルトを弾くアルフレッド・ブレンデルの名著:「音楽のなかの言葉」の中の<シューベルト最後の3っのソナタ>の論文(P103~P189)を読んだ。優れた音楽学者でもあるブレンデルの記述は、示唆に富むものだ。下記の如くである。
「この作品は、告別の辞と受け取るべきではない。1828年5月から9月の短い期間にこの曲は書かれ、11月に31歳の生を終えた。この作品は死を意識していない。「冬の旅」で死を詠ったこの作曲家が、死の直前に描いたこの曲では自らの苦しみを和らげることが出来たのだと、この曲を聴くと心が休まる。」
「変ロ長調ソナタの冒頭は、新しい清楚な讃美歌的側面が聴けるし、最後の部分で、ピアニシモで主題を引用しているのだが、その周囲をニ短調の調性が囲んでいるため、はるか遠くから聞こえてくるような印象を受ける。そして主題が優しく清澄なまま、あまり近くに聴こえるので、聴き手はまるで自分の内部から響くように感じる。」
3っの作品のうち、20世紀に最も強い影を落としているのが、3曲目の変ロ長調ソナタだろう。最も美しく感動的で、最も強い諦念と調和のとれた均衡をそなえ、穏やかでメランコリックなシューべルトというイメージに最も当てはまる作品である。
心に響くエピローグでは、下降する3つの音がまじめな問いかけの様に現れる。歎きがついに晴れたことを気ずかせる。私はこの特徴を「ため息のまじる疲れ」と言うより、<楽しげで優雅な力に溢れた>ととらえている。
この曲は、シューベルトの死後40年を経て世に出ることが無く,眠っていたが、ブラームスが楽譜を発見し、絶賛し、今日ではシューベルトの代表作となっている。彼の<白鳥の歌>は「冬の旅」だろうが、この曲は彼の<生のさすらい>の歌だと思う。

日本で最も音楽について記述し、最も一般人に音楽を理解させた吉田秀和氏の97歳最後の著
「永遠の故郷。夕映え」が、全文シューベルトに対する哀悼の一冊であったことは、私には感動的であった。
演奏会の幕間の廊下で、美しいドイツ人の奥様と一緒で談笑する姿をよく見たが、その吉田さんは今<菩提樹>の夕映えの中で、安らかに眠っている。


イギリス放送管弦楽団・内田光子演奏会

サントリーホール1986.11.1
 
イギリス放送室内管弦楽団 

指揮テイト
        
ピアノ 内田光子

演題
モーツアルト:
ピアノ協奏曲第6,第8、第9番
ピアノソナタ9番

モーツアルト初期の協奏曲を3曲で記念演奏を終えた。
会場の音響も調整したそうで、見事な夜となった。
ソナタ9番のジェノムは、冒頭の奇抜な旋律が私は大好きな曲で内田の軽快な弾き語りのリズムがしばらくの間,頭から消えず心に残った。



ピアノリサイタル(内田光子-2013)

 2013・11・03   サントリー・ホール

演題 :
モーツァルト:ピアノソナタ ヘ長調K322
モーツァルト:アダージョ ロ短調 K540
シューマン:ピアノソナタ 2番 ト短調 OP.22
シューベルト:ピアノソナタ ト長調 D894
アンコール曲:バッハ:フランス組曲 5番 「サラバンド」から
  
最近の内田は、世界的な巨匠となった感が強い。奏でる音楽は深い洞察に満ち、高い評価をうけ、受賞の数は枚挙にいとまない。
私には、一昨年の11月7日聴いたシューベルト以来の演奏会であった。
この人は、ピアノに向かうまでの聴衆に対する挨拶が凄い。
柔軟な体躯の全身で深いお辞儀をする。顔をあげた笑顔の美しさと愛らしさは、他に類を見ない。全方向に顔をむけて挨拶が終わると、拍手が止む。
大股で足早にピアノに向かう。腰を下ろすや腕が伸びる。そして引き始めの音の優美なこと!
今日のプログラムが又良い。

モーツァルトの2曲は、モーツァルトの長調と短調の、音の、響きの、相違を見事に弾き、浮き出させた。音楽そのものが会場を満たして流れてゆく。
次のシューマンの「生に対する対峙」は、彼の弱さと強さが交互に聴き取れた。モーツァルトとは、明らかに違って、「命へのこだわり」を響かせた。
シューベルトのD894は、死直前のD898~900とは異なり、複雑な彼の心境が聴こえる。内田さんのピアノだから判るのだろうと思う。この曲の良さは今更述べるまでもない。

内田の常連でもある美智子皇后が、遅れて来場され、シューベルトの曲が始まる直前にいつもの2階のサイド席に着かれた。気づいた聴衆から大きな拍手がおこり、皇后は最先端まで降りて立ち、頭をさげて応えられた。たまたま私の席の真上で、近くからお顔を拝見し拍手した。今までこれほど近くから拝顔した事は無かったが、その気品の高さに驚き見入ってしまった。神々しい美しさであった。
内田は皇后に笑顔で深くお辞儀をし、シューベルトを弾いた。見事な演奏だと思った。夢想的な叙情性を導いているこの曲を、シューマンは「形式と精神において最も完全な作品である」と絶賛したというが、シューベルト独自のソナタの傑作であろう。
何時は、アンコールを弾かない内田さんが、おそらく遅れて来場された美智子様への配慮でもあったろうが、アンコールに応えた。
バッハのフランス組曲第5番から、「サラバンド」だ。サラバンドは3拍子の舞曲であるが、誠に心地よい曲だ。
内田は顔を両横に振りながら、踊るようにリズミカルに弾き楽しそうだった。
私は、グレン・グールドが弾いた「フランス組曲」(LP版)で、この曲を聴いていた。
私はふと、内田が音楽解釈の深さに於いて、グールドに近い存在になりつつあるのではないかと思った。





ピアノリサイタル(内田光子-1933)

1993.10.05 サントリーホール

演題:
ハイドン:ピアノソナタ第37番ニ長調
シューベルト:ピアノソナタ第15番ハ長調「レリーク」D.840
シューマン:クライスレリアーナOP.16

前回のモーツァルト演奏からの2年ぶりの来日である。この2年間はヨーロッパ各地やアメリカカーネギーホールで聴衆を魅了しつづけた。今回は2あく度だけの公演で、しかもモーツァルトを弾かない。
しかし、ハイドンからシューベルト、さらにシューマンの流れは内田光子の取り組みの潮流に乗っている。

内田の音楽は緊張感に満ちている。しかもその緊張は、聴く者をこばらせ、委縮させるものではなく、むしろのびのびと自由なしなやかさをもっているのだ。
ハイドンはピアノソナタを50数曲も書いた。モーツァルトはハイドンを崇拝し、ハイドンに捧げし弦楽四重奏曲の名作を残した。第37番にもハイドンの円熟した作曲技法が見られ、第2樂章は美しい。
シューベルトのレリークの意味は遺作という意味で死後発見され、美しい抒情をたたえ2楽章で未完だがシューベルトらしい名作として愛されている。
クライスレリアーナは後に妻となるクララへの想いを作曲したと語っていて、全体が8つの小品からなり、激しい情熱と瞑想的な世界が交互に現れる。演奏数が多い曲だ。
当夜も豊かな知性に支えられた内田の音楽を聴かせた。








第9部                 室内楽を味わう



アルベントリー・トリオ演奏会

カーネギーホール      1961.10.10

演題:
ハイドン  3重奏3番ハ長調
ベートーヴェン  変奏曲ト長調
マチェ―ニ  3重奏2番ニ短調
ブラームス  3重奏ハ長調OP.87

ブタペスト弦楽のハイフェッや、シュナイダ―、エーリッヒカーンで結成された世界一流のトリオである。厳格に、緻密に演奏する。ハイドンが得意のようだ。現在も活躍している。恐らくメンバーは交替しているだろう。
私にとって、カーネギーホールは聖地であった。ルビンシュタインのピアノ演奏とともに、忘れえぬ演奏会である。
愛聴盤:ハイドン 弦楽3重奏曲全集 グル―ミヨ3重奏団
カルメリング3重奏



ショパン・ザール音楽演奏会

パリ  1995.10.28

演奏:L‘EOP音楽団  
ヴィオリン;フランク・デラビラ、マーク・デプレー
altos;ジョエル・ソルタニアン
サメディ・オーケストラ
チェロ:ヒュ・マッケンジ

演題:
ショスタコーヴィチ:弦楽四重奏1番OP。49
弦楽四重奏7番OP.108
モーツアルト:   弦楽5重奏曲4番ハ短調K.406

ショスタコーヴィチの弦楽曲は初めて聴いた。哲学風で研ぎ澄まされた透明感がある。ショスタコーヴィチには15の四重奏曲があり、交響曲とともに、彼の作風がよくわかる。
モーツアルトの弦楽五重奏曲はおなじみの曲だ。K.515、K.516とともに,もっとも我が愛する曲達である。
愛聴盤:モーツアルト弦楽5重奏全集:アマデゥスカルテット(ドイツ・グラマホン盤)  グル―ミョ中心の5重奏団(フイリップス盤)

メロス弦楽四重奏団演奏会・結成25年記念コンサート

サントリー小ホール  1990.3.26

出演:
第1ヴィオリン:ヴィルヘルム・メルヒャー
第2ヴィオリン:ゲルハルト・フォス
ヴィオラ:ヘルマン・フォス
チェロ:ペーター・ブック

演題:
ベートーヴェン  弦楽四重奏曲第13番OP150
ベートーヴェン  大フーガ変ロ長調OP133
シューベルト   弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D.810[死と乙女」

「メロス」の名は、メルヒャーとフォスを融合したものだ。スメタナ、アマデゥス無きあと現役として最高の技量を持っている。彼らの演奏は、一貫して暖かく、みずみずしい感性がある。私は大好きなモーツァルトのハイドンセットをメロス(1977年録音)で聴くが見事な演奏で飽きない。

ベートーヴェンの2曲は同じ曲であったが、長すぎでフーガのみ独立させた。13番の第5楽章はベートーヴェン自身が特に感動して書いたと言われており、絶妙な美しさをもっている楽章である。
「死と乙女」は、シューベルト独自の歌謡性を持つ、ロマン的抒情と、しかも力強い音楽であり、シューベルトでもっとも演奏回数の多い曲である。短調の暗さが乙女の死を美化している。私はこの曲が大好きで毎朝きいて仕事にでかけるという人を知っていた。その人はある朝上から下まで黒衣装ででかけ仕事場で倒れ亡くなった。不思議な出来事であった。



クリヤ・マコトとシュルベスター・オストロフスキー四重奏会 

2013・10・01  ヤマハ銀座スタジオ

奇才庫裡屋はジャズピアニストとして,「音楽というものは、生きてゆくのが困難な人にこそ最も必要とされてきた」との哲学をもつている。
クリヤは、アカデミックな音楽教育を受けず、神戸で高校卒業のち渡米し、東海岸各地でジャズピアニストとして多くのジャズの巨匠と共演した。学生時代に交流した黒人コミュニテイーの影響を受け、ソウフルな鋭い切れ味と音色の透明感は,超一流のジャズピアニストとなった要因である。天井まで飛び上がらんばかりに、つよくピアノを叩く。エンターティナーである。

サキソホンのシェルベスター・オストロフスキーは、ポーランドで活躍する有名なサキソホン奏者で、クリヤ・マコトと組み、企画も共同でしている。

トランペットは、ピョートル・ヴァイタシックでポーランド生まれの名人だ。サキソホンのオストロフスキーと相性がよく、彼らは唇でなく、体と心で演奏をした。
演奏中の二人の表情は、人生の幸せの在り様の具現であると思う。単なる恍惚状態を超えている。

ドラマは、黒人のニューマンベイカーだ。73歳であるが、この人の風貌に感銘した。実に大雅の趣がある。
聞けば、お爺さんは奴隷であったが、努力しエール大学を卒業、黒人初の博士号をとったという。大雅の風貌はDNAなせる業かもしれない。

私が感心したのは、ドラムの音も良かったが、自己紹介の声量と質が素晴らしかったことだ。この人に映画[カサブランカ」で、黒人トランペット奏者のサッチモが唄った[AS TIME GOES BY](時の過ぎ行くままに)を唄わせたいと思った。バーグマンとハンフリー・ボガードの悲恋を見事に唄いあげるだろう。そして歌手としても成功するかもしれないナ。

ベースギターは、アメリカ黒人のエシュエット・オランだ。彼は世界的に有名なジャズバンドにいたという。独奏部分での彼の演奏は、腹に沁みて心に伝わる。彼は極端に寡黙である。私は、ふとこの人は深い過去を背負っていると感じた。そしてもし話し出したら数日止まらないのではないかと空想した。それほど哀しい目をしている。
黒人には、他の有色人種にない表情を感じるのは私だけだろうか。

特別参加として、イスラエルと日本人を両親にもつギラ・ジルカが、クリヤを援護し、VOCAL3曲を唄った。3曲目のWHEN THE PARTY IS OVERは、よい曲だった.私の心に響く曲だった。
この歌については他稿(イスラエルと日本)に譲る。


チャンバー・ミュージック・ガーデン演奏会

2013.6.13   サントリー小ホール

演題:
ベートーヴェン
大フーガ 変ロ長調OP133
弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 OP!35
弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調 OP130
演奏:ボロメーオ・弦楽四重奏団

ボロメーオは、アメリカのクァルテットである。1991年に初来日した。今回は久しぶりの再会である。
小ホールの所為か、音が響かず物足りない気がした。盛り上がりも少なく、感動もなかった。優等生達の音楽演奏だった。

第16番は、ベートーヴェンの晩年の衰えが現れる。第3楽章は、旋律が美しく、哀切極まりない。愛する甥のカールが自殺した直後に書かれた。最後の傑作だろう。
第4楽章は「そうしなければならぬか?」「そうしなければならない。」が反復される。ベートーヴェンの心の奥からの叫びだ。私はアルバンベルグの演奏をCDで聴いているが、この演奏には欠けていて、もっと集中力のある演奏を聴きたかった。

第13番と大フーガについては、井上和雄著<ベートーヴェン闘いの軌跡・・・弦楽四重奏が語るその生涯>の189P~198Pが面白く優れた評論である。
井上さんは言う。晩年のベートーヴェンは、自在な芸術創造と、崇高な道徳性を余人は言うが、井上さんは、むしろ人格的な統合力を欠落させていると評する。彼は弦楽奏者として細部に触れ指摘する。
大フーガOP.133は、13番の結論であるとロマン・ロランは言うが、井上さんはなんと幸せなことを言う人であるかと憤慨する。

私は思う。
あらゆる怒りと哀しみ、原始性がベートーヴェンの本質であり、力なのだ。その原始性こそが、我々の心を揺さぶるのだ、と。
孤独の中にある時、ほどんと一人ぼっちの寂しいすすり泣きの時、私は自分の孤独とベートーヴェンの孤独が触れ合うような気がする。
第13番はその孤独なベートーヴェンの性格・統合力欠落の傑作であると思う。帰路を急ぎながら、自己表現もできないわが身を責めた。


新ダヴィッド同盟:演奏会

2014.11.2  水戸芸術館

演奏:新ダヴィッド同盟
    ヴィオリン;庄司沙矢香
    ヴィオリン;佐藤俊介
    ヴィオラ;磯村和英
    チェロ;クライヴ・グリーンスミス
    ピアノ;小菅優

演題:
シューベルト;ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 D898
コダーイ:ヴィオリンとチェロのための二重奏OP7
ブラームス;ピアノ五重奏曲ヘ短調OP34
アンコール;ドヴォルザーク ピアノ五重奏曲イ長調OP81より

<一度は>と願っていた「水戸芸術館」に行った。招いて下さった家人の畏友に感謝しながら、いい音楽を鑑賞することができた。

まず磯崎新の設計は流石である。定員680席の小ホールであるが、舞台を囲んで扇状に客席が段々と繋がりゆったりとして音楽を聴ける。

初代館長は吉田秀和、現在は小澤征爾である。
新ダヴィッド同盟は、吉田秀和さんが、ロベルト・シューマンが夢想した架空の芸術グループの「ダヴィッド同盟の理念に共鳴し、同館の専属集団として結成した。今年で結成4年という。
旧約聖書のダヴィデにちなみ、<俗物に対抗し、新しい音楽の理想を確立しよう>というシューマンの気概は、吉田さんにも共通の願いであったと推測される。

さて、シューベルトのピアノ三重奏曲第1番は、私はWesteminster盤LPのスコダ、フル二エ、ヤニグロのトリオで聴きその明るい幸福感とロマンチックな情緒で満ちていて、好きな録音盤であった。
新ダヴィッドの三人は個性的なメンバーで、かなりの自己主帳をしたと思った。
「五重奏では、和を優先させるが、三重奏では自己主張は通常の事」と聞いたことがあるが、成程!と思った。

コ―ダイの曲は、ヴィオリンtおチェロという珍しい組み合わせで、自由な旋律を可能にしているようだ。彼はハンガリーの民謡を取り入れた曲を多く作曲したが、この曲もユニークな曲だ。主題の展開には奏者の高度な技術を感じた。私は初めてこの曲を聴いたが、現代抽象画を観る想いで聴き入った。

ブラームスの五重奏曲は、今日のプログラムで私が最も期待した曲であった。ブラームスはピアノ曲を管弦楽風に作り、さらに交響曲まで発展させる手法をとった彼の音楽の特徴が表われて楽しい。ブラームスは、生涯で五重奏曲はこの一曲のみである。
この曲をクララ・シューマンの助言の基に作曲したが、クララは第4楽章の批評をブラームスに書き残している。(二人の関係については、拙稿「初めての緑」で詳述、「クララとブラームスの友情の書簡集」参照)
クララは「この曲は男性的な活気に充ちているが、難しい曲だ。私は精力的な演奏でなければ不明瞭に響くことを心配している。」と忠告している。
しかし、新ダヴィッド同盟は、精力的に、かつ活発に演奏した。最終章の輝く音の響きは、強い感動を与えるものであった。クララの心配を払しょくしたと思った。新ダヴィッド同盟には、最も適した曲だった。
帰路、水戸の千波湖の水面は、穏やかに夕霧に包まれていた。素晴らしい一日になったことに感謝した。


ロバート・マン演奏会―90歳を祝って

長野県松本文化会館  2009.8.29

指揮:ジョエル・スミルノフ
ロバート・マン(OP132のみ)

管弦楽:サイトウ・キネン・オーケストラ および小沢征爾音楽塾オーケストラ

演題:
スメタナ 弦楽四重奏曲第一番「わが生涯より」
ベートーヴェン弦楽四重奏曲一五番OP132.
モーツアルト 交響曲四一番ジュピターK.551

ロバート・マンは、ジュリアード弦楽四重奏団の第一ヴァイオリン奏者で、小沢征爾に賛同し、小沢を後援した。常に小沢塾の指導にあたり、幾多の有能なヴァイオリニストを育てた。スミノフも第二ヴァイオリンを結成時点から努めたが、小沢のアドヴァイスで指揮術を学んでデヴィュを果たした。
久しぶりで生で聴くジュピターは心に浸みこんだ。ちなみにジュピターが生みだされた日は、私の誕生日であり(勿論年は違う)この奇妙な偶然に満足している。
小沢さんは、体調が悪く聴衆席に来て、頭を下げて軽く拍手に応えた。心から回復を待っています。

八ヶ岳音楽堂でピアノ・トリオを聴く

1989.7.8 八ケ岳高原音楽堂

演奏者:ダン・タイ・ソン、ヨゼフ・スーク、堤剛

シューベルト/三重奏曲「ノットゥルノ」D.897
ドヴォルザーク/ピアノ三重奏曲第4番作品90「ドゥムキ」
ベートーヴェン/ピアノ三重奏曲第7番OP。97「大公」

初夏の星の輝く夜空の一夜を八ケ岳高原ロッジで過ごした。付属の音楽堂は木造六角回廊つきの音楽専用ホールで250人限定、残響と音質を追及し毎日芸術賞を受賞した建造物だ。大自然を背景に高度の(名人3人の)音楽を澄み切った星の下の空気のなかで聴くとは!ふと尊敬する武満徹氏の「鳥は星の庭におりる」という作品を想った。武満さんは、この八ケ岳に住み、作曲しているのだ。また「ドゥムキ」と「ノットゥルノ」は、DENONのLPのヨゼフ・スーク・トリオ演奏で愛聴していたので、夢心地で聴き惚れ3大好きだ。幸せ一杯の音楽会であったので生涯忘れることは無いだろう。


アルバン・ベルグ弦楽四重奏団-(1989)

サントリーホール 1989.11.22

演奏:
第1ヴィオリン ギュンター・ピヒラ―  
第2ヴィオリン ゲルハルト・シュルツ  
ヴィオラ トマス・カクシュカ  
チェロ ヴァレンティン・エルペン

演題:
モーツァルト: 弦楽四重奏曲第18番イ長調K.464 
シュニトケ 弦楽四重奏曲第4番(日本初演)
ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第15番イ短調OP.132

私は最も大好きなモーツァルトの弦楽五重奏曲第3番K.515,第4番K.516を,アルバン・ベルグ弦楽四重奏団の演奏(EMI)できくことが多い。烈しさと集中力、そして彼らの奏でるアレグロの美しさがたまらないからだ。ウィーン音楽大学の4人の若い教授の知性と技量の高いことは万人の認めるところで、世界超1級のカルテットと言える。生で聴くアルバンと、モーツァルト、ベートーヴェン、本邦初演のシュニトケと最上級の演奏会であった。

モーツァルトの18番は、ハイドンに捧げし弦楽四重奏曲の第5番である。ベートーヴェンはこの曲を高く評価し、研究のため筆写している。シュニトケの曲はウィーンコンチェルトハウスがシュニトケに委嘱した作品で、アルバン・ベルグ四重奏団がコンチェルトハウスに所属していることから、初演の権利を得ている。長く悲しい曲である。

ベートーヴェンの曲は、病気が一時快方に向かった時の作で、嬉々としてしかも高貴な主題を展開する。彼の弦楽四重奏の代表作品である。第3楽章には≪神の働きに対する病癒えたものの聖なる感謝の歌」とベートーヴェンが書き添えた.第9番交響曲の「歓びに寄す」の歌に重なる。



アルバンベルグ弦楽四重奏団(1991)

サントリーホール   1991.11.10

出演
第一ヴィオリン:ギュンター・ピヒラ―
第二ヴィオリン:ゲルハルト・シュルツ
ヴィオラ:トマス・カクシュカ
チェロ:ヴァレンティン・エルベン

演題
モーツァルト:弦楽四重奏曲第14番K.387
ヤナーチェク:弦楽四重奏曲第2番「内緒の話」
ブラームス:弦楽四重奏曲第2番作品51-2

室内楽のデスコグラフィから、アルバンベルグ四重奏団演奏分を除いたら、何が残るだろう。現在この四重奏団なしに室内楽は語れない。結成されて20年を経た。そして1980年代からリリースされる。
彼らの演奏を聴き、息を継がさぬ鋭さに、まず驚いた思いがある。以来アルバンのファンとなっている。さりながら、生演奏を聴ける機会は少ない。最終で4人が揃って弦を振り上げる仕草には、快哉と叫びたい。

モーツァルト第14番はハイドンに捧げし弦楽四重奏曲の冒頭である。第1楽章が美しい。
「内緒の話」は、内容はラブレターの話であり、音楽の展開につれ、心の動きも解り易く、好きな曲である。日本の童謡にもおなじ唄がありますネ。

ブラームスの2番は、優しく温かい曲だ。ブラームスという作曲家は聴けば聴くほど味が出てくる作曲家だと思う。



アマデゥス弦楽四重奏団(1966) 

日生劇場   1966.09.17

第1ヴィオリン:ノーバート・ブレイニン
第2ヴィオリン:ジークムンド・ニッセル
 ビオラ:ピーター・シドロフ
チェロ:マーティン・ロヴェット

演題:
ハイドン 弦楽四重奏曲ニ短調  OP76-2(五度)
バルトーク 弦楽四重奏曲NO.6
ベートーベン 弦楽四重奏曲ホ短調OP.59-2 ラズモフスキー

この弦楽四重奏団は1948年結成以来39年間同じメンバーで活動し58年に初来日している。今回は2度目である。名称はアマデゥス・モーツァルトからとったが、今回の演奏にはモーツァルトがなく、先輩と後輩をお互い影響された音楽上の1家系としていて面白い選曲だ。

「ハイドン」は6曲の四重奏を作曲し、この曲は2番目にあたるが、3番目の皇帝とならんで良く知られ演奏される。

「バルトーク」は、6曲の四重奏曲を残したが、最後のNO.6である。これはバルトークがアメリカに住まいを移すため、ヨーロッパに対する、別れの曲だだ。モフスキーは、不朽の名作となったが、心の深さ、苦悩、憧れが表れた曲である。




弦楽四重奏によるYesterday

演奏者:マテアス・ムジカル・カルテッット
斎藤直知亜、大林修子、中竹英昭、藤森亮一
編曲;すぎやまこうへい
 
演題
Yesterday
ミッシェル
エリナー・リグビー
Here、there and everywhere
Hey jude
Let it be
Day tripper
If I feil
Girl
Tiket to ride
Lusy in the sky with diamonds
The fool on the hill
Back IN the U.s.s.R 

大指揮者:レナード・バーンスタインがビートルズのポール・マッカートニーを評して「彼は20世紀のシュ―ベルトである。」と言ったが、ビートルズの音楽はクラシック音楽で奏でても、すばらしいことを教えてくれるCDであった。
このアルバムは、作曲家:「杉山こうへい」が編曲したもので、マッカートニーの作曲が、弦楽四重奏によって、こんなにも美しいメロディかと、感嘆させられた。異色のCDと言えよう。クラシック音楽とJAZZの架け橋を聴く思いがした。
池辺晉一郎氏は、Beatlesが好きで研究もされているそうだが、TVでマッカートニーは、現代のモーツァルトですよと話されている。バーンスタインとは、違うが、共通している。この弦楽四重奏を聴けば、理解できるように思う。
なお、Yesterdayは、Beatlesは別格として、あらゆるジャンルのVOCALLで親しまれているが、私はPat Boone, Frank Sinatraの唄うYesterdayが好きだ。


ウィーン弦楽四重奏団(1974) 

藤沢市民会館   1974.10.20

演題
モーツアルト  弦楽四重奏曲第17番 狩
ハイドン     皇帝OP76-3
ベートーベン  弦楽四重奏曲第7番 ラズモスキーOP59-1

ウィーン・コンチェルトハウスQ.を改名し後継している。伝統を受け継ぎ現在ふくよかな音色で聴衆を魅了する。
愛聴盤: 狩  ジュリアードQ.スメタナQ.LP、アマデウスQ.LP、アルバンベルグQ.
皇帝 ウィーンコンチェルトハウスQ.LP
ラズモスキー ブタペストQ.LP、メロスQ.LP、バリリ―Q.LP


ウィーン・アンサンブル(1994

茅ヶ崎市民文化会館      1994.1.14

演題
J.シュトラウス2世  「こうもり」序曲
ツィ―ラ―  ワルツ「心地よい夜v」
J.シュトラウス2世  アンネン・ポルカ
皇帝円舞曲
ツィラ―:ポルカ「生粋のウィーン子」
J.シュトラウス2世 ワルツ (春の声」
J.シュトラウス1世  ケッテンブリュッケ・ワルツほか

茅ヶ崎では,恒例化しているウィーンのワルツが今年も行われた。アンサンブルの構成は、ヴィオリン2名、ヴィオラ1名、チェロ1名、コントラバス1名、フルート1名、クラリネット2名、ホルン1名、全体で9名である。ウィーンフィルの首席奏者やソリストが多く、レヴェルは高い。ワルツやポルカなしで都市ウィーンの文化は成り立たないだろう。街にも、ホテルでも、BGMはウィーンワルツだ。



ウィーン・フイルハーモニア・シュランメルン(1992)

茅ヶ崎市民文化会館 1992.4.10

演奏:ウィーン・フィルハーモニア・シュランメルン

演題:
カール・ミヒャエル・ツィラー  まさにウィーン風
ヨハン・シュランメル 目くばせ
ヨーゼフ・シュランメル シュムッツァー・タンツ
ヨーゼフ・シュランメル  ヌヌドルフの人々
ルドリッヒ・グルーバ  おっ母さんはウィーン娘だった
フイリップ・ファールバッハ フィガロ・ポルカ
其の他14曲(省略)

シュランメルは、ホイリゲで新年度のワインでほろ酔い機嫌の市民が唄う。日本の歌謡曲に似ている。今回のウィーン・フィル・シュランメルは技術的に高度な音楽を奏でる。ウィーンの粋を味わえる一夜である。私は、ハイリゲンシュタットのホイリゲに行った事があるが、楽しむことを演出できるのが、ウィーン人なのだと思った。ただ楽しみの裏にはシュランメルの本質が、自然、愛、別れ、死、が中心となって織り込まれている事に留意しなければならない。


プラジャーク弦楽四重奏団演奏会(1989)

日経ホール     1989.03.14

モーツアルト
 弦楽四重奏曲17番 狩り K458
  クラリネット五重奏曲K581
(クラリネット:村井祐児)

好きな17番を聴くため出かけた。この曲はいわゆるハイドン・セットの始めの曲で狩の美しい角、笛を思わせる喜びのカルテットの狩、すすり泣きの合奏と小鳥たちの合奏の中間にあって、内的なモーツアルトの完成美をしめす。名曲だ。
ここで「アンリ・ゲオンの言」を借りよう。
 「旋律はその連続する美と豊かさによって、技巧と感情を高みから支配できるので、もはやメロディしか現れない。それぞれ自由で個性的な四っのパートの調和は自然そのもののようにみえる。もしこの世に計算された旋律が存在するとすれば、まさにこのアレグロの歌である。泉の嘆き、そしてすぐに、小夜鳴き鳥のコロラトゥーラがつづく。天才の秘儀である。」

尚、プラジャークはプラハ生まれの四重奏団で、音の彫が深い。
愛聴盤:室内樂はアナログに限る。モーツアルトの四,五重奏曲は、LPで発売されているものはすべて聴き愛聴している。スメタナ・アマデウス・ウィーンコンチェルトハウス・ブタベスト・メロス・ベルリンフィル室内・ザルツブルグ室内・アルバンベルグ・等々である。

湘南アマデウス合奏団定期演奏会(2013)

藤沢市民会館  大ホール   2013.5.11

指揮・独奏ピアノ  田部井 剛

演題
シユーベルト:ロザムンデ序曲D。797
モーツァルト:ピアノ協奏曲 第14番K。449
ベートーヴェン:交響曲第8番 へ長調OP。93

この合奏団は、湘南地区アマチュアの自主運営オーケストラで、年2回公演しているユニィークな団体である。名のとおりモーツァルト中心の選曲が多い。田部井さんは、新日本フィル等幅広い指揮活動を展開している。

ロザムンデは「シベルンの王女ロザムンデ」戯曲に付曲したが、戯曲が失敗したので世に出なかったものを、死後40年経ってシューマンが発見し公表された曲である。シューベルトらしい、ロマンティックな、そして明るさの中に、淡い寂しさが漂っている。

モーツァルトの14番は、田部井氏の”弾き振り”であった。
ベートーヴェンの8番交響曲は、学生時代大好きな曲だった。陽気な雰囲気で聴きやすく、しかも力強く迫るところもあり、魔術的なものを感じる。最後に観衆全員が起立して、モーツァルトのAVE VERUM CORPUSを唱和した。湘南地域には音楽に理解のある人が多いようだ。


 


東京カルテット演奏会(1993)

サントリーホール   1993.2.4

演題:
べートーヴェン:弦楽四重奏曲第1番OP18-1
弦楽四重奏曲第11番OP95「セリオーソ」
弦楽四重奏曲第9番OP59-3「ラズモフスキー第3番」

出演:
第1ヴィオリン:ピーター・ウンジャン
第2ヴィオリン:池田菊衛
ヴィオラ:磯村和英
チェロ:原田禎夫

東京カルテットはすでに20数年の年輪を経た。ジュリアードと桐朋学園の影響下に研鑽を積んだ。
又、2代目となる第1ヴィオリンにウンジャンを迎えた。人も知るパールマンに師事した人だ。
東京カルテットの奏でるベートーヴェン後期の演奏は定評があり、どれも、力強くてしなやかな弦が
豊かな人間味と男の美を表現する。初めて聞いた時その素晴らしい音に驚いたことを覚えている。
「セリオーソ」とは、厳粛にの意味であり、ベートーヴェンの指示による力強い反面、幻想的な曲である。
「ラズモフスキー3番」は、一番華麗な曲だ。最終のフーガの奔流がいい。




東京クワルテット演奏会(2013)

2013.5.16   東京オペラシティコンサートホール

東京クヮルテット最終日本ツァー公演

演題
ハイドン:弦楽四重奏曲 第81番OP。77-1
コダーイ:弦楽四重奏曲 第2番OP。10
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲 第14番嬰ハ単調 OP.131

創業43年を経たこのクヮルテットが最後の演奏をするという。ベートーヴェンの弦楽四重奏全集を聴き、日本にもこんなに透明で流暢な弦楽四重奏団があるのかと驚いた日から20数年になる。
1993.2.4 約20年前このグループをサントリーホールでベートーヴェンの弦楽四重奏第1番、11番、9番、と聴いている。私は、その印象を冊子「私のクラシック音楽の旅」で、<どれも力強くてしなやかな弦が豊かな人間味と男の美を表現している>と書いている。

ハイドンの81番は、ハイドン弦楽で完成した最後の逸品と言われる。特に第2楽章は、清澄な精神を示す感動的な、ロマン的な響きがする。ハイドンが室内楽で求めて来た美の理想の集大成を実現した曲であろう。

ベートーヴェンの第14番は独自の7楽章の形式で、ベートーヴェンのユーモアも介在する曲だが44年間も長期に積み上げたこのクワルテットのあくまでも誠実な音楽を聴くことが出来た。東京カルテットもこの曲をもって、終止符をうった。長期間有難うと私は言いたい。


ウィーン・フィルハーモニア・シュランメルン(1987)

サントリーホール  1987.2.9

演題:
私達の流儀で J.F.ワーグナー 
「ポルカ」人生の流れ ファールバッハ
麗しの大地 作者不詳
これぞウィーン風 カール・ミハイル
「ポルカ」いい気分で ヨーゼフ・シュランメル
私は生粋のウィーン子 ヨハン・シオリー
ワインのジョッキを飲み干して
民謡その他6曲

日本なら、小粋な一杯飲み屋を、ウィーンでは、ホイリゲと呼ぶ。焼酎がワインに変わるが、歌を歌い酔い潰れ、千鳥足で帰宅することはおなじだ。ただし千鳥足のリズムは3拍子、ワルツだが・・シュランメルンは作曲者兄弟シュランメルからきている。5年後再来日するがこの時は茅ヶ崎で聴いた。




モスクワ・ソリスト合奏団(1989)

サントリーホール1989.5.18

指揮/独奏:ユーリ・バシュメット

演題:
グリーグ  ホルベルグ組曲OP.40
シュニトケ  室内オーケストラのためのトリオ・ソナタ
ヒンデミット  ヴィオラと弦楽のための葬送音楽
チャイコフスキー  弦楽セレナードハ長調OP.23

バシュメットは、世界一のヴィオラ奏者である。今回4度目の来日は、自らが1986年結成したモスクワ合奏団を率いてである。彼らは立ったまま演奏をする。ヴィオラはオケでも室内楽にあっても目立たない。ヴィオリンの陰で演奏しているというイメージだ。バシュメットは1986年国内からコンサートマスター級の演奏家を集めてこの合奏団を結成した。その清涼なすがすがしい、生き生きとした音楽は、聴いて初めて得られる感覚であった。

「グリーグの組曲」は、第4曲アリアが短調で書かれ、北欧的な静かで物悲しい情緒に溢れた曲である。

「シュニトケ」は,前衛的傾向を代表する人で、意欲的な創造活動をすすめている。この作品はアルバンベルグ財団の依頼で作られ、哀歌調のソナタである。

「ヒンデミット」は、即物主義を作曲面でとりいれた作曲家である。この曲はジョージ5世の追悼のため、依頼により作られた。第1楽章は「静かに」、第2楽章は「生き生きと」第3楽章は「非常に遅く」第4楽章は「汝の王座より我共に歩む)と記されている。

チャイコフスキーのセレナードは、古典美の音楽の美しさが、純粋な形で音に結晶していて、あらゆる階層から支持されて今日に至っている。
選曲は合奏団が得意としているヒンデミット、シュニトケが中心であった。
良い経験をしたと思った。
全てのヴィオラ奏者に乾杯!




ウィーン八重奏団(1991)

神奈川県立音楽堂 1991.5.11

作曲家:W.A.モーツァルト

演題:
セレナードト長調K.525
[アイネ・クライネ・ナハトムジーク」
ファゴットとチェロのためのソナタK.292
クラリネット五重奏曲K.516C
ディヴェルティメント変ロ長調K.287

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」は、モーツァルトらしい明快で優美な美しさに満ち溢れている珠玉の傑作である。とくに第三楽章がいい。ファゴットとチェロという二つの低音楽器のためのユニークなソナタは、華やかな表現が光る。

クラリネット五重奏は、K.622とともに、愛されている曲である。私は数あるレコードのうち(ウラッハ)のクラリネットが最も好きだ。
ディヴェルティメントK.287は、スケールの大きい曲となっている。ディヴェルティメントは王候貴族の食事等の際使われる実用音楽で、モーツァルトにも作品が多い。

ウィーン八重奏団は、ウィーンフィルの首席奏者によって構成され、手、独特の柔和な響きとアンサンブルでシューベルト、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームスを演奏する。音楽都市ウィーンならではの室内楽団であろう。



 


藤沢にゆかりのある音楽家のつどい

2015.11.12    藤沢市民会館  小ホール

演題
モーツァルト:弦楽四重奏曲 第22番 K.589
(プロイセン王 第2番)
ハイドン:  弦楽四重奏曲 第77番 OP.76-3
「皇帝」から第2楽章
ボロディン: 弦楽四重奏曲 第2番から第3楽章「夜想曲」
ヴォルフ:  イタリアのセレナード
ドヴォルザーク:ピアノ五重奏曲 第2番 OP.81 B.155

演奏者
ヴァイオリン; 名倉淑子
恵藤久美子
ヴィオラ;   中村静香
チェロ;    安田健一郎
ピアノ;    小菅優

当日のホールは、地元の愛好家で満席の状態であった。選曲もよく、楽しんだ。
モーツァルト22番は,当時貧窮し体調を崩していて、「プロイセンシリーズ」は「ハイドンシリーズ」に比べて、やや平坦であるように思う。プロイセンは23番で終わる。この頃のモーツァルトは低調であった。つぎのステップ五重奏に対する潜伏期間であった。私はバリリ四重奏団のモノラル録音盤(westminster盤)の演奏が好きである。

余談だが、弦楽五重奏曲6曲に於けるモーツァルトは、間然するところがない。天才モーツァルトを感じるのが五重奏曲だ。K.515,516は疾走するモーツァルトの宇宙を流離うことができる。好きで聴き比べるうちに、レコード数が16とうりの演奏盤になっていた。

ボロディンの「夜想曲」は、妻に愛の告白をした20年記念として作曲されたロマンチックな作品で、明るくいい曲だと思った。

ヴォルフの「イタリアのセレナ―ド」は南国の太陽への憧れが、力強く演奏された。
さて、最後の曲「ドヴォルザーク」にピアノの小菅優が加わった。ピアノが主導し素晴らしい演奏となり、ドヴォルザークを堪能できた。小菅さんの音は綺麗で力強く、自然と人間への愛が伝わってきた。小菅は主にヨーロッパで活躍しているが、昨年文部科学大臣新人賞を授与され、今後が楽しみなピアニストだと感じた。今後も聴きに行きたい。